歌わない時間

言葉と音楽について、思うところをだらだらと。お暇な方はおつきあいを。

公○─実○─公○─実○

2012年01月28日 | メモいろいろ
わたしは貴族や武士の名乗字に子供のころから興味がありました。たとえば源頼朝の息子は、兄が頼家、弟が実朝です。つまり、父頼朝の名前のうち「頼」を兄に与え、「朝」を弟に与えている。これぢゃあ、兄と弟がお互いにライバル意識もっちゃうのも当然だよ。兄ちゃんが「頼家」なら、弟は「頼実」とかさあ、そういうのにしなくちゃあ。頼家と実朝。こういう名付けは兄弟げんかのもとですよ。とか。

それから、貴族の藤原氏の流れで閑院流、ってのがあるでしょ。ここは中世以降大繁栄して、明治になってからも、三条実美、西園寺公望という大臣が出たし、武者小路実篤、なんて人もこの流れです。で、この流はすごいのよ。ほとんどの人の名乗が「公○」か「実○」なのである。しかも、お父さんが「公○」だったら、たいてい息子は「実○」です。そしてお父さんが「実○」だと、息子は「公○」。つまり世代ごとに代わりばんこに「公」と「実」が出てくるのである。

閑院流の始祖は道長と同時代の藤原公季で、その後「公季─実成─公成─実季─公実」と継いだ。そもそも最初から「公」と「実」ばっかりなんですが、その後もずーっとこの調子で、基本的には、公○─実○─公○─実○、なのである。このワンツー、ワンツー、ってリズムがその後江戸時代までくづれなかった。そこがすごい。

この閑院流の名乗のことは、学生時代に国史大系の『尊卑分脉』をしょっちゅう引かされて自然に身についた知識です。でも、閑院流でありながら「公」も「実」もつかない人も少数いる、ってことも、学生時代に知っていた。たとえば菊亭兼季、なんてのがそうです。

当時は、「閑院流なのに『公○』でも『実○』でもないなんて、この人、いぢけちゃうんぢゃないのかなあ。自分がそういう立場だったらきっといぢける」とか思ってました。

で、はづかしながら最近になって、閑院流の第三の通り字の存在をようやく知りました。「季」である。もちろん、流祖の「公季」の「季」に由来するんでしょう。ただし、「公○」「実○」では通り字の「実」「公」は(少数の例外をのぞいて)必ず名乗の上の字になるけれども、「季」は「○季」だったり「季○」だったりするらしい。通り字といっても、「公○」「実○」ほどには安定してないのである。菊亭兼季も自分の名前のことでいぢけたりはしなかったかもしれないが、でもどうですかねえ。「なんで『公』とか『実』ぢゃないんだよー」って、心の中でつぶやくことはあったに違いないと思うよ。