読書と映画をめぐるプロムナード

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恋多きスェーデンの巨匠、イングマール・ベルイマン監督

2007-07-14 10:13:35 | 映画監督
今日で89歳になる巨匠イングマール・ベルイマン。私はその名こそどこかで聞いたことがあるというだけで、その作品を全く観たことがありません。今回彼の経歴を見て、1945年「危機」から1986年「Karin's Face」までおよそ50作近くの作品をほぼ毎年のように撮っていることに驚くばかりです。その存在は、ウィキペディアでは次のように記述されています。

「黒澤明やフェデリコ・フェリーニ、アンドレイ・タルコフスキーやスタンリー・キューブリックなどの世界映画史に残る巨匠の重要メンバーのひとりとして認識されているが、世界の映画市場の中でこれといった位置を占めていないスウェーデンの映画界の中では、ベルイマンの名声と成功は明らかに突出しており、その後も彼に並ぶとみなされる人間が同国から出てこないことからみても、彼の映画を基準にしてスウェーデン映画を語るのは危険であると言える」。


イングマール・ベルイマン(Ingmar Bergman, 1918年7月14日 - )は「スウェーデンのウプサラ(ストックホルムから60km)に生まれた映画監督、脚本家。20世紀を代表する映画監督の巨匠とみなされている。『第七の封印』『沈黙』といった形而上学的とも言われる代表作から難解な作家ともみなされるが、一方で(時に難解なテーマを伴ってはいても全体的には)よりわかりやすい作品の方が多く、特に女性を描いた作品が多い。自身の女性関係を反映したかのような作品も数多く見られる」。

「ベルイマン家は16世紀まで辿れる名家であり、先祖の多くもそうだったように父は牧師である。兄のダークは外交官。姉のマルガレータは小説家。ベルイマンは正式な結婚を少なくとも5度行っている他、恋多き人生を送っている」。

「1944年にアルフ・シェーベルイ監督の『もだえ』の脚本を手がけた後に、1945年に『危機』で映画監督としてデビュー。その後、数本の低予算映画の中で自らのスタイルを模索する。1950年の『夏の遊び』の頃から自らのスタイルを確立。1952年の『不良少女モニカ』ではフランスのヌーヴェル・ヴァーグの作家たちに賞賛され、続く1955年の『夏の夜は三たび微笑む』ではカンヌ国際映画祭の特設賞である
「詩的ユーモア賞」(?)を受賞。国際的に評価されるようになる」。

「以後、『第七の封印』『野いちご』『処女の泉』、そしていわゆる“神の沈黙”三部作と呼ばれる『鏡の中にある如く』『冬の光』『沈黙』などのいずれも映画史に残る作品を立て続けに監督。また、“神の沈黙”三部作以降は主に愛人であった女優、リヴ・ウルマンを主役に据えて、人間の本質に肉迫する数多くの良質の作品を演出し、いずれも国際的に高い評価を得る。1965年、エラスムス賞受賞」。

「1982年に大作『ファニーとアレクサンデル』を演出後、『映画を撮る愉しみを充分に味わい尽くした』として映画監督業から引退。現在は以前から映画製作と並行してやってきていたスウェーデン王立劇場での舞台演劇の脚本と演出を中心として活動しているが、『愛の風景』(1992年)、『日曜日のピュ』(1994年)、『不実の愛、かくも燃え』(2000年)など、自伝的作品を中心に脚本で映画に参加している」。


「2003年、突如として20年ぶりに自身の監督作品『サラバンド』を発表。映画監督としての健在ぶりをアピールした」。

*サラバンド【saraband】;カスタネットを持って踊る17-18世紀のスペインのダンスで、ヨーロッパで流行した緩やかな三拍子の舞曲。組曲の中の一曲としても用いられた。

「ベルイマンの映画は舞台劇的と評されることが多いが、ベルイマン本人はあるインタビューの中で、自作の映画『ある結婚の風景』を舞台化するときに、構成やセリフのほとんどを書き換えなければならなかった例を挙げて、映画と舞台は別物であると訴えている。ちなみに演劇では主にウィリアム・シェイクスピアとアウグスト・ストリンドベリを好んで取り上げ、自らの劇団を率いて日本で大胆な解釈に基づくハムレットとストリンドベリの「令嬢ジュリー」、三島由紀夫の『サド公爵夫人』を上演したこともある」。(ウィキペディア)

このベイルマンが最も重用した女優がリヴ・ウルマン。かつて愛人だった彼女は、次のようにその後もパートナーとして良好な関係を続けているようです。大人の関係ということでしょうか?意外にも彼女は東京生まれです。


リヴ・ウルマン(Liv Ullmann,1938年 - )は「ノルウェー出身の女優・映画監督である。エンジニアの父親の仕事の都合で東京で生まれ、カナダ、ニューヨーク、オスロなどで育った。ロンドンで演技を学んだ後に舞台に立ち、1957年に映画デビュー」。

「その後イングマール・ベルイマンに出会い、公私共にパートナーとなる。二人は10本の映画を製作した。二人の間には娘が一人いたが結婚はせず、ウルマンは1985年に結婚した二人目の夫と共にニューヨークに住んでいる。2000年には「不実の愛、かくも燃え」を監督している。この作品の脚本はベルイマンである」。(同上)


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