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まるみのあっちこっち巡り

ー33,000枚を超える写真とともに綴るお出かけブログー

日本一高いビル「あべのハルカス」へ

2019-10-01 13:21:28 | お出かけ 近畿



高さ300メートル日本一の「あべのハルカス」
先進的な都市機能を集積した立体都市。

B2-14階は、あべのハルカス近鉄本店、
16階があべのハルカス美術館、
19-20階、38-55階・57階がホテル、
58-60階があべのハルカス300です。







あべのハルカス300のチケットカウンターは
16階にありますが、同じフロアに無料で
楽しめる庭園もあり、
眺望もなかなかのものです。







チケットを購入し、専用のエレベーターで
60階天上回廊へ昇ります。
大阪市阿倍野区にある「あべのハルカス」は、
2014年3月7日に全面開業、今年5周年。







日本初のスーパートールのエレベーターにて
16階から一気に60階まで上昇







「横浜ランドマークタワー(高さ296m)」の
高さが日本一であった時期もありました。
オープン間もない頃に展望台に上がり、
横浜ロイヤルパークホテルにも宿泊しました。

客室から下を眺めると雲ばかりで
残念ながら何も見えなかった記憶がありますが、
今回はどうでしょうか?







東側の風景がこちらになります。
奈良方面になり、高安山、信貴山、吉野山、葛城山、
今年世界遺産に指定された百舌鳥・古市古墳群
(応神陵等)も見えるかも







北側は京都方面になります。
手前に見えるのが天王寺公園、
四天王寺、大阪城、道頓堀、通天閣、
大阪国際空港(伊丹)などが見えるはずです。







天王寺公園、慶沢園、
大阪市立美術館が良く見えるでしょう。







西側は神戸・四国方面です。
手前が大阪市立大学医学部、付属病院、天王寺動物園、
京セラドーム大阪、ユニバーサルスタジオジャパン、
明石海峡大橋が見えるのもこちらです。







『アベンジャーズ/エンドゲーム』との連携企画。







いたるところに『アベンジャーズ』のメンバーが・・・。







最後に南側が和歌山方面です。
手前が阪神高速松原線、交差しているのが
あべの筋と阪堺電車、その先に安倍晴明神社、
高速の向こう側は霊園です。

ヤンマースタジアム長居なども見えて、
学生時代に長居YHに宿泊したことを
懐かしく思い出したのでした。

大阪府大阪市阿倍野区阿倍野筋1-1-43

2019.5.18
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大阪城公園駅から天王寺駅へ

2019-09-30 13:34:11 | お出かけ 近畿



大阪城を目指してホテルの最寄り駅である淀屋橋駅から
京阪本線に乗車、天満橋駅で下車、20分程歩いて、
大阪城、大阪城公園、水上バスの旅を楽しみ、
次の目的地へ向かいたいと思います。







JR大阪城港公園駅から大阪環状線に乗車します。
西武オリックス3連戦を観戦するつもりでしたが、
ツレが大阪城に行ったことがないというので、
予定を変更することにしたのです。







クイズになることもありますが、
大阪環状線は、19駅、路線距離21.7㎞、
山手線が29駅、路線距離34.5km、
大阪環状線の方が、路線距離が短いです。







到着したのは、天王寺駅です。
天王寺は南大阪の玄関口であり、天王寺公園や
四天王寺に行くのに利用したことがあります。







JR西日本の駅別乗車人員数では第3位の天王寺駅。
駅周辺には天王寺ミオやあべのキューズモール、
日本一の高さ300mあべのハルカスなどの
商業施設も多いところです。







天王寺ミオの1階にある「Bleclair」
ガラス越しにたくさんのパンが並んでるのが見え、
イートインスペースあるようですし、
素通りすることができなかったまるみでした。

大阪府大阪市

2019.5.18
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都会のオアシスとしての大阪城公園

2019-09-26 13:41:34 | お出かけ 近畿



大阪の中央に位置する、大阪城公園は、
甲子園球場が27個も入ってしまうほどの広さです。

大阪城天守閣をはじめとする歴史建造物を有するだけでなく、
大阪城音楽堂や大阪城ホールでコンサートを楽しんだり、
弓道場、修道館などでスポーツを楽しめます。







公園内には樹木が多く植えられ、二の丸市正曲輪の梅林、
北外曲輪の桃園、西の丸庭園の桜など、梅・桃・桜の名所。
四季折々の花を楽しめるスポットも充実。
日本さくら名所100選にも選定されています。







大阪城公園駅直結の「JO-TERRACE OSAKA」が
2017年6月22日にオープンしており、
飲食店を中心に次々とショップが
オープンされているようです。







都会のオアシスとして市民から愛され、
海外からの観光客も多く、
色々なイベントも開催。







大阪といえば、水の都でもあり、水上バスに乗り、
川面から大阪を散策したいと思います。
出発までソフトクリームを食べてブレイク。

大阪府大阪市中央区大阪城

2019.5.18
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広大な歴史公園としての大阪城公園

2019-09-25 19:16:52 | お出かけ 近畿



大阪の中央に位置する大阪城公園は、
総面積105.6haの広大な敷地と
大阪城天守閣など歴史建造物があります。







大阪城天守閣は展望台と歴史博物館を兼ねた有料施設。
この日は「戦国の世の祈り」というテーマ展で、
紙や仏の聖なる世界と、乱世に生きた人々の
つながりを示す文化財を見学しました。







大坂城特別史跡地に所在する広大な歴史公園。







敵の進入を食い止める役割を果たす大手口枡形。
城の威容を誇示する巨石が数多く使用されています。
豊臣時代のものではなく、徳川幕府再築工事によるもので、
石垣は将軍の命令を受けた諸大名が分担して築いたとか。







こんなに大きな石をどうやって運んだのでしょう。







石垣も数多く残されており、
どれだけ石を使用したのかとも思うのですが・・・







1620年から始まる大坂城修復の時、
天領小豆島で割られたまま、用材石としての
念願がかなわず、いまなお数多く残されている
「残念石」の存在があります。







残念石もこれだけ並ぶとオブジェのようです。

大阪府大阪市中央区大阪城

2019.5.18
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新幹線に乗って行こうよ大阪!!

2019-09-20 18:39:32 | お出かけ 近畿



東京駅11時出発の新大阪行き「のぞみ225号」の
列車に乗り、新大阪駅を目指しました。
出発前に駅弁選びを楽しみましたが、
そろそろお弁当を開こうかと思います。







東京駅の駅弁売り場はいつも活気があります。
人気のお弁当は並ぶとすぐに売り切れるようですが、
特別こだわりがあるわけではなく、
食べたいと思うものを購入するだけです。

それが「うにとウニと雲丹味くらべ弁当」です。
クリームソースなどでアレンジするのも良いですが、
シンプルにいただくのが好きです。







「復刻弁当」です。

1964年の東京オリンピックに間に合うように登場した
「東海道新幹線こだま」の絵に魅かれての購入です。
食べた思い出があるわけではありませんが、
0系新幹線に愛着があります。







白身魚フライ、牛肉の炒め煮などが入っています。
原材料名にある添加物にギョッとしますが、
市販のお弁当はたまにしか食べないので、
気にすることもないかしらと思います。







新大阪駅で新幹線を下車し、大阪駅で乗り換え、
JR西日本大阪環状線の大正駅にて下車、
京セラドーム大阪へと向かいました。







京セラドーム大阪で西武vsオリックスの
野球観戦を楽しみ、初めての場所で荷物も多く、
少し早めに球場を出ることにしました。







ホテルへ向かうには、ドーム前千代崎駅から
大阪市営地下鉄に乗車します。
試合が終了していれば、
人で溢れていることでしょう。







延長戦に入った10回表に2点追加したライオンズ。
試合は終了、ヒーローインタビューかな?







大阪で東京対決があるとポスターで知りました。
両日とも3万3千人を超える観客動員数があったとか。







地下鉄に乗車する時には、試合も終了。
京セラドーム大阪に集まった人は、
2万2千人以上います。

最寄り駅もいくつかあり、分散するでしょうが、
早めに切り上げて良かったと思います。

大阪府大阪市

2019.5.17
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まるみ、京セラドーム大阪へ行く!

2019-05-30 00:23:40 | お出かけ 近畿



2002年12月「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」で
クリスマスを過ごそうと伊丹空港から大阪市内に入ったのを
最後に大阪市内を訪れたことはないまるみでした。

今回は新幹線を利用、新大阪駅から大阪駅で乗り換え、
JR西日本大阪環状線の大正駅に到着しました。







大正駅は閑散としていて少し不安になりましたが、
通勤通学時以外利用者は少なく、京セラドーム大阪での
イベント時は大変混雑するのだそうです。







JR利用の京セラドーム大阪への最寄り駅が大正駅。
ちなみに元号と同じ駅名は他にもあり、
熊本県には平成駅、神奈川県には昭和駅、
長崎県にも大正駅があるのだとか。







下車駅は大阪市内ならJR駅のどこでも料金は同じ、
観戦チケットを購入して
ホテルへ向かうことにしました。







京セラドーム大阪は、オリックス選手のポスターも
掲示されており、少し歩くとドームが見えるので、
約7分程で迷うことなく辿り着けます。







ドーム球場と言ってもデザインなど様々なものですね。
試合開始時間まで4時間近くあり、
人はまばらにしか歩いてはいませんでした。







窓口へ行ってみると前売り券は購入できるが、
当日券の販売は午後4時からとのこと。
(球場により違いがあるので注意)

ホテルに行く時間はなく、荷物をロッカーに入れ、
隣接するイオンモールで待つことにしました。
野球観戦をすると思われる人を多く見かけましたが、
自然の中にあるメットライフドームとは違います。







いつの間にやら入場の順番待ちの人々がいました。
当日券購入窓口も同じように順番待ちしていたのですが、
スタッフに名前を言って荷物などを置いておくとか。

当日券でも早くから球場に行ったことはなく、
初めての経験でした。







この日狙っていたチケットは、特別中央指定席。
席はあるようなので、早くから並ぶ
必要もなかったかもしれません。







この時点でのパ・リーグ5位、6位の試合、
何となくではありますが、
穏やかな空気が流れていたような気がします。

大阪府大阪市

2019.5.17
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ぶらり松阪路⑩ 松阪駅へ

2016-09-26 08:00:00 | お出かけ 近畿



松阪市のマンホールの蓋にも松阪牛。
名産松阪肉で知られますが、郷愁漂う旧城下町。

伝統の味も魅力ですが、江戸時代の面影を残す
古い商家の街並みも魅力でした。







住民の方の優しさや温かさも伝わる街でした。







休憩時間になってしまったのが残念なのですが、
魅力的なメニュー等の写真を見ますと
こちらのお店を利用したかったと思います。








地方都市にはありがちなシャッターが
下りたままの商店街もありました。







松阪駅のビルには「まつさか交流物産館」で、
ちょっとしたお土産も扱っていましたが、
あたかも観光客目当ての土産物店は見つからず、
そういう点も松阪は気に入りました。







観光に力を入れていないということでもないようです。







ランチにラーメンだけだったのでお腹も好き、
カフェにでも寄ろうと思っても駅の近くにないのは残念。
(車社会なのかもしれません。)
松阪駅の改札横のカフェベーカリーへ。







ちょっと余裕を持って電車を待つことに。







「快速みえ号」名古屋行きに乗車します。
名古屋駅 - 鳥羽駅間を関西本線・伊勢鉄道伊勢線・
紀勢本線・参宮線経由で運行している快速列車です。







指定席は310円でしたが、別に必要なかったかも。
途中で席を譲る必要もないのでぐっすり眠りました。

東海道新幹線「のぞみ」「ひかり」との
接続も図られてはいるのですが、この日は遅れもあって
名古屋で慌てて「のぞみ」に乗車する羽目に。

2016.2.7
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ぶらり松阪路⑨ 国指定重要文化財 御城番屋敷

2016-09-25 08:56:26 | お出かけ 近畿



城の警護を任された紀州藩士とその家族が
暮らしていた武家屋敷の御城番屋敷。
現存例の中でも最大規模のもので
国の重要文化財に指定されています。







石畳を挟んだ両側に緑深い垣根が連なり、
しっとりとした和の情緒を醸し出しています。







屋敷は、現在も子孫の方々が維持管理し、
13戸分は借家として利用されていますが、
松阪市が1戸分を借り受け、
復元して公開しています。







住居が建てられたのが文久3年(1863)
平成20年より3ヶ年をかけて
保存修理工事が行われています。







往時の面影を残す住居は、風通しも良く
住みやすそうな印象を受けます。
整備前と若干の間取りの変更もあるようです。







場内隠居丸に建てられていた米蔵を明治初期に
移したものと言われる土蔵。







こちらの素晴らしいところは、保存をするだけでなく
今なおこちらで暮らしている人々がいることです。







城へと続く道にこの美しい街並みは屋敷に住む人々の
愛着心と努力により、生活の場としても利用しながら保存され、
長い年月を経た今日でも往時のままの姿を残している
いくつもの城下町を旅してきましたが、
こんなにも素晴らしい場所は初めてだと思います。

三重県松阪市殿町1385

2016.2.7
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ぶらり松阪路⑧ 本居宣長旧宅「鈴屋」・本居宣長記念館

2016-09-24 06:49:53 | お出かけ 近畿



国学者の本居宣長が12歳から72歳まで暮らした
本居宣長旧宅を移築したもので
国の特別史跡に指定されているこの建物は、
1691年に建てられたもので実に築325年です。







本業は医者、当時は往診が主ですが、
直接やって来た人の診察もしていたようです。







診察をしたのが「店の間」
客人の待合室に使われたのが「中の間」です。
旧宅の中で最も広いのが「奥の間」で、
お弟子さんたちに授業をする部屋として使われました。

奥様と5人のお子様がいらしたそうですが、
どのようにして暮らしていたのでしょう?







箱階段の段数は7つありますが、実は1段少ないとか。
急傾斜で不安定な階段を72歳で亡くなるまで
毎日上り下りしていたのですから驚きです。







2階「鈴屋(すずのや)」

宣長が53歳の時に屋根裏部屋を改築した四畳半の部屋。
『古事記伝』が完成したのもこの部屋でした。

旧宅正面にある階段を上って、覗いて見るしかできません。
何しろ築325年ですから。







床の間には、掛け軸と柱掛鈴が掛けられており、
勉強に疲れたらこの鈴の音を聞き
リフレッシュしていたとか。
「鈴屋」の名の由来でもあります。







共通券で本居宣長記念館にも入館できます。
本居家より松阪市への寄贈資料など
16,000点を収蔵しています。







1730年生まれの本居宣長の家は、
江戸に店を持つ木綿商でした。

23歳で京都へ行き、儒学と医術を学び、
26歳で医者となり、28歳で松阪に戻り開業し、
35歳で『古事記』研究に着手します。







もの学びの軌跡、宣長72年の生涯を知ることができます。

ガラス越しに物を見せるということが始まったのは、
1867年のパリ万博からだそうですが、
宣長は学問は公開が原則と考えられていたそうで、
こうして公開されていることを喜ばしく思われているでしょう。

古本屋で宣長の著作がどうか見極めるには、
布目模様の水色か紺の表紙、紫の綴じ糸、
これが宣長の好きな装丁だったとか。







今なお市民に尊敬され、親しみを込めて
<のりながさん>と呼ばれているようです。
現在はリニューアル工事のため臨時休館しています。

三重県松阪市殿町1536-7

2016.2.7
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ぶらり松阪路⑦ 日本100名城 松阪城(松坂城)

2016-09-22 07:53:19 | お出かけ 近畿



蒲生氏郷が縄張りした石垣の城。

文化財指定名称は「史跡松坂城跡」となっており、
市内の表記は坂の字になっていますが、
日本100名城に制定されている表記は松阪城。







松阪公園として整備され、城跡には本居宣長記念館や
歴史民俗資料館が建っています。







梅もほころんでいましたが、春には桜や藤、
夏には新緑、秋には紅葉が石垣を彩り、
四季の移ろいも感じられそうです。







昭和63年から平成15年にかけて石垣の
修復工事がなされたようですが…







城の原状を保ちながら公園として整備されたもので
「危険」と表示されている箇所が少なく、
十分に注意する必要があります。







何も表示がなかったのでこの石垣も登ってしまいましたが、
果たして良かったのか…







天守は江戸前期に倒壊してすでにありませんが、
雛壇のように並ぶ石垣が見どころです。







三重の天守があった本丸と二の丸、
石垣が主な遺構です。







城跡からは城下町の面影を残す街並みが一望できます。







誇らしげに聳え立つ石垣は松阪のシンボル的存在です。

種別:平山城
築城年代:1588年
築城者:蒲生氏郷
構造:天守台のみ残る

三重県松阪市殿町

2016.2.7
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ぶらり松阪路⑥ 松阪市立歴史民俗資料館

2016-09-21 08:39:37 | お出かけ 近畿



この資料館は明治41年(1911年)に着工、
翌年飯南図書館として開館し、
昭和53年に歴史民俗資料館になった
登録有形文化財の建物です。







館内には、松阪商人の名を天下にたからしめた
「松阪木綿」の関係資料を常設し、
松阪の文化を紹介しています。







江戸時代の店を復元しています。
古くから街道の要塞地として発展した松阪は、
江戸時代に入ると、お伊勢参りの旅人の往来が増加し、
宿場町や商業の町としても大いに賑わったそうです。







当時京都の書画の大家であった池ノ大雅が書いた
豪華な看板が目に留まります。

薬種商桜井家の看板で、旅人の困っている様子を見て
足の膏薬「萬能千里膏」と腹痛薬「黒丸子」を
造って売り出し、成功したそうです。







「伊勢の水銀」は、鎌倉時代に「伊勢白粉」と呼ばれる
薬剤を生産する軽粉業がおこり、室町時代には最盛期。

伊勢神宮の御師たちによって全国に流通し、
軽粉で富を得た商人が江戸に進出して
伊勢商人の先駆として活躍したのだそうです。

こちらの軽粉コーナーは、
全国でもここしかない貴重な資料です。







この地方の織物の歴史は、5世紀後半までさかのぼり、
室町時代に綿が渡来し、その栽培に適した土地で、
古来の技術と相まって木綿織物の一大産地になりました。

江戸店持ちの松阪商人に松阪木綿が送られ、
品質が優れているのはもちろん、
シマ柄が粋好みの江戸庶民に大いに受け、
「松阪縞」の名でもてはやされたとか。

もともと<シマ>というのは「島渡り」
海外から伝わってきたものの意味で、
松阪には安南国(今のベトナム)に渡った
貿易業者・角屋七郎兵衛がいたことから「柳条布」が送られ、
国産化したものだろうと言われているそうです。







人の移動が文化や芸術をもたらし、暮らし、産業、
経済を発展させていくということがよくわかりました。

「松阪商人 長谷川家の蔵書」の企画展も行われ、
旧街道の風景を描いた名所図会や書画、
巻物などが展示されていました。

三重県松阪市殿町1539
(松阪公園内)

2016.2.7
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ぶらり松阪路⑤ 手打ちラーメン カツラ

2016-09-19 12:51:46 | お出かけ 近畿



歩きながらも目星はつけておりました。
「手打ちラーメン カツラ」に入ります。
昼の3時間しか営業をしないお店のようです。







メニューはこちら券売機で購入します。







太麺は好みではないので、
細めをお願いしました。







父娘で営業をしているようです。
カウンターだけの店ですが、備品なども綺麗に整頓。
初めてでも分かりやすいです。







味噌がウリのようなのですが、醤油の方が好きです。
炙ったチャーシューも美味しく、スープもなかなかのもの。
麺は独特の縮れ麺で太さのバラツキもいかにも手打ち







こちらは塩ラーメン

全国のラーメンを食べ歩いて
この味にたどり着いたという味は及第点。
テクテク、グルグル歩かなくても松阪市役所の目の前に
美味しくいただける店がありました。

一杯600円でこだわりの味と麺を貫いている
そんな感じが伝わってくるようでした。







店を出れば、松阪城跡は目の前ですから
直行すれば時間の無駄もなかったのですが、
ちょっと怪しい雰囲気なんて誤った考えでした。

「和田金」で食事をしたので、昼はラーメンか…
そんな風に思われるとの虚栄心もあり、
歩き回ったことも旅の思い出となるのでした。

三重県松阪市殿町1568-5

2016.2.7
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ぶらり松阪路④ ランチを求めて…

2016-09-17 14:05:34 | お出かけ 近畿



雲一つない青空の松阪市、こちらが市庁舎です。
先に紹介した松阪商人の旧長谷川邸の方が、
地図を見ると広いようです。

1792年の純資産が約15万両だったそうですから
桁違いの豪商であったのですね。







松阪市のマンホールの蓋には鈴が描かれています。
本居宣長は、松阪に生まれ35年の歳月をかけて、
古事記伝全44巻を完成させたその栄誉を後世に残すため、
宣長の愛用した鈴を採用したのだそうです。







散策するのも分かりやすい表示がなされています。







さて、そろそろランチタイムにしましょうか。
明治35年の松阪肉処「牛銀本店」
こちらのすき焼きも堪能したいところですが…







お隣の「洋食屋牛銀」ならお財布にも優しいし、
「旧長谷川邸」を訪問する前に
予約をしておけば良かったと後悔しました。

待ってでも食べてみたいと思いますが、
松阪城も行きたいし、どれだけ待てば良いのか
泣く泣く諦めることにしました。







「和田金」は前日堪能しました。
また食べたいと思う味ですが、
いくら何でも2日続きは…

いくつかの店を覗きましたが、ここはと思う店はどこも一杯。
本町、魚町、中町辺りをグルグル、テクテク。
ある日本料理の店では満席だからと他の店に
電話をしてくださいましたが、和食の店はどこも満席。







「ステーキハウス 三松 」こちらもステーキの有名店。
肉好きではないので、肉が続くのはハードル高いし…
カフェのランチくらいで丁度良いのに、そのカフェもない。
ああ、ランチ難民だぁ~!!

松阪は老舗の有名店でのランチの需要は高そうですが、
スペシャルではない休日ランチの需要は低いのかも

三重県松阪市

2016.2.7
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ぶらり松阪路③ 国の重要文化財に指定されたばかりの旧長谷川邸

2016-09-15 16:38:37 | お出かけ 近畿



千本格子、虫籠窓、妻入りの蔵、うだつのあがった屋根、
落ち着いた佇まいの中に当時の
松阪商人の繁栄ぶりがうかがえる
魚町通り沿いにある「旧長谷川邸」です。







表蔵から発見された古銭を展示中。

江戸時代のさまざまな年間の小判7枚と大判1枚。
他に、メキシコの銀貨やオランダの金貨、
一枚一枚、丁寧に和紙にくるまれていたそうです。

それを発見したのは寄贈を受けた松阪市。







享保年間の大判1枚には、
13代目当主の花押が記されています。

寄贈した長谷川家は古銭の存在を知らなかったそうですが、
「市で有効に活用してください」とのことだったとか。







長谷川家は、数多い江戸店持ち伊勢商人の中でも
いち早く江戸に進出して成功し、
現在も創業以来の地で営業を続けています。







蔵だけでも5つもあり、生活諸道具を始め、
時代に応じた諸資料が極めて良好に保存され、
近世以来の商家の状況をうかがうことができる
大変貴重なものだそうです。







一部資料化されたそうですが、2万3千点にも及ぶ資料を
目録化することは容易ではないでしょうが、
このように大成功した経営方法や生活スタイルを解明し、
後世に長く残して欲しいと思います。







主屋内部(通り土間)

主家中心部は、江戸中期の元禄時代の建築で
玄関から通り土間が奥へ続き、右側は家族の居住空間、
左側に江戸間という応接室などがあり、
奥には土蔵があるという造りです。

魚町通りから見るとここまでの大豪邸とは
思いませんでしたが、離れ、
回遊式庭園、神祠・鳥居まであるのです。







平成25年長谷川家から松阪市に寄贈された部分は4688.40㎡。
見学時には三重県指定文化財でしたが、
7月には国の重要文化財にも指定されています。

江戸時代中期に建築された町屋建築である主屋を主体に、
座敷や土蔵群が近世の大規模な商家の姿を
良好に伝える建築物です。

毎週日曜日、祝日のみの公開です。

三重県松阪市魚町1653

2016.2.7
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ぶらり松阪路② 松阪商人の館

2016-09-13 15:16:40 | お出かけ 近畿



松阪の城下は江戸時代になると商人の街として大いに栄え、
三井、小津、長谷川、長井、殿村等の豪商は、
江戸時代前期には江戸や京、
大阪に店を構えました。







中に入るといきなりの万両箱の展示です。
千両箱は見かけますが、万両箱とはビックリ

江戸時代前期なら1両はおよそ10万円、
中期~後期でもおよそ5万円前後のはずですから
どれだけ大店の経済力があったか
計り知れないものです。







この大店の主の名は、小津清左衛門。







雛人形などにその家の格や経済力が現れるものですが、
なかなか立派なもののようです。







奥へと入って行きましょう。
表座敷から見えるものと奥座敷から見えるもの、
向座敷から見えるのが2つと
4つの庭があります。







主屋敷は木造二階建で延545.53㎡
20余りのの部屋があります。







こちらは湯殿のようですね。
近江の五個荘商人の家より広くて立派ですよ。

中心部分は17世紀末から18世紀初頭の建築ですが、
湯殿はそれより後の建築かもしれません。
(質問しておくべきでした)







湯殿の先に内蔵がありました。
現在は展示室になっており、小津清左衛門並びに
松阪商人の資料が公開されています。







松阪において江戸店持ちの中でも筆頭格の小津家は、
三井家、長谷川家等とともに紀州藩の
御為替御用を命じられていました。







明治以降も紡績会社や郵便船会社等を経営、
小津銀行なども経営していました。







現在も紙業と不動産業を中心に創業以来の場所で
脈々と営業を続ける小津グループとして発展。
(小津産業 東証1部)
その原点がここにあるのですね。







「近江泥棒、伊勢乞食」と言う言葉が残されているそうです。
近江商人はがめつく、伊勢商人は、貧乏な乞食のように、
出納にうるさいと言う意味なのだそうですが、
彼らの商売はかなり手堅かったことから
このように言われてしまったようです。







幕末から明治維新の動乱期、金融恐慌、
関東大震災などの災害、
大戦もありながら発展しています。

こうした商人の知恵や経験も活かしていただき、
税金や年金も手堅く有効的に利用、
運用をしてもらいたいものです。

三重県松阪市本町2195

2016.2.7
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