ベイエリア独身日本式サラリーマン生活

駐在で米国ベイエリアへやってきた独身日本式サラリーマンによる独身日本式サラリーマンのための日々の記録

ペリー公園

2023-12-09 13:16:04 | 生活
ペリー公園とは、神奈川県横須賀市にある公園である。“浦賀と言えばペリー”のはずが、浦賀散歩では歯医者以外に偉大なペリー提督の名残を感じることができず、筆者はやや消化不良となった。そこで叶西神社前バス停から京急久里浜方面行のバスに乗り込んだ、目的地はペリー公園である。京急久里浜駅へは丘をひとつ越え、尻こすり坂通りというへんてこな名前の通りを曲がるとすぐに着く。京急久里浜の駅周辺は商店街がけっこう賑やかで、バスターミナルも大きく、思いのほか栄えている。東京近辺に住んでいた20代独身(一時的に既婚)日本式サラリーマンだった頃は、こんな散歩をする余裕が心にも体にもまるでなかったことが思い起こされた。


この散歩の記録は以下の通りだ、参考にするといい。



①ペリー公園行のバス
調べればペリー公園は京急久里浜駅から歩いていくにはやや距離がある。そこでバスターミナルをウロウロするも、京急久里浜駅からペリー公園行きのバスはない。どうやら東京湾フェリー乗り場方面行きのバスに乗り、“大浜”というバス停で降りるようだ。そう、この町からは東京湾を横断して千葉県富津市へ向かうフェリーが出ているのだそうだ。『それにしても“ペリー公園前”というバス停があってもよかろうに・・』と筆者はやや不安になる。大浜バス停には5分ほどの乗車で着いた。そこは大きなホームセンターの前であり、ペリー公園へはそこから海岸通りを5分ほど歩くことになる。久里浜海岸の砂浜と南国風の樹木が見え始めるころに、左手にペリー公園が現れる。




②ペリー公園
ペリー公園は一見したところだだっ広い広場であり、中央に大きな石碑がある。大きな石碑には“北米合衆国水師提督伯理上陸記念碑”と掘られている。“伯理”とはペリーのことだ。説明書きによれば、この碑文は伊藤博文公の書であり、何でも明治時代に浦賀を訪ねた当時の黒船船乗組員のビアズリー氏が、この地にペリー来訪を記するものが何もないと嘆いたことに端を発し、米友会の当時の会長の金子堅太郎らの働きかけで記念碑建立が発案、超突貫で石碑が造られ、建立に日には盛大なセレモニーが催されたのだという。そして太平洋戦争の時期には横須賀の愛国者たちにより引き倒されたり、戦後にまた立て直されたりと、説明看板には当時の様子が伺い知れる歴史エピソードが書かれている。



③ペリー公園
記念石碑の他にも広場にはセレモニーの際に植樹された松の木や、有名な蒸気船の川柳の石碑などもあるが、それだけである。公園のすみっこにはベンチ並んでいる。そのベンチにはたいてい地元の漁師の人なのか知らないが、北米に駐在していると長らく見ないタイプの近寄りがたい日本人男性が腰をかけてじっと煙草を吸っているので少し怖い。そして公園の奥には“ペリー記念館”があり、何と入館無料である。ここは大変興味深い施設なので、『来てよかった』と思える。ただ、係員と思しき人はずっと背中を向けたままで筆者に全く関心を示さなかった。この日にたまたま嫌なことでもあったのだと信じたい。




雑色駅前のリベルテでの朝食からずっと何も食べておらず、流石に空腹を感じたので公園の少し先にある海岸通り沿いの“黒船食堂”というお店の扉をあけると、テーブルはほぼ地元の漁師の人なのか知らないが、北米に駐在していると長らく見ないタイプの近寄りがたい日本人男性に占拠されており、怖くなってそっと扉を閉じ、通りを戻って“50番”という中華料理屋でスーラータン麺と餡かけ餃子をいただきました。タモリや鶴瓶の写真も貼ってあるなかなか楽しい中華屋でした。そして久里浜駅に戻り、商店街にある小さな感じのいい洋服屋で久々にまともな服を購入した筆者は浦賀日帰り旅行にたいへん満足して京急で東京へ戻ったのだった。晴れた日には浦賀を思い出すだろう、そう思うほどに気持ちのいい晴れの一日だった。

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