Arielのひとりごと

きょうは何が起きるかなぁ~

ムッチーとのお別れ

2012年07月23日 | 友達

 

すい臓がんで余命宣告を受けていた、Swimmer仲間のムッチーが先週火曜日に旅立ちました。
昨年7月末、医者からの宣告を受けてすぐに、とにかく会いに来て!と言われ、マッキーと2人で鎌倉へ向かい、ムッチー夫妻と4人で屋外プールで泳ぎました。

その時は、とても元気で食用旺盛。
余命4ヶ月なんて、信じられませんでした。
「私、来年の夏は泳げないのかなぁ・・・。」と涙ぐんでいたのが目に焼き付いています。
長くて年内、年を越え定年退職となる3月まではとても持たないと言われていたのに、結局ほぼ1年がんと闘い続けました。
抗がん剤治療の他に、漢方薬やフコイダンも服用し、一時期はがんが小さくなっていると言っていたのに。
先月、マッキーと3人で銀座で会ったのが最後になりました。
頼んでいなかったのに、私の大好きなテニアンホットペッパーを買ってきてくれて、すごくうれしかったなぁ~。

彼女はその人柄から、ものすごい数のお友達がいます。
なので、収拾がつかなくなるからと親族だけの密葬に。
20(金)に荼毘に付すので、顔を見に来るのなら木曜日までにとダンナのユッキーから連絡がありました。
よく一緒に大会に出ていたI村夫妻と3人で、木曜日の夕方鎌倉のご自宅へ。
I村夫妻のダンナは鎌倉に着くと、おもむろに黒いネクタイを締めました。
タクシーでお家の前に着くと、まるでホームパーティー?
「忌中」という紙も貼られていません。
玄関に入り切らないサンダル、お庭で遊ぶ子供、大きいわんこに小さいわんこ、もうワイワイガヤガヤ。
Tシャツとハーフパンツのユッキーが出てきて、なんでそんな格好で来たの?ゴムゾーリ履いてこなかったの?と言われてしまいました。
すると黒いネクタイを取るI村ダンナ。
手前の和室に棺が置かれ、ムッチーが静かに眠っていました。
白装束ではなく、オレンジ色のチュニックからビキニの紐がチラッと見えていました。
足元は見えなかったけど、お気に入りのビーサンを履いていたそうです。
近所のお友達がお化粧をしてくれて、オレンジ色の口紅がグロスでテカテカに光り、セクシーでした。
部屋の中はお友達からのお花がいっぱい。葬儀社手配の花は1つもありません。
全てきれいにアレンジされた、素敵なお花ばかり。
そして遺影の写真は水着。
これには彼女のお母さんが肌を露出しているからと反対したそうですが、でもそれが一番ムッチーらしいからね。
遺言で、お線香やお坊さん抜き。
戒名もなしにと言われていたそうですが、それではお墓に入れないらしく、仕方なく付けてもらったとユッキーが言ってました。
会社にも余命宣告されたことは公にしていたので、社員の方々からの応援アルバム、Swimmer仲間からの色紙等が飾られていました。
「がんばれ、ムッチー!」という缶バッチまであり、会社の人達にどれほど愛されていたかよくわかりました。
ご近所の女性達が自分の台所の様に料理をしていて、ダイニングテーブルにはおにぎりやら、お漬物やら、パスタが並び、大勢の弔問客が入れ替わり立ち替わり来ていました。
どなたかが、ムッチーとユッキーの誕生、学生時代、結婚式、結婚後から現在までのDVDを作成。
それをTVで見たり、動くムッチーも見てってと、昨年秋の網代~大島横断泳の動画も鑑賞。
どれも楽しそうなムッチーの姿。

ほんとうに亡くなったなんて、遺体を前にしてもまだ信じられないのです。
DVDを見ていると、お赤飯炊けたぁーと台所の女性がたくさんの一口大のおむすびを持ってきてくれました。
帰り間際に今一度ムッチーと会ってからと和室に入ると、そのお赤飯のおむすびが1つ供えてありました。
しめっぽい通夜という雰囲気がまったくなく、まるでムッチーがそこにいるようないつもの風景なんですよ。
こんなお別れの仕方あるんだぁーと、とても不思議でした。
この日の朝は、自宅玄関にお塩を用意し、帰宅した時にお清めをしたのですが、そんなことさえ、ったく、何やってんの!とムッチーに笑われそう・・・。
痛みから解放されて、これで思う存分泳げるね、ムッチー!
Thank you for everything.


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