歌わない時間

言葉と音楽について、思うところをだらだらと。お暇な方はおつきあいを。

「朝日のあたる家」

2010年01月04日 | 気になることば
年末に「ラジオ朝一番」の再放送で、「朝日のあたる家」についてなぎら健壱が語っているのを聞いた。「朝日のあたる家」という曲が、このことばから受けるイメージとはちがってじつは暗い内容の歌なのだ、というのは以前どこかで聞いたことがありました。オリジナルに忠実に訳された訳詞ならちゃんと出てくるんですが、「朝日のあたる家」というのは女郎屋のことなのだそうですよ。親の反対を押し切ってならず者と結婚した姉が、けっきょく男に逃げられて身を持ちくづし、流れていった先がニューオリンズの女郎屋で、それが「朝日のあたる家」なんですて。だから、妹に、あたしみたいにだけはなるんぢゃないよ、と。そういう歌。なぎらさんによると、「朝日のあたる家」というのはむしろ朝日しかあたらない家、のことだと。日中はジメジメしていて、物件としては嫌われるんですて。しかし日本語で「朝日のあたる家」て言われると、なんかホームドラマのタイトルのような温かいイメージですよね。わたしの語感でもそうだもの。で、この曲のメロディー自体は相当ドスのきいた重い音なわけですけど、これの訳詞として、原詩に忠実なものと、日本ふうな温かいイメージに読み替えられたものと、両系統あって、年末のラジオではその両方をすこしづつですが聞かせてくれた。ちあきなおみも歌っているのね。彼女が歌うのは忠実なほうの詩で、タイトルも「朝日楼」と女郎屋っぽいもの。

ためしに、いま「朝日のあたる家」でネット検索すると、日本ぢゃペンションとかレストランとかグループホームの名前に使われたりしているのですよ。そこのオーナーさんたちは「朝日のあたる家」って歌のことを知らないか、知っててもホームドラマふうの曲だと思ってるか。はたまたじつは真相知ってて、お客として来た人に、「アメリカの歌ぢゃ女郎屋なんですけどね」などと、太っ腹にそこまで語ってたりするか。