「会議を始めたいと思います」という言葉について、
自分はこう思っているけれど、会場の皆さんの都合はそれでいいでしょうか、という含みがあるのかと思う。
もう少し待って欲しいという声があれば、待ちましょうというような暗黙の心が現れている言葉なのかと思う。
会議は皆でするものだから、皆の同意のもとでやりたいという心が言葉に表われている。
私はそんなふうに思う。
・・・一昨日かな、これ書いたの。もう少し考えたい。
桜井邦朋氏は、こういう言い方が謙譲の気持ちでなかったとしたら、
個人的に思うだけだから、“始めたい”のなら、勝手にどうぞということになってしまう、とあった。
だからこそ、その後に(思います)を付けるのだと思う。
個人的には始めたい・・が、(皆さんはどうか?)があるからこそ、
(思います)がついてしまう。
「始めたい」と(思うこと)が個人的であるということが予めわかっているし、
人それぞれでそれぞれの(思い)が在る、ことを、
“日本語の使い方”はわかっているからこそ、こういう表現になってしまうのではないかと思う。
「思います」は不要だと著者は言っていて、
だが、さすがに書かれた文章にはこういう用法はほとんど見られない、とも云っている。
それは当然だと思う。書き言葉と話し言葉は違う。
書き言葉はその時の自分の認識を表現しているだけで、
その場で他者と何かを為す場ではないから。コミュニケーションの場ではない。
コミュニケーションのために書かれた文章はあるだろうけど、
書き言葉それはコミュニケーションの場ではない。
論文を書くのに、これから論文を書こうと思います、なんていう場違いな表現はしない。
でも、個人的な手紙だったら、あるだろうな。
あなたに手紙を書こうと思います・・・前からあなたが好きでした・・とかなんとか。
この場合の(思います)には何が込められているか?
思い切って書く、という決心が感じられるな。
冒頭から、前からあなたが好きでした、だったら、与えるニュアンスはまた違う。
こういうのを行間を読む、というんだろうか・・・
また、会議は~時から始めるということになっているのだから、
何故「始めます」としないのか、それは不思議だと著者は云っている。
けれど、ここが又日本語の“言葉の使い方”に感服してしまうところだ。
会議は何日の何時からと決めたが、それはその時決めたことで、
予定は常に未定であり、なんらかの都合によっては幾らでも変わる可能性はあるもの。
変わるのは当然、という含みがその言葉の使い方に表われている。
常に現象は動き続けているということを“日本語の使い方”は知っているかのようだ。
常に『今ここ』からの発信が日本語の表現だ。
・・表現だ、と今言い切ったわたし。
明日になって、それは間違いだったと言うかもしれないな。
でも今そう書いてしまった。書き直そうかな・・
何でそう思うんだろう?
例外もあるかもしれない・・言い切れない・・とりあえず、言い換えよう。
・・・表現かと思う。もっとよく考える。
自分はこう思っているけれど、会場の皆さんの都合はそれでいいでしょうか、という含みがあるのかと思う。
もう少し待って欲しいという声があれば、待ちましょうというような暗黙の心が現れている言葉なのかと思う。
会議は皆でするものだから、皆の同意のもとでやりたいという心が言葉に表われている。
私はそんなふうに思う。
・・・一昨日かな、これ書いたの。もう少し考えたい。
桜井邦朋氏は、こういう言い方が謙譲の気持ちでなかったとしたら、
個人的に思うだけだから、“始めたい”のなら、勝手にどうぞということになってしまう、とあった。
だからこそ、その後に(思います)を付けるのだと思う。
個人的には始めたい・・が、(皆さんはどうか?)があるからこそ、
(思います)がついてしまう。
「始めたい」と(思うこと)が個人的であるということが予めわかっているし、
人それぞれでそれぞれの(思い)が在る、ことを、
“日本語の使い方”はわかっているからこそ、こういう表現になってしまうのではないかと思う。
「思います」は不要だと著者は言っていて、
だが、さすがに書かれた文章にはこういう用法はほとんど見られない、とも云っている。
それは当然だと思う。書き言葉と話し言葉は違う。
書き言葉はその時の自分の認識を表現しているだけで、
その場で他者と何かを為す場ではないから。コミュニケーションの場ではない。
コミュニケーションのために書かれた文章はあるだろうけど、
書き言葉それはコミュニケーションの場ではない。
論文を書くのに、これから論文を書こうと思います、なんていう場違いな表現はしない。
でも、個人的な手紙だったら、あるだろうな。
あなたに手紙を書こうと思います・・・前からあなたが好きでした・・とかなんとか。
この場合の(思います)には何が込められているか?
思い切って書く、という決心が感じられるな。
冒頭から、前からあなたが好きでした、だったら、与えるニュアンスはまた違う。
こういうのを行間を読む、というんだろうか・・・
また、会議は~時から始めるということになっているのだから、
何故「始めます」としないのか、それは不思議だと著者は云っている。
けれど、ここが又日本語の“言葉の使い方”に感服してしまうところだ。
会議は何日の何時からと決めたが、それはその時決めたことで、
予定は常に未定であり、なんらかの都合によっては幾らでも変わる可能性はあるもの。
変わるのは当然、という含みがその言葉の使い方に表われている。
常に現象は動き続けているということを“日本語の使い方”は知っているかのようだ。
常に『今ここ』からの発信が日本語の表現だ。
・・表現だ、と今言い切ったわたし。
明日になって、それは間違いだったと言うかもしれないな。
でも今そう書いてしまった。書き直そうかな・・
何でそう思うんだろう?
例外もあるかもしれない・・言い切れない・・とりあえず、言い換えよう。
・・・表現かと思う。もっとよく考える。