履 歴 稿 紫 影子
香川県編
第三の新居 7の5
第三の家へ引越ししてから、私の性格が大きく変化をした。
それは、吉田さんと言う女ばかりの隣へ、毎日のように遊びに行って居た関係であったかも知れないが、ヤンチャ坊主であった私の性質が、とても素直になって、女の子や私より年少の少年とばかり遊んで居て、男子の学友とは、あまり遊ぼうとしなくなったことであった。
したがって、喧嘩は全然と言い切れる程にしなくなった。
こうした性格の変化が、学校へ行かずに、学齢未満の幼ない子供達を相手にして、晴れた日には西練兵場の土手で、そして雨の降る日は共稼ぎで両親が留守の子の家で、毎日無頓着に遊んで居たのかも知れないと現在の私は思って居る。
私が真面目に学校へ通うようになっても、この幼ない子供達は、よく、「練兵場へ遊びに行こう。」と私の家まで、可成りの道を誘いに来たものであったが、そうした時の私は、「学校へ行かなければ叱られるから。」と断って、学校が休の日には屹度行くからと約束をして、晴れた日の日曜日には、この子供達と一緒になって練兵場で遊んだものであった。
それは、四年生になったばかりの私が、例によって、この小さな子供達と練兵場で遊んだ或る日曜日のことであったが、「以後は再び起させないように、充分注意されたい。」と言う警告を、両親が憲兵隊から受けると言うような失態を私はしでかしてしまった。
その失態と言うのは、私が小さい子供達といつも遊んで居た土手の外堀側の勾配には、新しい若草が伸びて去年の枯れ草を頭の上に浮して居た或る土曜日のことであったが、学校の授業を終った私が、外堀の岸の道を通って帰った時に兵隊さん達が、その枯草を掻き集めて燃して居るのを見たので、「ハァ、あの枯れ草は燃してしまうんだな。」と思った。
それはその翌日のことであったが、私は約束の子供達と練兵場で遊ぼうと思って家を出る時に、「ハァ、あの枯れ草は燃してしまうんだな。」と思った昨日の感覚が燐寸を持ち出させた。
「オイ、枯れた草を此処で燃やすんだから、お前達集めて来いよ。」と言って子供達に命令をすると、彼等は喜んで、斜面を転がりながらも、枯れ草を土手の上へ集めて来た。
その時の私は、”兵隊さんを手伝うんだ”と言った以外の何ものも無かったので、その枯れ草へ無造作に火をつけた。
枯草は勢いよく燃えあがった。
火をつけるまでは、風が吹いて居たと言うことを、全然意識して居なかったのだが、うず高く積んだ枯れ草の火は、ゴウゴウと音をたてて紅蓮の炎を捲上げて燃え上がった。
「ああ、燃えた燃えた」と、私達は手を打って燥いで居たのだが、次の瞬間、すっかり火になった枯れ草が、風に吹き飛ばされて、其処此処の枯草へ次次と燃えうつるので、四辺は見る見るうちに火の海になってしまった。