ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

神さまのご褒美

2012-09-26 15:59:31 | テレビを見て
今朝の「梅ちゃん先生」で、梅ちゃん先生がこんなことを言っていた。

『神さまのご褒美』という言葉。

「生きていればきっといいことがある、

きっといつか神さまがご褒美をくれる」・・・

・・戦後すぐの頃、戦災孤児のヒロシに梅子は言ったのだった。

ヒロシ青年はその言葉で頑張って来た。

「でも、神さまは何もご褒美をくれない。だから、もっともっと頑張らないといけないんです。」

・・そう青年は言う。自暴自棄みたいになってる。

梅子は、もういい、もういいのよ、頑張って来た。立派だった。言いっ放しでごめんなさい、と言って涙をこぼす。

「他に何をしたらいいか思いつかなくて・・・

お母さんのおはぎ美味しいのよ・・・

こんなご褒美じゃダメかな。」梅子は母親に来てもらっておはぎを作ってもらっていた。

それをヒロシ青年と食べる。

こういう梅子の言葉の奥に在るもの、を感じたんだろうと思う、わたし。

涙が勝手に出て来た。

自暴自棄になっていたヒロシに向かってその言葉を発したのは、

梅子に在る愛が表現を求めて、「神さまのご褒美」という言葉になって出て来たんだろうし、

今日も梅子に在る愛が表現を求めて、

「他に何をしたらいいか、思いつかなくて・・・おはぎ・・・」

という言葉になって出て来た、そんなふうに思った。


それにしても、神さまのご褒美ってなんなんだろう?

いわゆる神、GODはご褒美をくれない。そう思う。

お前はこうしたから、これを褒美にやる、こうしなかったら罰をやる、

そんなことはGODは出来ない。


愛が表現される時、そういう表現の一つとして暴力的な言葉遣いというのもある。

馬鹿野郎!や、アホ!という言葉が愛の表現の場合もこの世にはある。

昔、兄に「何やってんだ!」という非難、怒りの言葉を浴びた事があるけど、

その言葉をその時、発さなくちゃならなかった兄に、私に対する愛を感じて、

すごく嬉しく思ったことがある。

愛を表現する時、愛を表現されたと受け取った時、愛の表現を見たと受け取った時、

その意識、心がご褒美そのものなんじゃないのか・・

大文字の“GOD”ではなく、小文字の“god”である人間。

(聖書には厳然とその違いが記述されているようで)

ご褒美は小文字のgodである自分の心が、

自分にくれるものなのかと思った今朝の私でありました。

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