読書と映画をめぐるプロムナード

読書、映画に関する感想、啓示を受けたこと、派生して考えたことなどを、勉強しながら綴っています。

自民党への熱い想いと民主党への淡い期待、「保守の遺言」(中曽根康弘著/2010年)

2010-11-14 05:15:03 | 本;エッセイ・評論
~日本を死なせぬために―政治家の使命とは何か?迷走する政治への最終提言。~


<目次>
第1章 自民党再生への道(鳩山首相と祖父・一郎;検証・民主党政治 ほか);
第2章 保守主義とは何だったのか?(戦前の二大政党制;官僚主義はなぜ生まれたか ほか);
第3章 世界における日本を再考する(冷戦構造の時代;世界の中における日本 ほか);
第4章 これからの政治家に必要なもの(哲学と熱情;歴史に示唆あり ほか);
第5章 今こそ「坂の上の雲」を追え(司馬遼太郎と戦後日本;現代における「坂の上の雲」とは ほか)


1985年9月22日、G5(先進5ヶ国蔵相・中央銀行総裁会議)により発表された、為替レート安定化に関する、「プラザ合意」。国際金融市場でドル安が容認され、これ以降市場は円高基調に傾きます。この合意についてウィキペディでは次のように解説されています。ちなみにこの時点のG5は、日本、アメリカ、ドイツ、フランス、イギリスでした。

~日本においては急速な円高によって『円高不況』が起きると懸念されたため、低金利政策を継続的に採用した。この低金利政策が、不動産や株式に対する投機を促進し、やがてバブル景気をもたらすこととなる。

また、円高により日本経済の規模は相対的に急拡大。「半額セール」とまで言われた米国資産の買い漁りや海外旅行のブームが起き、賃金の安い国に工場を移転する企業も増えた。とりわけ東南アジアに直接投資することが急増したため、「奇跡」とも言われる経済発展を促すことになった。~

このプラザ合意に関しては、時の米財務長官ジェイムズ・ベイカー氏と蔵相竹下登さんが取沙汰されることが多いと思いますが、このときの日米のトップはロナルド・レーガン大統領と本書の著者である中曽根さんでした。

中曽根さんの首相在任期間は1982年11月27日~1987年11月6日で、国鉄の民営化(1987)、電電公社の民営化(1985)、日本専売公社の民営化(1985)を断行しましたが、本書には国鉄の民営化については若干触れているものの、本書の性質上、プラザ合意やその他の民営化についての経緯は語られていません。

中曽根さんの個人的なイメージとしては、これまでは防衛予算を対国民総生産(GNP)比1%枠にとどめていた従来政権の方針を撤廃したタカ派の首相であり、内需拡大のためにテレビ政府広報にご自身が出演して外国製品の購入を促すという「目立ちたがりや」な首相でした。

本書を読んで、保守政治家としての何たるか、戦後政治のありようについて学んだ思いです。まずは、保守とは何かについて中曽根さんは次のように定義します。

~保守という言葉は、感覚的には「温故知新」とやや近いかもしれないが、決定的に違うのは、新しいものを生み出していこうとする「エネルギー」量の豊富さなのである。


十八世紀のイギリスの保守主義思想家エドマンド・バークは、「保守せんがために改革する」という名言を遺した。すなわち現状を打破するのみで、精神的基礎が非常に薄弱なフランス革命に対するアンチテーゼとして、民族や国家が持つ歴史、伝統、文化を継承する思想として「保守主義」を提唱したのである。

ただ、保守というのは、伝統や文化を壊すために改革するのではなく、歴史や文化を大切にし、真の保守に高め、進化させていくために改革が大切なのだということを説いた言葉である。~

<エドマンド・バーク - Wikipedia>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%AF

本書の中で最初に印象深かったのは、第四章「これからの政治家に必要なもの」に書かれている次の括弧書きの文章でした。

「円がこれだけ高くなっても家庭生活の豊かさはいっこうに実感できない」「日本経済は、自分たちの働いている会社は大丈夫だろうか?」「倒産はしないか?」「人員整理、配置転換されはしないか?」「自分の選んだ職業は果たして将来生き残れるのか?」「年功序列が崩れ、定年は早まるのだろうか?」「これからの米づくりはどうなるのか?」「もうすぐ高齢化社会がやってきて日本経済は沈没するのではないか?いまの年金制度ではとても将来暮らせないのではないのか?」「こんなに教育が荒廃していると次の世代を担う人材が育たないのではないか?」

この括弧書きの危機感は、現在の日本の経済、福祉、教育状況そのものですが、実は中曽根さんが今から32年前の1978年に上梓した「新しい保守の論理」から著者自身が引用したものでした。続く文章で、中曽根さんは次のように述べています。

~いまも同じ不安、危機感が渦巻いていることを思うと、政治はこの20年以上何をしていたのかと反省させられる。~(P121)

さらに中曽根さんは時代を遡り、次のような振り返りを行っています。

~第一次世界大戦が終わった1918年、日本は株式・商品市場や土地投機ブームに沸いた。いわばバル経済である。また同じ年、原敬内閣は政治改革と称して、小選挙区制を導入。1935年から1941年までの6年間に、近衛文麿氏から首相は7人も代わっている。

1918年には米騒動が起きたり、23年には関東大震災が起き、社会不安が高まる。27年には、大蔵大臣の失言がきっかけで銀行の取り付け騒ぎが起き金融危機が起きる。3年後の30年には金解禁に端を発した昭和恐慌に見舞われる。経済状態の悪化、社会不安の高まりは、右翼的な民族主義やポピュリズムを誘発し、ファシズムが覆い始める。~

そして同じように次のように述べます。

~ここまで読むと、デジャビュととらわれる読者がいるのではないだろうか。昭和末期から平成にかけて起きた出来事である。株や土地投機に沸いたバブル経済の崩壊、小選挙区比例代表並立制で初めて選挙が実施されたのが1996年、87年から2010年のわずか14年あいだに、竹下登から小泉純一郎まで、10人の首相の首がスゲ替わっている。そして2008年、記憶に新しいリーマンショックに端を発する世界的な大不況・・・。

ここ十数年の政治情勢を振り返ってみると、大東亜戦争が始まる頃の様子と酷似している部分が多く、不安にかられる。~

私自身もそういう思いに駆られる者の一人です。第二次世界大戦前の欧米中心の帝国主義と日本へのABCD包囲網に加え、日本にはいつもソ連の脅威があり、中国は内乱と日本との交戦の最中で目の上のたんこぶだった状況は、昨今のロシア大統領の北方領土への干渉、中国は逆に経済力を縦に尖閣諸島への干渉は、いくら国内問題の沈静化を狙ったものとは言え、日本国民のナショナリズムを煽るものです。

中曽根さんは、先の戦争の原因が官僚主義をその元凶をあげ、その官僚主義・軍閥を招いた元凶に大日本帝国憲法をあげます。国権の調整役だった元老が力を失い、「統帥権独立」が一人歩きを許したこと。つまり、戦争前に明治憲法を改正し、曖昧な解釈をされるおそれがある統帥権に関する記述に暴走を食い止める記述を明確にしておかなかったこと。

そして、二度と同じ間違いを犯さないために、今やらなければならないことは、現行憲法の改正であると筆は進みます。それでも、今年の5月に上梓した本書には、政権交代後の民主党に熱い期待も込められていますが、それから半年後の状況は中曽根さんの期待を裏切る結果となっています。

今年齢92歳になる大長老は、まだ先行き不透明のこの国のリーダー像として、次のような遺言を記しています。

<リーダーの条件>
①「目測力」;事態の推移を予測し、自分が下した判断を遂行するために問題を提起し、いかにゴールに到達させるかを把握させるかを把握する能力。
②「説得力」;文字通り、内外に対するコミュニケーション能力。
③「結合力」;素晴しい人材と情報、そして資金を集めて結合させる力。
④「人間的魅力」;これは協力してくれる人たちを動かし、能力を最大限に発揮させる根本的な力である。


中曽根さんは今も意気軒昂で政界のご意見番として論陣を張っておられます。中曽根さんより7歳年上の朋友ロナルド・レーガンが亡くなったのが2004年、享年93歳でした。レーガン氏はその10年前にアルツハイマー病を患い闘病されたのですね。本書にはそんな想いも込められた、保守政治家としての現政界への熱い遺言となっています。

<中曽根康弘 - Wikipedia>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9B%BD%E6%A0%B9%E5%BA%B7%E5%BC%98


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