ベイエリア独身日本式サラリーマン生活

駐在で米国ベイエリアへやってきた独身日本式サラリーマンによる独身日本式サラリーマンのための日々の記録

ルイビル

2023-01-21 23:36:12 | 生活
ルイビルとは、米国ケンタッキー州の都市である。2022年はケンタッキー州ルイビルで年を越した。AIRBNBでダウンタウンの東側にとった宿はオールドフォレスタのバーボン醸造所のすぐ隣で、付近のバーは大晦日でもそこそこの賑わいを見せている。だが何だか気持ちが晴れにくい天候だ、雲が低くて重苦しい。南部の臭いがするディナーを食べようと、グーグルでMerle's Whiskey Kitchenという店を見つけて入ったが、メニューにあるのはハンバーガーなどばかりで不審に思った。仕方なくナチョスを摘まんでバーボンを1杯飲んだらすぐに店を出て、二軒目はもっと東へ歩いてDasha Barbour'sという店に入った。ここはしっかりとした南部料理で満足だがさっきのナチョスで胃が既に重い。どうやら一軒目は間違えて隣のバーに入ってしまったようだ。“2022年最後の失態” である。



二日目(元旦)の記録は以下の通りだ、参考にしてもらいたい。


①エジソンの家
元旦の朝のルイビルはオハイオ川方向からやってくる霧でもやがかかっていた。ダウンタウンを東方向へ離れ、野球場を越えると低層住宅や町工場が並ぶエリアになり、人影も少ない寂しい雰囲気がある。そこにポツンと小さなレンガ造りの家屋があって、植え込みに立つ小さな看板によれば、あの偉い人(そんなの常識)エジソンが二十歳前後の頃にこの宅の一室を借りていたのだという。まだ駆け出しの電信係の頃だ。家屋の中は小さなミュージアムになっているのだが、残念ながら元旦は閉まっていた。たったの2年しか住んでいないところがミュージアムになっては、さすがの エジソンも困惑ではないかと思いつつ、数枚写真を撮って後にした。



②ビッグ・フォー橋
次に訪ねたのが“ビッグ・フォー橋”だ。これはオハイオ川に架かる1895年に完成した旧鉄道橋で、現在は歩行者と自転車用に改造されて市民の憩いの施設になっている。エジソンの家からオハイオ川へ向かって北上すると、周囲は生コン工場や打ち捨てられたような空き地ばかりで、『本当に憩いの橋に着くのか』とやや不安になるが、高速道路のランプをくぐると立派な黒い鉄橋が見えてくる。橋の下を船舶が往来できるようにかなりの高さで作られた橋は、川岸で大きくらせんを描く新たな橋と接続されて歩行者や自転車でアクセスができるようになっている。らせん部も併せてソリッドな黒い橋全体が曇り空を塗りつぶした様でやけに映えていて、なかなかの見ものである。元旦の“渡り初め”なのか、橋上には多くのツーリストやジョガー、散歩者が見える。筆者も渡ってみることにした。日が高くなるとオハイオ川の靄は消え失せ、川面が見える。緩やかな流れに土砂を載せた工業用いかだが曳かれて下っていく景色もなかなか壮観で、気持ちがいい。この橋を渡りきるとインディアナ州ということだったので、筆者は頑張って10分ほど歩いて州をまたいだのだった。年明けのどんちゃん騒ぎの後だろうか、橋の真ん中には酒瓶やクラッカーの屑などで散らかっていた。何故“ビッグ・フォー”なのかは橋を渡りつつ考えたが判明せず、ウィキぺディアを見ればもともとの鉄道橋時代の鉄道会社の名前が由来のようだ。森田、北野、明石家、あともう一人のビッグ・フォーは全く関係ない。



ビッグ・フォー橋からリバーサイドを歩いてダウンタウンへ戻ると、割とモダンなアパートが並んでいて都会の雰囲気がある。その後も南へ下ってオールドルイビルの雰囲気を味わったり、ダウンタウンのメインストリートを歩いたりして、それなりに楽しかったのだが始終気持ちが晴れやかにならなかったのは、年末年始で開いてる施設が多くなかったこと、とにかくあまりグルメ運に恵まれなかったこともあるが、大きくは重苦しい天気のせいだったと思われる。帰りの便では空港のKFCで朝食をとった。いろいろありますが、今年も自分と近しい人が健康でありますようにと、ベンチに腰掛けるサンダース氏に願をかけておいた。

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