ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
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恥の感覚

2013-01-30 15:57:01 | ひとの幸福
「菊と刀」でベネディクトが言った、日本は恥の文化、欧米は罪の文化・・

という話は有名だけど、それを読んだことはないのに、

若い頃、そういう話だと聞いた時はなんだか恥ずかしかった。

「恥」を自分の外側に対して持つ恥ずかしさと勘違いしてたからだ。

でも自分の中にある恥感覚を見てみると、

ひとからどうこう言われるだろうから恥ずかしい、というのではなく、

周りからなんとも言われなくても、思われなくても、

自分が自分に対してつい思ってしまう“恥感覚”は日本人に多いのかと思う。

東北の震災に際しての日本人の姿に対して、外国人の反応は賞賛に満ちていたようだけど、

日本人からすれば、全く当たり前のことで、

なんでそんなに言われるのかわからないという感じだろう。

われ先にとパニくらないとか、不平不満を言わないとか、

略奪行為がないとか、そういった行為は意識してそう振舞ったとかではなく、

自然とそうしてしまうという質のものだったのかと思う。

これも恥の文化といってもいいのかと思った。

われ先にと避難物資に群がるというようなことはてんから浮かばない。

そんなことをする人を見るとよく恥ずかしく思わないなぁと感心してしまう、

というような感じがあるんじゃないかと思う。日本人は。

意識的にそういうふうに振舞うというより、

無意識的にそうなってしまう。

ひとがどうだろうと構わない、というふうに行動出来ない。

さっき書いたように、「会議を始めたいと思います」というのは、

自分はこう思うけれど、皆はどうですか、という意味が込められていると感じる。

「会議を始めます」では一方的だ。会議は人と共にするものだしね。

やはり、根っから他と共に、ひとと共に、が沁み込んでいるように思う。

パニ繰らないのも(自分さえ良ければいい)が潜在意識に無いからだろう。

なんでこういうことになってしまったのかといえば、

やはり言葉から来るものなんじゃないかと思う。

思考と言葉は切り離せない。人間が思考するときは必ず言葉で行なう。

言葉なしに思考は出来ない。

震災で一番アメリカの新聞に出た言葉は「ガマン」と「ショウガナイ」だったそうだ。

その言葉で震災を冷静に受け止めたと。

既に起こったことはショウガナイ。

そうなったものはしよう(やりよう)がない。

なるべくしてなった、と日本人はわかるのだろう。

過去は水に流して前を向いて行くだけだ・・のようなのがあるんだろうな。

まぁ、過去に執着していたら前には進めないのは当然だからね。

在りのままを受け取る素地を日本人は持とうと思って持ったんじゃなくて、

持つべくして持ったのだろうと思う。

日本語というもので。











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