読書と映画をめぐるプロムナード

読書、映画に関する感想、啓示を受けたこと、派生して考えたことなどを、勉強しながら綴っています。

日本人への熱い期待、「スフィンクスと日本刀」(ヒシャム・バドル著/2008年)

2010-11-13 06:26:35 | 本;エッセイ・評論
~エジプト大使から見た日本人の美徳~

<目次>
第1章 初めての日本
第2章 イスラム教と日本
第3章 中東と日本
第4章 イスラム世界と西洋
第5章 二十世紀のアフリカ

以前、FMの番組で元エジプト駐日大使のヒシャム・バドルさんが出演されていました。日本語が流暢で、日本文化への造詣も深い。カラオケに行けば、美空ひばりの「川の流れのように」、石川さゆりの「津軽海峡冬景色」、吉幾三の「雪国」「酒よ」などを十八番に熱唱。

番組ではそのヒシャム・バドルさんが日本とエジプトとの友好関係、その上に立った熱い期待を語っていました。そのときに模様を別のブログで書いたのですが、日付をチェックすると2年前のことでした。そのときに出版されたヒシャム・バドルさんの著書が本書で、今回やっと読むことができました。本書には訳者の記述がありませんが、もしや日本語でお書きになったのでしょうか。

まず、エジプトというと、本書のタイトルにもなっているスフィンクスとピラミッドの古代文明。それから紆余曲折を重ねながら7000年という歴史を紡いできた国家です。正式には、エジプト・アラブ共和国、通称エジプト。中東・アフリカの共和制国家で首都はカイロ。人口は約8,300万人。

そんなエジプトについて、著者は次のように解説しています。

~7000年の歴史を通じで、エジプトにはさまざまな民族が渡来し、それぞれに影響を残していきました。古くはギリシア・ローマ人から、オスマン人、フランス人、イギリス人等です。我が国民の祖先はアフリカ、地中海地域、中東の諸民族であり、宗教は主にイスラム教ですが、無視できない数のコプトキリスト教徒がいます。

エジプトの位置や歴史的事情がエジプト人を非常に開放的かつ友好的にしました。我が国民は、外国人と接し、外国人から学ぶことが好きな国民です。異なった思想信条を持つ人々とも敬意を持って接し、交流できることはエジプト人の誇りうる国民性です。~

*コプトキリスト教;キリスト教の東方教会の一つで、紀元2世紀にエジプトで独自に発展した非カルケドン派(東方諸教会)の一派。

恥ずかしながら、エジプトは中東の国だとばかり思っていました。地理的には北アフリカでしたね。しかし、本書では9.11事件から沸き起こった米国発のイスラム教へのプロパガンダ、イラクへの介入について中東諸国の代表として、米国の介入政策を次のように反論されています。

~西洋的自由主義民主主義をそのまま中東に移植できるという考えは誤りです。変革と発展に向けての真摯な努力は、常に、地域住民の中から生まれ来て、当地の文化や価値観を反映するものでなければなりません。

そのような理由から、エジプトや域内諸国は、いわゆる「大中東圏」や「中東北アフリカ圏」を建設しようとする構想に懸念を表明してきたのです。友好諸国や世界各国のご支援には感謝しますが、政治体制や経済社会構造の改革は、自国主導で行なわなければならないことは譲れません。そうすることによってのみ、中東に持続可能な発展をもたらすことができるのです。~

そして、エジプトと日本の交流について私たちが学ばなかったことを教えてくれます。

~エジプトと日本の交流は、日本側から開かれました。約140年前、日本がまだ江戸時代であった1862年に、時の政権徳川幕府は、世界から知識や技術を学ぼうと、「侍」の使節団をヨーロッパに送りました。その使節団の中には福澤諭吉もいたことが知られていますが、彼らはヨーロッパからの帰途、エジプトに10日間滞在し、エジプトの法体系や司法制度、それから、当時エジプトで最先端の研究がなされていた医学などを学びました。~

本書では彼らが見る日本像とその日本が成し得る中東、アフリカ圏への取り組みとして次のようなポイントが記されます。

<非西欧諸国から見た日本の成功>
~エジプトやアラブ世界が日本に抱いている関心事項~
・非キリスト教圏で日本だけが、しかも、伝統と文化を失うことなく成功したこと。
・日本の成功体験がほかの国にとってもモデルとなり得ること。
・日本から良いものを学び取り、日本と実り多きパートナーシップを結びたいという願望。

<アフリカ大陸における日本の貢献と将来への期待>
・自らの紛争防止・解決機構の開発に当たるアフリカ大陸への援助を通じた、大陸における平和の強化。
・アフリカ大陸の持続可能な開発に向けた、堅固な基礎となるインフラ基盤事業の振興。
・持続可能な開発には、教育格差を埋め、技術面でのアフリカの知識および習熟度を高められるような適切な教育の提供が必要であり、それに向けた人間の安全保障のための機関および人的能力の構築。
・民間部門の支援、政府開発援助(ODA)の増加。とりわけ重債務貧困国を対象とした債務免除、外国直接投資(FDI)の増加。および観光部門の振興を通じた、アフリカにおける資本移動の促進および金融機関の強化。
・情報通信技術(ICT)時代への対応。この分野において、日本はICTの世界的主導者として、ICTインフラ基盤の構築および改善、最新ICTの利用拡大、ならびに利用に関わる費用削減、および信頼性向上においてアフリカをさらに支援することが可能である。
・アフリカの現行の環境構想を強化する取り組み。ならびに、新しい再生可能なエネルギー源の入手および、利用方法の模索を行うアフリカ諸国の援助を通じた、持続可能な開発のための環境保護。
・女性の地位・役割向上。家庭、地域社会、村落、および国家レベルにおける開発に向けて、女性とその貢献が十分活用されない事態に決して陥ることのないよう、日本は、教育、能力向上、および医療に関連した特別な計画を通じて、アフリカの社会・経済発展における女性の役割を一層向上させることができる。


<「日本人はアッラーを信じないムスリムである」>
http://ameblo.jp/asongotoh/day-20080810.html

<元エジプト大使が語る平和と愛する日本のこころ>
http://ameblo.jp/asongotoh/day-20080817.html

<経済よりも技術の移植、文化交流~中東、アフリカへの橋頭堡・日・エジプト科学技術大学~>
http://ameblo.jp/asongotoh/day-20101107.html



バドル,ヒシャム・モハメッド・モスタファ[Badr,Hisham Mohamed Mostafa];
外交職歴―1983エジプト外務省情報調査局外交館員。1985~1990駐日エジプト大使館二等書記官。1990~1993エジプト外務大臣室一等書記官。1993~1998駐米エジプト大使館参事官。1998~2001エジプト外務大臣室次長。2001~2003アラブ連盟事務総長室長。2003エジプト外務大臣室長。2003~2007駐日エジプト大使。2007~外務次官。学術経歴―1982カイロ・アメリカン大学政治学学士。1984~1985英国オックスフォード大学政治学修士。1987カイロ・アメリカン大学国際関係学修士。1992~1994カイロ・アメリカン大学政治学助教授(「日本の外交政策」講義)。1999~2001同大学政治学教授(「米国議会と中東」講義)。2002~2003同大学政治学教授(「世界政治とアラブ連盟」)


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