歌わない時間

言葉と音楽について、思うところをだらだらと。お暇な方はおつきあいを。

「木偏の檀」「土偏の壇」

2012年01月10日 | 気になることば
檀ふみさんも檀れいさんも、名字は「木偏の檀」だそうです。「土偏の壇」ではない。しかしIMでは、「だん」と打って変換すると「木偏の檀」よりも「土偏の壇」のほうがふつう先に出てくる。それに、この場合、旁の「亶」が、画数が多くて黒っぽいので、目が悪いと「檀」も「壇」も見わけがつかない。そんなこんなで、この二人については、誤って壇ふみ壇れいと変換されることが多い。うっかりするとマスコミのウェブサイトでさえ、校正漏れで「壇」だったりする。わたしはあかの他人だから「気の毒になあ」と思うだけですが、本人たちはいやだろうなあ。「間違ってるけど、字が似てるから、ま、いいか」とはなかなかならないだろう。もし、ふみさんやれいさんが「ま、いいか」と思えてるとしたらそれは悟りの境地と言うべきでしょう。いくら似てても誤字なのだ。たとえば「小久保ふみさん」を「国母ふみさん」、てマスコミが書いたら、「お詫びして訂正いたします」ってことになる。それと同じレベルの失礼な誤りだ。

檀ふみさんていうと、わたしの場合はTBSの金曜ドラマ『冬の花火─わたしの太宰治』で太田治子さんになぞらえた役をやったのが忘れられないです。津軽三味線を使った主題歌までいまだに耳に残っている。このドラマでは太宰夫人役の長山藍子さんが病気で途中降板したのがじつに残念だった。それから檀れいさんは、今度の大河ドラマで待賢門院をやるそうです。わたしは学生時代から「待賢門院vs美福門院」の大河をやってくれんもんかなあとずっと思っていたので、うれしい。(待賢門院は、どことなく、『源氏物語』の藤壺の風情もあるよね。そんなことない?)