ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

ホントはどこに?

2011-11-29 10:34:53 | ひとの幸福
また、オウム真理教関連で思うことだけど、

この裁判で真相は多くの人にとって明らかにならなかった。

明らかにする気が無かったかのように感じる。

事件が何故起きたのか、

彼が何を思って、何をしようとして、あーなったのか、

多くの人にとって、それがわからないまま終わった。

どんな事件だろうとそれを調べるのは当たり前なんだろうけど。

彼等は悪の集団だ、殺人集団だ、血も涙も無い・・

早く処分しろ、弁護人なんか要らない(そこまではなかったろうけど・・)

マスコミはさっさと“正義の味方”に成り果てて、

彼、松本死刑囚を悪魔と決めて非難批判した。

そうじゃない記事は小さかった。

河野さんが誤認逮捕された時も、

“正義の味方”にすぐになり、

彼が“悪”であるかのように書き立てた。

それが間違ってたことはそれらの記事の大きさと同じ分量ではなく、

ずーっと小さかった。

恥ずかしかったんだろ。

間違ってたことを無いものにしたかったんだろ。

それもわかる気がする。

事柄は違っても、似たような経験は誰でもあるんじゃないかな。


何人もの人たちが精神鑑定をするべきと言ったり、

彼を治療してからまともな裁判に、と言っても、

彼は狂ってる振りをしてるに決まってる、

と盲信してしまった。

本当はどうなのか、わからない。

警察も検察も裁判所も、早く早く早くの渦に嵌って行ったのかな。

オウムの人たちも裁判所の人たちも、警察の人たちも、

検察の人たちもマスコミの人たちも、

私たちただの人も、

根は一緒だ。

良かれと思って、突っ走った。

みんなで“正義の味方”をやった。

それがあると、真相、真実なんかどうでもよくなる。

なんせ、「正しいことをしてるんだぞ!」

「問答無用だっ!」・・・になる。


戦争でもこんな事件でも、家庭や職場のトラブルでも、

それがどういうプロセスでそう“なった”かを検証しないと、

それとは違うプロセスを体験できないことになる。

こんなことが再び起こらないように、

どういうプロセスでそうなったか、

何故それが起こったのか、それを知りたい、

・・という心底の熱意より、

マスコミが煽り立てた多数の「早く処分しちまえ」

・・コールの方が、大きかった、ということなんだろ。

民意を反映した、ということになるのかな。


マスコミの力はとてつもなく大きい。

それでも幾らマスコミが発信しても、

それをどう受信するのかは一人一人。

でもマスコミの人たちも私たちと全く違う人間じゃない。

世間のただの人たちと似たようなもんだろ。


この世間を構成してるのは、一人一人の人間。


一人一人の存在の状態が成長・進化することで、

世の中、社会は同じ過ちは繰り返さなくなるのは理の当然かな。

言葉 今 ここ

2011-11-29 10:20:12 | ひとの幸福
今、ここという瞬間はあっという間のことだから、

言葉で「今コレコレをしてる」と現在進行形で表現しても、

その言葉の内容が表わす現象は、発した時よりホンの少しでも過去の事。

今ここという瞬間は、

言葉で表現されようがない。

言葉を発するその認識は必ず事実の後の時点か、以前の時点。

日本語の動詞は今現在を表現するものはない。

見る、聞く、言う、走る、歩く、働く、動く、話す、

こういう言葉のかたちは現在形だけど、表す内容は未来のこと。

明日見る予定、これから聞くつもり、明日運動会で走る、等々。

「今走るよ」と言っても、

それを発するのは脚が動き出す前。

既に走っていれば、「走ってるよ」だ。

存在だけが現在形か。

これはパソコンである。(在る)


けど、明日の事を思おうと何億年前の事を思おうと、

そう発する意識は 今 ここ に存在する。



温泉座椅子

2011-11-29 09:17:03 | ひとの幸福
今私が座っているカタログハウスの(温泉座椅子)

ここのところの私の腰痛にはとてもいい。

安心して2時間でも座っていられる。

この椅子の成り立ちの元は、

誰かの「こういうものをつくりたい」という思い だと思う。

それがなかったら 今 ここにこれは無い。

またその誰かが「こういうものをつくりたい」

と思うように成ったのは、

それ以前の誰かの考えやら、

考えの結果としての物やら・・の集積だと思う。

いろんな物もみなそうかな。