俺もお前も人生の敗北者

とりあえず否定から入るネガティブ思考で常にB級嗜好なATOPのブログ

トルコにいった話9(ようやく完結)

2013-10-06 00:02:11 | トルコ旅行2013
前回までのあらすじ

トルコ旅行。トルコをバスで一周してきてようやくイスタンブールまで帰ってきた我々一向。旅の冒頭から早く日本に帰りたい、早く独りになりたいと願い僕の悲願がようやく成就する。


●7月1日(月) イスタンブール ボスポラス海峡観光船発着場 現地時間09:00●

この日の午前中は確かツアー内容としてはフリータイムでしたが、親のオプションツアーに同行。
ボスポラス海峡を船で観光しようというもので、イスタンブールの街並みを船から楽しむ人気のツアー…だと思う。
この日は旅行中10日間のなかで一番天気悪かったですねぇ(何。
小雨交じりで、空はどんより、風は冷たい。船上にいると寒いと思うくらい…。
いやぁ持ってるなぁ、優雅だなぁと勇んで乗船。



景色いいんですよ、ほんと。
でも寒くなかったら最高だったなぁ(笑。





●食事の話●

前回飲み物の話をしたと思うんですが、今回はいよいよ食べ物。

この国の食事の根底にあるのはヨーグルトである。なんでも発祥の地…とのことであるが、それはともかくとしてヨーグルトを食べる。
ヨーグルトがデザートなのかドレッシングなのかもわからないくらいいたるところに登場する。
僕は一番お見舞いされたのが、ヨーグルトベースのミントスープ。歯磨き粉食ってる感じでした(汗。
ヨーグルトベースのスープって珍しくないみたいですなぁ。それがダメだと自動的に豆のトマトスープみたいなやつになります。
どちらも日本人の中には苦手とするひとが多い組み合わせであります…。

肉はもちろんのことケバブ。はずれがないです。
ケバブと一緒に白米が出てくることがあります。なんか塩と一緒に炊き込んだお米だったと思うんですが、抜群にしょっぱいです。
でもおいしい。しょっぱいお肉に、しょっぱいお米。お酒が進む。
※帰ってきてトルコの本を読んだら、このお米は彼らにとってはおかずメニューの一つであって、主食はパンである。ちなみにパンは甘い。

海沿いの街だと魚も食べます。イスタンブールでもサバサンドが食べられます。伝統的な食べ物らしいですよ。



サラダに関してはまぁ海外で食べるサラダという感じです。ぱさぱさしてて、オリーブオイルか塩をかけて食べなさいっていう奴。日本の野菜の方がやっぱりおいしいですね、僕はそう思います。デザートは夏はスイカがメインです。

あとはとにかくトルコの方々は甘いもの大好きです。信じられないぐらいの砂糖の塊を食べます。砂糖を科学する会の回し者かってくらい砂糖がお菓子についてます。ドライフルーツ、とくにイチジクの砂糖漬けみたいなものを好んで食べてましたね。僕は無理です…バナナチップスでいいです。



●イスタンブール アタチュルク空港 現地時間13:00●



長かったトルコ旅行もここで終了。無事約3000kmを走破したわけです。
なんか添乗員さんはしんみりなっていましたが、僕はなんか晴れ晴れとした気持ちでした(何。
もう二度とツアー旅行に参加なんかしてたまるかと心に決めて日本に帰りました。



でもね、トルコはいい国です。
なんか稼いでやろうという勢いを感じる国でもあり、大自然も豊富にある国でもあり、ドイツ人がバカンスに来るだけはあると思います。
カッパドキヤとかイスタンブールとか正直あれなので、イズミルの南にいってエーゲ海を堪能するのが一番ではないかと思います。
エーゲ海を見ながらスイカ食ってるのが一番素敵な過ごし方ではないかと僕は思ったんです(スイカ苦手ですけど)。
なんせ日本人がいない。日本人がいない海は貴重であります。またあらためて行きたいとそう思わせるだけの何かはあると思います。ただまぁ今後のトルコの経済的立ち位置が非常に重要かと思いますが。

トルコにいった話8(べりー?ベリーロールじゃないの?ちがう?)

2013-10-02 21:13:27 | トルコ旅行2013
前回のあらすじ

前日カッパドキヤの気球で空高く打ち上げられた我々一行は旅も本当の終盤を迎え、互いの距離感を縮めることもなく、首都アンカラまでやってきたのであった。


●6月30日(日)アンカラ デデマンホテル(Dedeman Ankara) 現地時間08:00頃●

おそらくこの日も8時くらいにホテルを出発しているはずです。
なんせ旅の疲れとイライラがかさなってほとんど記録が残っていません。加えてアンカラは観光するところはないし、ただ通過するだけときてる…。

ここらでトルコの食事について書いておきましょう。

まずは飲み物からですが、基本的にぬるいです(何。
氷を作る文化がないので、冷蔵庫があれば冷えていますが、なければ常温です。
ご当地ご当地で売りにしている果物があってそれのジュースをすすめられるんですけど、これが実にぬるい。

行きつく先は3つあります。

1つはビール。もっぱら飲んでいたのはエフェス。これはあっさりした味わいのビールです。
どこにいってもたいていはこいつが出てくるんじゃないかと思います。

2つめはチャイ。だいぶ前に書きましたが(トルコにいった話2)、お茶です。
どこのレストランでもかならずあります。値段も99%1トルコリラです。

3つめはコーラ(スプライトも含む)。世界共通言語といってもいいかもしれません、コーラ。
VISAが使えなくてもコーラはあるぞといわんばかりに、その安定感はトルコにおいても健在です。

もうね、しぼりたてのジュースなんて旅行の記念じゃなかったら、絶対飲まないと思うのである。
口の中に残る果肉、のどにまとわりつく渋み。そういったものを味わいたいならぜひとも挑戦してもらいたいです。

ビールの話をしたついでにお酒の話を。
トルコはイスラム教徒が多く暮らす国ではありますがお酒を飲みます。(もちろん飲まない人もいます)
当たり前にメイドインターキーのビールだし、彼らが好んで飲む「ラク」「ラキ」と呼ばれる酒もあたりまえにレストランにあります。

このお酒がおいしいというんだが、僕は…
アルコール度数50度くらいの透明なブドウ蒸留酒で、それに水でわって飲むのですが、水を入れると透明だった液体が白く濁るのが特徴です。
味?味は…蒸留酒の味ってなんだって一緒だと個人的に思っているのでウォッカの水割りを飲んでいるというか、焼酎・泡盛の水割りを飲んでいるような感じです。
ぜひですね、そういったお酒が好きな方はトルコ行った際に飲んでみてください。

あ、案外飲み物だけで話が長くなってしまいましたね、食べ物については次回に回します。


●イスタンブール市内 現地時間13:00頃●

 

一度の休憩をはさみようやくイスタンブールまで帰ってきた我々。
ボスポラス海峡を渡ります。



日曜日なんですけどすんごい混んでいた印象があります。トルコは政教分離しているから太陽暦だし、休みも日曜日だと思うのだけど異様にわたるまでかなり時間かかった記憶があります。


●イスタンブール エジプシャンバザール 現地時間15:00●



初日に来たグランドバザールと違い、主に香辛料をメインとしたバザール。
お土産を買うとかではなくて雰囲気を楽しむところですな。




●イスタンブール ブルーモスク 現地時間16:00●

たぶん、トルコと思い浮かべて次にイスタンブールが思いつき、その次に「ああ、ブルーモスクね」という人が多いと思うぐらい有名なブルーモスク。



すごいですねぇ、写真撮る気をなくして全景の写真が一枚もありません…まぁ有名だしね(何。
モスクにしては珍しく6本ものミナレットが建っていることと、青いタイルが敷き詰められているのでブルーモスクと呼ばれ有名と。
モスクとしての機能をいまでも果たしていますが、ほとんどもう観光地です。あとこどもの割礼式の記念に来ているといった感じで、あまり周辺は荘厳さを感じられません。





世界遺産の建造物でここまで雑な管理になっているのも珍しいと思うぐらい、テキトーです。真剣にお祈りしているひともいれば、建物内を全力で走り回るこどもたちもいる。写真も撮り放題だし、なんかすごい。それが僕の印象でした。


●イスタンブール アヤソフィア博物館 現地時間17:00●

ブルーモスクから通りを一つ渡ったところにあるアヤソフィア博物館というか大聖堂というかモスク。
この建物すごいですよ。



もともとビザンティン帝国の土地だったものだからキリスト教の教会としてたてられていたのを、のちのちイスラム教のひとたちがモスクに改造して、20世紀に入ってから博物館として公開しているんですね。



いたるところにキリスト教のモザイク画が残ってるんです…イスラム教の壁画の下に。キリスト教の教会だった建物をモスクに改造する際にもとあったモザイク画を壊すんではなくて上から塗りつぶしてくれたおかげで、現在その部分を取り除いて多くのモザイク画を見ることができます。



ああ、これが歴史ですわ、歴史ロマンですわ。と思うのである。



●イスタンブール シェラトンホテル 現地時間19:00頃●

毎度毎度のベッドがたりない事件をクリアし、さすがに旅行に疲れた…正直このあとなんでベリーダンスショーなんか見に行かないといけないのかわからない状態でしたが、それを逃すと食事がなくなるので重い腰を上げて出立。



もともとダンスとか音楽に興味がない僕にとっては居心地があまり良くないイベント。そもそもベリーダンス見てどうするんだよ、という気持ちと、メイン料理とショーを同時に楽しむことがどっちつかずな状態が楽しめない。ああいうのは飯を食った後、お酒飲みながら見るもんなんですよ。それを60過ぎた方々とどう楽しめばいいんだい…。







このときも自分の親父がつまらない冗談を言っていて興ざめして最後の最後までお見舞いされ、あー早く日本に帰りたいと強く強く願っていたのでした。
ホテルに戻ってひとりでラウンジでビール飲みながらネットサーフィンしているのが心の癒しでした。やっぱり一人が落ち着く。このとき現地ガイドのひとと少し話したのもよかったなぁ。

トルコにいった話7(気球が飛び立つ前に僕は急降下)

2013-09-30 07:32:26 | トルコ旅行2013
前回までのあらすじ

少し時間が空いてしまいましたがまた懲りずに書いていきます(何。

さて前日、昨今世間を賑わわせていたカッパドキヤに到着した我々は、カッパドキヤ地方の奇岩を半日かけて見て周り、一説には大人気と噂の洞窟ホテルに泊まり一夜を過ご…す間もなく今日という日はスタートしてしまうのである。


●6月29日(土) カッパドキアケーブスイーツ(Cappadocia Cave Suites) 現地時間03:00●

時間は午前3時。
前日深夜0時まで起きていましたが、連日長時間のバス移動のためもう寝られません。3時間もあれば十分です。

午前4時にホテルのレセプション集合。
なにかツアーの人がホテルのひとともめてましたが…なんていうんですかね、あらためて説明することでもないですが、お客様は神様なんですねと思う出来事が起きてました。前日ガイドと添乗員がいっていたことがホテル側に伝っていなくてホテルスタッフ困惑。ツアー客憤怒。添乗員が約束の時間に来ない。ツアー客ヒートアップ。この流れ。

僕はアクシデントも大して目くじらを立てない性格(その場では何も言わないけど後日恨み節を叩く根暗)なのでなんとも思いませんでしたが、同行するツアーの人たちはイライラしてましたなぁ。大変ですなぁ。

僕は正直どうでもいいからさっさと出発したかった…
そう、この日はカッパドキヤ名物「気球」に乗るため早起きしています。
僕も少なからず気球という乗り物に期待していたので(なにせ初めて乗りますから)このアクシデントである意味テンションあがっていますが、ある意味テンション下がってます。

ひとりレセプションのソファーにどっかり座り『あぁ優雅だなぁ』と大泉洋さんばりの感想を抱き、ことの成り行きを見ていましたがそろいもそろってそこにいる人間が英語を話せないという奇跡。

黙って待てばいいじゃない…落ち着きなさいな、それで世界が滅亡するわけでもあるまいし。

そんなことを思って「そんな目くじらたてなくてよくない?」と僕が親にいったら「なにいってるの?わたしたちは間違ったことしていないじゃない。向こう(ツアー会社)が悪いんだから当然じゃない」と反撃をくらい痛恨のダメージ。

『うわぁ…日本人って心せまぁ…誰だって間違いというかうまくいかないことだってあるじゃない…それを金払っているのはこっちだからとか、お客様だからとかいってピーピー騒ぐのかよ。こういうときこそ平常心じゃないのかよ、気遣いじゃないのかよ、慈悲の気持ちじゃないのかよ。あー異国の地にきてなんで俺が親に責められてんだよ…』

と一気に気持ちも急降下。僕がこのまま気球に乗ったら落ちるんじゃないかというほどテンションガタ落ち。

そして何も知らず現れた添乗員。朝っぱらから集中砲火をうけて表情がゆがんだのは言うまでもない。アーメン。


●カッパドキア どこかの気球会社のオフィス 現地時間04:20頃●

ホテルのまえから我々はワゴンに乗り込み気球会社のオフィスへ。結構大きい建物でしたね。ええただ、世知辛い世の中に打ちのめされたためどこらへんの建物だったかもよく覚えていません(何。

それはともかくとしてたしか誓約書みたいな紙にサインしました。
どんな内容だったかは覚えていませんけど、きっと皆さんが想像するような奴だったと思いますよ(笑。

そこから再び気球会社が用意したワゴンに乗り換え、気球の待機上まで行きます。結構走ったと思います。



車を降りると気球が。『これが気球か』。
『なんだ男か』とジェリド・メサ中尉ばりに淡白な斜に構えた感想を持った僕。ホテル出発以来浮かない顔をしている…そもそもこのツアーが始まって以来浮かない顔をしている僕を心配してなのか、添乗員さんが声をかけてきました。

添「ATOPさんは気球はのられたことありますか?」

僕「いえ、これが初めてです」

添「そうなんですかぁ。気球にどういう印象もたれます?」

僕「え…(印象もたれます?ってなに…インタビュー?え、印象ってなによ) 」

添「…」

こんなもんです…。そりゃ僕みたいな人間に話しかけてくると火傷します。久々でしたよ、印象を持たれますか?なんて言葉きいたの。今思えば「思ってたより大きいですね」ということをいうべきでした、反省してます。大変申し訳ございませんでした。

さてそんなこんなで気球は膨らみ、いい感じに。乗り方と降り方のレクチャーを受けいよいよ空へ。



操縦士はアメリカ人の方(だったはず)僕は勝手にラッセル・クロウと心の中で呼んでました。



ゆっくり浮いていきます。浮いたのが分からないくらいゆっくり浮いていきます。不安をあおるような要素は一切ありません。誰でも乗れると思います。きっと落ちるときは一瞬なんでしょうけど(何。





浮かび上がってみると周りは気球だらけ。たしか100以上飛んでるとか言ったかなぁ。でね、僕も知らなかったんですけど、この気球の目的って朝日を見ることと奇岩をまじかで見られるということと、まぁあと空に浮かぶ気球たちのバルーンの鮮やかさみたいなんですね、きっと。

個人的な感想を申し上げますと『こんなもんか』という感じです。テンション下がってたとかそういうことではなくて、そもそも朝日が見える瞬間にいい場所(高さ・位置)にいられるかは運ですし、僕の場合はあまりよくはなかったと正直思います。それと見下ろしたカッパドキアの地形がきれいに見えるかというとそうでもない。意外につまらないんですよ。ただ気球は良いと思います。これがなかったらもうどうするんだよって思うぐらいです。輝いて見えます。



1時間くらい乗って着陸。着陸は面白いですよ。気球のケージを運ぶトラックの荷台にダイレクトに、ピンポイントに着陸します。



写真見てもらうとわかりますが、茶色いケージの下に白い荷台が見えると思います。ここにダイレクトに着陸します。そりゃぁもう巧みな技術と強引な力技で(汗。

着陸すると着陸記念でシャンパンを開けてその無事をたたえます。残念ながら写真は僕のもとになくいつの日にか更新できたらと思います(何。いやまぁ親のカメラで撮っているので僕の手元にないだけです。


●カッパドキア カッパドキアケーブスイーツ(Cappadocia Cave Suites) 現地時間07:00頃●

とりあえずホテルに戻り、朝食をいただく。
朝からうんざりした気分を晴らしてくれるカッパドキヤの静かな朝とコーヒー。
これさえあれば生きていけると本当に思う。大自然とコーヒーさえあれば他は要りません。


●カッパドキア ギョレメ野外博物館(ギョレメ国立公園) 現地時間09:00頃●

オプションツアーでギョレメ野外博物館(世界遺産)に行きました。冗談抜きでここがトルコで一番良かったです。半端じゃないくらいのフレスコ画がすごいきれいな形で残っています。まぁ個人的にはこのオプションツアーに参加した人間がかなり少なかったせいもあり落ち着いてガイドの話を聴けたのも大いにありますが。



ただ写真はありません。ここたしかいたるところに写真禁止の看板があったと思うのですが、僕はそれを忠実に守り帰ってきたわけですがなんかすげーネットに写真上がってますよね…。いいんです、僕は目に焼き付けてきましたから。

洞窟内にフレスコ画がびっくりするぐらい綺麗に描かれており、歴史の流れを感じます。ローマ帝国のキリスト教の迫害から逃れてきた教徒たちが洞窟内でひっそりと信仰し生活をし、時間が流れアラブ系のイスラム教徒がやってくるとキリストや天使たちの顔を破壊するということを行ったのがみれば一目でわかります。

そうだよ、これだよ。気球じゃないんだよ、歴史だよ。文化だよ。おじさんのモチベーションをぐんぐん持ち上げる歴史遺産、アメージング。ぜひカッパドキヤにお越しの際はここに行くべきだと個人的に思います。


●移動●

えー一旦ホテルに戻りまして、ツアー客と合流し本日はハットゥシャ(世界遺産)に向かいます。
ホテルを10時頃出発し11時ごろタイル細工工場を見学し(ここで25万のタイルを買う僕がいました)13時ごろ昼ご飯を食べ、ハットゥシャのヤズルカヤ遺跡に着いたのが15時…今日も今日とてバス移動は半端じゃないです。


●ハットゥシャ ヤズルカヤ遺跡 現地時間15:00頃●



ほとんど何も残っていないのですが、巨岩に神や王の姿が彫られています。
ハットゥシャはヒッタイト人の都で噂によるとあまり研究がそれほど進んでいないらしい(そのせいもあって日本人にとっては全く持っての謎の存在)です。




●ハットゥシャ ボアズキョイ 現地時間16:00頃●



遊牧民族であった彼らがこの土地に住み都を築くと。
なんでこんなところに築いたんだろうと疑問しかわきません。それぐらい何もありません。



ただただだだっ広い小高い丘の上に岩の都を築いたわけです。紀元前13世紀ごろに。
雰囲気としてはマチュピチュ遺跡みたいな感じがします。



歴史ロマンですな。ヒッタイト人もインカの民もまた太陽神を信仰しております。


●首都アンカラ市内 現地時間19:30頃●



ちょうどデモが起きて一カ月くらいたっていた時期でしたが、べつに普通のビジネス街だなぁという印象でした。
公園の周りには放水車がとまっていたくらいで、特段危険なにおいもしない、いたって普通の都市でした。




●アンカラ デデマンホテル(Dedeman Ankara) 現地時間20:30頃●

とくにアンカラ自体で何をしたということはなく、このホテルは観光ホテルという感じでもなく特別何か書くようなホテルでもないです。
しかし、この日はたくさんの遺跡を回れてすごい満足。旅行って大自然・歴史・コーヒー。これさえあれば十分です。
朝のトラブルがなけえればもっとよかったのにという…ただそのトラブルなかったらブログも書くことは特にないんですけど(何。

トルコにいった話6(カッパドキアへと向かう心の旅)

2013-09-11 21:13:57 | トルコ旅行2013
前回までのあらすじ

爆走に爆走を重ね、トルコの内陸部コンヤという街までやってきました。前日、集団(ツアー)での旅に辟易してホームシックというかひとりになりたい気持ちにさいなまれ一日を終えた僕。この日は世界遺産のカッパドキア地方へ目指すことになります。


●6月28日(金)コンヤ リクソスホテル(Rixos Hotel Konya) 現地時間07:30●

へっへ、すでに朝ごはん何を食べたかも覚えていない精神状態です。(※忘れたわけではありません)
今日も朝早くから出発します。僕の精神的に憂鬱な「心の旅」が早朝からスタートします。



●コンヤ ケルバンサライ(kervansaray) 現地時間09:00●

一回目の休憩ということでケルバンサライ(キャラバン隊の宿)のまえにあるSAに到着。



キャラバン隊の規模は相当大きかったことをうかがわせる馬鹿でかい宿。むしろちょっとした砦である。中に入るにはまた別途料金がかかる気がしましたが、外観からしてもかなり大きいことをうかがい知ることができます。…それ以上の説明はないです、すんません。



休憩をすませてバスはまた走り出します。
トルコの内陸部はひたすら丘陵地帯にまっすぐ道がしかれているだけです。どこを見ても畑。

参考に言うと道路は平らじゃないです(笑。たまたま参加しているツアー会社の内規でスピード100キロ以下で走っていますが、追い越していくほかの観光バスは猛スピードで激しくバウンドしてます…なんていうんですかね、田舎文化なのもあると思うんですが多くの車は車線をまたいで走ります。車線と車線の間なんか律儀に走っているのは都市部だけです。

そのせいもあると思いますが田舎の道でも幹線道路であれば道路は片側2車線、計4車線が多いですが、大体の片側は工事でアスファルトを敷きなおしているので右へ左へ移動しまくります。バス弱い人にはたぶん苦痛だと思います…。国内移動ならやはり飛行機を利用した方が楽なんでしょうな。




●カッパドキア カイマルク地下都市 現地時間11:30●

ふたたび2時間走り、次の目的地「カイマルク」地下都市。ヒッタイト人がつくったとされている洞窟都市ですな。



本日は主にヒッタイト人の文明地を訪ねる予定になっているのですが、日本人の多くはヒッタイト人を知らない。
日本人がおそらく「ヒッタイト人」と出会うのは世界の中で初めて「鉄」を用いた民族ということと、「馬」を飼育し戦争に用いた遊牧民だったということが世界史の教科書の中に出てくるところぐらいですね。なんかヒッタイト人の話を書いた日本の有名な漫画もあったと思うんですが忘れました(何。

時代は紀元前20世紀。
まずそんな時代のことがわかるっていうんだからすごいと思うんですが、彼らはどこからともなく現れ(厳密には出自が謎なだけ)、紀元前15世紀には王国を建設しメソポタミアを征服するに至ったわけです。

昨今「シリア」で有名なあの地域ですな。イメージとしてはペルシャ(イラン)のあたりから黒海に沿ってトルコ地域に進出とともに、南下していったというわけですな。

その後、現在のトルコのあたりに定住した彼らはエジプトとかと戦争をしていたのだけども、紀元前1190年頃「海の民」に滅ぼされてしまった、と。だいたいこれが我々日本人がしっている彼らの歴史だと思われる。



そうしたうえでこの「カイマルク」地下都市。地下八層にも及ぶ人工的にほられた洞窟内住居。住居というよりは地下に掘られたマンションといった方がいいかもしれません。これも彼らヒッタイト人が作ったとされている。あくまでも「されている」。
というのも作られた目的も年代(紀元前とされているが)もわかっていないそうで、今現在分かっていることとすれば、7世紀ごろキリスト教徒たちがアラブ人の迫害から逃れるためにここに住んだということだけだそうだ。

住む。住めなくはないけど、この中だけで住むのはすごい苦労したと思う…狭い。途中の道なんか当然すれ違えるわけもなく、ときにはしゃがみながらでしか進めない道もある。ここを見学するとちょっとした筋肉痛になるひともいると思うので頑張ってください(何。まぁガイドさんにも聞きましたが「年がら年中住んでいるんじゃなくて、戦争の時とか非常事態の時だけ」って言ってましたが…うん。





地下都市の周りは土産物屋が広がっています。


●カッパドキア  現地時間13:30~15:30まで●

カイマルクをあとにし、次にトルコの絨毯屋を見学し、そこからまた移動して昼ごはんでした。



絨毯に興味はないのですが、こういうところへ行って勉強になるのはやはりそれなりに値段がするものはいいものだと、ただで触れるところだと思う。都内のデパート行っても実際に触ることができるかといえばそうじゃないから。あれですよ、高い絨毯はすごい気持ちいいですね。買いませんでしたけど。



昼ごはんはカッパドキア特有の洞窟を利用したレストランでした。ここで出たのが1円サイズぐらいの豆をトマトスープで煮たもの。これは好みが分かれるだろうなぁ…メキシコ料理とかで豆使ったメニュー良くありますけど、まぁあれよりも軽いですが、確実にブローを決めてくる料理です…。


これが前回話したイスラム神秘主義の旋回舞踊の土産物です。こんなに同じものが並べられるだけですごく神秘的です。


●カッパドキア 有名な奇岩群を見学する 現地時間16:00●

「さぁお待たせしました」というほど僕個人ではあまり待ってもいなかったカッパドキアの岩。



あれですよ、迫力はないですよ(汗。
ああ、こういうことね、不思議だねぇ~ということが言える感じです。見渡す限りの奇岩群!みたいなことはありません。
バスで移動して転々と見ていく形になるので…もうなんていうか言葉にならない(何。



すみません、なんか感動薄くて。





いろいろ見終えたそのあとですね、実際に洞窟にすんでいる方のおうちへ見学へいきました。



なんか感想があるかと聞かれると難しいのですが、こういうガランとした広間もいいなァって(何。いや、本当に難しいです、こういうもんなんだなぁと受け入れるだけです、ええ。



このときは比較的写真を撮っていて期限を取り戻しているようです。というより前日あまりにカメラを使わなかったことを反省して撮ってる感があります。


●カッパドキア カッパドキアケーブスイーツ(Cappadocia Cave Suites) 現地時間18:30頃●



いろんなところ回っていたら、ホテルに着いたのが18時過ぎ。いつもより早くついてます。
聞くところによると「トルコ旅行いった」「カッパドキア行った」「洞窟ホテル泊まった」というのがトルコ旅行のステータスらしく、これを目当てに旅行する人がかなりいるらしい。



たしかにこれまでに泊まったホテルに比べるとこじんまりとしていて良さげな感じである。ただ泊まっている本人がその宿の情緒とかに感銘を受けないところに問題があるだけで、きっと普通の人は憧れなんだろうなぁと他人事のように思った…のです。



僕はいいホテルに泊まるといつも思うことがあって『ああ、数時間しかいないのに勿体ねぇ』ということを思い、なんでこんなとこにいいるんだろうと呆然としてしまいます。
ここにおいても『もう2度と来ないから』という思いで必死に写真を撮ってます。というか来るなら一人で来たいわ!


●カッパドキア 場所を失念 現地時間19:00●

ホテルについてその後、オプションの旋回舞踊見学に行ってきました。行く前は期待していなかったんですが行ってみてよかったです。びっくりします。



イスラム神秘主義・スーフィズムはひたすら旋回を続けることで目を回すというよりも、ぐるぐる回った時の感覚分かると思いますが「ふわー」という感覚というか止まった時の「すー」っていう感覚あるじゃないですか、あれを神への一体化と考えたわけですね。



それをただ貧血と片づけてしまうほど楽ではないと思われます…たぶん20分くらいは回っていたと思います。びっくり人間というくくりでは失礼ですが、いやすごいです。



ただまぁ、舞踊中に「スーフィズム」がなんなのかもわからずオプションに申し込んだ輩がその姿を見て笑っていたのと、舞踊が終わったあとに会場で唯一拍手した自分の親父を殴ってやろうかと思った出来事が起きたことが半端じゃなく残念でした。


その後ホテルに戻り食事をとりました。
まだ20時過ぎだったこともあり、ひとり街をぶらぶらしてきました。


 


てんで物騒じゃないのでぶらぶら歩くのには最適です。まぁ何があるってわけじゃないですが、この旅行で初めて時間を気にせず一人になれたのですごく楽しかった記憶があります。歩くだけで「ジャパニーズ?」と話しかけられるのも楽しくもあります。

こうしてまたもやツアー旅行に自分がマッチしていない夜を過ごしているわけで、翌日からも空気をぶち壊す僕の行動が目立ちます…

トルコにいった話5(ひとりになりてぇ)

2013-09-10 23:14:35 | トルコ旅行2013
前回までのあらすじ

前日アルテミス神殿・エフェソス神殿に赴いた我々は壮大な遺跡にではなく夏の日差しに圧倒され、世界一いかしたおっさん顔のニコラスケイジが泊まった宿に宿泊。これまで海岸線をずっと走ってきましたが場所を内陸へと移し、トルコの奥へ奥へと進んでいくのであった。


●6月27日(木) パムッカレ スパホテル コロッセアサーマル(SpaHotel Colossae Thermal) 現地時間07:30●

みなさんもお気づきであろうがこのツアーはホテルに滞在する時間が短い。
だいたいが早朝ホテルを出発し1日300キロは移動を行い、飯や買い物、観光をすべてこなし夜9時くらいにホテルへ到着する。
前にいったか忘れてしまいましたが、この時期のトルコの夜9時は正直明るいです。あー、日が沈むなぁっていう感じぐらい明るいです。
ですので、まず一日の行動時間が異様に長い。夜飯だって夜の9時10時なんて当たり前で、よって寝るのは12時過ぎ。これで朝は6時には起きるんだからどんな社畜だ!って話です。

というわけでツアーも始まり数日が経過し、そろそろツアー客にも疲労の色が…でてるにはでるけども相変わらずの減らず口(何。
元気なようです。恐れ入ります。

さて、この日はホテルを出発し、すぐ近くにある「綿の宮殿」を意味する「パムッカレ」を見学し、「コンヤ」へ向かい、神学校とモスクを見学(メヴラーナ博物館)してホテルに。いやぁ、ほんとバスしか乗ってないな(汗。




●パムッカレ 現地時間 08:00●

世界遺産です。
世界にも珍しい石灰の土地が段々となって崖になっています(石灰棚)。イメージしてもらえるとわかると思うんですが、崖の上に温泉が湧いていてその水質が石灰分を含んでいいいるために崖を水が垂れていくうちに石灰分がそこに堆積して段々となって、崖にいくつもいけ見たいのができてそこにも水がたまったりたまらなかったりして綺麗というのが、ここの見所です。



ローマ時代の温泉療養地で、一応都市だったことを思わせる残骸がいたるところにあります。
ただここに観光に来る人たちはそんなことよりも石灰棚に足を突っ込めるというのでそっちしか目がいきません。
加えてこの土地を説明しておくと(ガイドさんが言うには)、近年近隣施設で温泉をひいて水脈が変わったことで石灰棚の面積がかなり減少したそうです。いまでは石灰棚自体に流れている水も日によって方向を変えてその現象を少しでも抑えていいるそうですな。ですので訪れる日によって棚に水が張っているポイントが変わるということが起きています。

一部のところに限って石灰棚を歩くことができます。



裸足になって歩くのでかなり滑ります(笑。温泉は冷たいです。冷泉です。
この行為に意味があるのかはさっぱりわかりません…五色沼行って「じゃあ実際に足入れてみましょう」なんて話にはならないと思うのだけど、ここではそういう話がまかり通るみたいです。

最初に述べたとおり温泉療養地だったために、今でもこの遺跡内にもプール(テルマエ)が残っています。



かの有名なクレオパトラも入ったとか(旅行ガイドにはそう記載ありますが出典はわかりません)。


●移動●



さて、パムッカレをあとにしたのが午前9時ごろ。その後3時間ちょっとバスに乗り、昼食へ。説明を読むとトルコ風ピザを食べたということになっていますが記憶にほとんどございません。一説にはそれはピザというよりチヂミに近い印象だったと思います。

そして昼食を終え、我々が次の目的地「コンヤ」にある「メヴラーナ博物館」に着くのは午後4時頃である(何。
一か所見て飯食って次は夕方お会いしましょうというナイスなスケジュール。



余談ですが、タバコでお馴染みのJTさんの海外会社。トルコ国内のたばこはこいつがかなり幅を利かせているそうですなぁ。その分、開発や文化保存にもかなりお金を出しているみたいですが。


●コンヤ メヴラーナ博物館 現地時間16:00頃●

移動に次ぐ移動を果たし、やっとたどり着いたメヴラーナ博物館。
ここはイスラム神秘主義の霊廟。世界史をやった方はご存じだとは思いますがいわゆる「旋回舞踊」「回教」のメヴラーナ教団(メヴレビー教団)の創始者であるジャラール・ウッディーン・ルーミーの霊廟です。ようはモスクですな。



もともとは勉強するところで旋回舞踊もクルクル回っていたらしいんですけど、政教分離政策の中でそれはなくなり今は博物館となっているそうな。いけばわかりますが、きっとイスラム教徒にはそれなりに当時のことを知るためには貴重な資料の数々です。目玉はムハンマドのひげが収められた箱。

ガイドさんが「独特のにおいがする」とかいうのだけど、僕は…まぁイスラム教の信者にとってはきっと計り知れないものなんでしょう。


●コンヤ リクソスホテル(Rixos Hotel Konya) 現地時間19:00頃●

ようやくホテルに到着。この日結構移動したこともあって1日使って2つしか観光行ってないじゃん!というのもありましたが、僕はすこし旅に辟易していたのでもうどうでもよくなってました。
それもあってか、この日はほとんど写真もツイートも残ってないんですよね(汗。そうとうツアー旅行が堪えていたみたい…。




(泊まったのは17階かなんかだったと思う)

それにこのホテルに至っては行った部屋が予想の斜め上へいっていた…カーテンかかってなくて下に落ちてるんですよ(笑。
『絶対掃除してつけるの忘れているよ』と苦笑いするとともに、疲れてもういいや…って思うんだけど、部屋がいくらたっても涼しくないんですよ。

それで親がご立腹。

添乗員に文句言う(彼ら、とくに母親に言わせれば文句ではなく正当な抗議だそうな、いやそうなんだけど、添乗員のせいじゃないし精一杯やってくれてるんだから急かさなくていいだろうに)。
結果、部屋チェンジ。僕の感想『めんどくせぇ…死にてぇ…日本に帰りてぇ』。
くそぉ、普段いいホテルや旅館にしか泊まったことないからわからんのですよ、うちの両親は。海外のホテルはそれなりの評価があったとしても末端の部屋なんて日本のビジネスホテルよりひどいことに。いままでの人生で海外のホテルでいいホテルなんて出会ったことがない。みなさんありますか?

僕はハワイのヒルトンハワイアンビレッジも、カナダのビクトリアにしても、アメリカ、ドイツ、スイス、インドでもこれといってピンとくるホテルはなかったですよ。正直、リステル猪苗代と同等以下ですよ(何。なんなら東横インのがきれいで快適ですよ(ぉ。

と思うのだけど、お金払ってんだから何とかせい!というのは正しいので親の言いたいこともわかるのですがね…正直通訳する気力もなくなっていたので親にすべてを任せベットの上でいじけてました。日本に帰りてぇ…ひとりになりてぇ。


(僕が使っている素敵なベッド)

※ただしここのホテルは食事がトルコらしくなく、ばり一般的なホテル料理が多かったですなぁ。チキンはおいしかったのをすごい覚えてます。

  

トルコにいった話4(そろそろ飽きがまわるころ)

2013-09-01 19:35:12 | トルコ旅行2013
前回までのあらすじ

前日まる1日つかってイスタンブールからトロイ、最終的にアイワルクまでやってきた強行軍の我々。せっかくのバカンスの名所、エーゲ海にきているにも関わらずホテルに着いたのが22時と奇跡の時刻。ろくに海も見ずに死ぬように寝てしまった我々はこの日「朝日を見よう」という目標の下、海へ飛び出していくのであった。


●6月26日(水) アイワルク(Ayvalik) Grand Hotel Temizel Ayvalık 現地時間06:00●

前日ガイドさんから「朝日がきれいです」という助言をいただいた僕ら一家はホテルの中庭を通りビーチへ。

ん?ちょっと待たれよ。
よくよく地図を見て考えてみてほしい。僕らの泊まっているホテルはエーゲ海に面している。トルコのアジア側からエーゲ海を見ると、その方角は「西」だ!
太陽はどちらからあがってくるんでしたかな、バカボンのパパ?「太陽は西から上がって東に沈むのだ!」。そうだね、『天才バカボン』のなかではそうまかり通っていますが、現実世界では太陽は東から上がって西に沈むんだな。

つまりだ。

僕らがエーゲ海を臨めば、自然と太陽は背中にあるわけだ。

…もう、よかとばい…。



うむ、自ずとこういう構図になるわけだよ(苦笑。
でもね、これはこれで悪くないんだなぁ。僕はいままで『なにが地中海だよ、スイーツめ』とか思っていたんですが、これは思い違いでした。こんな日本人のいない(東洋人のいない)ロマンチックな海があるのは最高だなぁと思いました(※このホテルは東洋人だらけですが)。いつかまた、気の知れた人たちとこの海に来てもいいなぁと、来たいなぁと思いました。ハワイとは違う良さがそこにはありました。




●アイワルク(Ayvalik) Grand Hotel Temizel Ayvalık 現地時間07:30●

本日も朝早くからの出発まことにありがとうございます。
本日の行程としてはまずトルコ石の店に行ってから、「アルテミス神殿」へ行き、「エフェソス遺跡」へ行き、パッムカレの近くにあるホテルに行く感じです。




●アルテミス神殿 現地時間12:00●



トルコ石の店に寄ったのもありますが、この日も順調にバスはぐんぐん進み。アルテミス神殿に到着。



世界の七不思議の一つに挙げられる「アルテミス神殿」。たぶん多くの日本人はしらない…と思う。僕も世界の七不思議であと知ってるのは「ギザのピラミッド」と「アレクサンドリアの灯台」だけですし。

さて中でも比較的有名な「アルテミス神殿」。一番古いもので紀元前700年頃で燃やされたりした関係で今は写真の通り柱がぽつんと残っているだけです。もうなんものこっちゃおりません。よくもまぁこんなギリシャ系の神殿があるもんだって思います。まぁアレクサンダーの東方遠征に比較したら東っていうほど東でないので当たり前なのですが。この神殿跡はこの柱を見るだけがみものなので他に特にありません。


●エフェソス遺跡 現地時間15:30●

アルテミス神殿をさらっと見た後、昼ご飯(ケバブ)を食べ、革製品の店を見学させられてあれよあれよと15時過ぎ。エフェソス遺跡に到着しました。



もともとはギリシャ人以外が住んでいた地域だったそうだけども、ギリシャ人が移り住み最終的には紀元前2世紀にはローマの支配下にはいると。みものとしては巨大な劇場と図書館。


これが図書館跡


これが劇場





いろいろ施設が残っていますが、この遺跡の図書館前には当時の風俗店へ続く秘密の抜け道が今でも残っています。「俺、図書館行ってくるわ」といって図書館方面に歩いて行って、この抜け道に入っていったそうですな。古代ギリシャ人の知恵です(何。

ちなみにこの神殿の向かい側の山でイエスの母マリアと使徒ヨハネが余生を過ごしたとガイドさんが言ってました。

僕はここでこのツアーのしんどさに気付きました。大半が60歳オーバーであるこのツアーは残念なことに彼らの体力に合わせないといけない(何。それに歩くとわかっているのにビーサンでくるバカにも合わせないといけない過酷なツアーである。

汗びっしょりかきながら必死に説明してくれるガイドさんの話なんか聞きやしない連中なのだ。いったい彼らは何しにここへきているのかさっぱりわからない。

僕は黙って見てるしかないのである…。



またバスに乗りだらだらとホテルに向かいます。内陸に内陸にどんどんやってきているので風景もだいぶ変わってきます。


●パムッカレ スパホテル コロッセアサーマル(SpaHotel Colossae Thermal) 現地時間20:45●

本日はパムッカレの石灰棚のすぐ近くにあるあのニコラスケイジが泊まったホテルに宿泊です(何。

もうなにを持ち上げればいいかわかりませんが、温泉ホテルなのでホテルに入ると温泉くさいというかボイラーくさいです。でもそのおかげでプール系の施設が充実しています。

ご飯はビュッフェ形式でおいしかった気がします。ただおいしいといっても、一般的に食べられるという意味でおいしいのであって、特別格段においしいという意味ではありません(何。

でも清潔感もあって、居心地の良い観光ホテルという気がしました。



移動の途中でよったサービスエリア的な場所。
飲み物は案外普通なんですよね、チャイ、コーラ、オレンジジュースとか。

トルコにいった話3(こんだけ移動してトロイだけ?文字通りとろい…お後がよろしいようで)

2013-08-19 20:44:52 | トルコ旅行2013
前回までのあらすじ

トルコに着いた初日。それでも「トプカプ宮殿」「グランドバザール」を周り、さっそくツアー旅行に辟易しながらも食事さえ我慢をすればと心に誓って眠りについた僕。試練の2日目が始まります。



●6月25日(火) イスタンブール Kaya Ramada Hotel 現地時間06:00●

朝6時に朝食。なにせ出発が7時だから早く飯を食えという事態。
でも僕にとってうれしかったのは夕飯と違ってビュッフェ形式で好きな席で飯を食っていいというので、何も気にせず黙って食事ができること。幸せ。
大型のホテルだったからビュッフェ・バイキング形式だけども、トルコ人の朝食はパンとヨーグルトが主体(だと思います)。パンもトルコオリジナルだとガイドさんが言っていたのですが、フランスパンと何が違うのかいまいち分からないところです…フランスパンよりしっとりしている感じがする(たんに湿気を吸っただけのような気もします…真相は謎のままです)。

「ギュナイドン」

これがトルコ語で「おはようございます」だそうです。覚え方は「牛ない丼」だそうです…。
そのくだりから始まった2日目のバス移動。この日の行程としてはいったんイスタンブールの西に向かい、そこから海を渡ってアジア側にまわる。そんで「トロイ」に行くというかたちです。



●店名失念 現地時間10:00頃●

ホテルを出発し、左手に海を見ながらバスに揺られること3時間。
最初の休憩所に着きます。簡単なサービスエリアです。



ちなみにトルコの公衆トイレ事情ですが、アジア式と洋式が半々です。紙が用意されているのも半々です。有料無料に関しては7割くらいの確率で有料で50クルシュ~1トルコリラあたりですね。場所によりけりですが綺麗といえば綺麗だと思います。日本でいうと昭和に建てられたちょっとした運動公園にありそうなトイレですね…JRのトイレよりかは綺麗です(何。

ここでガイドさんから「チャイ」をおごってもらいました。



「チャイ」と聞くとどうしてもインドのチャイ(ミルクティー)を思い出すのですが、トルコ人の愛しの飲み物である「チャイ」は紅茶のことです。トルコだったらどこでも飲めますし、おもてなしをする際はまずこれを出すのが当たり前だそうです。日本の緑茶と一緒ですな。
これ砂糖を入れて飲むのが一般的だそうですが、僕は正直いれない方が好きでした。おそらく日本で飲む紅茶より相当濃いですが、僕はそういう渋い感じのほうが好きなので入れることはあまりしませんでした。
味は濃い紅茶ですがおいしいです。トルコで一番おいしいものかもしれません(何。というか、はずれがないといった方がいいかもしれません。コーヒーはよく外れます…。30℃を超えるトルコにあって、この飲み物はそんな気温にはお構いなくアツアツで出てきます。しかも写真のようにグラスに入れてくれるもんだから熱くて持てない(なんで割れないのかは不明)。ただ一口飲めばすごい落ち着きます。これにはまる日本人は多いと思いますね。

●Toia Agora 現地時間12:30●

さて先ほどのSAから再びバスに乗り込み、途中昼ごはんのため再び別のSAみたいなところに停まりました。

食事において後日それなりに説明したいと思います(もちろん写真は全くありません)が、ここで勧められたのはたしか桃のジュースだったように思います。それはもう最強です…そんでサラダにも衝撃がありました…それについてはまた後日の回で。



●Çanakkale-Gelibolu 現地時間13:30● 

時刻は13:30。
すごいでしょ?移動と食事で半日使いましたから、この旅の突貫さ普通じゃないです。

アジア側にはフェリーで渡ります。「開国してください」のひとではありません、それはペリーです。「ポイしないでください」でもありません、それは「黒船」です。…はい。



たぶん30分も乗ってなかったと思います。雰囲気としては桜島フェリーと何も変わりません。

アジア側に着くとようやく「トロイ」に向かいます。港についてからぐんぐんバスを走らせること約1時間。15時ごろトロイに到着します。

●トロイ遺跡 Troya Milli Parkı 現地時間15:00頃●

バスの中でガイドさんも言っていましたが、「トロイ」はブラット・ピット主演の映画『トロイ』でも有名ですね。ただ僕も一度見たことがありますが、最後アキレス腱に矢が刺さるシーンがあまりに滑稽で記憶されているのみでほとんど覚えていません。きっとこのツアーに参加している人間も同じ程度の予備知識でした…。

トロイといえばやはりブラピよりも木馬の方が全世界的に有名ですね。今や偽装されたウィルスとしてはかなりの幅を利かせております。…もちろん木馬に隠れて奇襲したという史実もまた有名ではありますが。

かの有名なトロイの遺跡なんだからさぞすごいのだろうと思いかもしれませんが、これがなにもない。



観光用に作られた馬鹿でかい木馬があるだけで、あとは永遠と土の壁というか溝というか、ええ、照りつける日差しの中(35℃近い)ひたすらここに街があったんだろうなぁという妄想に浸ります。その強い陽射しの中で意識がもうろうとしてきて、トロイの街がふわっと浮かび上がる境地です(何。





実際、その存在はシュリーマンが発掘するまで夢幻のものだったと考えればあたりまえですが、なにものこっちゃいないんです。それに何代(何層)にもわたって作り直されている(壊されてはその上に建設する)関係で古代になればなるほど土の中に埋もれています。

そもそもシュリーマンの発掘内容すら疑わしいのはよく知られている話で、どこまでが本当でどこまでがねつ造かが分かっていないそうですな。僕もトルコに行く前NHK教育テレビでシェリーマンについて特集した番組見て開いた口がふさがらなかったぐらいです。もうすでに収拾がつかないくらいやり散らかしたのか、まだまだ手つかずなのか。さっぱりわからないトロイ。

でも考えても見れば、神々の話でしか語られていなかった『トロイ』を現実に存在すると考えたのはすごいと思う。日本でいうとなんだろうなぁ、日光の戦場ヶ原の伝説をマジでとらえていた感じなのかなぁ。それを考えるとかなりぶっ飛んでいただろう…すごいぞシュリーマン。


さて「トロイ」の観光を終えた我々。その時点での時刻…16:30\(^o^)/
なんとなんとこの日の観光はこれでおしまいなんだぜ!トルコをバスで10日間のうちに周遊してしまおうというワイルドなツアーなんだぜ!ムカついて父親のくだらない冗談を無視してやったぜ!(ムカついたのはツアー内容ではないのだが)

これからホテルに向かいます…。

●アイワルク(Ayvalik) Grand Hotel Temizel Ayvalık 現地時間22:00●

1回休憩所に寄って、バスはひたすら走り続けてホテルに着いたのが22:00。

自分の残していたログを読み直しても本当に22時か疑問に思うのですが、foursquareと走行時間から鑑みてもどうやら22時で間違いないと思います。

それから夕飯を食べた…はずです。
22時でもこのときのトルコはねぇ、陽がぎりぎり沈んだぐらいなんですよ。ええ、夕方なんですなぁ。

ここではバイキング形式だったんですが、それとは別にここで初めてトルコのお酒「ラキ」と対峙します。
これも食事の話でまとめて書こうと思いますが、僕は何がおいしいのかさっぱりわかりませんでした…僕がもう7つくらい若ければいけましたが、完全に悪酔いする気がしたので小瓶一本でやめておきました。

そんなこんなでエーゲ海に面したホテルで移動疲れを起こしている我々は死ぬように寝るのでした。



ちなみにトロイ遺跡の売店近くは猫だらけです。

トルコにいった話2(日本人が嫌いになりそうな旅)

2013-08-12 20:18:19 | トルコ旅行2013
前回までのあらすじ

アブダビ空港でおもわぬ足止めを食らい、日本を飛びだってから約22時間、ようやくトルコ・イスタンブールに着いたのであった。


6月24日(月) トルコ イスタンブール アタチュルク空港

時間は現地時刻13:30。
椅子に座りすぎて椅子人間になるかと思った頃、アタチュルク空港に到着。
おかしいなぁ…これから観光とか死にたくなるぜ(何。



ここで両替をしますが、トルコで使える通貨は豊富です。基本通貨はトルコリラ(TL)。
ただEUの隣国ということもあり大体のところでユーロが使えます。
ホテルやしっかりしたレストランだと米ドルも使えます。
土産物屋だと日本円が使えたりします。なんだってありです。

話を聞くにトルコの通貨TLはインフラが激しいそうで、対策としてデノミを行ったそうな。
(ちなみにウィキペディア見ると1米ドルあたりのレートは1974年時13.85TLが2004年で150万TLに)
昔に比べて金持ちも増えたが貧乏も増えて貧富の格差が拡大と、絵にかいたような新興国らしい現状。

さらにFXとかやってる人間はそこらへんに詳しいと思いますが、トルコの政策金利が異常に高い。
2008年15%と阿呆みたいな金利でしたが、今でも5.5%あります。
ガイドさんも言ってましたが、トルコ人は貯金しまくるらしいですが彼らの素晴らしいところはTLで貯金をあまりせず外貨貯金をするらしいです。
ドルと円立てとかユーロと円立てとかするそうです…円は意外に人気らしいです。



さて我々は空港に着きようやく今回ツアーに参加するメンバーを把握します。総勢20余名。
年齢層は圧倒的にリタイア世代が8割を占め、20代が僕を含めた4人…添乗員さん1人とガイドさん1人。
多すぎ\(^o^)/そそくさとバスに乗り込み観光へ向かいます。





一番最初に向かうのは「トプカプ宮殿」。世界遺産です。中世から近代まで存在したオスマントルコの宮殿です。
なにか特筆すべきところがあるかというとこれといってないような気がしますが(何、今現在建物は博物館となっていてその周辺は公園として利用され、大学生たちがピクニックにきて寝転んでいます。
トルコ人はピクニック・BBQ好きです。公園という公園でBBQやったり、みんなで何かしら持ち寄って食べたり、大人数でなくてもカップルで公園の芝に寝そべっているのを多く見かけます。



…んで「トプカプ宮殿」ですが、一応当時の財宝というか宝飾品が多数展示されています。それで「じぇじぇじぇ」となるかはわかりませんが、一応驚くところだそうです。僕は…とにかく暑くてかなわなかったという印象です。



トルコの気温は暑いですね。
6月末の時点で30℃いかない程度の気温ですが、陽射しが痛いです。旅行前の情報(両親からの事前情報)では「カラッと暑い」と聞いていましたが、明らかに「ギラッと暑い」レベルでした(何。日陰にいいると涼しいですが、日にあたると暑く簡単に日焼けします。建物の中で風が吹かないとなかなかの不快感があります。そんな感じです。

写真はトプカプ宮殿からみたボスポラス海峡。向こうに見えるのがアジア側のイスタンブールです。



次に向かったのが「グランドバザール」でござーる(古いか。





「グランドバザール」とはいうもののこれは英語表記で、実際向こうに行くと通じないと本で読んだことがあります。
トルコ語で「カパルチャルシュ」(屋根付き市場)。15世紀から利用されている市場です。
(個人的には博多の地下街に似ているような気がすると勝手に思ってましたが)



何でも売ってるというのが建前ではありますが、多くは宝石店が占めていると思います。
もちろんおなじみの絨毯やランプとかお土産用の商品もたくさん扱っているお店があり、観光客でにぎわっています。



高級品あるところに日本人ありというわけでお店の人が日本語で話しかけてきます。
個人的な感想ですが彼らにそこまで悪意はないです。インドみたいな底知れぬ不気味さで近寄ってきて声かけてくるのとは違って(何、単純に陽気なのと(少し声をかけるだけで物を買ってくれる)日本人が好きなだけです。笑顔で無視しても「クソ!」みたな表情はあまりしない良心的なイメージでした。
ちなみにあんまり安いというイメージはなかったですね。ガイドさんもそういうニュアンスでした。



そのあとレストランに移動して夕飯。
写真はありません。海外行って料理の写真を撮る行為がすごくかっこ悪く思えてほとんど撮りませんのでご了承を。
僕の記憶だとほうれん草のスープとケバブを食べたと思います。

というより、このとき僕は重度のコミュ障ぶりを発揮していたため、初対面の人間と楽しく食事をするというのが馴染めず閉口してました。

何が楽しくてこんな人たちと食事しないといけないのかという疑問しかわかず、帽子を取らず食事するひとと一緒の席にいることも嫌で、それにいちいち食べ物にたかるハエを周りの人がはらうしぐさがうっとうしくてむしろイライラしてました。

『どうして食事をする時に帽子を取らないのか。ハエよりあんたらの手をパタパタさせる方が見ていてうっとうしいわ。』という言葉が頭の中でぐるぐる回り早く食事の時間が終わらないかと期待してしまう僕。

それに仲良くする気もないのに中途半端な調和を目指そうとして当たり障りのない言葉を交わす行為って馴染めない。
この会話によって目指す方向性がなくて、だから会話の主導権を誰も握ることなく会話に対する力をあえて25%くらいに抑えて続けるから内容がなさすぎるし、相槌が基本の、もう会話とはいえないけん制射撃の応酬…。

それ、時間の無駄じゃないですか?
それに主導権を持って話そうもんなら、めんどくさがってシカトするとかこいつら(ここに限らず多くの日本人は)性格悪すぎると思う。

初回の食事からこれを思い知ったコミュ障の僕はこの旅でずっと黙る方針へ舵を切るのでした…(現地のひとや現地ガイドとだけ話す)。

それになんだろうなぁ、嫌なんですよ。
東洋人の劣等感だと思いますが、東洋人がたくさん集まって食事している風景って「サルが飯食ってる」ようにしか見えなくて、まさに自分がそこにいいるのが分かっていち早く抜け出したい気持ちになります…。



僕をいやしてくれるのはイスタンブールの青い空だけです…。

それから大渋滞に巻き込まれながらも3時間かけてホテルへ行きました。ホテルに着いたのが夜の11時過ぎ。翌朝7時出発なのにこのざま\(^o^)/(宿泊先はKaya Ramada Hotel。調べてみるとトプカプ宮殿からでも1時間で着くところですね…)



僕は両親との3人部屋に泊まってましたが、当然のごとくアメニティは2つしかおいてなく、毎度毎度どのホテル行ってもフロントに電話をしないといけないパターンにはまる…。

ホテルはすげぇ綺麗です…写真はありませんが(食事の疲れと嫌気で写真撮るのを怠ってました)。
もれなく日本語は通じません。英語はどのボーイさんでも簡単な会話なら通じます、おそらく。
アメニティが足りないからもってこいと伝えたフロントも、それを届けに来たボーイも、そのボーイに「水ボトルが2本しかないから2本持ってこい」と伝えて、そのあと来た別のボーイも話せました。

そんなこんなで長い長いトルコ1日目は終わったのでした。

トルコにいった話1(遅延系中東式)

2013-08-09 20:12:26 | トルコ旅行2013
いよいよトルコにいった話を始めます。
まったり文章が続きますが時間があるようでしたらどうぞお読みください。



6月23日(日) 日本


今回はめずらしく完全お任せツアーに参加しているので出発前の準備とか何もしないで気楽でした。
ただすぐに気付くことですがこれがひとをダメにします…旅行プランも手配もなにもかも人任せだとすることがないということだけではなく、何も考えなくなってひとに対してずうずうしくなるというのが人間の性であります。

あれ、10日も行くのに荷物少ないなぁ…ああ、そうかパソコンも入ってないし、カメラもコンデジしか持っていかないし(OM-Dはお留守番)、服しか入ってないからか(素晴らしいことに旅行者の中でリュック一つで参加していたのは僕だけでした)。

なんでしょう…荷物から目を離すなというのが鉄則である海外旅行。
とくに個人で行く場合はなおさらなので荷物は最小限、帰りにお土産なんか買う余裕なんて最初から用意しないスタイルでこれまで旅行してきた人間と、人任せのツアーにしか参加したことない人間の差を思い知りました。


そんなこんなで両親とともに15時ごろ家を出て成田空港へ向かうのでした。
空港について旅行代理店のカウンターへ行き(今回利用したのは某H急交通社)イーチケットをもらう。
そしてチェックイン。今回利用するのはアラブ首長国連邦の国営航空会社・エディハド航空。
使ったことも聞いたこともなかったのでどんな感じなんだろう?と思っていたら、セルフチェックインできないこと以外は普通でした。

まずまぁ、トルコへの行き方ですがおそらく日本からだと2通りなんではないでしょうか。
直行便を利用するか、中東の国か韓国を経緯するかではないでしょうか。
あんまりヨーロッパから入るパターンはみなかったですねぇ。行けなくはないでしょうけど。



今回、僕が利用したツアーは、成田→アブダビ(アラブ首長国連邦)→イスタンブール(トルコ)のパターンでした。
当日のつぶやきを読み返してみるとアブダビまでおよそ10時間かかっていますね。アブダビからイスタンブールまでは4時間となっています。
成田を21時頃離陸して、アブダビに着いたのが翌24日午前3時半ごろです。



(飛行機内はこれとないぐらい寒く、8ヶ国語対応の客室乗務員なのに我々のブロックは英語オンリーときて、初っ端から英語がわからない両親…)



6月24日(月) アラブ首長国連邦アブダビ



だがしかし、やはり海外の飛行機は予定通り飛ばないものです。時間に正確な日本人にはイラッとくるところだと思います。
本来アブダビ空港での乗り換えに伴う待ち時間がもともと3時間の予定だったのに、イスタンブール行の飛行機の整備遅れ(アブダビ着いたときにゲートすら決まってなかった)で6時間待つといういい感じの滑り出し(笑。

アブダビ自体はすごい湿気でした。午前3時だというのに素敵な湿気で6月でこれなら夏はなかなかハッピーな気候なんだろうと思いました。
そのせいか空港内は異常に涼しいです。それとwifiは無料で使えます。
リクライニングベンチは大量にありますが席数は多くないです。使えるお金はディルハム(イスラム通貨)か米ドルです。



確か第1・第2ターミナルと第3ターミナルの間に荷物検査があります。行き来するには必ず通らないといけません。
添乗員さん曰く「アブダビ空港の搭乗案内はコロコロ変わったり、直前まで決まらないので注意して確認してないと間違える」といっていたのですがそれは間違いないです。皆、搭乗ゲートの案内が変わるとターミナルを移動します。ですので余裕ぶっこいて第1ターミナルにいすわってて第3ターミナルの搭乗締切に余裕なく移動すると間違いなく荷物検査で一線を越えると思います。ええ、かなり行列ができてますし、武将みたいに「我こそは、我こそは」状態で我先に順番を抜かします。自己主張が試されていて、これができないと乗り遅れます。アブダビ空港ご利用の際はご参考に。



さて6時間も待たされた我々は(この時点で親はぐったりしてます)、いよいよイスタンブールへ向かう時間に。時間はアブダビ現地時間の朝9時。



がしかし。
搭乗受付を始めたのに係員同士で揉めている。
どうやら奴らはやらかしたらしい…。
受け取った半券とスキャンで読み込んだ半券の数が合わないそうだ\(^o^)/
いちからまた半券をスキャンしだし、係員が互いに言い合う光景を目の当たりにしイスラムの洗礼を受ける…
アブダビは中東の風が吹き荒れてます。

ゲートの自動ドアを抜けると飛行機まで連れて行ってくれるバスに乗ります。

が。

行先表示が「Paris」と電光表示されていて面食らう。
運転手に話を聞いたら「イスタンブール行だから大丈夫だ」という…そのあとも何人もの旅行者が同じ質問をしていたにも関わらず表示を変える気はないようだ…。

そのあと無事飛行機に乗り一気にイスタンブールのアタチュルク空港へ(4時間)。


トルコへいった話(プロローグ)

2013-08-08 19:01:21 | トルコ旅行2013
そろそろトルコにいってきた話をまとめておこうと思う。
僕の記憶の中でもかなりあいまいになってきている部分も多いので…
といっても、きっと長期にわたって書くことになるのでその間にまたどんどん忘れていくんだろうけども。



さて。まずはトルコに何しにいったか。どうしていったか。

いろいろ話すと長くなりますが簡潔に言うとまず旅行の目的は親孝行にありました。
自ら親孝行と口にしてしまうあたり親不孝な気がしないでもないですが、会社を辞めてまずやっておくことに「両親と旅行に行く」というのがあったわけです。
次の仕事を何にするかとか、これからどうするかを問わずして、今のうちしかできないことをやっておこうというのにそれが該当したというだけなのですが、両親が海外にも行ったことないというのでこの機会に連れて行こうと思いたった、そういうことです。

次になぜトルコか。
実際旅行に行った期間の前後の日程の関係で互いに行きたいと思える場所が「トルコ」しかなかったから。
最初はシンガポールとかイタリアとか色々案があったのですが日程的にトルコになりました。
僕自身トルコには以前から行ってみたいと思っていたのでちょうどよかったです。

行ってきた感想としては「また行きたい」と思ったけども、行くならもう個人的にいくに限る!と強く思った次第です…。
なぜかはまたおいおい後日の更新で述べていきます。

トルコは第一言語がトルコ語。第二言語はおそらくドイツ語なんではないかと思われる…個人的な見解ですが。
イスラム圏だけどもアラビア系の言葉を使っているのにはあまり遭遇しませんでした。
おそらくトルコの東、イラン方面に近づけば近づくだけ多くなるとは思いますが、イスタンブールやイズミールあたりではドイツ語の方が多いように感じます。
もともとたくさんのトルコ人がドイツに出稼ぎへ行っていた背景も大きいと思いますが、エーゲ海にバカンスにくるのが実際ドイツ人が多いんではないかと思います。
それと観光地に限っては英語なんかより日本語の方が通じます。海外観光地における日本語では彼らが一番上手に話すと思います。
インドのガンジス川みたいに「そこのイケメん、こっち向けよぉ!」とか言ってこないです(何。
英語は…ホテルとレストランぐらいでしか使わなかったなぁ。
言葉に不安のある日本人でもきっと安心していけるおすすめの国であります。

さて次回からいよいよ実際いった話をします(次回がいつかはわかりませんが)。