さて、前回の続き。
小町の墓へいくことを決めた私でしたが、急に行くことを決めたものだからそもそもどのあたりにあるのか調べてもいませんでした(汗。
大洗水族館でマンボウを見ながら場所を調べたら、土浦にあるというのを知って『思っていたより近い!』と思いました。
時刻はおよそ14:00。
水族館にいるリア充ポジションの方々に肩身の狭い思いをしていた私は「チンアナゴ」を足早に見学し、車のアクセルを強く踏み込みました。
さきに目標としたのは「北向観音堂」。
2個あるうちの上のマーカーが北向観音堂
住所を調べてみると…
「石岡市小野越」
ん、小野越よりもあとの住所もない。連絡先電話番号は…ない。
おー、これは探すのに苦労するパターンと悟りました。
とりあえず常磐道千代田石岡ICを降り、筑波山方面、もといフラワーパーク方面へ向かいます。
びっくりしました。
茨城ってこんな田舎だったなんて(何。
もうね、四国でうどん屋を探していたとき以上に『こんなところにひとが住んでいるなんて』と思わずにはいられませんでした…。
さて、国道138号線を進み、”辻”という交差点を曲がります。
すると道が一変。それまでののどかさに危険が織り交ざった、両脇田んぼ、ノーガードレール、狭い道、交互通行、すれ違い不可能な田舎特有の道に入ります。
少しするとカーナビから「目的地付近に着きました」というアナウンスが流れ、『おお、ここが小野越かぁ』なんて思ったんですけど、なにもない。看板もない。
ただただ田んぼ。
困りましたなぁ…なんて思っていたんですが、そこで立ち往生しているわけにもいかず農道に車を停め、第一村人のおやっさんに聞き込みをしました。
私「道を伺いたいのですが、北向観音堂はどちらにありますか」
村人「そこを降りっててねぇ、奥入ってくとあっからぁ。車では入っていけんから、そこらへん停めていくしかねぇ。看板あっから、そごから森ん中入ってくとあっから」
完全にテキトーな方言を打ち込んでいますが、ここが茨城県の県南地域とは思えない訛り具合でびっくりしました。
そしてどうみても森の中に観音堂があるとは思えませんでした…。
お礼を言って、言われた通り行ってみるとすごい小汚い趣のある看板が!
いや、これ、看板といえば看板だけども、看板の先なにもないのに「北向観音堂」って。
しかしまぁ、おやっさんの言葉を信じて進んでみると、その先に明らかに放置された手を加えずに昔のまま保存されている石碑や建物が!
完全に時間がとまっている。
この観光地として生かそうとしない、飾らない姿勢に心が震えます。
小町といえば化粧水である。というわけでここにも化粧水。
そうですよ、小町がどこで顔を洗おうとも、その洗った水がありがたいのです(汗。
さて、そのわきに「小町いぼ神様」という岩があります。
なんでも皮膚病を患っていた小野小町がここの観音様とこの岩にお祈りをささげたところたちどころに治ったそうです。
ありがたいお話ですねぇ。ええ。
さて、崩れそうな石段を登っていくと観音堂があります。
とくにこれといってなにかというわけではない観音堂です。
とりあえずお参りをします。
そもそも小野小町が立ち寄ったという由縁ではありますが、きっとこれが観光地として整備されていたら少しありがたみがないかもしれません。
ただでさえ、その怪しい伝承にすがるのも少し後ろめたいものがあるのに、整備されてでもしたらありがたみなんか…。
京都の小町寺もそうでしたが、誰も知らない、誰も来ない、ひっそりとしていつか消えてなくってしまうであろう伝説が静かに息吹いていることに魅力があるのかもしれません。
あとで知りましたが、この観音堂のわき道を上がっていくと腰掛石があったり、少し離れたところに硯石とか姿見の池あるのそうですが、まったくそんなものには気づきませんでした。
とにかくわからなさすぎ。きっと私も第一村人がいなかったらたどり着けなかったかもしれません(何。
皆さんもぜひ消えゆく伝説を見に、「北向観音堂」へ行ってみてください。
そして私はいよいよ「小野小町の墓」へ向かうのでした。
つづく。
小町の墓へいくことを決めた私でしたが、急に行くことを決めたものだからそもそもどのあたりにあるのか調べてもいませんでした(汗。
大洗水族館でマンボウを見ながら場所を調べたら、土浦にあるというのを知って『思っていたより近い!』と思いました。
時刻はおよそ14:00。
水族館にいるリア充ポジションの方々に肩身の狭い思いをしていた私は「チンアナゴ」を足早に見学し、車のアクセルを強く踏み込みました。
さきに目標としたのは「北向観音堂」。
2個あるうちの上のマーカーが北向観音堂
住所を調べてみると…
「石岡市小野越」
ん、小野越よりもあとの住所もない。連絡先電話番号は…ない。
おー、これは探すのに苦労するパターンと悟りました。
とりあえず常磐道千代田石岡ICを降り、筑波山方面、もといフラワーパーク方面へ向かいます。
びっくりしました。
茨城ってこんな田舎だったなんて(何。
もうね、四国でうどん屋を探していたとき以上に『こんなところにひとが住んでいるなんて』と思わずにはいられませんでした…。
さて、国道138号線を進み、”辻”という交差点を曲がります。
すると道が一変。それまでののどかさに危険が織り交ざった、両脇田んぼ、ノーガードレール、狭い道、交互通行、すれ違い不可能な田舎特有の道に入ります。
少しするとカーナビから「目的地付近に着きました」というアナウンスが流れ、『おお、ここが小野越かぁ』なんて思ったんですけど、なにもない。看板もない。
ただただ田んぼ。
困りましたなぁ…なんて思っていたんですが、そこで立ち往生しているわけにもいかず農道に車を停め、第一村人のおやっさんに聞き込みをしました。
私「道を伺いたいのですが、北向観音堂はどちらにありますか」
村人「そこを降りっててねぇ、奥入ってくとあっからぁ。車では入っていけんから、そこらへん停めていくしかねぇ。看板あっから、そごから森ん中入ってくとあっから」
完全にテキトーな方言を打ち込んでいますが、ここが茨城県の県南地域とは思えない訛り具合でびっくりしました。
そしてどうみても森の中に観音堂があるとは思えませんでした…。
お礼を言って、言われた通り行ってみると
いや、これ、看板といえば看板だけども、看板の先なにもないのに「北向観音堂」って。
しかしまぁ、おやっさんの言葉を信じて進んでみると、その先に
完全に時間がとまっている。
この観光地として生かそうとしない、飾らない姿勢に心が震えます。
小町といえば化粧水である。というわけでここにも化粧水。
そうですよ、小町がどこで顔を洗おうとも、その洗った水がありがたいのです(汗。
さて、そのわきに「小町いぼ神様」という岩があります。
なんでも皮膚病を患っていた小野小町がここの観音様とこの岩にお祈りをささげたところたちどころに治ったそうです。
ありがたいお話ですねぇ。ええ。
さて、崩れそうな石段を登っていくと観音堂があります。
とくにこれといってなにかというわけではない観音堂です。
とりあえずお参りをします。
そもそも小野小町が立ち寄ったという由縁ではありますが、きっとこれが観光地として整備されていたら少しありがたみがないかもしれません。
ただでさえ、その怪しい伝承にすがるのも少し後ろめたいものがあるのに、整備されてでもしたらありがたみなんか…。
京都の小町寺もそうでしたが、誰も知らない、誰も来ない、ひっそりとしていつか消えてなくってしまうであろう伝説が静かに息吹いていることに魅力があるのかもしれません。
あとで知りましたが、この観音堂のわき道を上がっていくと腰掛石があったり、少し離れたところに硯石とか姿見の池あるのそうですが、まったくそんなものには気づきませんでした。
とにかくわからなさすぎ。きっと私も第一村人がいなかったらたどり着けなかったかもしれません(何。
皆さんもぜひ消えゆく伝説を見に、「北向観音堂」へ行ってみてください。
そして私はいよいよ「小野小町の墓」へ向かうのでした。
つづく。
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