歌わない時間

言葉と音楽について、思うところをだらだらと。お暇な方はおつきあいを。

行雅僧都のハンセン病

2014年02月23日 | 古典をぶらぶら
自分が病気持ちなので、『徒然草』でも病気の話にはおのづとこちらの感度が高くなります。第四十二段は、唐橋中将の子、行雅僧都という人のこと。この人が「気[け]の上る病」に罹って、歳とともに重篤となっていった。そして、
目・眉・額なども腫れまどひて、うちおほひければ、物も見えず、二の舞の面のやうに見えけるが、たゞ恐ろしく、鬼の顔になりて、目は頂の方につき、額のほど鼻になりなどして、後は、坊の内の人にも見えず籠りゐて、年久しくありて、なほわづらはしくなりて、死ににけり。
という。兼好はこの病態のみをしるして、そのあとに「かゝる病もある事にこそありけれ。」とコメント一言だけ添えて了えています。このコメントは表現がシンプルなだけに、兼好の驚きや、この病気に対する怖れのふかさが伝わってくる気がする。

この段は以前にも読んだことはあったかもしれないんですが、気に止まらなかった。三十代でこの話を読んだときに、これはハンセン病かもと思いました。その後知ったのですが、この行雅の病気がハンセン病であったろうことは、すでに専門のお医者さんが指摘しているそうです。たしか稲田利徳さんの注釈で、わたしはそういう指摘があることを知りました。

いまなら薬で治る病気だったんだろうに。行雅は自分の病気とどんな気持ちで相対していただろう。行雅は高位の僧で、「教相の人の師する僧」、つまり学問の研究者だった。そして貴族の出だった。なんでこのわたしがよりによってこんな病気に、と思わなかったはずはない。「坊の内の人にも見えず籠りゐて」ってところがつらいなあ。