歌わない時間

言葉と音楽について、思うところをだらだらと。お暇な方はおつきあいを。

カーニン『ヘンデル_セメレ』

2010年01月24日 | CD ヘンデル
Handel
Semele
Joshua, Croft, Summers, Sherratt, Pearson, Wallace
Chorus of Early Opera Company
Early Opera Company
Christian Curnyn
CHAN 0745(3)

2007年録音。59分44秒/46分02秒/63分14秒。CHANDOS-CHACONNE。はじめて聴く完全版の『セメレ』。ただし、ヘンデルの楽譜にはあったけど初演のときに削除されたキューピッドのアリア(ガーディナー盤には収録)はここでは省略されています。クリスチャン・カーニンて人の指揮ぶりに不安があったんですが、ていねいな指揮で、まあまあだいじょうぶでした。芯になるローズマリー・ジョシュアとリチャード・クロフトの出来がいいので、ちゃんと聴いた、って気になります。

カーニンは『セメレ』を壮大なオラトリオというよりは情念渦巻く室内オペラふうに作っていく。ここでのセメレは、ガーディナー盤の清楚なセメレとはちがってなまなましい女の肉体を持っている。ただこういう行き方するならもうちょっと踏み込むべきでした。どこがどう足りないとはいえないけどちょっとばかり彫りが浅い。音楽が前へ前へと突き進んでいく力がちょっとばかり足りない。これはかなり微妙なレベルの話だとは思いますが、わたしはそう感じました。原曲どおりにやる、というのも善し悪しで、とくにCD1(第1幕)は劇の進行を止めてしまう長いアリアが多すぎる。それを削ったガーディナーの決断は納得できるものですわ。

ジョシュアはこれ以前にもヘンデルを歌っていましたけど、わたしはこの《セメレ》でああこの人いい歌手だなとはじめて思った。この人の歌うセメレはキッパリとしていて、色気もあって、そしてテクニックも決まっていて、安心して聴いてられる。

ジュノーとイノーをヒラリー・サマーズというアルトがひとりで歌っている。ヘンデル当時もひとりで歌ってたんでしょうが、これは善し悪しですな。ガーディナー盤ではジュノーをデラ・ジョーンズ、イノーをキャスリーン・デンリーが歌い分けてました。そのほうが聴いていて無理がない。サマーズは、イノーに関してはこれでいいと思います。しかしデラ・ジョーンズのあの圧倒的に強烈なジュノーを聴いたあとでヒラリー・サマーズを聴くと無個性でただ気味の悪いだけ、って感想になる。まあそう貶すこともないか。でもイマイチですよ。

ほかにリチャード・クロフトはジュピターのほか最後にちらっと出てくるアポロのレチタティーボも担当、バスのソリストであるブリンドリー・シェラットBrindley Sherrattはカドムスとソムスの2役。男声はどの人も実力じゅうぶんで不満はありません。

合唱はわりと自由に開放的な歌い方してますが粒が揃っていてなかなかよい。