読書と映画をめぐるプロムナード

読書、映画に関する感想、啓示を受けたこと、派生して考えたことなどを、勉強しながら綴っています。

まずその人柄を知りたい、「近代美術の巨匠たち」(高階秀爾著/岩波現代文庫)~中編~

2008-08-14 06:19:07 | 本;エッセイ・評論

⑤アンリ・ジュリアン・フェリックス・ルソー(Henri Julien Félix Rousseau, 1844年5月21日 - 1910年9月2日)は、「19世紀~20世紀フランスの素朴派の画家。20数年間、パリ市の税関の職員を勤め、仕事の余暇に絵を描いていた「日曜画家」であったことから「ル・ドゥアニエ」(税関吏)の通称で知られる。ただし、ルソーの代表作の大部分は彼が税関を退職した後の50歳代に描かれている」。(ウィキペディア)

本書では、ルソーのこれらの経歴について、かつての職業が税関吏(douanier)ではなく、食料品や商品にたいして入市税を課す小さな収税事務所の収税吏(octroyer)であったこと。単なる「日曜画家」ではなく、絵の具という素材の扱い方については、「優れた職業的技術を持った専門家」だったことを明かしてくれています。(P236)



⑥ポール・ゴーギャン(Eugène Henri Paul Gauguin, 1848年6月7日 - 1903年5月9日)は、「フランスのポスト印象派の最も重要かつ独創的な画家の一人。『ゴーガン』とも表記・発音される。1848年、二月革命の年にパリに生まれた。父は共和系のジャーナリストであった。ポールが生まれてまもなく、一家は革命後の新政府による弾圧を恐れて南米ペルーのリマに亡命した。しかし父はポールが1歳になる前に急死。残された妻子はペルーにて数年を過ごした後、1855年、フランスに帰国した。こうした生い立ちは、後のゴーギャンの人生に少なからぬ影響を与えたものと想像される」。(ウィキペディア)

ゴーギャンの人柄を示すエピソードとして著者は冒頭で、北欧の文豪ストリンドベルヒが1895年、友人ゴーギャンに対して送った手紙を引用しています。

「私は貴方の芸術を理解することができません。またそれを愛することもできません。しかし、こう言ったからといって、貴方は別に驚きもしないでしょうし、傷つけられもしないだろうということを私はよく知っています。なぜなら、貴方は他人の憎悪によって自分を防備しているように思われるからです。貴方という人は、自分が他人に与える嫌悪感を楽しんでいるのです・・・」

「このストリンドベルヒの手紙は、第二回目のタヒティ旅行の費用を捻出するためオテル・ドルオで催されることになっていた売立会のカタログに序文を書いてくれというゴーガンの依頼にたいして、スロリンドベルヒが書いた断りの手紙である。負けず嫌いのゴーガンは、このスロリンドベルヒの拒否の手紙、そっくりそのまま売立てのカタログに序文として収録してしまった」(P126)


ここでは、本ブログでも昨年7/21付けの記事「画家ポール・ゴーギャンの苦悩を描く、『シークレット・パラダイズ』(2003年)」で取り上げたキーファー・サザーランドがゴーギャンの扮した2003年の映画「シークレット・パラダイス」(原題;PARADISE FOUND)をあげておきます。



⑦フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh, 1853年3月30日 - 1890年7月29日)は、「オランダに生まれ、主にフランスで活動した画家。名の『フィンセント』は『ビンセント』『ヴィンセント』と表記されることもある。またフランス語読みで『ヴァンサン』と記すものもある」。

ゴッホは1888年には南仏アルルでゴーギャンと共同生活を試みますが、2人の強烈な個性は衝突を繰り返し、ゴッホの「耳切り事件」をもって共同生活は完全に破綻しています。本書では、伝えられていたゴッホの弟テオ(1856-1891)との兄弟愛について、次のように紹介しています。

「テオは残された兄の作品の何の未練もなかったのである。それも、単に兄の思い出の作品を欲しがらなかったというだけではない。テオは当時、曲がりなりにも一本立ちの画商である。もしもほんとうに兄の作品を優れたものと思っていたとしたら、商売上の目的のためだけにも自分でおさえておくはずではないかというわけである」。(P163)


「炎の人ゴッホ」 Lust for Life (1955)
監督:ヴィンセント・ミネリ、出演:カーク・ダグラス。アーヴィング・ストーン原作。アメリカ映画。ゴッホの伝記映画の中では最も有名な作品で、「周囲の無理解にもかかわらず情熱をもって独自の芸術を追求した狂気の天才画家」という通俗的なゴッホのイメージを定着させるのに決定的な役割を果たした。


「ゴッホ」 Vincent & Theo (1990)
監督:ロバート・アルトマン、出演:ティム・ロス。神話化されたゴッホの物語の脱構築を目指した作品で、いくぶん脚色されているとはいえ比較的史実に近い。画家は(他の作品に比べれば)感情を抑えた冷静で分析的な性格として描かれている。原題が示すように弟のテオにもスポットが当てられている。


「夢」 Dreams (1990)
監督:黒澤明。エピソードの1つに、ゴッホの絵画世界の中に入り込んでしまう夢の話がある。ゴッホを演じたのは映画監督のマーティン・スコセッシ。「太陽が絵を描けと僕を脅迫する」という言葉はこの映画におけるセリフである。



⑧アンリ・ド・トゥルーズ=ロートレック(ロトレック)(Henri de Toulouse-Lautrec, 1864年11月24日 - 1901年9月9日)は、「19世紀のフランスの画家。日本では慣習的に『ロートレック』で呼ばれるが、正しくは『「トゥルーズ=ロートレック(ロトレック)』と呼ぶ」。

「ロートレック――眼鏡をかけた恐ろしく小さな鍛冶屋。なかが二つに仕切られている小さな袋、そのなかに彼はあのかわいそうな足を入れる。厚い唇と自分でも描いているような骨ばったばらばらの指をもつ手、ほとんど半円形の拇指。彼はしばしば小男の話をするが、それはあたかも『自分はそれほど小さいわけではない』と言うためのように見える・・・」(P178)

著者はロートレックの友人だったジュール・ルナールの文章を冒頭で引用して、「ルナールは、消して故意に誇張したり、悪意をこめて書いたりしているわけではない。それどころか現在伝えられている多くのロートレックの写真を見てみると、この一節はきわめて正確だとすら言ってよいかもしれない」と記しています。確かにこの写真を見ると、そうです。

ウィキペディアによれば、「成人した時の身長は152cmに過ぎなかった。胴体の発育は正常だったが、脚の大きさだけは子供のままの状態であり、現代の医学者はこの症状を骨粗鬆症や骨形成不全症といった遺伝子疾患と考えている」とあります。著者はこの虚弱体質の原因の一つとして、彼の家系のよるものだと指摘し、次のように記しています。

「トゥールーズ=ロートレック家は、第一回十字軍に参加したというくらい歴史の古い名家で。代々近親のあいだでの結婚が盛んであった。血族結婚は、稀にうまく行くと、たとえば作曲家のバッハ一家のように多くの優れた人物を生み出すが、多くの場合、活力を失わせ、血を濁らせてしまう。十九世紀のトゥールーズ=ロートレック家はまさにそれであった」。(P181)


彼の生涯については1998年の映画「葡萄酒色の人生 ロートレック」(ロジェ・プランション監督)、ジョン・レグイザモが青年期(晩年)のロートッレクに扮した2001年の映画「ムーラン・ルージュ」(バズ・ラーマン監督)があります。


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