読書と映画をめぐるプロムナード

読書、映画に関する感想、啓示を受けたこと、派生して考えたことなどを、勉強しながら綴っています。

それでも真相は語られない、「チャプター27」(アメリカ/2007年)

2008-06-25 10:36:37 | 映画;洋画
監督、脚本:J.P.シェファー
製作総指揮:ジャレッド・レト
音楽:アンソニー・マリネリ
撮影:トム・リッチモンド
出演者:ジャレッド・レト、ジュダ・フリードランダー、リンジー・ローハン

レノンがその青年の前を通り過ぎたとき、暗闇から「ミスター・レノン?」と呼び止めると、銃を手に取り前に進み、両手で構え5発を発射した。4発がレノンの胸、背中、腕に命中し、レノンは「撃たれた」と2度叫びアパートの入り口に数歩進んで倒れた。1980年12月8日の午後11時頃、ダコタ・ハウス前で、ハワイから来た25歳のマーク・チャップマンによって暗殺。享年40。

この犯行当時、ジョン・レノンはアメリカでの新しい生活と新しい音楽活動に向かおうとしていたところでした。

~ビートルズの解散後数年間、ソロ活動を行ってきたジョンは1975年に発表されたアルバム『ロックン・ロール』を最後に音楽活動を休止。同年の10月9日に誕生した息子ショーンの面倒を見るため、ニューヨーク市ダコタ・ハウスで主夫生活をはじめた。1976年7月27日には長い法廷闘争後、アメリカ合衆国のグリーンカードを取得。~

~ショーンが偶然友達の家で見た映画「イエローサブマリン」の中でジョンを見つけ、ショーンの「パパは本当にビートルズだったの?」の一言をきっかけに、1980年に音楽活動を再開しアルバム「ダブル・ファンタジー」を発表。(本人は1980年のインタビューの中で否定)。~

事件後、16年を経て私はダコタ・ハウスとセントラル・パークの「The Strawberry Fields Memorial」を訪ねました。そのときも数多くの観光客が私と同じようにジョンの遺影を偲んでいました。

(this is john lennon giving his killer an autograph 6 hours before mark david chapman killed him)
このチャップマンが、暗殺の6時間前に自ら射殺することになるレノンにサインを貰った「ダブル・ファンタジー」のジャケット写真は篠山紀信さんが撮影されたものであり、ジョンがこのとき着用していたのは山本寛斎さんデザインの、袖に般若心経が刺繍が入ったスタジアムジャンパーだったといいます。そして、銃弾に倒れた夫に駆け寄ったのは勿論、オノ・ヨーコさんでした。ジョン・レノンの臨終にこれだけの日本人が見守っていたこと、せめてもの私にとっての救いです。

「チャプター27」とは、26のチャプターで締められているJ・Dサリンジャーの物語「ライ麦畑でつかまえて」をチャップマンが、ジョン・レノン射殺の為に自分の物語として設けられたチャプターとして表されているといいます。

本作は、マーク・チャップマンがジョン・レノン銃殺に至るまでの経緯を淡々と描いています。犯行理由はチャップマンが、「ライ麦畑で捕まえて」を愛読し、自分をこの小説の主人公「ホールデン・コールフィールド」と重ね合わせて「何者か」になろうと銃を撃ったこと、(犯行当日 1980年12月8日のチャップマンを取り巻く人物や曜日がホールデン・コールフィールドの行動と一致する部分が多かったため)、ジョンが「愛と平和」を歌いつつ、多額のお金を手に入れていたことに憤って犯行に及んだことなど諸説ありますが、それだけでは私にはしっくりきません。

「犯行当時、熱狂的なファンであると報じられ、世界的にその報道が定着してしまったが、さまざまな疑問が語られている。ジョン・F・ケネディ大統領に語られるような陰謀的暗殺説、CIAの関与した催眠術説などがあるが、現在は彼の単独犯行であると結論付けられた」。
「暗殺説まで語られた背景は、ジョンの反戦運動が世界的な影響をもち、アメリカ合衆国のベトナム戦争撤退をもたらしたと考えられるためである。また、1981年にはジョンがアメリカ国籍を正式に取得することが可能となるため(永住権取得後、連続5年滞在で申請資格が出来る)、その直前に始末しようとしたとも考えられている」。

こう結論付けられるこの事件、私には今尚、陰謀的暗殺説、CIAの関与した催眠術説が拭い去られたとは思っていません。

マーク・デイヴィッド・チャップマン(Mark David Chapman, 1955年5月10日-)は、「受刑者。ハワイ州ホノルル出身のチャップマンは1980年12月8日の夜、マンハッタン西のセントラル・パーク72番通り『ダコタ・アパート』前で、帰宅したビートルズの元メンバーのジョン・レノンをレノンの実家ダコタハウスで射殺した。その場で逮捕され、2008年4月時点でも、まだ釈放となっていないが、2008年10月(今年中)に仮釈放される予定がある。(一人の殺害で30年近く収容されるのは異例)」

このマーク・チャップマンを演じたジャレッド・レト。この役者さんを取り上げたのは、アメリカを震撼させたもう一人の凶悪な殺人犯、レイモンド・フェルナンデスに扮した「ロンリーハート」でした。<今年4/25付けの記事「愛の証としての殺人を描く、『ロンリーハート』(米、独/2006)」>この映画では禿げ頭、本作ではデブを演じています。どちらも実在の人物であるだけに、ジャレッドも外見上の役作りに並々ならぬ熱意を感じさせます。

そして、このチャップマンに友情を示そうとするジュードという女性に扮したのがリンジー・ローハン。昨年8/14付けの記事「米国史上最高の大統領候補を描く、『ボビー/BOBBY』(アメリカ/2006年)」で、イライジャ・ウッドとの若いカップルとして少しだけ取り上げました。

リンジー・ローハン(Lindsay Lohan、1986年7月2日-)は、「アメリカ合衆国の女優、歌手。身長165cm。現在、ヒラリー・ダフらと並んで、アメリカで最も人気のあるティーン・アイドルのひとりである。近年は女優・歌手業よりも私生活を話題にされることが多い」。

「ニューヨーク市ブロンクス区にて生まれ、カトリックの家庭に育つ。祖先はアイルランドとイタリアの出身。家庭は比較的裕福で、父親は家業のパスタ製造業を継ぎ、後に先物取引をするためにそれを売却、ニューヨークの先物トレーダーの代表者にまでなったが1980年代後半に証券詐欺により4年間刑務所に入った。その後、投資銀行家として働いていたが2005年に無免許運転と暴行罪で2年間再度刑務所に送られた。現在はキリスト教団体で働いている。母親は元ウォール街のアナリストで現在はリンジーのマネージャーをしている。両親共に以前俳優もしていた」。(以上、ウィキペディア)

<George harrison - all those years ago – karaoke>
http://jp.youtube.com/watch?v=STjP8X10Dsk

ジョージ・ハリスンの「過ぎ去りし日々」、本来は追悼歌との位置付けではなく、旋律についてはジョンの生前時点でジョージがリンゴ・スターに贈った曲。そこへジョンの訃報が舞い込む。ジョージは急遽歌詞を書き換え、録音済みのリンゴのテイクに自身のボーカルを加えた。更にポール、妻のリンダ、デニー・レイン、ジョージ・マーティンがバックコーラスで参加。結果として、ビートルズ解散後で唯一、ジョージ・リンゴ・ポールが共演する楽曲として発表。


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