ベイエリア独身日本式サラリーマン生活

駐在で米国ベイエリアへやってきた独身日本式サラリーマンによる独身日本式サラリーマンのための日々の記録

エダ豆

2024-09-28 13:30:01 | 食材

エダ豆とは、成熟前の大豆のことである。さやに入った状態のまま塩ゆでにするとたいへん美味とされ、とくに夏の暑い盛りのビールのつまみとして関係各所から認められている存在である。やや毛羽だったさやを指で押せば“ポロリ!”と剥き出る小指の爪サイズの豆は、当に“人間に食べられるためのマメ”と勘違いさせるほどの具合の良さがある。今回は北米におけるエダ豆事情をここで紹介したい。そう、食材企画である。2024年も早くも秋が近づき、日本では“ポスト・岸田”を決める自民党総裁選が佳境を迎えている。

 

 

この食材の特長が以下のとおりだ。参考にしてもらいたいな。

 

 

 

①EDANAME

実は北米では、エダ豆は日本食の定番メニューとして広く認知されている。だから日本料理屋へ入れば必ずエダ豆がある。スパイシー好きな中南米の人々のために、茹でたエダ豆をニンニクと唐辛子で和えた、“スパイシー・ガーリック・エダマメ”なるお下品なメニューを見ることも少なくない。そしてなんとエダ豆は、 英語でも“EDANAME”と呼ばれる。日本語がそのまま英語になっている珍しい単語のひとつなのだ。

 

 

 

②大豆の歴史

しかしエダ豆は、“SUSHI” や “WASABI” や “TSUNAMI”、そして“Karoshi”ほどには、日本を代表している単語とは言い難い。と、不可思議に思い、大豆について調べてみた。ウィキペディア氏の出番である。我々ニッポン人にとっては醤油・味噌・おから・豆腐・豆乳・湯葉・鬼退治などと、非常に汎用性が高く、国を代表する食材(武器)といっても過言でない大豆であるが、それは永らく東アジアのみの食い物であり、世界に広まったのは20世紀初頭のことだという。広まった当時も食材というよりは肥料や飼料目的の傾向が強く、おおよそ“ニンゲン”の食べ物とは認知されなかったようだ。エダ豆が今、北米でEDANANEなのは、そういった背景があるようだ。ちなみに戒律によって食肉の扱いに慎重なイスラム教徒などに、大豆は昨今人気の食材となっているそうだ。

 

 

 

③冷凍枝豆

とはいえエダ豆は日本料理屋以外ではあまり目にしない。北米のスーパー・マーケットの生鮮食品コーナーでエダ豆を見ることはなく、主に冷凍食品として袋詰めにされて売られているのが現状だ。筆者は冷凍食品に頼らない独身日本式サラリーマン生活を送っているため、駐在生活10年を過ぎたというのに、エセ日本料理屋でしかedamameを食べたことがなかったのである。それが、2024年8月のアラスカ旅行のおりに立ち寄った“ニュー・サガヤ”でたまたま見つけて買い求め、気に入ったのだ。出会いは常に無限に広がっているのに、常にその多くを自分で閉ざしている。

 

 

日系や東洋系スーパーの冷凍コーナーには様々なメーカーのエダ豆がある。それを買い求る。雪平鍋で湯を沸かし、沸騰したところへ放り込む。冷めた湯が再度沸騰しかけたときに素早くザルに上げる。塩で揉んだり氷水で冷やしたりといった上等な真似はせずとも、それだけで美味い。日本人は“エダ豆は美味い”という遺伝子を持っているのではないだろうか・・・と思うほどに、何も味付けせずとも幸福を感じ、ビイルや日本酒をおかわりしてしまう。そのとき筆者は、“理性などは、所詮妄想なのではないか”とふと思うのだ。ニンゲンがヨクボーを抑えて生活しているのは、リセーの存在ではなく、それもホンノー(生存のための知恵)なのではないかと思うのだった。


インテル(榊渉)のせいで人生が決まったこと

2024-09-19 13:02:13 | 生活

インテル(榊渉)のせいで人生が決まったこと

 

 

インテル(榊渉)のせいで人生が決まったこととは、筆者と同じ予備校の寮生の、“インテル(榊渉)”という男のせいで、筆者の進路が決まった事件のことをいう。そう、またもや予備校の思い出シリーズだ。それだけ浪人生活が、筆者にとって濃厚な時間だったということだろうか、それとも生活があまりに残酷で不毛だった所為で、些細なことを鮮明に記憶しているだけだろうか。2024年の9月、AIバブルでエヌビディアなどのテック企業の株価が上昇を続ける中、奇しくも業界の老舗であるインテルが“業績不振でダウ平均から除外”というニュースが舞い込んだのも、何かの因縁かも知れない。

 

 

彼との思い出は以下のとおりだ。参考にしてもらいたいんてる。

 

 

 

①インテル(榊渉)

インテルとはあだ名であって、彼の本名は榊渉という。大学に落第し、そして突然に同じ建物で生活することになった寮生たちは、主に食堂などでグルーピングを始める。その過程において、“あだ名をつける”というメンタル・スキンシップ行為が行われた。とはいえよく知らない相手である。外見や方言などであだ名をつけることには差し障りがある。そのため当時流行っていた“欧州サッカー選手の名前をあだ名にする”という大変に当り障りのない手法が取られたのである。今思えばやや恥ずかしいが、“サラスくん”や、“ガブちゃん”などと、当時の有名どころの選手の名が次々と各寮生に当てはめられていった。そして榊渉には“インテル”があてがわれたのだが、なぜ彼だけが選手名でなくチーム名をあだ名にされたのかは記憶がない。この“名づけ行為”はグルーピングのためのコミュニケーション手段に過ぎなかったため、グルーピング期が終われば多くのあだ名は立ち消えになっていったのだが、インテル(榊渉)だけがずっと“インテル”と呼ばれていたのも、今思えば興味深い。

 

 

 

②インテル(榊渉)

インテル(榊渉)は栗尾和尚(栗尾和尚の回参照のこと)と同じ三階に住んでいた。当時のインテル(榊渉)の言動には不思議な説得力があった。インテル(榊渉)は二浪だが、高校時代からの彼女が、彼の合格をずっと待っているのだとサラリと言う。そして童貞ではないことを、自慢するでもなく当たり前のように語る。童貞の筆者らに対しては、『お前らも大学に入れば、絶対“フィーバー”するって!』と、さらりと標準語で励ましてくれるものだから、そのねずみ男のような風貌にも関わらず、なんとなく納得させられてしまうのであった。たいていはねずみ男風のフード付きのトレーナーを被り、ジャージにメガネ姿の比較的ダサ目な恰好でいたのだが、不思議な格好良さを持っていた。

 

 

 

 

③インテル(榊渉)

彼はスポーツ医学の道を目指しているのだと言う。サッカー選手を目指していたものの、ケガであきらめざるを得なくなった。だが、サッカーに関わる仕事をしていたいから、スポーツ医学の道へ進むことにしたのだ、と語る。“よ、よくある安いエピソードだな・・”と思わせない不思議な魔力が、彼の態度にはあった。一方当時の筆者は進路が決まらず、何だかモヤモヤしていた。それを彼に話すと、“お前、それはダメだよ。絶対に目標がないと受からないって。目標決めるのが先だよ。”と、さらりと標準語でお説教をしてくれたのだ。 “え? でもこの人、二浪だよな・・”とは思わせない不思議な魔力が彼の言葉にはあり、なんとなく納得させられてしまうのであった。そして筆者は数日考えた末、目標大学の目標学部を決めた。

 

 

 

筆者はその目標先へ合格し、今もそれに強く関係する仕事をしている。つまりはっきり言って今の自分があるのは、ほぼインテル(榊渉)のおかげでなのである。一方インテル(榊渉)は、成績が(本人が)思うほど伸びず、スポーツ医学の道は早々に諦め、違う学部へと進んでいった。彼が今どこで何をしているのかはわからない。今思えば、ただのいい加減な男だったのかも知れない。きっと筆者の人生にこんなにも影響を与えたことなどすっかり忘れて生きているに違いない。でも人間関係とは、たいていそういう一方的なものなのかも知れない。因みに大学に入っても“フィーバー”することはなかった。ていうか“フィーバー”で何だよ。


パクチー

2024-09-16 12:50:37 | 食材

パクチーとは、主にタイなどの東南アジアの料理に用いられる香草である。そのカメムシのような香りから、日本では好き嫌いが分かれる食材代表の一角に入るであろう。しかしパクチーが好きであれば、北米では豊かな食生活が送れる。だからここで紹介したい。本ブログは、本来このような日常の些細な内容を題材にすることで、ベイエリア30代独身日本式サラリーマンの生活を支えることが目的だったのだが、ついつい筆者の自己顕示欲や承認欲求がポロリ(ポロリどころか剥きだしにも・・)することが多くなり、読み返すと恥ずかしいものが多い。だが誰も読んでいないブログを、あたかも誰かが読んでいるかのように思い、自分で読み返して“恥ずかしい”と感じることもまた何とも恥ずかしいのである。

 

 

この食材の特長は以下のとおりだ。参考にしてもらいちゃい。

 

 

①パクチーは英語ではシラントロ

タイトルをパクチーとしたものの、この言葉はタイ語なので米国では通じない。ベトナム料理屋などで『プリーズ・ドント・プット・“パクチー”』などと言っても、店員には怪訝な顔をされる。英語では“シラントロ”と言う名で呼ばれ、売られている。だが植物名は“コリアンダー”で、シラントロとはあくまでコリアンダーの“ハーブ”のことを言うのだそうだ。とかくネーミングに関して大雑把な印象のある米国(魚なら何でも“フィッシュ”だったり、鶏も鶏肉も“チキン”だったり・・)だが、パクチーのネーミングは日本よりも複雑で、こだわりを感じる。

 

 

 

②パクチーはとても一般的な野菜

筆者は、様々なスーパー・マーケットを徘徊することを週末の生業としているため、米国に住む人々の食文化に詳しい。パクチーは、セイフウェイやウォルマートといった一般的米国人用のスーパーでも、ホール・フーズやトレイダー・ジョーズといった富裕層向けのスーパーでも、インドスーパーでも韓国・中国・べトナム・フィリピンスーパーでも、ニジヤでも、はたまたムスリム系のスーパーでも売られている。つまりパクチーは、トマトやジャガイモ並みに一般的な食材なのだ。 

 

 

③だが、レシピはよく分らない。

とはいえ、筆者は孤独なエセ30代独身日本式サラリーマンであるからして、皆がパクチーをどのように利用しているのかまでは知ることができない。筆者はもっぱらざく切りにしてそのまま食べたり(ゆかりフリカケをほんの少しだけかけてもいい)、冷奴に添えたりする。そして時にはうどんやソーメンに入れたりして、エスニックな麺を楽しんだりもする。加熱調理がなくても十分に旨いパクチーは、エセ30代独身日本式サラリーマンの味方だ。そのうえ栄養もすこぶる高く、免疫力アップやデトックス効果、疲労回復効果もあるというのだから、嬉しい。

 

それにこの国ではパクチーは安い。1束が80セント程度で手に入り、それでざく切りサラダ4回分にはなる。温暖化が進む地球である。筆者は老後に日本で暮らすのであれば、パクチーを育てようと計画している。おおよそ雑草の類であろうから、適当な管理で育つのではないかという期待があるのだ。鶴岡八幡宮で、祭事のための流鏑馬のけいこ中の若者が落馬し、意識不明の重体なのだと言う。地球にいる限りニンゲンに安全な場所は永遠にない。流鏑馬中でもパクチーを食べている最中でも、死と隣り合わせだ。


ヤマヤ・シーフード

2024-09-16 01:46:35 | 食事

ヤマヤ・シーフードとは、アラスカ州アンカレッジにある日本料理レストランである。アラスカ旅行の4日目は、早朝にはアンカレッジから30分ほどで行けるチュガチ州立公園内のリトル・オマリー山に登ってみた。氷河が山を大きく削り取ってできた谷間は広くて平たい。雪はゆっくりと解けてその平たい谷へ集まるので、川の流れには穏やかさがある。緑もとても豊かで、アラスカの冬の厳しさが想像できない。その谷を横切って始まる登山道はやや単調だが、眼下にトナカイやクマが見えないか探しながら登れば楽しい。そして尾根に到達すると、逆側の谷にも素晴らしい景色が広がっている。尾根に残る8月の残雪に触れて、筆者は引き返した。

 

 

この旅の記録(のつづき)は以下のとおりだ。参考にしもらいたい。

 

 

①デナリの山を拝みに行く。

登山を終えてもまだ朝の10時であったので、思い切って北へ向かってみることにした。アンカレッジから2~3時間走ればデナリ国立公園付近までは行けるだろう。そしてマッキンリーを遠目に拝んで戻っても、夕飯時には十分間に合うという計算だ。レンタカーを走らせた。1号線から3号線へ分岐すれば、すぐに針葉樹ばかりの景色になって、人が住む形跡があるのは材木業者や除雪関連資材のヤードと、ポツポツと土産物屋やキャンプサイトがあるばかりになる。 “マッキンリーは見えないものか”と遠くを見るが、生憎の曇り空で、なかなか見つからない。

 

 

 

②マウンテン・マッキンリー・プリンセス・ワイルドネス・ロッジ

当てのないドライブに疲労を感じ始めたその時、前を走る大きな観光バスが突然右折した。その通りの名が“マッキンリーロード”だったので、筆者もすかさずハンドルを切り尾行すると、ほどなく“マウンテン・マッキンリー・プリンセス・ワイルドネス・ロッジ”という、ブルジョア臭の強い大型リゾートへ到着した。リゾート・ファッションの白人老夫婦がワラワラ涌いている。拍子抜けしたものの、場違いなアジア人エセ30代独身日本式サラリーマンは、いそいそとロビーへ入ってみる。その奥には大きく開けた展望ロッジがあって、リゾート・ファッションの白人老夫婦がウヨウヨ涌いている。場違いなアジア人エセ30代独身日本式サラリーマンは、いそいそとテラスへ出てみたが、残念ながら山々は雲に隠れていた。筆者はこの地をゴールとし、引き返すことにした。ヤマヤ・シーフードの開店時間に間に合うようにアンカレッジへ戻らねばならない。

 

 

 

③ヤマヤ・シーフードに到着する。

往復5時間を超えるドライブでアンカレッジへ戻ったときは、さすがの筆者も疲労困憊だったが、何とかヤマヤ・シーフードへたどり着いた。ヤマヤ・シーフードは、筆者が今回の旅で是非訪ねようと思っていた日本料理屋である。タウンタウンから少しだけ外れた場所にあるこの店は、普通の錆びれた家屋のような建屋に小さなカニの看板があるばかりの簡素な外観だ。一見、開いているかどうかよく分らない。店の裏の小さな通りに面した駐車場がある。そこには鎖でつながれた老犬がいて、なんだか日本の田舎の景色がある。筆者が店に着いたのは、開店20分後の5時20分であった。だが、門扉の上のOPENの文字に光がない。不安が走った。

 

 

④ヤマヤ・シーフードを訪ねる。

しかし門扉は開き、中に入れた。カウンター席に腰掛ける数人の客が振り返り、こちらを見て、皆が小さく苦笑いを見せる。カウンター席の向こうでは、主人と思しき白い調理服のアジア人老父がひとり、モクモクと作業をしていて、こちらには全く気が付かない。店の内装はまるで日本で、メニューも日本語は併記される。それに純度の高い演歌BGMがうっすらと流れていて、根室の酒場のような雰囲気すらある。期待が高まったが、とにかく主人が全くこちらに気が付かないので、カウンター客に“空いているのか?”と尋ねると、左隅の中華風の若い男性客が薄ら笑いを浮かべながら、“空いてるよ、でも彼は忙しいんだ”と答える。右端の常連くさい白人男がおちょこを片手に笑う。仕方がなく勝手にテーブル席に腰掛けて、飾られたメニューを眺めていれば、ついに主人が筆者に気が付き、“あーあー無理無理!最低一時間は作れないよ!”と叱られてしまった。根室の酒場のようである。

 

 

登山~ドライブで疲労が限界に近かった筆者には、さすがに1時間の待機はしんどい。店裏に繋がれた老犬をしばらく撫でまわし、泣く泣くヤマヤ・シーフードを跡にした。そしてやけくそで“スシヤ”という名の店に入って悲しい思いをした。これが2024年のアラスカ最後の夜である。アンカレッジで旨いシーフードを食べるなら、ヤマヤ・シーフードを予約しておくか、調理具付きの宿を取り、ニュー・サガヤで魚介を買うのがよいように思います。

 


ニュー・サガヤ

2024-09-09 08:30:54 | 生活

ニュー・サガヤとは、アラスカ州アンカレッジにあるスーパーマーケットのことである。アラスカ旅行の3日目の朝、筆者はスワードの町からバスに乗り、アンカレッジへ戻った。スワードの町を出発してしばらくは、バスの道は山を避けて広い谷を蛇行して進むので、来るときに鉄道から見たトンネルや峡谷風景とは違い、パノラマ・ビューが楽しめる。だがしばらく行けば鉄道と合流し、穏やかな湾沿いを走る。黒い干潟が広い。3時間ほどでアンカレッジ空港に着き、レンタカーを借り、民泊サイトで予約したアパートへ荷物を置きにいく。そこは小さな韓国系のショップや性的っぽいマサージ店が入る暗いアパートだったが、部屋の中は広くて小ぎれいだった。

 

 

この旅の記録(のつづき)は以下のとおりだ。参考にしもらいたい。

 

 

 

①アンカレッジ・ミュージアム

まだ少し日が高いから、酒を飲む時間になるまではアンカレッジ・ミュージアムで過ごしすことにした。ダウンタウンの外れの小ぶりなミュージアムは、アラスカらしい作品で溢れていて楽しい。Kivetoruk Mosesという画家の、先住民らの暮らしを題材にした素朴な絵画や、Bradford Washburnという探検写真家の素晴らしい山々や氷河の写真など、見所がある。また、アラスカ先住民たちの衣類や生活道具が展示されたコーナーも興味深いものだった。“エスキモー・イヌイット”といった言葉はなく、各部族の名前で展示されている。アラスカ半島のうちベーリング海峡に近い区域に暮らす“イヌピヤク”や“ユーピック”と言う名の部族の人々の風貌がアジア人に近く、アメリカ大陸に近い部族の顔が中南米人に近くなっているのが面白い。彼らの厳しい気候での暮らしが偲ばれる。

 

 

②ニュー・サガヤへ向かう

そして夕飯時である。ツーソンのSandyi Oriental Marketや、ソルト・レイク・シティのSAGE Japan Market、ロスのミツワのように、米国内の旅先で日系のグローサリー・ストアを訪ねることが筆者の楽しみになっている。極北のアンカレッジにはあまり期待せずにいたのだが、果たして“ニュー・サガヤ”という、昭和のビジネスホテルのような響きの名前の店があるという。さっそく視察に赴いた。ニュー・サガヤは、ダウンタウンから南に少し離れた場所にある。気候が厳しいアンカレッジは、アメリカの中でも特に車社会なのであろう、乞食以外の歩行者がまるでいない。それに土地が有り余っているようで、どこの店舗も駐車場はガラガラなので、ダウンタウンを外れればそこには富山県の国道沿いのような寂しい雰囲気がある。

 

③ニュー・サガヤへ入る。

筆者はアジアの食に詳しいので、ニュー・サガヤで売られている商品から、この店が日本人のみを対象にした店ではなく、中華・韓国・ベトナムからフィリピンまで、広い東アジアの人々を対象にしていることが見てとれた。だが“日本強め”であることは間違いない。総菜コーナーや精肉コーナー、雑貨コーナーには、小学生が描いたものかと思われるような独特な絵画センスの看板と共に、やや雑なレタリングの日本語で“デリカテッセン”“高級セトモノ”“特選肉”などの看板があったり、特に雑貨コーナーには日本の民芸品が多くを占めている。鮮魚コーナーはスワードのセイフ・ウェイとは比べ物にならないほどの充実ぶりで、アラスカ産の牡蠣やヒラメなどが生け簀にある。筆者はここで総菜を買い込んで、宿で酒盛りをする判断を下し、タコ・ポキ、アラスカ・ロール、冷凍枝豆にさつま揚げ、冷ややっこ、それにアラスカサーモンの皮のスモーク(鮭とば)、さらにサラダ・バーでおつまみ豆サラダを作り、購入したのだ。因みに酒は売っていないので別の酒屋で購入する。

 

 

 

宿には調理用具も揃っていたので、カニや牡蠣を買って鍋にしても良かったと後悔しつつも、ニュー・サガヤの一人総菜酒盛は大盛況で、筆者はデストラーデ選手ばりのガッツポーズを決めてしまった。さて、ウェブサイトを見れば、ニュー・サガヤはアンカレッジエリアで30年以上も営業するなかなか老舗のスーパーで、アラスカ産魚介類の冷凍通信販売業なども行っているのだという。だが店の歴史や屋号の由来(佐賀屋なのか嵯峨屋なのか)を見つけることはできなかった。それにしてもアンカレッジには、少なからず日本人・日系人が暮らしている様子が分かり、筆者は何となく嬉しい気持ちになったのだった。そして性的っぽいマッサージ店には次回来店することにし、眠りについた。