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まるみのあっちこっち巡り

ー33,000枚を超える写真とともに綴るお出かけブログー

博物館明治村 重要文化財 呉服座(くれはざ) 4丁目エリア

2019-06-16 00:15:00 | ミュージアム



呉服座(重要文化財)

旧所在地 大阪府池田市西本町
建設年代 明治25年(1892)

江戸時代以来の伝統建築の名残を留める芝居小屋。
構造は木造二階建杉皮葺で、大きな切妻屋根を架け、
軒の高い下屋を降ろし、小屋の入口にしています。







地方巡業の歌舞伎をはじめ、壮士芝居、新派、落語、
浪曲、講談、漫才等様々なものが演じられたそうです。

尾崎行雄や幸徳秋水らが立憲政治や社会主義の
演説会にも使われ、当時の芝居小屋が大衆の遊び場、
社交場であると同時に、マスコミの
重要な役割も果たしていたことがうかがえます。







NHKドラマ「坂の上の雲(第1部)」や
「わろてんか」のロケが行われた場所で、
今にも笑い声が聞こえてきそうです。







「スプリング・エフェメラル」(春の妖精)と呼ばれ、
350円切手の意匠になったカタクリの花は、
春を告げるような可憐な花で、目に留まります。

明治村は、四季の花々なども
楽しめるように工夫されています。







半田東湯

旧所在地 愛知県半田市亀崎町
建設年代 明治末年(1910)頃

間口3間のこじんまりとした銭湯の暖簾を潜り、
思わず中に入ってみたくなります。







約半世紀にわたって営業されてた半田東湯、
湯水を多く使う商売柄、建物の傷み・改変もありますが、
表構え、番台などに明治の古風な銭湯の俤が遺されています。

木造二階建ての前半分が脱衣室と和室が重なる二階建、
奥の浴室部分が平家建になっています。







本郷喜之床

旧所在地 東京都文京区本郷
建設年代 明治末年(1910)頃

理髪店の二階二間は石川啄木が函館の家族を迎えて
明治42年6月16日から東京ではじめて家族生活をした新居。
店内の飾り付けは、新潟にあった同時代の店
「入村理髪店」から贈られた鏡や椅子等を置いています。







小泉八雲避暑の家

旧所在地 静岡県焼津市城之腰
建設年代 明治初年(1868)

「怪談」で有名な小泉八雲が東京へ移った翌年から、
夏を焼津で過ごすようになり、その時身を寄せていたのが、
この魚屋、山口乙吉の家、現在は駄菓子屋さん。

昔懐かしい駄菓子が所狭しと並び、竹とんぼや紙風船などの
懐かしおもちゃもあり、何を買おうかしらと悩みました。







再び5丁目エリアに戻り、明治の洋食屋で
オムライスでもと思ったのですが、
蒸気機関車に乗ることを優先してしまいました。

愛知県犬山市内山1番地

2019.3.22
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博物館明治村 明治村の村長室他2丁目エリア

2019-06-13 00:15:00 | ミュージアム



東山梨郡役所(重要文化財)

旧所在地 山梨県山梨市日下部町
建設年代 明治18年(1885)

正面側にベランダを廻らせ、中央棟と左右翼屋で
構成する形式は当時の官庁建築の特徴です。
地元の職人の手になるもので、
純粋な洋風建築にはない面白さがあります。

当時の山梨県令藤村紫朗は大変開明的な人物、
地元に多くの洋風建築を建てさせているそうです。
(今も残っているのか行ってみたくなります)







中には明治村の村長室がありました。
現在の村長は、阿川佐和子さん。
見学した翌日に明治村にて阿川さんの
トークショーが、行われました。







阿川さんは4代目の村長ですが、
それまでの村長も錚々たる方が歴任。







明治村の村長室がある東山梨郡役所の
前の通りをレンガ通りと言いますが、
NHKドラマ「ごちそうさん」や「半分、青い。」の
ドラマロケに使われています。







第四高等学校物理化学教室

旧所在地 石川県金沢市仙石町
建設年代 明治23年(1890)

映画「母と暮らせば」(平成27年)のロケで使用、
この物理化学教室は高等中学校時代の明治23年に創建、
第四高等学校、金沢大学へと引き継がれた建物です。







近代化を推し進めようとする明治政府にとって、
自然科学教育は重要な課題であり、
実験まで含めた自然科学教育が
実施されるようになったようです。







東松家住宅(重要文化財)

旧所在地 名古屋市中村区船入町
建設年代 明治34年(1901)頃


東松家は明治20年代後半までは油屋を生業とし、
その後昭和の初めまで堀川貯蓄銀行を営んでいました。

江戸時代には武家以外のものが三階建ての
建物を造ることは許されませんでした。

この禁令が解かれるも大正8年に市街地建築物法により
木造高層住宅が禁止、3階建以上の木造住宅は
50年ほどの間しか造られず、
こうして残されているのも貴重です。







清水医院

旧所在地 長野県木曽郡大桑村
建設年代 明治30年(1897)代

この清水医院に島崎藤村の姉園子も入院、
彼女がモデルの藤村の小説「ある女の生涯」では、
須原の蜂谷医院とされ、当時の様子が記されています。







玄関を入ると通り土間に面して待合室と薬局があり、
薬局には小さな投薬口が設けられています。
畳敷きの待合室に続いて板張りの診療室となり、
待合室の廻りの襖には様々な養生訓が書かれています。







夢中になって見学していたのでランチも食べておらず、
2丁目にある「食道楽のカレーパン」をいただくことに。
鶏肉と砕いたピーナッツが入った揚げたて
熱々のカレーパンは300円でした。

明治時代にベストセラーとなった恋愛小説「食道楽」に
登場するレシピを再現・アレンジしたものを
こうしていただくのも良いですよ。

愛知県犬山市内山1番地

2019.3.22
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博物館明治村 西園寺公望別邸「坐漁荘」

2019-06-12 00:15:00 | ミュージアム



西園寺公望別邸「坐漁荘」(重要文化財)

旧所在地 静岡県清水市興津町
建設年代 大正9年(1920)

国の重要文化財に指定されている建物で、
建物ガイドに参加しなければ、
内部の見学はできません。







「坐漁荘」は西園寺公望が政治の第一線から退いた後、
清水港近くの興津の海岸に建てた別邸。

建物自体は簡素な作りのようですが、
上質な木材などが使用されており、
外壁には檜の皮が使用されています。







戊辰戦争において官軍の方面軍総督を務め、
フランス留学後には中江兆民等と
東洋自由新聞を発刊。

ブルジョア自由主義の普及に努め、
政府に入ると伊藤博文の腹心となり、
総理大臣になり、元勲と呼ばれた西園寺公望。







西園寺公望が70歳の時、建てた座魚荘で
90歳までの20年間を過ごされましたが、
亡くなるまで、政治から教育の分野まで
活動を続けていたそうです。







現在、二階の座敷の障子を開け放つと、
遠い山並みを背景に入鹿池が見渡せます。

興津に建てた当時は、右手に清水港から久能山が、
左手に伊豆半島が遠望されたのだそうですが、
それに近い形で移築されています。







"なにもせず、のんびり坐って魚をとって過ごす"という
意味がこめられていた「坐漁荘」ですが、
事あるごとに政治家の訪問を
受けざるを得なかったとか。







竹材を好んだ西園寺公望、いたるところに
竹が使われているのがわかります。
窓にはめられた竹格子、竹の欄間、天井、
風呂場の天井にも竹が使われています。







これは何のブザーだと思われますか?
このブザーを押すと女中部屋に鳴り響き、
女中さんがお伺いに行く必要があったとか。







度々訪れる大勢の政治家などの
お客様にお料理なども振る舞われたのでしょう。







洗い場も広々としたお風呂になっています。







昭和4年(1929)、海に面した座敷の横に洋間が、
その奥には脱衣室を兼ねた化粧室や
洋風便器の置かれたトイレ等が増築されています。

フランスに留学された公望さん、
高齢になると和式より洋式の居住性を
評価されたたのでしょう。







会津戦争においては、自から最前線に立って指揮、
大村益次郎に目をかけられていたほどの人物で、
総理大臣経験者、命を狙われる危険性を考え、
複雑な間取りにしたり、防犯を考えられていました。







旧東海道に沿って建てられた低い塀の奥に、
木造桟瓦葺で軒先に軽い銅板を廻らした純和風建物、
強い海風に耐えられるよう工夫もみられます。

外観を見、庭園を眺めるだけでも良いですが、
学芸スタッフの建物ガイドがオススメです。

愛知県犬山市内山1番地

2019.3.22
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博物館明治村 現存最古の洋式燈台 品川燈台他3丁目

2019-06-10 00:15:00 | ミュージアム



品川燈台

旧所在地 東京都港区品川
建設年代 明治3年(1870)

明治政府は燈台建設のための技術援助を
フランス、イギリスに依頼、東京湾沿岸の
観音崎、野島崎、城ヶ島、品川4つの洋式燈台が
フランス人技術者により建設されました。

品川沖の第ニ台場に建てられたこの燈台の
光の届く距離は約18kmと記録されているそうです。
現存最古の洋式燈台として貴重な遺構は、
国の重要文化財に指定されています。







菅島燈台付属官舎

旧所在地 三重県鳥羽市菅島町
建設年代 明治6年(1873)

伊勢湾の入り口、鳥羽沖合の菅島に建てられた
イギリス人技術者の設計管理によるもので、
こちらも国の重要文化財に指定されています。

明治初期の洋式燈台では、
燈火の管理も外国人によって
行われたため、付属の官舎もレンガ造の
洋式住宅が建てられています。







神戸山手西洋人住居

旧所在地 神戸市生田区山本通
建設年代 明治20年(1887)代

木造総二階建の主屋と付属屋からなる住宅は、
明治20年代に建てられたものと推定され、
日本人増田周助の所有であったとか。







芝川叉右衛門邸

旧所在地 兵庫県西宮市上甲東園2丁目
建設年代 明治44年(1911)

大阪の豪商芝川又右衛門の別荘として建てられ、
数寄屋など日本建築の伝統とを融合した洋館、
後に京都帝国大学建築学科の創設者となる武田五一の設計。







芝川叉右衛門邸は、フジテレビドラマ
「オリエント急行殺人事件」(平成26年)の
ロケに使用されています。

こちらは15分程の建物ガイドを行っています。







北里研究所本館・医学館

旧所在地 東京都港区白金
建設年代 大正4年(1915)

日本の細菌学の先駆者北里柴三郎が建てた研究所の本館。
コッホのもとで、細菌学を研究し、破傷風菌の培養、
破傷風の血清療法によって学界に認められ、
ドイツ留学後、日本初の伝染病研究所を設立。

上下階とも廊下が建物の南面(前面)に通されているのは
顕微鏡観察のための措置で、光を変化の少ない北面から
採り入れる方が良いとの考えによるもので、
白衣を着た研究者が現れるような雰囲気が漂います。

NHKドラマ「花子とアン」、TBSドラマ「天皇の料理番」の
ドラマロケに使われた建造物です。

愛知県犬山市内山1番地

2019.3.22
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博物館明治村 内閣文庫他5丁目エリア

2019-06-08 11:00:00 | ミュージアム



内閣文庫

旧所在地 東京都千代田区千代田
建設年代 明治44年(1911)

内閣文庫は、明治6年(1873)赤坂離宮内に
太政官文庫という名で開設された明治政府の中央図書館。
昭和46年国立公文書館が設立されるまで、
内外の古文書研究家に広く利用されたそうです。







川崎銀行本店

旧所在地 東京都中央区日本橋
建設年代 昭和2年(1927)

ネッサンス様式を基調とした当時の本格的銀行建築。
鉄筋コンクリート(一部鉄骨)造、
外壁は御影石積 6年間の工期を費やし完成。
川崎銀行は昭和18年三菱銀行(現・UFJ)と合併。

展望タワーともなっており、
明治の銀行ギャラリーの展示もあります。







大明寺聖パウロ教会堂

旧所在地 長崎県西彼杵郡伊王島
建設年代 明治12年(1879)

鐘楼を除けば、普通の農家の外観ですが、
キリスト教禁制の影響を色濃く残している教会です。







内部は狭い空間でも木造だからできた
西洋のゴシック様式の教会建築に
よく見られる「コウモリ天井」







隅田川新大橋

旧所在地 東京都中央区浜町から江東区深川新大橋
建設年代 明治45年(1912)

吾妻橋、厩橋、両国橋、新大橋、永代橋を
明治の五大橋と言い、デザインはそれぞれ異なり、
鉄材は全てアメリカのカーネギー社の製品です。

関東大震災でも崩れずに避難の
道として多くの人々を救ったとか。







宮津裁判所法廷

旧所在地 京都府宮津市本町
建設年代 明治19年(1886)

古来日本では裁判所を行政官庁から独立させる
思想はなかったものの明治元年に
司法権の独立へと向かうことになりました。
人形を用いて当時の法廷風景が再現。







聖ザビエル天主堂

旧所在地 京都市中京区河原町三條
建設年代 明治23年(1890)

日本に渡来しキリスト教の伝道に努めた
聖フランシスコ・ザビエルを記念して、
フランス人神父の監督の下、
日本人の手で造られたカトリックの教会。







NHKドラマ「どこにもない国」(平成29年)
映画「クロサギ」(平成19年)の
ロケに使われています。







ステンドグラスは、色ガラスに模様を描き、
外に透明ガラスを重ねて保護されているものです。
大明寺聖パウロ教会堂も聖ザビエル天主堂も
挙式することができるようです。

愛知県犬山市内山1番地

2019.3.22
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博物館明治村 帝国ホテル中央玄関と喫茶室

2019-06-04 00:15:00 | ミュージアム



明治時代の文化や歴史を建築に集約した観光名所、
建物の屋外博物館である博物館明治村へは、
名鉄犬山駅から岐阜バス「明治村」行きで約20分、
名古屋駅から直通バスもあります。







のりもの一日券付き入村券(大人2700円)を購入し、
村営バスに乗車し、終点まで行きます。
村営バスは20分間隔で運行されます。
簡単なガイドもあり、見学したい建造物をチェック







正門から北口まで徒歩で約20分です。
帰りは、終バスに乗り遅れたので歩きましたが、
敷地面積は約100万㎡ありますので、
乗り放題の一日券はおススメです。







村営バスの終点である帝国ホテルです。
婚礼衣装で写真撮影のようですね。
明治村では結婚式や披露宴もできるそうです。







1923年、4年間の大工事の後に完成した
アメリカ人の建築家ライト設計の帝国ホテル中央玄関は、
東京都千代田区内幸町から十数年の歳月をかけて移築再建、
今日でも在りし日の面影を偲ぶことができます。







メインロビー中央には三階までの吹き抜け、
その個々の空間は、床の高さ、天井の高さがそれぞれに
異なり、大階段、左右の廻り階段を昇る毎に視界が開かれ、
ロビーの雰囲気を盛り上げています。

NHKドラマ「花子とアン」、「まんぷく」などの
ドラマや映画のロケにも使われているので、
どこか懐かしい雰囲気も漂います。







落成記念披露宴が開かれる日に関東大震災に襲れ、
周辺の多くの建物が倒壊、火災に見舞われたりする中で、
小規模な損傷はあったもののほとんど無傷で、
変わらぬ勇姿を見せていた帝国ホテル。

まるみが宿泊したことのある帝国ホテルは、
その後に立て替えられたものですが、
パンフレットにもこちらの写真が掲載されていました。
学ぶことの多い記憶に残る思い出のホテルです。







コーヒーが飲みながら、村内地図を見て、
どこを見学するべきか決めておきましょう。







北海道の3種のチーズを使用した
北海道チーズケーキ。
下はベイクド、上はムースタイプ、
2つの食感を楽しめ、美味しかったです。







明治時代には「氷コーヒー」が飲まれていたと
考えられるような文献が存在しているとか。







カフェに入るとついつい長居をしてしまいますが、
見学できる施設は68、明治体験、建物ガイド、グルメ、
京都市電に蒸気機関車にも乗りたいし、
一日で全部を見学するのは無理のようです。

愛知県犬山市内山1番地

2019.3.22
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瞬間瞬間に生きるー岡本太郎とジャズー 岡本太郎記念館

2019-04-24 00:07:44 | ミュージアム



大阪の万国博覧会のシンボル「太陽の塔」をはじめ、
絵画、彫刻に独特な作風で一世を風靡した
芸術家の岡本太郎のアトリエ兼住居を
記念館として公開している岡本太郎記念館。







表参道駅から徒歩約8分、南青山にある記念館は、
1954年から50年近く生活した場所でした。
エントランスを入ると大きな吹き抜けがあります。







1階は、サロンとアトリエスペースとして
生前のままに公開されているそうです。
今も生きていらっしゃるような錯覚を覚えます。







「芸術は爆発だ」という言葉はあまりにも有名ですが、
こちらがその言葉が創り出された家なのです。
植物の中に小さな作品が隠れていることもあるのだとか。







躍動感あふれた作品が並ぶサロンや展示室、
オリジナルグッズや書籍が並ぶミュージアムショップ、
ここかしこに太郎ワールド







2階には太郎や太郎に影響を受けた
アーティストに関する企画展が行われています。

「オレは過去も無視して、未来も無視して生きている。
現在もこの瞬間瞬間に爆発して生きているんだから」
岡本太郎の人生観を体現するのがジャズ。
太郎もジャズピアノのレッスンを受けたとか。







この展覧会では「音」も展示していました。
ひと味違う体験空間を楽しみましたが、
閉館後に行われる「スペシャルライブ」も予約しています。

入館料:一般620円/小学生310円

東京都港区南青山6-1-19

2019.2.17
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先端の科学技術を体験 日本科学未来館

2019-04-21 00:27:19 | ミュージアム



「地球とつながる」「未来をつくる」「世界をさぐる」
3つのテーマでロボット・宇宙・情報科学など
先端科学技術を紹介している日本科学未来館。







未来がどんなものになるかわかりませんが、
今ここにいる私たちが未来を変えていく
原動力になれるようなヒントがあるかもしれません。







1階がシンボルゾーンの「地球とつながる」
地球上の生命と環境がどう自分とつながっているのか、
最新の科学データやツールとともに考えるゾーン。







1000万画素を超える高解像度で、
宇宙に輝く地球の姿をリアルに映し出す
日本科学未来館のシンボル展示ジオ・コスモス。

有機ELパネルを使った世界初の地球ディスプレイ、
特別コンテンツも楽しめます。







地球を眺めながらオーバルブリッジを上り、
3階「未来をつくる」、5階「世界をさぐる」ゾーンへ。

展示物に触れると地球を守り、未来をつくるのが
私たちの使命であると映画の主人公のように
目覚めていく思いがします。







二人目の日本人宇宙飛行士となった毛利衛氏が、
日本科学未来館の館長、宇宙飛行士のサインもあり、
宇宙船を再現した展示も興味深いものでした。







やはり見逃せないのがASIMO(アシモ)実演です。
11:00/13:00/14:00/16:00(各回約10分間)







様々な動きを披露しながら、
未来のロボットと暮らしについて紹介します。

私もいつの日かロボットに介護されるのかしら







7階の展望ラウンジにある「ミライカン キッチン」
「日本科学未来館」唯一のレストランです。
出汁スープ付きのナポリタン720円(税込み)
地球肉まん280円(税込み)

ブルーという色に抵抗感があるものの原宿で見る色より薄い、
まあ、いいかと地球肉まんをガブリ。
味はコンビニの中華まんのようなのに
ブルーのバラは良いけれど、ブルーの食品は・・・。







紙やプラスチックの器で、
香りも楽しむ出汁スープというのも
でも、眺望の良さと椅子の座り心地は
17時にクローズは、残念です。







大人からこどもまで楽しめるミュージアム。
より深く体験したい場合は、科学コミュニケーターや
ボランティアに話しかけてみるのと良いでしょう。

この日は、ドームシアターが鑑賞できず残念でしたが、
あっという間に閉館時間となりました。
気になるおみやげをゲットして次なる場所へ。

入館料:大人620円 18歳以下210円

東京都江東区青海2-3-6

2019.2.11
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東京国立近代美術館(本館)

2019-04-19 00:18:30 | ミュージアム



皇居の向かいにたたずむ日本で最初の
国立美術館が東京国立近代美術館、
約4,500㎡の展示スペースを有する国内有数の美術館です。

明治後半から現代までの絵画・彫刻・版画・写真など
充実した近現代美術作品のコレクションを展示しています。

4-2階の所蔵品ギャラリーでは、13,000点を超える
充実のコレクションから選りすぐった約200点を展示する
「MOMATコレクション」展を開催しており、
ゆったりとしたスペースで鑑賞できます。

1階ギャラリーは、企画展を開催していますが、
「MOMATコレクション」に絞って鑑賞しました。

小磯良平や藤田嗣治も戦中は、戦争の絵を描き、
戦場の残酷さ、凄惨、混乱を細部まで濃密に描き出しています。

1938年からは1年間二人ととも従軍画家として
日中戦争中の中華民国に渡ったそうです。
「戦争協力者」となってしまい心を痛めたとか。
藤田嗣治は、フランスに帰化することにもなりました。

今や大人気の草間彌生さんが初めての個展で出品した
作品も展示されていましたが、力強いものでした。

菱田春草、上村松園などの重要文化財のコレクションもあります。







目玉作品を紹介する「ハイライト」コーナー、
皇居や丸の内のビル群を見渡せる休憩室
「眺めのよい部屋」は必見です。
写真はここからスマホで撮りました。







皇居のお濠を臨みながらお食事ができるレストラン、
図書室やミュージアムショップもあります。

観覧料:一般500円、大学生250円(企画展は別料金)

東京都千代田区北の丸公園3-1

2019.1.30
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美術も建物も堪能できる渋谷区立松濤美術館

2019-04-15 00:12:20 | ミュージアム



都内でも有数の閑静な住宅地に建つ
渋谷区立松濤美術館は、コレクションを持たず、
分野や時代にとらわれないバラエティー
豊かな企画展が行われている美術館。







この時、開催されていたのは「廃墟の美術史」です。

栄華や文明の痕跡を残しながら
崩れ落ちようとする建造物や遺跡。
18世紀~19世紀にかけて廃墟趣味が流行し、
「廃墟」は絵画の主役の地位を確立していきます。

近代に日本の美術のなかにも伝播し、
廃墟の主題は受け継がれているのだとか。







この展覧会では、西洋古典から現代日本までの
廃墟・遺跡・都市をテーマとした作品を集め、
「廃墟の美術史」を辿っていくものでした。

上の作品のみ撮影が可能でした。







美術展を引き立たせるのがこちらの建物。
石造りの印象的な外観、噴水を設けた吹き抜け、
趣深い展示室・回廊が、美しく調和しているのです。

毎週金曜日には45分程の建物ツアーが実施され、
参加してみることにしました。
(事前の申し込みなどは必要ありません)







戦後を代表する建築家、白井晟一氏が設計。
鏡やソファなどの調度品にいたるまで、
白井氏が建物に合わせて探してきたものだとか。

外壁の花崗岩も岐阜の石を使う予定が、
韓国まで行って取り寄せたとか。







花崗岩に覆われた外壁と銅板葺きの大きな屋根の外観、
建物中央の吹き抜け、独特の意匠が印象的です。

松濤という高級住宅街の一角ですから
建物から近隣の住宅を覗かれることのないよう
窓も最小限にとどめているなどの配慮も。







建物の中央に噴水のある吹き抜けがあり、
それを展示室が円形に囲むというユニークな設計。
第1展示室が展望できるギャラリーと、
噴水を見下ろせるブリッジがあり、横断できます。







予算をオーバーした建物、維持管理費も高そうですが、
心安らぐ雰囲気に包まれ、美術への身近な架け橋となり、
潤いのある生活の一助にと建てられた美術館です。

入館料:一般500円、大学生400円、
高校生250円、小中学生100円
(毎週金曜日は渋谷区民は無料、区民の利用は3%とか)

東京都渋谷区松濤2-14-14

2019.1.25
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自由さもうれしいお気に入りの松岡美術館

2019-04-12 00:06:23 | ミュージアム



白金台の閑静な住宅地にある松岡美術館は、
お気に入りの美術館の一つ、度々訪れています。

ガンダーラ・インド彫刻、古代オリエン美術、
東洋陶磁器のコレクションから印象派をはじめとする
フランス近代絵画、ヘンリー・ムーアなどの
ヨーロッパ近代彫刻まで、創立者の
松岡清次郎氏がすべて収集したものです。







収蔵品のみで行われる企画展もバラエティー豊かで、
「中国動物俑の世界、日本油彩画展」が行われました。

三彩馬をはじめとした漢代から唐代の
動物俑を中心に多種多様な陶俑が並びました。

130点に上る油彩作品の中から25点の
日本油彩画が並び、躍動感、幻想性、リアリズム、
ノスタルジックを味わいました。







松岡清次郎氏の自邸の跡地に建設された美術館。
庭園はロビーからも眺められますが、
ロビーでコンサートが行われることもあります。

鉛筆を使ったスケッチなら可能であったり、
常に展示室を監視しているスタッフを置いていないなど
見学者を信頼していただけているようで、
ゆったりと鑑賞できるのも魅力です。

東京都港区白金台5-12-6

2019.1.14


所蔵作品の修復調査、設備点検のため、
2019年6月2日から2021年10月4日まで休館になります。
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体験型展示で科学を楽しめる科学技術館

2019-04-09 00:02:19 | ミュージアム



エネルギー・機械・乗り物などの科学技術を
子どもから大人まで楽しめる体験や実験が可能です。
科学技術館には、何度か訪れていますが、
こんなに楽しく学べる施設だったと再認識。







ワクエコ・モーターランドでは、
クルマやバイクの楽しさや、
安全、環境にやさしい技術等を学べます。
(身長により体験できない装置あり)

ドライビングシュミレータなどいつの間にか
真剣モードでチャレンジしたまるみです。







乗り物全般が好きなので、2階の展示に興味津々。

2階から5階までの4つのフロアに20のテーマの展示室、
触ったり、動かしたりしながら
科学や技術に触れることができます。
ゲーム感覚で学べるといっても良いかも。







くすりの歴史や新薬の開発、安全な使用方法など
紹介している「くすりの部屋」も身近なだけに
くすり研究入門ラリーに挑戦。







予約が必要なものや一部有料のものもありますが、
入館料だけで楽しめるプログラムがたくさんあります。

入館料:大人720円、中高生410円 子ども260円

東京都千代田区北の丸公園2-1

2019.1.26
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少しも退屈と云うことを知らず鴎外、小倉に暮らす 文京区立森鴎外記念館

2019-04-04 00:06:59 | ミュージアム



東京メトロ千代田線の千駄木駅1番出口を出て、
多くの文芸作品に登場する団子坂を上りきった所に
明治の文豪・森鴎外の旧居「観潮楼」跡地に
文京区立森鴎外記念館があります。

この坂を下りきると谷中に出ますし、
団子坂は、江戸や明治の古の顔が見え隠れする場所。
別名・潮見坂とも呼ばれ、家の2階からも
品川沖が見えたことにより「観潮楼」と名付けられたとか。

火災や震災により現存しない「観潮楼」ですが、
記念館は、火災や地震にも強固で凛とした建物です。

地下の展示室で、偉大な功績を知ることができます。
友人が卒論のテーマに「森鴎外」を選び、
津和野の永明寺のお墓参りまでしたことがあり、
その頃は著作も読んだものの、今ではご無沙汰です。

明治32(1899)年、小倉の第12師団軍医部長として赴任。
家族と離れ、自ら家政をとる新たな生活で、
土地の人々と交流し、勉強会を行い、外国語の学習、
史跡を巡るなど新たな学びの機会を得たそうです。

親友に宛てた手紙にも「少しも退屈と云うことを知らず」と、
記されており、小倉での充実した日々をうかがえます。
森鴎外の人となりが理解できたところで、
作品を読んでみたくなりました。







2階に図書室があり、鴎外に関する図書資料が
一部を省き当日の閲覧が可能になっています。
カフェや庭園があり、鴎外生前からあるといわれる
大銀杏や鴎外ゆかりの草花が植えられています。

東京都文京区千駄木1-23-4

2019.1.22
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見て・聴いて・歌える 古賀政男音楽博物館

2019-04-01 00:06:44 | ミュージアム



綾瀬と代々木上原を結ぶ東京メトロ千代田線、
その終点となる代々木上原駅、そこから3分程歩いた
井の頭通り沿いに古賀政男音楽博物館があります。

こちらある「けやきホール」ではコンサートや
様々なテーマの講座が開かれています。

代々木上原は、故古賀政男氏が居を構えた街で、
音楽村を創ろうという構想を持っていたそうです。
その遺志を引き継いで誕生した日本の大衆音楽の博物館。

『古賀メロディー』を知らなくても楽しめます。
約8000曲もの音楽を聴くことができたり、
カラオケスタジオがあり、歌ったり、CDに録音も。

雑誌のバックナンバーの閲覧もできるので、
滞在時間も長くなってしまいます。

展示の一つに「日本 歌めぐり」があり、
三重・滋賀の歌が紹介されていました。
各地の地名や歴史・風習・文化などを取り入れた歌が、
地域の振興に果たす役割は小さくはないようです。

それぞれの土地の自然、歴史、食べ物の他に
「ご当地ソング」にも耳を傾けると
旅の思い出もさらに深まるように思います。

古賀政男音楽博物館

東京都渋谷区上原3-6-12

2019.1.22
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東京都写真美術館 建築×写真 ここのみに在る光

2019-03-30 13:34:02 | ミュージアム



現存する最も古い写真は1827年頃に
ジョセフ・ニセフォール・ニエブスが撮影した
窓から見える「たてもの」の一角でした。

初期の写真技術では人や動物といった動くものは、
撮影することが難しかったために
動かない建築は格好の被写体となったのだとか。

19世紀末には都市開発が進み、
街の変貌が著しい時期で、
過去の建築やできたばかりの建築を記録するため、
写真という新しい技術が盛んに使用されました。

この展覧会では、国内、海外の様々な
建築を捉えた写真が展示されました。
今では存在しないもの
実際に見ることが困難なものも。







作品に触発されて変わりゆく街の建築物を
捉えに出かけてみましょうか。

来年に控えた東京オリンピックに向かって、
東京の街も次々と建設ラッシュ。
被写体となるものに溢れています。

東京都目黒区三田1-13-3
恵比寿ガーデンプレイス内

2019.1.19
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