俺もお前も人生の敗北者

とりあえず否定から入るネガティブ思考で常にB級嗜好なATOPのブログ

尾崎豊

2007-04-25 20:35:43 | 社会問題
朝日新聞の尾崎豊の記事を読んだ方いますか?読んでない方はぜひ読んでみてください。結構興味深いです。

確かに私たちの世代で尾崎豊の歌詞に共感できる人はかなりいないと思う。たぶん、尾崎豊の『I LOVE YOU』しか聞いたことない人の方が多いのでは?かくいう私もそれほどそれほど詳しいわけではない。

でも歌詞の言いたいことは分かる気がします。若い考え、一種の怒り、凶暴なエネルギーが行き場を失ったかのような状態。いつもどこかに敵を作りだして、反抗する気持ち。ある意味ではそれが生きるエネルギー源だったのかもしれない。

そういった気持ちを100%理解できるわけではないですが、若干共感します。ただ永遠の保守派の私には少々遠い考えかもしれないという事実もあります。

政治的な話をすれば闘争状態が一番安定しています。仮想敵を作り続けて、世界を安定させようとしている国があるくらいですから。まー均衡が崩れれば、一瞬で終わりですけど。争いのない世界は幸せなことではありますが、残念なことになにも生み出しません。だから保守と右翼が永遠続くんだろうと思うんですけど。

結局、その二極化が進んでるんじゃないですか?若い世代でも。若い改革的で暴力的なエネルギーがあるはずなのに、保守的な人が増えた。よく言う「ことなかれ主義」の定着。それが尾崎豊の歌詞が理解できない理由だと思う。

どっちがいいかなんて野暮というか答えが無いことです。保守的が悪いわけじゃありません。ただ昇進動機が一番低いのは日本という結果がでたのも当然のこと。ただ保守的であり続ける以上は何も生まれないのは間違いのないことです。

最近そう思うことはそれです。自分が必要なものは自分が欲している以上自ら手に入れにいかないといけないんだろうと思う。待っていては何も手に入れられない。

さっそく

2007-04-23 19:44:18 | 今日この頃
 知らず知らずのうちにまた一週間経ってます。ご無沙汰しております。ATOPです。授業とかが始まり、色々とアクティブになる時期です…一般的には。

 にもかかわらず、私は今日さっそく間が差してひきこもり。明日の語学の教科書すら買っていない…まぁいいか。そんなことを考えながら、映画を見ています。そういうのもありですよね?大学始まって2週目ですけど(汗。

ささやか

2007-04-13 23:40:22 | ATOP
こんばんはATOPです。

どうでもいい話を今日もするわけですが、皆さんはお金持ちになりたいと考えたことはありますか?そう考えてる人はたくさんいると思いますが、たいていの人はお金があったらいいな程度かもしれません。私もそう考えますし。

お金持ちの話はあくまでも例ですが、本題はそういう大層な期待なり希望、夢みたいのをいだけるかというところを今日話そうと思います。別に話さなくたってどうだっていい話しですけど。

私は持てないです。小市民ですから(何。それは冗談としても、普通にもったことないですね。昔からいってますけど、保守的ですので。そんなたいそうな夢や目標なんて持つこと自体、恐れ多いことだと思う。そんなことよりもたった少しの夢や目標を手に入れたいと思うよ、私は。

現実に見合った夢…むしろ願望。それ以上のものなんて必要ない。それさえあればいい。無限なんて恐れ多く、限定的なことでいい。 いまここで誰かと話しているなら、それだけでいい。いまここで活動しているなら、それだけでいい。別にそれが華やかであろうと、絶望であろうと構わない。下手すれば、今ここに存在しているだけで十分。そう思う。

最善悪

2007-04-12 23:36:29 | ATOP
結論のない話に結論付ける気は毛頭ない。ただいつも最善の事態と最悪の事態を考えるのは責任ある立場なら当然のことである。

なんにしてもやる気…むしろ思いがあるなら、もっと考えればいいのに。どうしたら最善の結果を招き入れられるのか。なぜ、願うものたちは最善の事態を招き入れようと真に願わないのだろうか。私にはどうも理解できない。理屈でないなら理屈でないところをみせなければ。

こうしてまた失敗を重ねる。


J情O

2007-04-11 00:56:37 | ATOP
ほんとご無沙汰してます。ATOPです。ここ二週間ばかり忙しい毎日をすごしていました。

本来忙しいはずではなかったので、私自身もびっくりなんですが、三月から四月にかけて色んなことがありました。身から出たサビということなんでしょうかね…。

この時期にしてあらためて情というのは大事だな、と思いました。情けって奥深いんです。とくに日本人の心の中には知らず知らずのうちにインプットされた感覚回路なんではないだろうか?と思うくらい重要なことかもしれません。

長年続いたご恩と奉公という封建社会で生まれた情けという感覚。このご恩と奉公というシステムは今だって十分機能しています。だからこそ情けという感覚が残っているんだと思います。もちろん昔に比べてなくなりつつあるとは思いますが。

んで、なんで情けが大事かって思ったかをいうと、人間関係において信頼ってそこが大きく関係している気がしたから。やることがすごいから・偉大だから信頼を得られるのでもなく、誰かに対して親切だから・優しいから信頼されるのでもない。ましてや気が利くからでもなければ、賢いからでもない。

結局、どんだけ物事や誰かに情けを掛けてやったかが信頼につながってくる気がしたんですよ。今の時代の感覚的には、どれだけ空気読めてるかに近い感覚かもしれません。それは決して優しいとは違った感覚。

でもまぁ、それは私がいささか優しさという感覚に対して拒絶を示しているのかもしれません。なんか人に対して優しくすることが、甘くするだけな気がするんです。それと同時にものすごく不自然な感覚を感じるわけです。

前にもいいましたが、人ってわりと自分にたいしてすることを他人にする傾向があると思います。その観点に立つと、人に優しくできる人は自分自身に優しくしてる気がするんですよね。そう思えてしまうんですよ、私には。

 だから、優しさよりも情を持っていたいなと思う今日この頃です。

足がお留守

2007-04-09 23:54:54 | ATOP
前にも話したことがあるかもしれないが、

好きな異性のタイプが「優しい人」という人は

そうとう寂しい人生を送ってきたんじゃないだろうかと思ってしまう。

もちろん、だからと言って優しくしないことが

いいことでもないことは重々承知している。



それから話は変わるが、何事も優先事項があるわけで

それをおろそかにすると後で痛い目に遭うと言うことを

もう少し身をもって体験するべきなんではないかと思う。

私自身も。周りの人も。

依存すんなって話です。



最近はずっと忙しかったので、明日以降しっかり書いていこうと思います。