ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

教室

2013-04-30 09:28:34 | 日々の暮らし・思い出
昨日ドライブに行った。

温泉に入る予定はなかったのだけど、天然温泉という看板に惹かれて案内板の通り行ってみると、

なんだか自分が通った小学校のような建物がある。

渡り廊下みたいなものもある。

聞いてみるとここは元小学校で、何年か前に今みたいな温泉施設になったよう。

温泉に浸かった後、ここらの牧場の牛乳で出来たアイスクリームを

元教室・今食堂で食べた。

アイスクリームも美味しかった。教室も懐かしかった。

教室の後ろの方に座り黒板を見ながら食べた。

4年生の時、こんな後ろの方の席に座ってて、隣の子とお喋りしてたら、

チョークが飛んで来たんだよ、と夫に話した。

あれは体罰だったんだろうかなぁ・・でもよく命中したもんだ。

チョークを投げられてなんと思ったのか、確かな記憶じゃないけど、

恥ずかしく思ったような気がする。

それは投げられて当然みたいな感覚もあったということだ。

中学校の時は音楽の授業で後ろの方に立たされたことを憶えている。

自分が何をしたのか、何をしなかったのか、まるで憶えてないんだけど、

何か先生の気にいらない事をしたんだろうと思う。

立たされた時の自分の心を憶えていないけど、多分屈辱感はあったろうな。

それと先生への反感。

皆が座って授業を受けているときに、一人立ったことで私の何が改善されたんだろう??

どんな効果があったんだろう??私に対してだけじゃなくて。

やっと気づいた。チョークもこれも見せしめだったんだ。

こんな事をするとこんな目に遭いますよ、という。

こんな目に遭いたくなかったら、こんな事は止めましょうという。

そうかぁ。体罰とは何かなんて改めて考えたことがなかったけど、

体罰とはその名の通り罰なんだ~。

そういう体罰を受けても、自分が悪いことをしたんだから当たり前だ、

みたいな感覚を持っていたことに、書いていて気がついた。

当然感は当然感だからこそなかなか気づかない。


罰っていうのは、それを“させないように”するために行なうもの。

どんなことであっても“させようとする”“させないようにする”思考はうまいこと行かないね~

それで、確かにそれをしたり、しなくなったりする効果があるかもしれないけど、

それはいっときのことだし、心理的副作用の方が大きいだろうし、

また、それが要因になって様々な心理的歪み・歪み的言動を生むだろうなぁ。

そしてそれは続く・・だ。


やっぱり体罰は前時代的。

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