ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

怒られるぅ!

2011-11-24 15:29:58 | 実例体験観察
久しぶりに家中の雑巾がけをした。

やっていると、こちらもあちらもやりたくなり、

雑巾を5,6枚出して、2艘式の洗濯機でゆすぎ、絞り、やっていた。

そのうち玄関の外に出て、あちこち拭きだし、

そうだ、車も拭こうとなった。
 
1台は割りと新しい奴で、夫が大事にしていて、

傷が付くから、拭き掃除はやらないでいいと言っていた車なんだけど、

ついつい雑巾が汚れるのが面白く、その車も拭いた。

何か付いていて、その汚れが落ちないので、

きゅっきゅっと力を入れて拭いた。

なんと!傷がついてしまった!黒だから目立つ。

あー、怒られる!と思った。

やらないでくれと言われていたのに、やってしまった。

あーぁぁ!こうするとこうなることが彼にはわかっていて、

だからやらないでくれと私に言ったのだと、

やっとわかったのだが、遅い!

傷跡がやけに目に入る。

今、まだ夫に自白していない。

怒られるのが嫌だし、彼のえーっぇ!という顔を見たくない。

でもいつかばれる・・・・・ムムムムム・・・

隣の部屋に彼はいる。

謝ろうか 謝りに行こうか あー、足が重い 腰が上がらない。

所謂罪と言われるものを犯してしまった人の気持ちがよくわかる。

傷を付けようとわざとしたことではないんだけど、

彼がしないでくれと言ったのにした。

業務上過失致傷 という奴だな 違うか。

この程度でこんなにビビルのだから、

業務上過失致死というのをやってしまった人は、

どんなにどんなに辛いだろう。


彼が怒るに決まっていると私の中でなっているのだな これは。

だけど、怒るよ、きっと。

うん、私の今の心の状態は(怒るよ、きっと)が放せない 状態だな。

怒られることを受け入れられない状態だな。

・・・よし!!!怒られよう!怒られることを堂々と受けよう!!

いざ!隣の部屋に!!!


言った。 自白して来た。

彼は怒らなかった。そうするとそうなるんだよ と淡々と言った。

やっちゃったものはしょうがないよ と淡々と言った。

今までだってこういう時に彼から、

感情的に責められたことは一度もないのに、

そう思ってしまったんだなぁと思う。

けど、怒られる!と瞬時に思うのは、

今までの人生でこういう過失致傷をしてしまった時に、

咎められたことがあったし、

人が咎められているのを、周りや、ドラマでたくさん、

見て来ているからだろうと思う。

いわゆる何か過失で法に触れるようなことをしてしまった人も、

同じような意識の展開になると思うよ。

この世では、故意にやったことでなくても、

失敗すると非難する、非難される、のが当たり前になってる。


生まれた時から、誰からも、

こういうことで感情的に怒られることもなく、

周りでもそういうものを見た事もなく、

このようなことを人にも非難されずに、

また、新聞沙汰にもならずにいたら、

こういう間違いをしたとき瞬時に、

「怒られる!」という反応は出ないだろうと思う。

淡々とミスを認めて、誰からもミスを咎められなくとも、

それ以降そういうことにかなり注意を払うだろう。

ひとが大事にしているものを、

自分のその時の気分でいじることをしたいとは思わなくなるだろう。

そんなふうに自分で自発的に反省して、

そういうことをしなくなる。


周りにいる人たち全員が、

責める人じゃなくなることが、

そういうことが再び起こらないようになるポイントだと思うよ。

実際、非難されて嬉しくてたまらない人はいない。

責められると人はイジケルようになる。

反って緊張するようになる。

いいことない。

非難されなくったって、

人は自分のした行為の結果を見ればわかる。

でもこういうこと反論多いだろうな。

でも、又言っちゃう。

量子力学の量子ゼノン効果というものが言うには、

咎め続けると、

咎められた相手はそういう行為をし続ける、

ということになるみたいよ。


音がして

2011-11-24 09:34:52 | 日々の暮らし・思い出
友だちの家に行った時、朝、台所からなにやら音がする。

彼女が何かしているんだ と思ってた。

リビングに行き、姿は見えないけど、

彼女だと思って、台所に向っておはようと声を掛けた。

あー、おはよう と男の声がした。

朝一番に起きて台所で音を立てているのは女だ、 

という自分の大前提(潜在意識)があったことに気が付いた。


実際には私自身ここ何年も、

夫より早く起きることなどめったに無い。

いつも夫は私より早く起き、

玄関を開けたり、窓を開けたり、

湯を沸かしたり、洗浄機の食器を片付けたり、

・・・・・こういうふうなのに、

自分の頭の(朝一番早くに起きて、台所で何かしているのは女)という、

見解、そういうもんだ観、が

こんなに根強いものだとはびっくりもの。

この場合、(そういうもんだ観)であって、

(そうするべき観)ではなかったので、

自分の中から出たのは びっくり で済んだけど、

(そうするべき観)を持って、それを“正しい”としてたら、

やるべきことをしていない と観て、

何故しないのかっ!という、

批判感情が出ることになるのかもしれない。


その音がどう聞こえているか。

その言葉がどう聞こえているか。

そのひとがどう観えているか。

そこから始まる自分のドラマ。

そこから始まる世界。