俺もお前も人生の敗北者

とりあえず否定から入るネガティブ思考で常にB級嗜好なATOPのブログ

京都にいった話5(業平塩釜ラブレター)

2013-08-04 20:44:16 | 国内旅行
6月4日(火)

京都最終日。
当初3日に帰る予定だったのにずるずると連泊してしまいました。
だいたい京都の大寺は閉まるのが早いんですよ…。

この日は歩くと決めていたので(前日も鞍馬・貴船と小野を歩き倒しているわけですが)、
朝から覚悟を決めて朝9時ごろチェックアウトしました。
チェックアウトもしているので荷物も全部持って昨日より厳しい状況。

いま天気予報を振り返ってみると梅雨入り前だったというのに、この日の京都の最高気温は32℃までいっていたみたいです。

この日は京都の南西側、長岡のあたりを攻めることにしていました。
攻めるといっても攻めるだけの観光地があるわけではないのが問題で、歴史の中でも長岡京なんてほとんど出てこないし、正直「京都と大阪の通過地点」というイメージしかないですね。
そういう理由もあってか(!?)本日向かう寺社仏閣は交通の便は最悪です…。

まずは四条大宮から電車・嵐電に乗って「西院駅」までいき、そのあと阪急に乗り換え「長岡天神駅」で下車。
名前の通り、長岡天神に向かって歩き出します…この時、10時前だったですが駅降りた途端すごーく暑かったことを覚えています。
『なんでこんなところきてるんだろう』という思いしかありませんでした(汗。

なんで長岡天神・長岡天満宮か。

そもそもこの旅の目的は百人一首の歌人ゆかりの地を訪ねるということでしたので、「菅原道真」を祀っている天神様にいくことも百人一首に選ばれている彼を偲んでというのもありますが、ここ長岡の地が「菅原道真」と「在原業平」がともに歌を詠み楽器を奏でた地だというので訪ねてみました。



駅からまっすぐ歩いてくると大きな池が見えてきます。実に何も面白くない(何。本当にただの池です。
ここから池を渡り参道を少し歩いて階段を上がると御社にたどり着きます。



当日は幼稚園の遠足会場になっていました…30Lの登山リュック背負ってる無職は僕だけだったと思います。
とくに歌人の彼らがここでなにかやって、それが形として残っているわけではありませんが、イケメンと天才の共演というのは当時かなり華があったのだろうと思います。何の名残も残っていないわけですが、大宰府に飛ばされる前に菅原道真が詠んだ歌の石碑が1つ置いてありました(別にここで詠んだわけではないのだろうが)。



さくら花ぬしをわすれぬものならば吹き来む風に言伝てはせよ

(桜の花よ、主人を忘れないならば、配所まで吹いて来る風に言伝をしてくれよ)

歌としては「こちふかば」の方が圧倒的に有名ではありますが、どちらも春の花に訴えかけているのがじーんときますね。

長年過ごした京都を去る。そこで一生懸命仕事をしてきたのに、ひとの策謀によって去らないといけない。ひとに裏切られ自分の築いてきた実績や人間関係、それらもろもろの財産を失くし旅立つ。悔しかっただろうし寂しかっただろう。そんな気持ちを花に思いを寄せて詠む…うーん。

まぁそこまでナイーブにとらえるのではなくて強気に解釈すれば、私が遠くに行ってしまっても私が育てたひとや制度は私がやろうとした正義なり方向性を忘れてくれるな、とも思えますが。

さて。
次に向かうのが「十輪寺」。通称「業平寺」とも呼ばれていて在原業平終焉の地といわれてます。実際にお墓もあります。もちろん他の歌人と同じく彼の終焉の地はいくつかあります。

ここはさすがに観光マップに載っておらず、オフィシャルホームページもない(オフィシャルブログはあります)。
どうやらバスで行くらしいですが、なにせ土地勘もなければバスも来ねぇ…そうしたらタクシーしかありません。

長岡天神駅まで戻り、タクシー乗り場で「十輪寺までお願いします」といったら一発で伝わりました。途中、山道を走って、だいたい15分くらいすると到着しました。

その運ちゃんが「そこの茂みのとこ上がっていくとお寺ね」といわれ見てみると


※これは茂みを上がってきたところから下を見た写真

おいおい、寺なんか見えないですよ…と思い、タクシーを降りました。
でも茂みに入ってみるとすぐ先に門らしきものが見えました。血気盛んに登っていくとこじんまりとした門がたっていました。



門をくぐって受付へ…誰もいない。「ベルを鳴らしてください」とあるので鳴らしてみる…誰も来ない。『ああ、ついにへんなところに迷い込んだか』と思って、重いリュックをおろし定期的にベルを鳴らしていて5分以上たったころ庭の方から話し声が聞こえる。

『建物内に誰もおらんのかい!』

「すいませーん!拝観したいんですが!」と叫ぶ僕。庭の手入れをしていたお手伝いさんと思しき老婆が僕に気付き「今そちらに行きます」と誰かを呼びに行ってくれました。

ちょっとしたら建物内から歩く音が。受付に現れる別の老婆。なにごともなかったように拝観料をやり取りし、再び奥へ姿を消したと思ったらお堂内の電気をわざわざ僕のためだけにつけてくれたみたいでした。どうやら本日初めての拝観者が僕のようでした…。



庭は手入れが行き届いている…行き届いてはいるけどもなんていうか時が止まっているようでものすごく生命力を感じさせるお庭でした。この庭を通ってうら山を登っていくと業平のお墓があります。



すごいなぁ。行く先々で有名歌人のお墓を見てきたものの、大きいお墓なんてない。ああ、素敵じゃないですか。あんなに平安時代を第一線で謳歌してきた人間が晩年こじんまりと過ごし、誰も知られずに消えていく。それで1000年の時が経ち、歌だけが残る。何とも言えぬカッコよさ。

お墓の近くに塩釜があります。晩年の業平がここで塩釜たいて塩つくっていたそうです。わざわざこんな山奥に海水持ってきて炊くとかすごい難儀ではないかという気が…。





さてそのあと山をもう一度降りて本堂を見学して、このお寺の売りである中庭へ。



いいですか、次の写真の説明が大事です。これを読む・読まないではこの庭の味わい方が変わります。



この庭は2方を部屋(茶室と業平御殿)で、1方を廊下、あと1方を壁に囲まれた庭になっています。江戸時代、お金のなかった公家たちがこの庭を造るにあたって、いる場所によって見え方が変わるようにちょっとした喫煙所よりも小さい敷地に庭園を造ったんです。

まず廊下から庭を見下ろすと



これが天井から下界を見下ろしたような気分で見られるそうです…。

それで業平御殿の縁側からみた庭がこちら。



どうです?大宇宙を感じましたか?(何

これ、さっきの写真の解説にあった通り実際に縁側に横たわることができます。受付のおねーさんが「どうぞ横になってかまいませんので」といってました。いやぁいいですよ。誰も来ない。この日に限ってはお寺のひとすらまともにいない。お堂を通って庭を堂々と横断して野良猫以外はなにもいない、静かな庭。日本に生まれてよかった思える瞬間です。

さて、在原業平といえば百人一首でもかなり有名な

千早(ちはや)ぶる 神代(かみよ)もきかず 龍田川(たつたがは) からくれなゐに 水くくるとは

(さまざまな不思議なことが起こっていたという神代の昔でさえも、こんなことは聞いたことがない。龍田川が(一面に紅葉が浮いて)真っ赤な紅色に、水をしぼり染めにしているとは)

この歌ですね。二条の后・藤原高子(たかいこ)の前で、そこに飾ってあった屏風に描かれていた絵を見て歌ったといわれていますね。

さきほどの塩釜のところでもありましたが、在原業平は藤原高子を誘拐する(もしくは駆け落ちともいいますが)ぐらいの仲でしたから、それ相応の思いもあっての歌だったんでしょう。

それに加え、この「十輪寺」のあとに向かう予定の「大原野神社」は藤原家の神社であり、この藤原高子が行幸するたびに塩を炊きまくってた業平のかまってちゃんぶり一途な思いがまた何とも言えぬ…。

そんな業平が高子が大原野神社に行幸する際に詠んだ歌

大原や小塩の山もけふこそは 神世のことも思出づらめ

(大原野において、この小塩山のふもとにある氏神様も、藤原氏出身の東宮の母の御息所が参拝になった今日のこの日には神代のことも思いだしているでしょう)

と一般的に通っていますが、多くの方が解釈されている通りこれは業平が高子を思って詠んだ歌とされてます。

大原野において、この小塩山(十輪寺付近)にいる私も、あなたが参拝された今日、昔のことを思い出しているでしょうという話ですな。いや筋金入りですね(何。

というわけで「十輪寺」をあとにし、「大原野神社」へ向かいます。通常は車などを用いて移動する距離らしいですが、当然そんなものがない僕は歩きます…山道(アップダウンはありますが幸い県道で舗装されてます)を2.5km30分です。当然ですが誰ともすれ違いませんでした。



さすがですね。ここも最寄駅から俄然距離があるためほとんど人がいません。こんな立派な神社なのに。



大伴家持(奈良時代の歌人)が詠んだ瀬和井(せがい)





まぁここはこんな感じですね。特筆すべきところはほかにありません。この神社と次に向かう「勝持寺(花の寺)」は脇道でつながっています。



この脇道(大原野神社からいくとずっと登り)を歩くこと10分。「勝持寺(花の寺)」に着きます。



「勝持寺(花の寺)」は西行が出家したお寺です。桜の名所としてかなり知られているそうです(僕は知りませんでした)。ここが今回の旅の最後の目的地で、やはり行きつく先は西行です(何。



ここの見所は「西行桜」。西行が植えたとされている桜です。西行が植えて何百年経ってるか知りませんが、これが西行桜です。



桜の寿命は…応仁の乱で燃えて…とか聞かないでください。これが西行桜なんです。春に来るとかなり綺麗みたいですね。

もちろんのこと西行の歌も百人一首に選ばれています。百人一首選者の藤原定家の生みの親が西行といっていかもしれませんから、当然といえば当然ですね。

なげけとて 月やはものを 思はする かこち顔なる わが涙かな

(嘆きなさい、といって月はわたしにもの思いをさせるのだろうか。いやそうではないのです。わかっているのに、月のせいにしてしまうわたしの涙ですよ)



こうして僕の京都の旅は終えりを迎えたわけです…
当然このお寺から帰る手段もほとんどないわけですがバス停までかなり歩き(20分は歩いたと思う…)バス→電車→京都駅までいって、新幹線に乗って帰宅しました。

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