読書と映画をめぐるプロムナード

読書、映画に関する感想、啓示を受けたこと、派生して考えたことなどを、勉強しながら綴っています。

ちょっとだけ日本が登場する洋画(4)、巨匠ゴダール監督の「アルファヴィル」(仏・伊/1965年)

2008-05-15 04:56:03 | 映画;洋画
原題:'Alphaville, une étrange aventure de Lemmy Caution'(アルファヴィル、レミー・コーションの不思議な冒険)
監督、脚本:ジャン=リュック・ゴダール
音楽:ポール・ミスラキ
撮影:ラウール・クタール
出演:アンナ・カリーナ、エディ・コンスタンティーヌ、エイキム・タミロフ、ラズロ・サボ

~コンピューター・アルファ60に支配され、何の感情もなしに人々が暮らす星雲都市アルファヴィル。活劇シリーズ物のヒーロー左利きの探偵レミー・コーション(コンスタンティーヌ)は、ブラウン教授救出の命を受けてそこに潜入。だが教授こそコンピューターの開発者だった。(allcinema ONLINE)~

芸術、ポエジーのない街、それがα都市、アルファヴィル。そこは「沈黙、論理、安全、慎重」が重視され、そこの社会にそぐわない言葉が発見されると辞書から毎日のように言葉が削除され、違った言葉が補完されていく。アルファヴィルは思考構造が全く符号化された人間の住む世界で、階級的集団社会。アルファ60の原則は、演算と予見によりアルファヴィルが従うべき結論へと導くこと。その目標は完全なる技術社会であること。

ゴダールが1965年に描き出した1984年の未来は、表情のない人々で満たされていた世界でした。そこへ外部の国からこの都市に到着したのは、左利きの探偵、レミー・コーション。彼は、ピーター・チェイニイ原作小説のハードボイルド探偵/シークレット・エージェント「レミー・コーション」がその役者であったエディ・コンスタンティーヌとともに登場するという設定になっています。

レミーは地球(外界)から9000キロはなれた星雲都市アルファヴィルに到着します。彼の任務はブラウン教授を救い出すか、不可能ならば殺すことと、先に派遣されて消息を絶ったアンリ・ディクソンを行方を探索すること。しかし、彼が救い出そうとしたアンリは、「破壊しろ。α60を自滅させろ、愛情で。涙を流す者を救え」という遺言を残して死んでいきます。

「WHY?」という問いはなく、既に準備された言語で「だから」と結論付けねばならない。この社会の挨拶は、「元気です。ありがとう。どうぞ」という一見意味不明の挨拶ですが、よく考えてみるとこれと同じ意味の日本語があります。それは「どうも」。ゴダールが影響を受けたという溝口健二監督(1898-1956)の映画を観て感化されたのかどうかはわかりません。

本作で重要な伏線となるのがアンリがレミーに渡したポール・エリュアールという詩人の「苦悩の首都」です。詩人の大岡信さんが、「日本語で読むとよくわかんないです。わかんないというのは翻訳者の無力を告白するようなものですけど、日本語で読んだエリュアールの詩で、未だかつて感心した、これはいいなと思ったことは一度もありません」と言っているくらいですから、私はきっとこれからも読むことはないと思いますが・・・。

ポール・エリュアール(Paul Éluard、本名Eugène Grindel、1895年12月14日-1952年11月18日)は、フランスのシュルレアリスム派の詩人。代表作に『ポエーム』『愛』『ゆたかな瞳』がある。妻のガラ・エリュアールをサルバドール・ダリに奪われる。

「エリュアールという人は、写真集に恵まれている人ですが、その中にはここに載っているような集団の写真もいっぱいある人ですね。彼の所属したグループで、一番有名なグループはシュルレアリスト・グループ。シュルレアリスト・グループというのは、一番親分がアンドレ・ブルトン(André Breton)という有名な人で、ブルトンの親友であり、同時にグループの総元締めの一人でもあった、そういう立場の人がポール・エリュアールでした」。
(「大岡信フォーラム」http://om-forum.org/forum/200207/index.html)

さて、本作でちょっとだけ日本が登場するのは、「日、出づる国」としての「トーキョーラマ」という言葉です。この「ラマ」が何を意味するのかわかりません。1792年にスコットランドの画家ロバート・バーカーによって作られた造語「Panorama」、フランス人風景画家ダゲールが画家ダヴィドの弟子シャルル・マリ・プートンと共に、従来のパノラマに代わる新たな投影装置の呼び名「Diorama」の「rama」のことなのでしょうか?

1928年インドの物理学者ラマンとクリシュナンが発見した、物質に光を入射したとき、散乱された光の中に入射された光の波長と異なる波長の光が含まれる現象のことをラマン効果と呼ぶそうですが、この「ラマン」と「ラマ」は何か関係がありそうですが、本題からどんどん離れていきますのでこの辺で止めときます。

一方、本作は、昨年7月13日付の記事「思惟な暗黒の異世界、『アフターダーク』(村上春樹/講談社文庫)とその周辺」で取り上げましたが、「アフターダーク」の作品中に登場するラブホの名前が、「アルファヴィル」で、これは、ゴダールのこの映画が重要なモチーフとなっています。この映画を観ると、村上春樹さんがゴダールに深くインスパイヤされていることがわかりますね。

また、先日5月5日付の記事「人生が調査される時に示される、『死神の精度』(伊坂幸太郎著/文春文庫)」ではゴダールとアンナ・カリーナのコンビによる「女と男のいる舗道」(仏/1962)の話が引用されています。ゴダール→村上春樹→伊坂幸太郎という文学上の遺伝子の伝達のようなものを感じます。

この映画は、本を読むように、自分のペースでセリフやダイアローグを噛みしめながら、じっくり観るべき作品だと思いました。

監督のジャン=リュック・ゴダール(Jean-Luc Godard、1930年12月3日-)については、ヌーヴェルヴァーグの旗手で、「欧州のみならず世界レベルで最も重要な映画作家の1人」と言われる人物ですので、概観して終わるのではなく、彼の作品を通じて一つずつ考えていきたいと思います。

主演のエディ・コンスタンティーヌ。この映画で初めて知りました。

エディ・コンスタンティーヌ(Eddie Constantine、本名エドワード・コンスタンティノフスキー、1917年10月29日 ロサンゼルス-1993年2月25日 ヴィースバーデン)は、「在外在住アメリカ人の俳優、歌手で、ヨーロッパでキャリアを送った。1917年10月29日、アメリカのカリフォルニア州ロサンゼルスに生まれる」。

「父はロシア人、オペラのバリトン歌手であった。音楽を学び、ハリウッドで映画のための歌手をやっていた。1943年、ニューヨークに行き、ラジオシティ・ミュージックホールで歌う。1949年にはバレリーナと結婚し、フランス・パリでエディット・ピアフのオペレッタ『La p'tite Lili』に出演した」。

「1950年代、フランスでスターになり、もっとも知られているのはハードボイルド探偵/シークレット・エージェント『レミー・コーション』役(ピーター・チェイニイ原作小説より)であり、それは『Cet homme est dangereux』(英題Dangerous Agent、監督ジャン・サシャ、日本未公開、1953年)、『左利きのレミー Lemmy pour les dames』(監督ベルナール・ボルドリー、1961年)、『À toi de faire ... mignonne』(監督ベルナール・ボルドリー、日本未公開、1963年)といったフレンチ・Bムービーである」。

「コンスタンティーヌの典型的な役どころは、人当りのいい語り口で、誘惑的な口先のうまい男であり、しばしばお笑いのために演じるところである。たまたまフランス市民になってしまったコンスタンティーヌは、フランス、ドイツといったヨーロッパのいくつかの国、アフリカでも同様に、偉大なる大衆性をたのしんだ。彼はいくつかのヒット曲も吹き込んでいる」。

「もっとも偉大なる作品はジャン=リュック・ゴダール監督の『アルファヴィル』(1965年)で、彼はレミー・コーションの役を(さらにもっとラディカルな終焉へと)再演した。コンスタンティーヌのフランスでの興行成績アピールは、1960年代中盤には弱まり、彼はたまたまドイツへ移動し、性格俳優として仕事をした。コンスタンティーヌは自分の俳優としてのキャリアをけっしてシリアスには訴えず、彼は自分自身を本職は歌手であると捉えていたようだ。1991年、ゴダールの実験映画『新ドイツ零年』で、彼は最後のレミー役をやることになった。彼の最後の特筆すべき出演作は、ラース・フォン・トリアー監督の『ヨーロッパ』(1991年)であった。1993年2月25日、ドイツ・ヘッセン州ヴィースバーデンで心筋梗塞で死去した。75歳没」。

もう一人の主演、アンナ・カリーナ。思わずトルストイの「アンナ・カレニーナ」と混同していしまいます。本作で初めて彼女の存在を知りました。ゴダールが最も愛した女優ということになるのでしょうか?

アンナ・カリーナ(Anna Karina、1940年9月22日 コペンハーゲン-)は、「デンマーク出身のフランスの女優。ヌーヴェルヴァーグ時代のミューズ。1940年9月22日、デンマーク・コペンハーゲンに生まれる。本名はHanne Karen Blarke Bayer。18歳の時にフランス・パリに移り、モデルとして活躍する。『アンナ・カリーナ』という名前はココ・シャネルがつけたと言われている」。

「その後、映画監督ジャン=リュック・ゴダールに出会い、彼の作品『小さな兵隊』に出演。その後もゴダール作品に数多く出演している。二人は1960年に結婚し、1964年、ゴダールとふたりで映画製作会社「アヌーシュカ・フィルム」を設立、第一回作品は『はなればなれに』(1964年)である。しかし、1965年には破局、ジャック・ペランのもとへ。ゴダールとの最後の作品は20分の短篇『未来展望』(1966年)だった。その後の結婚歴は3回。1961年の『女は女である』でベルリン国際映画祭女優賞を受賞している」。


アルファ60の主任技師役を演じていたのはラズロ・サボ。本作に遡ること3年前のゴダール監督作品「女と男のいる舗道」(1962)ではアンナ・カリーナとも競演していました。

ラズロ・サボ(Szabó László、1936年3月24日 ブダペスト-)は、「フランス・ハンガリーの俳優、映画監督、脚本家である。ジャン=リュック・ゴダール作品への出演、『恋のモンマルトル』(1975年)などの監督として知られる」。

「1936年3月24日、ハンガリーの首都ブダペストで生まれる。1950年代初頭のティーンエイジのころ、ハンガリー映画で俳優としてデビュー後、1956年のハンガリー動乱の政情不安定な母国を出て、フランスの首都パリへ移住する。クロード・シャブロル監督の『いとこ同志』(1959年)やゴダール監督の『小さな兵隊』(1960年)などにヌーヴェルヴァーグの作品群に多く出演する」。

「1973年には、ベルナデット・ラフォン主演の『Les Gants blancs du diable』で映画監督としてデビューする。クロード・ベリがプロデュースした1975年の監督作『恋のモンマルトル』は日本でも公開された。『Sortüz egy fekete bivalyért』(フランス・ハンガリー合作映画、1985年)、『Az Ember, aki nappal aludt』(ハンガリー映画、2003年)の2本の監督作は、母国ハンガリーで撮影した」。
(以上、ウィキペディア)


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