不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

今治城再訪ー4

2015年12月28日 | 散文
「天守閣周り」

通路脇に吹揚神社への入口があります。


創建されたのは1872年との事ですが、今治一の初詣の場所です。

私も一度だけ訪れた事があります。大変な人出でした。

狛犬の脇に鈴状の人工の石がありました。
懐かしいです。「いのこさん」又は「ごうりんさん」の石です。

石に取り付けたリングに付いている多数の輪っかに縄を付けて、みんなで引っ張り合って中空に上げた石を落下させて庭に穴を掘ります。
男児が生まれた家が宿になって子供達が集まり、ごうりんさんの歌を唄いながら、の家々の庭に穴を掘って廻ります。
その後子供達は宿の接待を受けます。
子供が多かった時代はなかなか宿が廻って来ませんでしたが、子供が居なくなった今は廃れてしまった晩秋の行事です。

小さな天守閣でも、近くで見るとそれなりに見えます。


散策を続けます。


櫓の石垣越しに見る天守閣です。


社務所越しの天守閣です。


櫓門から城内を見ます。


初冬の今治城です。

小さいと思っていましたが、こうして散策すると、それなりに楽しめるお城です。

藤堂高虎公に別れを告げます。

以上で今治城の報告を終わります。
お付き合いありがとうございました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今治城再訪ー3

2015年12月28日 | 散文
「城壁上を歩く」

天守閣へ向かいます。


城壁上を歩きます。


生家方面を見ます。
正面に太平記の舞台である瀬田山・笠松山が見えます。
その左前方の唐子山と右前方の霊仙山には今治藩の砦が置かれていました。

今治藩南の守りの要です。
そのほか玉川や朝倉にも城跡がありますが、今治藩との関係は分かりません。
これから勉強します。

最後の守りは、海水を引き入れた内堀です。


城壁にサクはありません。

ちょっと怖いです。

藤棚の紅葉が残っていました。
ここには昔、動物園がありました。

小鳥小屋にその名残があります。

随分永い期間、堀には貸しボートが浮かんでいました。

高校生の頃のデートの場所でもあります。

大きな楠木が城壁の上に生えています。

石垣が崩れないか心配です。

堀の向こうに廃校になった中学校が見えます。
少子化の影響です。
ここは漁師の子弟が多く通っていて、私の母校も漁師町にありました。

漁師は気が荒く喧嘩っ早いのが常で、両校はお互いをライバル視していました。
私の同級生はここ「吹き揚げさん」に遠征して、ここの中学校の番長と決闘をして負け、鼻血を流しながら自転車を漕いで帰りました。

「皇太子殿下御野立之所」碑がありました。
大正11年とありますので、昭和天皇の事ですね。

「野点」ではないのか?と思いながら歩きます。

名残りの紅葉越しに天守閣を見ます。


城壁を下りて天守閣の方へ歩きます。

次回に続きます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする