自分で蒔いた種は 自分で刈り取るべし
自分が使った茶碗は 自分で洗うべし
とは思っているけど、出来ていないのは大人じゃないからだろう。体が大人でも、中味が大人でなければ、そう意味はない。動くハリボテである。
君の言葉に動くまいと思っても、吊革に掴まって、踏ん張って、窓の外をずっと見ていようとしても、よろめいてしまうようで。
ダルマの様に、石の上に座っていたくなるな。動きたくない、揺れたくないのにな。君の言葉で揺れて、乗り物酔いしてしまう時がある。 君のせいじゃないよ。
今はまだ、我慢している。こらえどころだ。今こらえないと、すぐ後戻りだ。いとも簡単に、初めて君への関心に気付いた頃に戻ってしまうようなので、少し困っている。
本当は、こんなに何時までも考えていたくはないが、自分の性質なのだろうか? それとも、その位深かったのだろうか? 今だ僕は、深海魚のように息をしている。目の前の明かりだけを頼りに、静かな闇の中をゆっくり手探りで泳いでいるとでもいうか。
君の言葉は、海面から降ってきて、目の前の明かりに照らされる頃には、もう消えそうだ。僕は、懸命に意味を考えてみるが、分からず仕舞い。あまり期待もしたくなので、『まさか』と思う時もあるが。(どうしようもないな)
こらえなければ。
自分の茶碗は自分で洗おう。
いろんなことに、落とし前つけるのが、下手らしい。