原題:La Môme、La Vie En Rose)は、2007年公開のフランス製作の伝記映画。
監督:オリヴィエ・ダアン
脚本:イザベル・ソベルマン
主題歌:「愛の賛歌」
音楽:クリストファー・ガニング、エディット・ピアフ
撮影:永田鉄男
出演:マリオン・コティヤール、シルヴィー・テステュー、パスカル・グレゴリー、ジェラール・ドパルデュー
~歌手を目指す母アネッタ(クロチルド・クロー)の娘エディット(マリオン・コティヤール)は、祖母が経営する娼館で娼婦のティティーヌ(エマニュエル・セニエ)らに育てられる。やがて母のように道で歌い始めたエディットは、名門キャバレーのオーナー、ルイ・ルプレ(ジェラール・ドパルデュー)に見出されるが……。(シネマトゥデイ)~
本作で描かれるエディット・ピアフを観ていると、越路吹雪さんにことを思い起こしてしまいます。日本では、背徳的な内容とは異なった岩谷時子さんの訳詞で越路吹雪さんが歌ったのが有名なので、訳詞上は問題がないかもしれませんが、原曲に込められた想いは結婚式の賛歌としてはあまりにも悲劇的といえる内容です。比較的原詞の意味に忠実な内容として、永田文夫さんによる日本語歌詞を美川憲一さんが歌っているそうです。美輪明宏さんは自ら訳した日本語詞を台詞として吟じたあと、フランス語の原詞で歌うというスタイルを取っているそうです。
エディット・ピアフ(Édith Piaf, 1915年12月19日 - 1963年10月11日)は、「フランスのシャンソン歌手。フランスで最も愛されている歌手の一人であり、国民的象徴であった。彼女の音楽は傷心的な声を伴った痛切なバラードであり、その悲劇的な生涯を反映していたのが特徴であった。有名な曲としては『ばら色の人生 La vie en rose』(1946年)、『愛の讃歌 Hymne à l'amour』 (1949年)、『ミロール Milord』(1959年)、『水に流して Non, je ne regrette rien』(1960年)などがある」。
本作では、ピアフのもう一人の恋人イブ・モンタンについては一切触れられず、「愛の賛歌」に想いを込められたこのボクサーとの愛が描かれました。
マルセル・セルダン(Marcel Cerdan、1916年7月22日 - 1949年10月27日)は、「フランス(旧仏領アルジェリア)出身の元プロボクサー。元世界ミドル級チャンピオン。名王者トニー・ゼールからタイトルを奪ったボクサーとして知られる。シャンソンの女王エディット・ピアフの恋人だったことでも知られ、笑うのが好きで人を惹き付ける性格であったと伝えられている。通算成績。119勝(74KO)4敗」
「セルダンはある日パリの酒場に立ち寄り、歌っていたエディット・ピアフと出会う。「どうして悲しい歌ばかり歌うの?」セルダンは聞き、「どうして殴るの?」とピアフは返した。始めて会った時から惹かれあった2人の仲は大恋愛へと発展する。ピアフは2日毎にセルダンへラブレターを送ったと言う」。
「セルダンはラモッタとの再戦に向け当初は航路で行く予定だったが、コンサートで ニューヨークにいたピアフの「早く会いに来て」との言葉により空路で行く事を決めた。ピアフは女優のマレーネ・ディートリッヒとニューヨーク・ラガーディア空港でセルダンを出迎える予定だった。ディートリッヒは墜落の報をピアフへ始めて伝えた。ピアフは激しい悲しみと衝撃に襲われたが、予定の公演を行う事を決めた。親友を思うディートリッヒは『あなたが死ねば、私も死ぬ』という歌詞がある『愛の讃歌』だけは歌わないように求めたが、ピアフはこの日始めて発表する予定だったこの歌を歌う事を決め、舞台で歌った」。
「後年、セルダン・ジュニアのプロデビュー戦でリングサイドにはセルダンの奥さんとピアフが並んで観戦している姿が見られた。セルダン・ジュニアは映画『恋に生きた女ピアフ』(Edith et Marcel)で父マルセルSr.の役を演じた。セルダンとピアフのストーリーは何度も映画化や劇化されている」。
さて、本作で見事にオスカーを手にしたマリオン・コティヤール。
マリオン・コティヤール(Marion Cotillard、1975年9月30日-)は、「フランスの女優。近年はハリウッドでも活躍する。俳優をしている両親の影響を受け、子供のころから舞台に立っていた。パリで生まれ、ロワレ県オルレアンで育つ。父親は俳優、母親は女優。弟が2人(双子)いる。「レディオヘッドやホークスリー・ワークマン(Hawksley Workman)の音楽が好きで、ワークマンのミュージックビデオにも出演している。環境保護団体グリーンピースのメンバーでもある」。
「オルレアンの演劇学校を首席で卒業し、18歳の時にテレビ映画に出演。その後、アルノー・デプレシャン監督の『そして僕は恋をする』や『TAXi』シリーズに出演して知名度を上げ、『TAXi』と『LES JOLIES CHOSES』ではセザール賞有望若手女優賞にノミネートされた。その演技力が認められ2003年にティム・バートン監督の『ビッグ・フィッシュ』でハリウッドデビューを果たす」。
「2004年公開の『ロング・エンゲージメント』で第30回セザール賞助演女優賞を受賞。2007年公開のフランス映画『エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜』でエディット・ピアフ役を熱演。その演技力が高く評価され、第33回セザール賞主演女優賞や第65回ゴールデングローブ賞主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門)などを受賞。第80回アカデミー賞主演女優賞も受賞し、アカデミー賞の演技部門ではシモーヌ・シニョレに続いて史上2人目、49年振りのフランス人女優の主演賞受賞者、そして、ソフィア・ローレンらに続いて史上5人目の外国語映画(英語以外の言語の映画)での受賞俳優となった」。
<マリオン・コティヤール-Wikipedia>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%A4%E3%83%BC%E3%83%AB
映画では、シルヴィー・テステューが演じモモーヌが言う自身の「別の才能」がなんだったのかわかりませんでした。
シルヴィー・テステュー(Sylvie Testud, 1971年1月17日-)は、「フランスの女優、作家。主に映画や舞台で活動しており、セザール賞など数多くの映画賞を受けている。リヨンに生まれる。14歳の時、クロード・ミレール監督の『なまいきシャルロット』に主演したシャルロット・ゲンズブールを見て女優の道を志し、演技の勉強を始める」。
「1989年にパリに出て歴史と演劇を学び、1991年にギャスパー・ノエ監督の『カルネ』で小さな役を得て映画デビュー。その後、フィリップ・アレル監督 L'histoire du garçon qui voulait qu'on l'embrasse(1994年)、ディディエ・オードパン監督 Le plus bel âge(1995年)などの作品に出演し、地歩を固めていく」。
「1997年、ドイツ映画の『ビヨンド・サイレンス』(カロリーヌ・リンク監督)に主演。ろう者の両親を持つ少女を演じるためにドイツ語とクラリネット、手話を習得して撮影に臨み、ドイツ映画賞の最優秀女優賞を受賞した。2000年にマルセル・プルーストの小説『失われた時を求めて』の一編を映画化した『囚われの女』(シャンタル・アケルマン監督)でセザール賞およびヨーロッパ映画賞の最優秀女優賞にノミネートされる。この時は賞を逃したが、翌2001年、主役を務めた Les blessures assassines(ジャン=ピエール・ドゥニ監督)でセザール賞新人女優賞を受賞」。
「2003年、それまでの女優生活を綴った自伝 Il n'y a pas beaucoup d'étoiles ce soir を発表。翌2004年にはアメリー・ノートンの自伝的小説の映画化『畏れ慄いて』(アラン・コルノー監督)で、不可解な日本の企業社会の中で生きるベルギー人の主人公を演じ、セザール賞最優秀女優賞など数々の賞を獲得。2005年2月には息子が誕生した。2007年のフランス大統領選挙では、社会党から出馬したセゴレーヌ・ロワイヤルの選挙運動に協力している」。
幼いピアフをわが子のように愛する娼婦を演じたのが、エマニュエル・セニエ。どこかで観たことがあると思っていた女優さんですが、それは「ナインスゲート」(1999)でした。
エマニュエル・セニエ(Emmanuelle Seigner, 1966年6月22日-)は、「フランス・パリ出身の女優。祖父はコメディ・フランセーズの団長だったこともある俳優ルイス・セニエ、父親は写真家で母親はジャーナリスト。妹のマティルドも女優である。14歳からモデルとして活躍、そのミステリアスな美貌から国際的なモデルとなる。映画デビューは1985年のジャン=リュック・ゴダールの『ゴダールの探偵』。1989年に映画監督のロマン・ポランスキーと結婚し、子供が2人いる」。
ピアフの実母を演じたのは、クロティルド・クロー。実生活は名家の妻というセレヴな方でした。
クロティルド・ディ・サヴォイア(Clotilde, Principessa di Savoia, 1969年4月3日-)は、「サヴォイア家のエマヌエーレ・フィリベルトの妻。ヴェネツィア=ピエモンテ公妃。フランスの女優クロティルド・クロー(Clotilde Courau)として知られる。フランスのオー=ド=セーヌ県生まれ。1995年に、将来を期待される若手女優としてシュザンヌ・ビアンケッティ賞を獲得している。2003年9月25日、エマヌエーレ・フィリベルト・ディ・サヴォイアと結婚。ヴィットーリアとルイサの2女がある」。
最後に、本作の撮影監督として名前を連ねるのが永田鉄男さん。今回初めて知りましたが、「うつくしい人生」(1999)、「スティール」(2002)、「ナルコ」(2004)、「大停電の夜に」(2005)などを撮っておられるそうです。
永田鉄男(1952年- )は、「長野県中野市出身のフランス在住の映画撮影監督。作曲家の久石譲とは幼馴染み。ハリウッドの代理人はエンデバー・エージェンシー。フランス撮影監督協会(AFC)所属。2007年公開の『エディット・ピアフ~愛の讃歌~』で第33回セザール賞撮影賞を受賞」。(以上、ウィキディア)
監督:オリヴィエ・ダアン
脚本:イザベル・ソベルマン
主題歌:「愛の賛歌」
音楽:クリストファー・ガニング、エディット・ピアフ
撮影:永田鉄男
出演:マリオン・コティヤール、シルヴィー・テステュー、パスカル・グレゴリー、ジェラール・ドパルデュー
~歌手を目指す母アネッタ(クロチルド・クロー)の娘エディット(マリオン・コティヤール)は、祖母が経営する娼館で娼婦のティティーヌ(エマニュエル・セニエ)らに育てられる。やがて母のように道で歌い始めたエディットは、名門キャバレーのオーナー、ルイ・ルプレ(ジェラール・ドパルデュー)に見出されるが……。(シネマトゥデイ)~
本作で描かれるエディット・ピアフを観ていると、越路吹雪さんにことを思い起こしてしまいます。日本では、背徳的な内容とは異なった岩谷時子さんの訳詞で越路吹雪さんが歌ったのが有名なので、訳詞上は問題がないかもしれませんが、原曲に込められた想いは結婚式の賛歌としてはあまりにも悲劇的といえる内容です。比較的原詞の意味に忠実な内容として、永田文夫さんによる日本語歌詞を美川憲一さんが歌っているそうです。美輪明宏さんは自ら訳した日本語詞を台詞として吟じたあと、フランス語の原詞で歌うというスタイルを取っているそうです。
エディット・ピアフ(Édith Piaf, 1915年12月19日 - 1963年10月11日)は、「フランスのシャンソン歌手。フランスで最も愛されている歌手の一人であり、国民的象徴であった。彼女の音楽は傷心的な声を伴った痛切なバラードであり、その悲劇的な生涯を反映していたのが特徴であった。有名な曲としては『ばら色の人生 La vie en rose』(1946年)、『愛の讃歌 Hymne à l'amour』 (1949年)、『ミロール Milord』(1959年)、『水に流して Non, je ne regrette rien』(1960年)などがある」。
本作では、ピアフのもう一人の恋人イブ・モンタンについては一切触れられず、「愛の賛歌」に想いを込められたこのボクサーとの愛が描かれました。
マルセル・セルダン(Marcel Cerdan、1916年7月22日 - 1949年10月27日)は、「フランス(旧仏領アルジェリア)出身の元プロボクサー。元世界ミドル級チャンピオン。名王者トニー・ゼールからタイトルを奪ったボクサーとして知られる。シャンソンの女王エディット・ピアフの恋人だったことでも知られ、笑うのが好きで人を惹き付ける性格であったと伝えられている。通算成績。119勝(74KO)4敗」
「セルダンはある日パリの酒場に立ち寄り、歌っていたエディット・ピアフと出会う。「どうして悲しい歌ばかり歌うの?」セルダンは聞き、「どうして殴るの?」とピアフは返した。始めて会った時から惹かれあった2人の仲は大恋愛へと発展する。ピアフは2日毎にセルダンへラブレターを送ったと言う」。
「セルダンはラモッタとの再戦に向け当初は航路で行く予定だったが、コンサートで ニューヨークにいたピアフの「早く会いに来て」との言葉により空路で行く事を決めた。ピアフは女優のマレーネ・ディートリッヒとニューヨーク・ラガーディア空港でセルダンを出迎える予定だった。ディートリッヒは墜落の報をピアフへ始めて伝えた。ピアフは激しい悲しみと衝撃に襲われたが、予定の公演を行う事を決めた。親友を思うディートリッヒは『あなたが死ねば、私も死ぬ』という歌詞がある『愛の讃歌』だけは歌わないように求めたが、ピアフはこの日始めて発表する予定だったこの歌を歌う事を決め、舞台で歌った」。
「後年、セルダン・ジュニアのプロデビュー戦でリングサイドにはセルダンの奥さんとピアフが並んで観戦している姿が見られた。セルダン・ジュニアは映画『恋に生きた女ピアフ』(Edith et Marcel)で父マルセルSr.の役を演じた。セルダンとピアフのストーリーは何度も映画化や劇化されている」。
さて、本作で見事にオスカーを手にしたマリオン・コティヤール。
マリオン・コティヤール(Marion Cotillard、1975年9月30日-)は、「フランスの女優。近年はハリウッドでも活躍する。俳優をしている両親の影響を受け、子供のころから舞台に立っていた。パリで生まれ、ロワレ県オルレアンで育つ。父親は俳優、母親は女優。弟が2人(双子)いる。「レディオヘッドやホークスリー・ワークマン(Hawksley Workman)の音楽が好きで、ワークマンのミュージックビデオにも出演している。環境保護団体グリーンピースのメンバーでもある」。
「オルレアンの演劇学校を首席で卒業し、18歳の時にテレビ映画に出演。その後、アルノー・デプレシャン監督の『そして僕は恋をする』や『TAXi』シリーズに出演して知名度を上げ、『TAXi』と『LES JOLIES CHOSES』ではセザール賞有望若手女優賞にノミネートされた。その演技力が認められ2003年にティム・バートン監督の『ビッグ・フィッシュ』でハリウッドデビューを果たす」。
「2004年公開の『ロング・エンゲージメント』で第30回セザール賞助演女優賞を受賞。2007年公開のフランス映画『エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜』でエディット・ピアフ役を熱演。その演技力が高く評価され、第33回セザール賞主演女優賞や第65回ゴールデングローブ賞主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門)などを受賞。第80回アカデミー賞主演女優賞も受賞し、アカデミー賞の演技部門ではシモーヌ・シニョレに続いて史上2人目、49年振りのフランス人女優の主演賞受賞者、そして、ソフィア・ローレンらに続いて史上5人目の外国語映画(英語以外の言語の映画)での受賞俳優となった」。
<マリオン・コティヤール-Wikipedia>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%A4%E3%83%BC%E3%83%AB
映画では、シルヴィー・テステューが演じモモーヌが言う自身の「別の才能」がなんだったのかわかりませんでした。
シルヴィー・テステュー(Sylvie Testud, 1971年1月17日-)は、「フランスの女優、作家。主に映画や舞台で活動しており、セザール賞など数多くの映画賞を受けている。リヨンに生まれる。14歳の時、クロード・ミレール監督の『なまいきシャルロット』に主演したシャルロット・ゲンズブールを見て女優の道を志し、演技の勉強を始める」。
「1989年にパリに出て歴史と演劇を学び、1991年にギャスパー・ノエ監督の『カルネ』で小さな役を得て映画デビュー。その後、フィリップ・アレル監督 L'histoire du garçon qui voulait qu'on l'embrasse(1994年)、ディディエ・オードパン監督 Le plus bel âge(1995年)などの作品に出演し、地歩を固めていく」。
「1997年、ドイツ映画の『ビヨンド・サイレンス』(カロリーヌ・リンク監督)に主演。ろう者の両親を持つ少女を演じるためにドイツ語とクラリネット、手話を習得して撮影に臨み、ドイツ映画賞の最優秀女優賞を受賞した。2000年にマルセル・プルーストの小説『失われた時を求めて』の一編を映画化した『囚われの女』(シャンタル・アケルマン監督)でセザール賞およびヨーロッパ映画賞の最優秀女優賞にノミネートされる。この時は賞を逃したが、翌2001年、主役を務めた Les blessures assassines(ジャン=ピエール・ドゥニ監督)でセザール賞新人女優賞を受賞」。
「2003年、それまでの女優生活を綴った自伝 Il n'y a pas beaucoup d'étoiles ce soir を発表。翌2004年にはアメリー・ノートンの自伝的小説の映画化『畏れ慄いて』(アラン・コルノー監督)で、不可解な日本の企業社会の中で生きるベルギー人の主人公を演じ、セザール賞最優秀女優賞など数々の賞を獲得。2005年2月には息子が誕生した。2007年のフランス大統領選挙では、社会党から出馬したセゴレーヌ・ロワイヤルの選挙運動に協力している」。
幼いピアフをわが子のように愛する娼婦を演じたのが、エマニュエル・セニエ。どこかで観たことがあると思っていた女優さんですが、それは「ナインスゲート」(1999)でした。
エマニュエル・セニエ(Emmanuelle Seigner, 1966年6月22日-)は、「フランス・パリ出身の女優。祖父はコメディ・フランセーズの団長だったこともある俳優ルイス・セニエ、父親は写真家で母親はジャーナリスト。妹のマティルドも女優である。14歳からモデルとして活躍、そのミステリアスな美貌から国際的なモデルとなる。映画デビューは1985年のジャン=リュック・ゴダールの『ゴダールの探偵』。1989年に映画監督のロマン・ポランスキーと結婚し、子供が2人いる」。
ピアフの実母を演じたのは、クロティルド・クロー。実生活は名家の妻というセレヴな方でした。
クロティルド・ディ・サヴォイア(Clotilde, Principessa di Savoia, 1969年4月3日-)は、「サヴォイア家のエマヌエーレ・フィリベルトの妻。ヴェネツィア=ピエモンテ公妃。フランスの女優クロティルド・クロー(Clotilde Courau)として知られる。フランスのオー=ド=セーヌ県生まれ。1995年に、将来を期待される若手女優としてシュザンヌ・ビアンケッティ賞を獲得している。2003年9月25日、エマヌエーレ・フィリベルト・ディ・サヴォイアと結婚。ヴィットーリアとルイサの2女がある」。
最後に、本作の撮影監督として名前を連ねるのが永田鉄男さん。今回初めて知りましたが、「うつくしい人生」(1999)、「スティール」(2002)、「ナルコ」(2004)、「大停電の夜に」(2005)などを撮っておられるそうです。
永田鉄男(1952年- )は、「長野県中野市出身のフランス在住の映画撮影監督。作曲家の久石譲とは幼馴染み。ハリウッドの代理人はエンデバー・エージェンシー。フランス撮影監督協会(AFC)所属。2007年公開の『エディット・ピアフ~愛の讃歌~』で第33回セザール賞撮影賞を受賞」。(以上、ウィキディア)
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