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ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

不自由 と 愛

2013-05-30 16:30:36 | ひとの幸福
そうしないで居ることが出来ない、そうしないと気が済まない、という意識の状態は

不自由と言えば言えるけど、って昨日書いたけど、

ひとは本質的にそういう不自由な点があると思う。

「生命よ 自由であれ」って福岡伸一ハカセの動的平衡の本にサブタイトルだったかな、あったけど、

生命に不自由なところがあるからこそ、そう表現できたんだろう。

本質的に、元々的に、どうしても不自由なところがある。

愛さずにはいられない というアメリカの歌があったけど、それ。

人を傷つけたりすると心が苦しむ。

一生懸命あれはそうするしかなかったんだ、なんて、

そうした行為を正当化させようと頑張って思うけれど、

何故そんなふうになるのかといえば、

本当はそうしたくなかった、というのがあるからだ。

あいつがあんな事しなかったらオレだってしなかった・・って思うのは、

オレがそう行為したことをオレが引き受けられないと心の底ではわかっているから。

ひとに優しくしたことならそういう自分を容易く引き受けられるけど、

ひとを傷つけた自分を自分は引き受けられない。

ひとは元々ひとを傷つけるようになってないからだ。

ひとを傷つけたことを他の誰からも非難されなくても、同じだ。

そんな事に関係なく、心はそうなっている。


「存在自体に幸福になるという本質が具えられている」と昨日書いたけど、

幸福になるには、幸福になってないという状態がその前にあるということだから。

なってない状態からなっている状態になれるわけで。


存在って状態だから、止まってない。

本質っていうと動かないものみたいに思ってしまうけど。


サンドイッチ

2013-05-30 15:55:13 | 日々の暮らし・思い出
今晩のメニューはサンドイッチなんだ~(^^)

ニコニコしちゃう。夕飯のメニューには相応しくないかもしれないけど、

いい、やっちゃう。

なんだか、ここんところサンドイッチが食べたいなぁ・・というのがよく出て来てた。

サンドイッチなんて何年も作ってない。

さっきスーパーに行ったら賞味期限近いロースハムが安くなってたから、

そうだ!サンドイッチは今日だ!と思ったんよ。

それになんだかその前にトマトも籠に入れてた。

トマトを買うというのも私にしては珍しいことなんだ。

トマトやキュウリや茄子とか夏野菜はうちの畑のもので、ってなってるから。

ベーコン、レタス、トマトのサンドイッチも美味しいから、それもしよう♪

日常こういうメニューは我が家は殆ど皆無。

魚、野菜、ここらの海産物、が殆どで、肉料理も少ない。月に一度か二度かなぁ。

料理は出来ればどなたかが作ってくださると嬉しい私なんだけど、

こんなふうにあまりしてないメニューを作る気になると、

俄然やる気に満ちてくる。ルンルン気分だ。

だから、料理本を見たり、ネットで検索すれば、

いやっていうほどいろんな料理が出て来るから、

それを見て新しいメニューに挑戦すれば料理も楽しいのに、それをしない。

何故なのか???

作る気になる、ところまで、気が行かないんだな~

今回は何故かサンドイッチが食べたい、というのが湧き起こって来たから、

作る気になるんであって。

家族がアレが食べたいなぁ、なんて言ってくれると、そうかっ、じゃあ・・ってなるけど、

我が家の男二人はそういったことは皆無。

何を出しても食べてくれる・・食べないのもあるか・・・

特に夫は美味しいとも不味いとも言わない。

アレを食べたいコレが食べたい、と言わない。

そう、こだわりがない。義父に聞いても「なんでもええ」。

夫に聞いても「なんでもいいよ」。

私が料理にあまり熱がないということと、彼等のそういう在りようという相互作用で、

見事我が家の食卓は超マンネリ。

食卓に並ぶものはこんなふうに家族みんなで創り上げているのだなぁと納得。

共にという在りようで、そのように在る。

人が来ると、そのひとたちを思って、私の気も変化するから、

普段は出て来ない物が登場したりするようになるわけだ。

さぁ、サンドイッチだぞ~!