俺もお前も人生の敗北者

とりあえず否定から入るネガティブ思考で常にB級嗜好なATOPのブログ

今月離職します

2018-12-03 09:45:45 | ATOP
どうもご無沙汰しております。

本当に久々のブログ投稿になります。

ベトナムへ来て4年半が経過し、そして、4年半勤めた会社を離職するので、久々に書こうと思います。

私の人生で働く企業としては2つ目だったのですが、良いことと悪いこと、色々と勉強ができました。

まず私が会社を辞めること自体は納得のいくものではなく、不本意な気持があるので、退職ではなく離職と表記しました。

非常に些細な違いではありますが、会社から退くのではなく、あくまでも離れたのだと思っています。

この1年間は本当に頭にくることばかりで、会社にも自分にも、誰に対してもがっかりしていました。

うんざりしまくってへそを曲げまくっていたのですが、そういったことは終わりにしよう、そういったものから抜け出そうと、決心したのがおそらく10月ごろだったと思います。

そして先月、退職届を提出し、今月をもって今の職場から離れることとなりました。

ここのところ

2017-08-27 17:03:01 | ATOP
もう30歳も過ぎていると、ある程度自分という存在が完成されていて、それが良くも悪く凝り固まって、自信につながっていることが多いです。

まぁよっぽど大きいことに勝負して出ない限りは失敗もしないし、ひとから怒られることもないし、そこまで必死になって生きている人間というのも少なくなってくると思います。

でも、最近は自分の至らなさに気づきます。気づかされます。

まだまだだなぁ…。

老化

2017-03-18 16:37:50 | ATOP
今週は目の奥が痛いという症状に陥りました。

まぁ寝たら直ったんですけど。

人生で眼精疲労になることって全然なかったわけですが、ここへきて老化が忍び寄っているようです。


職場が変わって、運動する時間も無くなってしまったので余計に老化激しく…。

サラリーマンの醍醐味

2017-02-11 15:47:13 | ATOP
どうも、お久しぶりです。

先月も1回しか更新してないんですけど、たぶん今月も1回しか(今回しか)更新しないと思います。

さて。

先週まで日本に一時帰国しておりました。

10日ばかり日本にいたのですが、日本の寒さは良いですね。

外へ出た瞬間に乾いた空気、冷え切った空気が、肺の中に流れ込み、満たされる感じ。

これだけは冬に日本へ帰るたびに「日本っていいな」って思います。

そんで。

わたくしごとなのですが、今月から会社は変わらないのですが2年半勤めていた部署から異動となりました。

仕事の内容は大して変わらないのですが、異動すると何事も新鮮です。

凝り固まった感情にフリスクが入り込むように、身体の中心から得体のしれない期待感、ワクワクが湧いてきます。

それと…仕事の内容は変わらないといいながら、実は中間管理職になってしまいました。

(給料は据え置き)

まぁどうみても名ばかり管理職的なポジションなんですが、私にはこれぐらいのポジションがお似合いなのかもしれません。

むしろ、こちらのほうが好き勝手にできるような…責任はもっと上の人に取ってもらえるように巧みに仕事したいです(何)。

でもね、なんかもう30歳過ぎて海外で働いていると「責任」についての考え方も変わってしまっていて、

昔にも増して「わかった。めんどくさくなったら辞めればいいんだろ?」みたいな気持ちがあって、気持ちは楽です。

ただまぁ、なんていうんですかね。

性格なんでしょうか、男の子だからでしょうか、ただダラダラ働くつもりはないという気持ちはあります。

ラグビーの宿沢さんが言いました。

「『私はサラリーマンが嫌だ』という人は多い。その理由は疲れる割に自分の存在感が薄いことだろう。

 サラリーマンの醍醐味は『組織の長として自分の思うように組織を動かせる』事に尽きる。

 それを経験せずにサラリーマンを論ずることはできない」

そう、ようやくサラリーマンの醍醐味の入口に立ったわけです(名ばかりですが)。

そして、大学スポーツの監督が4年で結果が出なければ「無能」と言われるように、

私もこの1年で結果を出さなければ「無能」と言われてしまうので精一杯やってみようと思います。

「戦略は大胆に、戦術は緻密に」

きっと、新しい職場でもめんどくさがられるだろうなぁ(苦笑)。

血を通わす2017

2017-01-22 16:14:46 | ATOP
あけましておめでとうございます。

なんかもう、気づくと1月終わりそうなんですけど、2017年迎えて初めてのブログ投稿になります。

最近は何かと忙しくて、バタバタしていたというのもあるのですが、一番の原因は単純に体力がなくなったんだと思います。

疲れていてもなにか書こうという意欲がなくなってきたということでもあるんですが、やはり疲れやすくなった自覚があります。

2017年はまぁそこのあたり少し気をつけたいと思います。



さて。

今日はベトナム語の勉強が、担当の先生の都合で時間が変わり、その関係で1区(繁華街)へ昼ご飯を食べに行きました。

(実はしばらく前からベトナム語教室に通い始めました。それについては、またいつか書きます)

バイクで走っていると、偶然職場の同僚を見かけ、ちょうどランチの時間だったので一緒にご飯を食べに行きました。

普段、基本的に単独行動をとっている私ですが、久しぶりに何の屈託もなく話す時間を持てました。

とても久しぶりな気がしました。

そして、みなしっかり意見があるんだと思いました(何)。

みんな職場では何も言わないのに、いろいろと思っていることがしっかりとあって、その内容も仕事全体にかかわることから、個人的なことまで。

みんな思っていたり感じていたりするけど、口にしていないだけ。

すごく大人だと思いました(笑)。

常々、働く時は「戦略」と「戦術」についての意見交換はするものの、それ以外の話って最近していないなって思いました。

少し血の通っていない働き方をしていたと反省したくなりました。



来年(陰暦換算なので来月から来年)、もっとそういう関係を築いて仕事がしたいなぁって思いました。

その同僚、今月で会社を辞めてしまいますが。

強く生きられるように

2016-12-10 17:00:34 | ATOP
今年もあと3週間で終わり。

ベトナムにいると年末感があまり感じられないのですが、考えてみると今年もあっという間でした。

今年だけではありませんが、世界を見れば、どこかでつらい状況に追い込まれているひとたちがたくさんいます。

難しい話はしたくないので、ものすごい単純な話をすると、気軽に外を歩きづらくなった気がする1年だと思いました。

治安がどこでも悪化して、有名な観光地にも気軽に出向けなくなりました。

海外だけじゃなくて、国内でも互いに壁を作り、他者を許容する器が小さくなっていっているように思います。

こういう時こそ、本当は外へ外へ出て他者を知りに行かないといけないと思うのですが、多くの人が弱い考え方しかできずにいるようです。

そうなんですよね。

人間は弱い生き物なんですよね。

私は来年もっと強い生き方がしたいなぁと思います。


最近、気になること

2016-08-07 23:31:23 | ATOP
少し前に健康診断へ行ったんですね。

先日、All英語で結果が届きました。

異常があるのは3つでした。

一つは尿酸値。

日本男児、齢30前後に訪れるといわれている伝説の病気「痛風」にはまだなってはいませんが数値はよろしくない模様。

そして、コレステロール値。

加えての脂肪肝。

成人病まっしぐらの体です。

私は少し反省しました。

原因はこの2年間、全く同じご飯を食べ続けたことが結果に拍車をかけたのではないかと。

周りからもある意味病気と言われつづけいたのですが、この2年間毎日同じ店の同じメニューを食べ続けておりました。

飽きないのか?と言われるのですが、私は逆に聞きたい。

もし日本で会社を出て1分のところに吉野家があったら毎日食べるだろ?と。

ただ、こうして結果が出てしまった以上、断念せねばならないと思った次第です。

毎日食べ続けた「豚の角煮+ウズラの卵」というメニューを、私はこのたび卒業することを決めました。

ちゃんちゃん。

閑話休題。

ただ、そんな健康診断の結果よりも最近は気になっていることが一つあるんです。

最近、「髪の毛が薄くなった」ということである。

げーはーのはーげーのげーはー状態に、日に日に進んでおるのでござる。

加えて、以前から表出していた白髪も増えており、老化を感じざるを得ません。

30歳とはこんなにつらいものなのだろうか(何。

いろいろ考えて、最近は少し生活の改善を図っております。

あー、生きるってつらいわ。

ちなみにはげ方はU字タイプです(涙。

これから3年目

2016-08-06 17:03:36 | ATOP


8月になりました。

ここ、ベトナムへ来てからまる2年が経ちました。

仕事にも慣れ、生活にも慣れ、程よく生きております。

昨日、会社に新人の日本人が来て一緒に外を歩いていたのですが、その方が

「ああ、独特の匂いですね」

と言ったんですが、私は何も感じませんでした。

それぐらいベトナムに馴染んでおります。



日本語教師の業界において、海外で同一の学校/会社に2年も勤続していると先輩より後輩が多くなります(たぶん)。

日本語教師で海外で教えようとする場合、JICAなどの機関を通して海外へ行かない限り、みな短期で外国に行くことが多いのではないかと思います。

とくに仕事がら女性のほうが多いですので、そのまま海外に住もうと考えている人は少ないでしょうから。

私も今の会社に入って、2年を迎え、部署内で上から2番目のポジションになってしまっています…。

お金はたまらないし、将来の展望も消して明るくないし、だからといって日本へ帰りたいとも思わない。

そんな感じですね…。



最近は目の前の仕事に向き合いすぎて、これからのことを全く考えていませんでした。

本当に今のままただ働いていていいのかという疑問もなくはないのですが、ただ目の前のことだけ考えていた方が楽なんですね。

でも、ふと冷静に考えてみると、今一番必要なのは目の前の仕事に取り組むことではないのだろうなぁと、うすうす気づいております。

仕事での達成感のほうが確実ですぐに手に入りますが、将来にはつながっていないのはなんとなく感じています。

海外暮らし3年目を迎えるわけですが、もうすこし自分の将来に対して時間や労力を捻出しないといけないなぁと思うのです。

まずは最近、手抜きになっていた(正確には全く放置していた)ベトナム語の勉強を再開しようと思った今日この頃。

言い訳しない生き方

2016-05-21 18:56:16 | ATOP
正しさだけではひとは納得できない。

そう思わさせられることが最近多いです。

理屈や正論を武器にひとを動かすのには限界があるんだろうと、しみじみ思う。

もちろん、それらの武器がひとにリアリティを与え、危機感や理屈に基づく具体的な対応策を見つけさせることは多いです。

私もそう思っています。

今自分がどこにいるか、自分がどのぐらいなのかを理解することで、次何をするべきかが分かると考えます。

絶対に自分を「悲劇のヒロイン」に仕立て上げない、愚痴は言っても言い訳はしないと決めています。

正の結果にしても、負の結果にしても、それには原因があって、それは自分自身の選択の結果の産物なんだと思っています。

だから、ひとよりも努力しなければならないと思うし、自分にできることを精いっぱいやらないといけないと思っています。

そうでなければ、簡単に言い訳できてしまうから。

最初から負けるとわかっていて試合なりゲームなり、人生の選択をする人間はいないでしょう。

そして、その土俵に上がる前にメリットとデメリットを考えて決定するんです。

それをなぜだかわからないけども、後になって言い訳をするするひとが少なからずいます。

もちろん、人智で対応できないこと、たとえば自然災害に遭遇することはどうしようもありません。

でも、自分がそれでいいと決めたことで「やっぱり違った、助けて」みたいなことをいうひとに、同情できない自分がいます。

そして、この手の話になると周囲から出る言葉、「みんながみんな、お前みたいに強く考えられるわけじゃない」。

これが一番ダメージが大きいです。

私が血も涙もない人間に思えているのかどうかはわかりませんが、そうじゃないと思うんですよ。

言い訳とかしたり、同情を買おうとしても、解決の道にいたらない…、ただ同情してもらえるだけで満足できるならそれでもいいけど。

でも、まぁここまで30年間生きてきて思うのは、やっぱりそういう理屈だけではひとは動かないし、納得もしない。

残念なことに人間という生き物は同情してもらいたい生き物なんだと思います。

私とて、今日ここまで書いてきたことに同情なり、同調してもらいたくて書いているのだから、人様のことは言えない。

でもね、少しでも言い訳しない生き方をしたいじゃないですか。

誰かのせいにするんじゃなくて、自分に原因を求めて、強くなりたいじゃないですか。

そう思うだけなんですけどね…。

30歳

2016-05-03 00:27:33 | ATOP
30歳になりました。

特に変わったことは…まぁまぁあります。

ただ、それは簡単にいえば「年を取った」という結論のみです、はい。

なにか面白話でもできればいいんですが、これといってないです。

ぼちぼち3年目を迎えるホーチミン市はここのところ、暑く、そして、どんよりとしています。





そうだなぁ。

この30年間、自分の好きなことをやって生きてきたおかげで、ここのところ自分に魅力がないことに気づきます。

今もなお、自分の求めることのみをむさぼっているだけで、それを誰かに還元できている気がしません。

まぁ還元なんてしなくていいんでしょうけど、なんていうか自分の欲望を満たすために生きているようで格好がついていないように思えます。

誰かに誇れる生き方をしてこなかったなぁと思います。





ただ、これから生き方を変えられるかというとそうでもないし、よくよく考えれば誇りたい相手もいないし、結局のところ、私は私なのです。

それ以上でもそれ以下でもなく。

よその庭を除けば、青く見え過ぎて、自分の庭を見てみれば何色なのかもよくわからないで困ったもんです。

でも、まぁ生きているだけで儲けもんか。

信じるものがあるだけ恵まれているか。

愛する者がいるならそれだけで十分か。

私も私なりに大切なものとそうでないものの分別をつけれるようになったのかね。

うん、まぁ早く真人間になりたいです。

日本にいたって、ベトナムにいたって、もうここまで

2016-01-31 17:25:20 | ATOP
社交性0の私がベトナムへ来てしばらく経ちます。

もともと日本人と会う機会なんてめったにないですし、職場の日本人とも食事も飲みもほとんどしません。

うちの職場の風土なのか、そういう人種が集まっているからかなのか、原因は定かではありませんが、基本的に仕事以外の意見交換なんてないです。

それ自体に不満はありません。

意見交換をしたい人間は勝手によろしくやってくれればいいですので。

社交性がない私にとってはどっちだっていいと思っています。

海外にきてまで日本人同士でつるむにも抵抗はあるし、海外にわざわざやってきている人間はやはりどこか特殊だし、もし意見交換をまじめにやれば仕事に差し支えるというか、

「てめぇはなにいってんだ」

「は?なにさまだよ」

「自慢話、乙」

みたいな展開になりそうで、私は嫌です。



海外にいる日本語教師ってのはさすらいの教師なので、一生同じ場所にいるということはあまりないのだと思います。

みな、いつか遅かれ早かれ日本へ帰って、仕事を続けたり転職をしたりすることを考えています。

あくまでも経験として海外で暮らしているだけで、日本語を教えることを本気で考えているかといえばそうでもないです。

学歴やキャリア、語学力を無視してなれる仕事が日本語教師だから、日本語教師をやっている人間も少なくないはずです。

なんせ、私がその一人ですからね(苦笑)。



ただ、私の場合は本気で日本語教師を続ける気持ちは定かではないものの、日本へ帰りたいと思うことが全くないです。

将来、転職をする可能性があっても、日本へ帰るという選択肢は今のところありません。

日本人は嫌いじゃないですけど、日本社会はきついです。

なんていうか、よくいう閉塞感もそうですが、我々の世代での期待できる未来はどうしても想像できません。

他者に対する冷徹さだけに磨きがかかっていくような社会で、自分の幸せを求めるために他者を攻撃したり、守ることを考えなければならない社会はきついです。

もちろん、ベトナムだって原始的な方法で身を守らなければなりません。

治安は悪いし、社会ルールに正当性とかないし、ベトナムの若者だって大学出ても仕事はないし、

いい社会かといえば、それほど住みやすい社会ではないです。

でもまぁ、他者に対して寛容だと思います。



まぁ、そんなわけで、こちらへきてから一切といっていいほど日本人と深く話す機会がなかったんですが、先日、たまたま同僚の先生と出かける機会があり、話す機会がありました。

今回ほかの先生がどう考えているか聞くと新鮮でした。

さすが、海外へ行こうと思う人間だけあって、日本社会に対して少し思うところがあるのと、なんだろう…日本人的な生き方への疑問というのがあるんだなぁと思いました。



ものには不自由しなく、それなりの教育を受けて、社会に出て、結婚をして家庭を築く。

生まれてきた意味なんか、もともと誰にとってもないのだけど、それでもこういう流れに乗って生きていくだけの人生って何なんだろうって。

数ある可能性の中から吟味して、選択した生き方なのだろうか。

このまま流れに乗っていて、本当にそれで満足いく生き方ができるのだろうかって。



私もそう思ったことがあります。

というか思い続けてきたかもしれません。

なんとなく親の言うこと聞いて大学に入って、そのあと何もしたいことがなくて、ありもしない答えばっかり探してね。

その時その時で、もっともらしい理由をつけて、人生の選択を重ねてきたけども、それは結局、自己満足だったと思います。

今だって、自己満足できる理由や根拠のもとに、こうしてベトナムで生活をしています。

今もなお、どうしたら自分らしく生きられるか…

ん、いや、そんな意識高い系の話じゃなくて、もっと充実感のある人生になるのだろうかと答えを探しているものです。

もちろん、海外へ来たからといってその答えは用意されておりません。



どこかの海外転職の広告みたいな、人生の大分岐点になるかはひとによって違いますね。

前から言っている通り、海外で生活したところ人生観や価値観は変わりません。

むしろ、凝り固まって、影響もうけることもなく、思考が化石化していくようなところがありますから。

それでもまぁ、日本にいた時とは違う自分にはなれるので、態度はでかくなるかもしれません(笑)。



こうして海外へ来てもアイデンティティーや充足感を見つけられないです。

もともとそこに疑問を抱えて海外へ出てしまった人間には、どこへ行っても同じです。

私もそうです。

どこで生きようとも、自分は変えられない。

どこにも自分の疑問を満たしてくれるような答えは用意されていない。

海外で生活したことがその後の人生を後押ししてくれることはあっても、それ自体が答えにはなりえない。

いつもただ浪費して生きている虚無感というか、残念な感じは一生ぬぐうことはできないのだと思います。



でも、私の場合はもう若くない。もう30歳です。

これが分岐点だと思います。

あと3歳若かったら、またどこかへ行って、思い切り浪費してやろうかとも思います。

もちろん今でもそんな気持ちもありますが、少しだけそれもめんどくさいなって思い始めている自分もいます。

それが老いってやつなのかはわかりませんが、形のない物や自分や人生の探求をするのは面倒になってきている気持ちがあります。

単純に「もういいか」ってあきらめるというか、納得できてしまう域に確実に足を突っ込んでいる状況に気づきます。

このまま生きれば、ヒマラヤを見ることも、パタゴニアでトレッキングや、オーロラを見ることも、シルクロードを通ってヨーロッパまで行くこともできません。

世界にはまだまだ私の知らない、直接目で見て確かめたいと思うことがごまんとあるものの、それが今そんなに意味があることかわからなくなっています。



そもそもですよ。

大学を卒業して以来、自分が行動することで自分に投資をしてきましたが、何も築けていないんです。

世界を見渡せば、まだまだ自分に投資できる大自然や仕事や文化があるんですが、きりがないです。

それに、自分がこれ以上どうなろうっていうんだって話です。

やみくもに外へ外へ行こうとしても、もう自分にはあまり意味がないのだろうって、思えてくるんです。



そんなことよりも、誰かの夢に投資することの方が楽しいことにだんだん気づいてきました。

誰かの人生にのっかてみたいと、そして、それで喜びを共感できたほうが幸せであろうと思えました。

自分の中へ中へ考えを巡らせても、外の世界へ突き進んでいっても、自分にもともと何もないのだから、無駄だったんです。

無駄っていうのも違うんですけど、それよりも大切にしたいことがあることに思いが至ったわけです。



まぁ、もちろんのこと。

それだっていつまでそう思えているかわかりませんけどね。

ただ、今回、久しぶりに人生について話す機会があって良かったと思います。

皆等しく、悩み悩まされしっかり生きているじゃないかとわかることができました。

これも共感の一つなんでしょう。

久しぶりに話すっていいなって思いました。

2016年三十にして立つ

2016-01-01 23:23:26 | ATOP
明けましておめでとうございます。

人生で二度目となるベトナムでの新年を迎えております。

昨年はたびたび体調を崩し、人生で点滴を打つ経験をし、

始めて社員旅行なるものにも参加したり、新鮮な一年でした。

今年は…なんていうかな、充実した一年を過ごすことはもちろん、

もうすこし自分の気持ちに一途でありたいと思います。

思ったことを諦めずに最後までやり抜きたいと思います。

たとえ結果に結びつかなかったとしても、

気持ちの済むまでものごとに取り組む一年にしたいと思います。

ですので皆様方、本年もご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。

だめだこりゃ

2015-12-20 15:51:02 | ATOP
パーティーなるものが苦手になっている自分に気づきます。

ゆとりをこじらせ、会社の宴会が嫌いという気がしないのでもないのですが、こちらへやってきてから参加するその類の宴に順応できていない自分に気づきます。

びっくりするぐらい会社の人と話すことがなくて、困っている自分がいます…。

事務所では意味もなく、くっちゃべれるのに、食事となるとほとんど話ができない。

なぜだ…。

自分でも理由はわかりません。

別に会社の人に問題があるとは全然思わないし、前の会社でも宴会は嫌いじゃなかったし、むしろ宴会は好きな方だったけど、なぜだか順応できていません。

かしこまった食事の場になればなるほど、居心地悪く、言葉も発せず、食事にも手がつかず、ただただ『早くひとりになりたい』という思いが時間とともに強くなっていきます。

外国にきて、コミュ障を発症しています…。

そして、ベトナム特有のBASSの効いたBGMに打ちのめされています。

全然趣味の合わないイケイケのノリノリのウェーい!な音楽が、心の臓を揺さぶるがごとく、ずんずん響きわたり、私の脳髄に少しずつ少しずつダメージを与えていきます。

爆音とどろくBGMに完全にやられ、最終的にいつも頭痛です。

パーティーが終わるとコミュ障の影響とBGMの影響で、基本的にクタクタです。(※なにもしてないのに)

もしかして、ここ数年一人で食事することに慣れすぎて、自分のペースで食事できないことにストレスを感じているんだろうか…。

決してパーティーが楽しくないのではなくて、楽しめていないだけなので、99%原因は自分にあります。

はてさて、困ったものです。

自滅

2015-11-19 20:29:37 | ATOP
明日はベトナムで先生の日です。

私も先生の端くれということで会社の謝恩会的な食事会へ行ってきました。

それ自体はどうでもいいのですが(何

そこで一人で黙々と食事をしていて気づいたことがいくつかあります。

一つは今非常に一人になりたい気持ち。

誰にも会いたくないというか、話したくないというか、できることなら土に還りたいぐらいに思う。

別に周りの誰かが悪いとか、環境が悪いとかじゃなくて、

自分が疲れすぎていて、他人を思いやる気持ちが薄れていっているせいで、

イライラにイライラが重なり、誰とも話したくない気持ちが生まれて、

致し方なく無理に話そうとするかまたそれがストレスになって、

相手に不快な思いをさせる話し方や接し方をして、

それをしてしまったことに気付いてさらに自分自身嫌な気持ちになり、

余計に誰とも会いたくなくなる、接触したくなくなる。

ひとりでいたい。

ひとりで仕事に没頭するか、うちでひとりで黙っていたい。

叶うなら静かに土に還りたい。

それを感づかれて変に心配されて話しかけれればかけられるほどストレスになる。

それが他者の私に対する気遣いだってわかっているに、それが分かるからこそストレスになる。

自分がへたれだから他者に気を遣わせてしまっている状況にイライラするしがっかりするから。

とりあえずしばらくは誰とも接触せず、なにか誘われても断ろうと思いました。

…ともかくとして今は一番ダメな期間に入ってしまっているみたいです。

それから、当たり前なことかもしれませんが、

国が変わったからといって自分の働き方は変えられないことに気づきました。

まわりがどうであれ、日本にいてもベトナムにいても、

自分が元から身を滅ぼすような働き方しかできないのなら、

その方向へただ突き進んでいくだけです。

誰もそれを引き留めたり応援したりしないですね。

ああ、もうこのままきっと何かが壊れるまで突き進むんだろうって自分で感じているのに、

それを自分でやめることができない。

どうやったら気が晴れるのか、余裕を取り戻せるのだろうか。

そんなことも思うけど、

もはや休んでどうこうなるものでもないんだろうとも思うから、

いっそ壊れるまでやってしまうのだろうと思う。

意識がなくなったデブ

2015-09-23 00:09:58 | ATOP
これは別にベトナムに限った話ではないのですが、

私は外国という見知らぬ土地へ出て、周りに対して素直になれるようになった気がします。

前にも書いたことですが、外国人と話すとそれが日本語であっても外国語であっても、

伝わりにくい表現を避けて、伝わりやすいように話したり、ストレートにいったりすることが多くなったからかもしれません。

それもあると思うのですが、それでも日本にいた時の心の持ち様と、今の心の持ち様には差があると思います。

今の私の素直さというのが、簡単に言うなら、意識高い系のひとたちがいう「あるがままに」みたいな境地なんでしょうけど、

なんていうか、私なりに言えば精神的に全然急がなくなった。

これを「スローライフ」と言ってしまえばそれっきりなんですが、

自分が社会において異物だと思ってしまえば、他人に対して優しくできるというか、許せる人間になれる気がします。

そうすると向き合う対象が社会とか、周囲とかではなくて、自分の気持ちの持ち様に集中できます。

日本にいれば絶えず社会の中で自分の立ち位置を探ったり、聞きたくもないうわさや情報が舞い込んできて、

その話に一喜一憂したり、疑心暗鬼になってしまうように思います。

言葉や習慣が通じてしまうからこそ、とにかく情報が入ってきてしまう、情報過多に陥って、正直疲れるんですよ。

それが外国に来るとなくなるんです。

そして、自分のできる範囲で、自分のことに集中できるような気がします。

いままで駆け引きや社会的立場から、他人に対して興味や意識がいっていなかったのが、

こっちへきてからそれが駆け引きなく、純粋な気持ちで人と接せるようになったと思います。

ただ、もちろんのこと、上記のとおり、私の周りのベトナム人が私に対してどう思っているかさっぱりわからないですけどね。

きっと「能天気な親切な日本のデブ」って思っているのかもしれませんが、

彼らがいつか私が日本人社会では「細かいことにこだわりすぎてめんどくさいデブ」と思われていることを知る時が来るのかはわかりません(何。

閑話休題。

それでもね、誰かに対して優しくなれたというか、それは結果としてそうなったわけですけど、

変にとがらず生きていけるようになったことは私にとって幸せなことだと現時点では思います。