読書と映画をめぐるプロムナード

読書、映画に関する感想、啓示を受けたこと、派生して考えたことなどを、勉強しながら綴っています。

「放送禁止歌」(森達也著・デーブ・スペクター監修 / 解放出版社)

2006-01-18 17:58:42 | 本;ノンフィクション一般
第1章 テレビから消えた放送禁止歌
第2章 放送禁止歌、それぞれの具体的な背景
第3章 放送禁止歌 日本VSアメリカ「デーブ・スペクターとの対話」
第4章 差別と放送禁止歌

1999年5月23日、著者が6年間暖めてきた企画、「放送禁止歌~唄っているのは誰?規制するのは誰?」と名付けたドキュメンタリー番組がフジテレビで放映された。本書はこの番組を軸に、制作に至るまでの経緯と放映後の、「規制の所在」を追い求めるドキュメンタリーとなっている。デーブ・スペクターとの対談、日米「放送禁止歌」比較もおもしろい。

「放送禁止歌に指定された理由には、実は共通する大きな特徴がある。ときには政治的だったり反社会的だったりする個々のメッセージを、歌詞全体の文脈や行間からとらえたうえで放送禁止という規制を決めたという側面だ」と分析する。

そして、「しかしこの傾向は、70年代後半以降になると少しずつ変容していく。いわゆる『放送禁止用語』の概念がマスメディアに広まり始め、歌詞全体の意味よりも、むしろ差別用語など、歌詞に使われている言葉それ自体が問題となり、結局は曲全体が規制の対象になるという傾向があらわれはじめる」と解説する。

本書のメインテーマは副題にある「規制するのは誰?」である。著者は放送局の関係者にその当事者を追う。そこで誰もが放送禁止歌を決定する機関として、民放連の名をあげる。その民放連が策定する「要注意歌謡曲指定制度」は、「放送禁止を決定するシステムだと長く思い込まれていた。しかしその本質は、強制力や拘束力などまったくないガイドラインでしかないこと」が明白になる。少なくとも今日、明確な「放送禁止歌は実在しない。巨大な共同幻想でしかない」ことが示される。

著者は、「メディアには巨大な力はあっても自覚はない。みごとにない。無自覚であるがゆえに、事態を前にあっさりと思考停止に陥り、規制という巨大な共同幻想をたやすく信じこんでしまっている」とし、「自覚性を持つこと。主語を自分のものにすること」を繰り返す。「しかし、この作業が、メディアに、そして日本人全般に、そして実は誰よりも僕自身に、今、大きく欠落していることに間違いない」と表明する。

そして、メディアから消えてしまった名曲「竹田の子守唄」のルーツを辿る旅に出る。その旅先で著者は、これまでに流布されていた話が全く違うものであったことを知ることになる。


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