二ン・ジォムのど飴とは、筆者がフィリピン系スーパーで手に入れているのど飴のことである。2024年のサンフランシスコ周辺の春は、筆者のアレルギー性鼻炎の症状を酷く悪化させていた。水のような鼻水が延々と出続けたかと思えば、今度は鼻の奥に栓でもしたかのように全く鼻呼吸ができなくなる。困ったものだ。コロナ禍のおかげでマスク着用が普及したとはいえ、仕事場でマスクを着用すると米国人らにはやはり不審がられる。それにドラッグストアの、アメリカン・ストロングスタイルのアレルギー薬を常用する気にはあまりなれない。対策が求められた。そして偶々見つけたこの二ン・ジォムのど飴を舐めていると、少し調子がよいし、美味であったためここで報告する。一方世間では、吉村作治先生が81歳にしてエジプトへ発掘調査に出向かれたというニュースが流れ、人々に勇気を与えている。
こののど飴の概要は以下のとおりだ。参考にしてもらいたい。
①二ン・ジォムのど飴との出会い
二ン・ジォムのど飴との初めての出会いは、オールド・パシフィック・スーパー(エルカミ沿いのパシフィック・スーパーのことを呼ぶ)のレジコーナーだ。隣のレジとを仕切る背の低い壁の上に、手のひらサイズの可愛らしい円形のブリキ風の缶が並んでいた。浅田飴と同じブリキの缶だったので、すぐにそれがのど飴的なものだと思い、手に取ったのだ。缶の図柄の可愛らしさに安心感があり、“レモングラス味”“しっかりと味の種類が書かれていたので、不安なく購入に至る。
②二ン・ジォムのど飴
二ン・ジォムのど飴のケースの蓋の図柄は浅田飴よりもずいぶん細かい。商品名の“NIN JIOM”の文字の下には小さな円形の紋様があって、その縁の中にはさらに小さな絵が描かれているのが目につく。それは清朝時代を思わせる容姿の男性が、お盆に載せたお茶のようなものを老婆に渡そうとしている絵である。老婆の首が長いように見えるのは、喉を痛めて何かを巻いているためであろう。その円形の下には赤い四角いラベルが続き、そこには“京都念慈菴草本潤喉糖”と、理想形の明朝体でしっかりと書かれている。この京都念慈菴というのが、二ン・ジォムのど飴の製造会社で、香港に本社がある製薬会社のことのようだ。“念慈菴”の英文字表記が“NIN JIOM”ということだ。さらに商品名の“NIN JIOM”の上には水色の細いラベルに白抜きで、“CAP IBU DAN ANAK”と意味不明の文字が並ぶ。これはマレー語の商品名ということなので、浅田飴に比べて随分とワールドワイドな商品のようだ。
③二ン・ジォムのど飴
京都念慈菴には立派なウェブサイトが存在したので訪ねてみた。会社の主力商品はこののど飴ではなく咳や喉の痛みに聞く漢方薬品のようである。会社の設立は1946年と比較的新しいが、その商品の由来は二ン・ジォムのど飴の蓋に描かれた絵のごとく清朝時代に遡るのだそうだ。これが割と薬草の香りが豊か、かつ美味であるため仕事中によく舐めたのだ。ほのかな薄荷が心地よく、鼻呼吸が楽になる。特にレモングラス味は、同僚のメキシコ人やアメリア人にもなかなかに評判で、味も世界標準だといえる。口臭が気になる30代独身日本式サラリーマンにもお勧めだ。
さて、二ン・ジォムのど飴の主成分は桔梗の根のエキスや甘草(かんぞう)の根のエキス、それに枇杷の葉のエキスなどのようで、これらは古来から咳や痰に効果がある漢方とされている(らしい)ので、薬用としてもそこそこ信頼してもよい。ちなみに浅田飴にも同様の成分が含まれる。浅田飴株式会社のホームページへ行けば、浅田飴はこの京都念慈菴などよりもずっと歴史は古く、起源は江戸時代の漢方医師の浅田宗伯という人のようだ(現在の長野県松本市の出身)。もしかしたら二ン・ジォムのブリキ缶デザインは、浅田飴のパクリかもしれない。二ン・ジォムのおかげで浅田飴にも詳しくなった。
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