俺もお前も人生の敗北者

とりあえず否定から入るネガティブ思考で常にB級嗜好なATOPのブログ

就活

2007-09-29 23:55:37 | ATOP
 祖父が亡くなってから親戚の人と会う機会が増え、「就職活動は?」と聞かれることが多くなった。そこで必ずきっぱり「まだ何もしてません」と答える…むしろ答えるしかない。事実何もしてないから。

 「業種は?」と聞かれても何も答えられない。正直、業種すら決まってない。ただ金融とマスコミには行かないと決心はしている。できるならコンピューター関連・通信関連・ソフトウェア関連に進みたいとは思う。とりあえず来週の学部の就活ガイダンスには出ようと思う。

増幅器

2007-09-25 00:31:54 | ATOP
 前回、DSについて書いた日記で終わっているのですが、なにをやっていたかと言えば、『すばらしきこのせかい』。これは斬新です。戦闘システム、アイテム・装備、ストーリーは今までにないもの。今時のゲームはすごいです。気づいたら寝ながら七時間ぶっ続けでやってました…。そしたら右肘こわしました…。

 そもそも家に帰ってDSやる前から電車で本を読んでいたため、右肘がずっと曲がったまま。そしてDSやりすぎて死亡。未だに右肘に違和感があります。皆さんも気をつけましょう。

 んで電車のなかで読んでいたのが『きっと君は泣く』(山本文緒)。もう10年くらい前に書かれた本ですが、いやーつまんなかった。mixiでも評価少ないから、そんだけの本なんだろうけど。基本、女性の心理を追った小説だけれども、私にはわかりません。本を読み切ったところで考えてみても、あまり共感できるところはなかった。これは私が男だからだろうか、はたまた一般的に理解できないのだろうか。唯川恵のダメ本読んだときと同じでただストーリーが進んでいってなにもなく終わる感じ…なにがおもしろいんだろ。

 あ、言うの忘れてましたね。新聞できました…私は何もしませんでしたが、完成しました。出来映えは…ん、まだまだってところです。それと勝手に私一人が思うことですけど、こういう作業は向き不向きがあるんだろうなー。もちろん私は不向きな方です。うまくいってる部分なんて何一つないです。うまくやろうとしているかは全く別の問題ではありますがね(何。

 新聞の話題について言及します。今回のテーマについて思うのは、結局どっちだってなんだって変わりないこと。読者云々は無視して、私としたらこれは別に大したことじゃないんだと思う。もちろん企画として、部員としてこれは一つありだと思うものの、一大学生としては…。だって今生きてる私にはそんなことどうでも良いしね。簡単に思いつくわけで、どうせ博報堂が決めたんでしょ?って。そこにつけ込んで、私たちに返ってくるものが本当にあるのか。今でも疑問ではある。まーでもそんなこと言ったらなんでもそうなんですけどね。新聞ってそういうものだろうから。結局、個人のわがままと大して変わらない。そういう考えから抜け出せないうちは私は不向きな人間なんだろうな。

 実際、私たちは、もしくは私はあまりにも鈍感で不器用で、無意味なエネルギーの放出をしているのかもしれない。なによりも建設的でない。そのなかでちょっとした明かりをもとに進んで、結局迷宮入り。この状況に太刀打ちできない、悔しく思えないのは、私の力不足であり、意欲不足である。反省。

 つまり私たちは考えなければならない。本当にこれで良かったのかと。今後もこれで良いのかと。そこに正義があったのか。目的があったのか。ねらいがあったのか。新聞なんて一日過ぎれば過去。さーどうしたものか。

 ただ下級生のレポートを読むと、なにも考えていないようで考えているみたいなのがわかった。まー人にもよるけど。ただ今回それだけでも分かったのなら、それでも良い気がした。たぶんそれすらなかったら、次回テキトーぶっこいてた気がするしね。まだまだ下のためにやれることがたくさんある。

 兎にも角にも些細なものであるが持てる力を授けようと思う。正直、私にできるのはそれぐらいなもので、あとは皆それぞれが判断して成長していってもらうしかない。所詮、私は増幅器なのだから。

うっは

2007-09-19 02:16:29 | ATOP
 人一人の人生は長いようで短い。先週祖父が亡くなり、数日が経った。先週まで生きていた人間が骨となり、壷に入っているのをみると変な感じがする。

 亡くなった祖父にはとにかくお世話になった。孫は私の兄弟しかいないので、一番あとに生まれた私は孫の中でも一番つきあいは短い。でも正直一番可愛がってもらったように思う。事実、今年一番祖父にあっていた身内は私だ。一緒に盆栽の土換えしたり、野球を見に行ったり、いろんなことを一緒にやった。

 そんな祖父も今では骨となり壷の中。そうなってしまうと寂しいと言うよりは、馬鹿らしくさえ思えるくらい済んでしまった感がある。仕方なさって言うか、ほっとした感じ。通過儀礼みたいなものって。

 ともかくとして、実際身近なところで死に触れてみて感じるのは、死ってほんと無意味だなってこと。やはり死んでしまった人のことを考えても、なにも変わらないし、進まないし、キリがないし、伝わりっこない。無意味。正直生きている人に対しての方が気を使うような気がする。

 んで祖父は83歳でなくなった。単純計算、私の四倍。あと3タームで私も死ぬことになると、人生長いようで短い。そう思う。私も年取ったのかもしれないなぁ。んーでも親戚の中で私が一番若い…まさに少子高齢化。

 そんなこんなでばたばたしていた一週間。編集期間なのにほとんど参加してないわけで、おそらく私のいないところで降板を迎える…まー仕方ない。そもそも企画なんていなくても新聞なんかできるんだから(何。紙面役職のみなさんは手が回らないらしいですが…大変とは思うけどよろしくお願いします。

 それから部屋を片づけていたら、しまってあった漫画がでてきてついつい読んでしまった。試験前日みたいなものです。なかでもIs"はひさびさにばびった。いやさー、こんな年になればばかばかしく思えるかなと思っていたら、読んでて意外にもドキドキする…まだまだ私も若いね…ん、エロいのか。年甲斐になくすみません。

 ドキドキするっていうか人を好きでいる気持ちってこんなんだったなぁって思ったわ。なんかこういう気持ち忘れてたな。なんというか気恥ずかしくなる気持ちというか、焼き餅だったり、そういう恋愛ならではの感情。まーでも私の場合は永遠に忘れてた方がいいのかもしれんけど(笑。まー冗談を介してそういう気持ちを表現できたとしても、マンガのように面と向かったまっすぐな表現はできないなぁ…素直じゃないね、ほんとに。

結論

2007-09-08 02:34:51 | ATOP
 結局の所、世の中大事なことがたくさんあるようで案外そうでもない。ある程度の所を過ぎてしまうと、もうどうでも良くなることがたくさんある。それはB型の私が感じることなのか、私という一人の人間が感じることなのか、分かりませんけれども。

 肝心なのは「ある程度の所を過ぎる」というところ。なにを考えても話し合っても100%の答えが見つかるわけではないので行き詰まる。それを十分に考えた・話合ったことに満足してしまうのか、ただ単に面倒になったのでやめてしまうのか。基本的に後者であるように思う。

 突き詰めて考えてしまうと行き詰まって、面倒になる。ただ面倒になる原因として自分自身の能力不足という側面も存在する。とある問題に対して最もな理由を添えた形で答えを出せない現実から目をそらしたくなる。まーそれは私だけではないのだろうけど、私はそう思うことが多々ある。

 ただ基本的に中途半端なことが嫌いな私は、極端に考えて処理をする傾向があるんじゃないかと思う。ようするに0か100かみたいな話。あるか、ないか。折衷というか妥協点みたいなものを探して50みたいな結論を出すのがとても苦手。結局、得したと言うよりは損したというか痛み分けした形になった気がしてしまう。

 中途半端が嫌い?本当にそうなのかいささか疑問ではあるものの、そうなんだろうということで一応納得する。でも結論が出ないことは腐るほどある。びっくりする。私は驚くほどに無力である。

 それでマイナススタンスに立ってプラスを目指すやり方に将来性がないかと言えばそうでもないはず。ただ人間不幸なことに言葉の先にある将来性に対して配慮ができない。無力な自分を受けとめて初めてするべきことが見えてくるということが伝わらないのは不幸なことである。無力な自分なりのできることを追う。確かにやる気があるようには感じないのだろうけど…退廃的かな?

 まーでも正直結論があってようと間違ってようとどっちでも良いんですよ。なんか楽しくやれれば…やっぱり考え抜いたことに、話し合ったことに満足できればいいのかな。あーなるほど「結論はまた来週」なわけか。

ここ最近

2007-09-07 04:15:15 | ATOP
 ご無沙汰してます。この一週間何していたかって?いやなんもしてないですよ。

 合宿帰ってきてから全く更新していなかったわけですが、別に忙しかったわけじゃありません(汗。ただ単に更新する気がなかっただけです。なんでまた今日書こうと思ったかと言えば、それにも特に理由がないわけですが、軽い職業病みたいなものです。更新しなきゃっていうプレッシャーですかね(汗。

 簡単に振り返っておこうと思う。合宿に帰ってきた26日(日)の夜は先輩達と飲みに出かけていって帰宅。27日(月)は部室に行って色々と片づけをして、以前日記でも書いたように2-5の同窓会。28日(火)は休みで一日中寝てました…そして会議さぼりました。29日(水)は家でウダウダしながら部室に行って、ルールブック作っていた気がします。それで梅酒を飲んで吉野家寄ったらゲロって、帰りの電車で貧血になってしゃがみ込んで死にそうになりながら帰りました。30日(木)はルールブック説明会。非常に盛り上がらなかったことを記憶している(汗。31日(金)は部活の皆でフットサルをやりました。それが終わって部室に戻ってOB先輩に呼ばれてちょっと飲みました。月が変わって1日(土)は何していたっけ?あーカメラの勉強会だ。その前に銀座で中華バイキング食べてたなぁ…そして会議さぼりました。んで勉強会は1時間半ぐらい話し倒していました、疲れました。2日(日)は何していたっけ?あー家でwiiやってました。3日(月)は部室行って作業して、ひょうたんに飲みに行って、ABEの家で飲み直してそのまま寝ました。4日(火)は一番に行って、部室行って会議して、柏に行ってハンド部飲みに参加しました。5日(水)は企画案提出だった。まー特になんかしたわけではないものの、一つイベント終わりました。で今日は現実逃避していました。携帯をおいてひたすらwiiリモコンを振り回してました。メールが11通も来てました…残念ながら現実逃避できませんでした。そして部活の作業に没頭して今に至ると。

 ろくでもない大学3年生の夏休み。そして昨日は久しぶりにガンダムSEEDの再放送を見ていました(深夜三時)。ちょうどアズラエル理事がバリバリ核攻撃している回でした。「青き清浄なる世界のために」連発。うーん、その歪んでいるようでまっすぐな正義は聞いていて心安らぐ…そう思うのは私だけかしら?

 昔から綺麗さっぱり当たり前なこと言われるのが、私の中でしっくりこない。要するにどこで培ってきたか分からない道徳心というか、絶対勧善懲悪みたいというか、まっすぐすぎる正義心みたいなものが苦手。私からするとそういうのは簡単にいってしまえばきれい事といえるが、それ以上に気持ち悪いと形容するに値する。ただそれが悪いとは思っていない。一般的にはそちらのほうが正しいのだろうから、そういう正義心や道徳心があっても構わないとは思う…私には受け入れられないが。

 なんか人間が邪な部分を綺麗さっぱり忘れてものを言う姿に抵抗があるのかもしれない。混沌とした世界に生きている生き物と享受することなく、神にでもなったつもりでもいるのか平気でものを言う。まーそういう部分を感じていないからそういうことを言うんだろうけど。

 そういう点では「青き清浄なる世界のために」という歪んだ正義はなんとなく共感ができる。これが「仲良く共存しましょうね」というのでは「なんで?」と突っ込みたくなってしまう。まーただ人間はいくら頑張っても神にはなれないので、いっぺんの曇りもない正義や道徳心なんて存在しないから問題ないんですけど。もちろん時々そういうことを口にする人っているんですけどね…そういうのって現実が見えていっているのか、現実が見えないで漠然と感じているのか疑うのだがね。

 まー、一般的にここまで言ってのける私は斜に構えているということになるんだろうけどね。私としては現実を見ているという風に考えてはいるのだけれども…。

 でもまぁ根本で私自身が何を考えているかなんて私自身分かりませんけど、核心をついた話はしない傾向が最近あるなぁということに気付きました。物事の核心をついてしまうとおそらくぶちこわすこと間違いないので、ついて良い部分とついてはいけない部分を区分けして上手に振り分けているなと。たぶんそこの振り分けを失敗すると徹底的にやるんだろうなぁと思う。核心をつきまくりまくって簡単な人殺しみたいなことを平気でやるんだろうなと思う…中学・高校のときの私がそうなのかもしれないけど。それだけ自分自身が現実というものを感じているんだろうなと思う。別に自慢じゃないです。