Catch the words

from Shizuoka/name is "slide"

blooms in the mud

2011-04-28 | Weblog





青紫色に輝く羽の
蜻蛉が飛び交う小川の脇に、毎年咲く大きな蓮の花

泥の中から生まれて
泥の中から生まれて伸びて
泥の中から伸びて蕾をつける

衣の裾を風になびかせ
僕らの左手に寄り添うために
蜻蛉が飛び交う小川の桜並木のすぐ側で
真っ白い蓮の花は

時間は掛かっても、きっと咲く
泥だらけの町だったとしても、まっすぐ空へ空へと

どろどろの泥の中から、大きな葉を衣の裾のように
雨雲の様な泥の中から、真っ白な花びらを

あまねく希望のように














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soft sounds

2011-04-25 | Weblog




ポカポカと音がするような天気の日は
自然と外へ出てブラブラと春を感じにいく。


といっても行動範囲は狭いので、近所の桜を観に行くか
自分の家の草だらけの庭をブラブラとする。


先々週だったか、年に一度のお花見に行った日は(春日記の)
今年初めてのツバメが空を挨拶するように軽やかに飛んでいた。


それからというもの、最近では、ポカポカ陽気に誘われて空を見上げると
空飛ぶ虫や蝶、ツバメの姿を良く観るようになった。


まだ春だけど、『もう初夏の兆しがするな』と思いながら
庭で、孫に花の説明を一つ一つしていく母の声を聴く。


彼女の声は大きくてとても通るので、
もんしろ蝶の飛ぶ動きに気を取られていても、自然と耳に入ってくる。


豆腐を売りに来るお兄さんのラッパの音も聴こえる。
僕も、あれから休んでいた、楽器を楽しむことを解禁した。


そんな風景、音、声も含めて、全てが春で
今の日本を考えたら、そう喜んでもいられない春だけれど、
でも春には違いなくて
僕は、僕の好きな音楽に見立てて、春を愛聴する。


日向の小道に、小さな庭に
家族の声に、五本の弦に、鍵盤のモノクロに

春の弾けて舞う音がしているようで









○まだ復興は始まったばかりの日本、
 ささやかな春、鮮やかな春、希望の春、色んな春を、共に歩みながら
 味わっていきましょう


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春日記Ⅱ

2011-04-21 | Weblog





そして、そこには湖があった。
カップルが一組いて、気持ち良さそうに山に囲まれた湖を眺めていた。
しばらくするとカップルは去っていき
山と、湖と、空と、湖に映る空と、太陽と、月がいて、真昼の月は白く薄い儚げな星に見えたけれど
でも、僕にとっては、いつも眺める大好きないつもの月だったので
それらの中に安心して身を置けた。


湖っていってもね、人口の湖なんだって、書かれてある説明文を読んで
遠くの山を眺めたり、真上に浮かんでいる本物の空ではなくて、湖に映る空を眺めたり
『本物の空が頭上にあるのに、なぜ湖に映る空に惹かれるんだろう?』
…って不思議に思ったり
『太陽と月は向かい合って、何を思うんだろう?「やぁ、今日も元気?」かな?』とか
『こんなに綺麗だと写メ撮るのは失礼な気がするな』とか
いつもの如く、あまり高尚なことは考えずにブラブラと時間を過ごした、湖の上の空の下。


電気を生み出す沢山の水、時には風、時に火、時に太陽光、時に原子、僕らのエネルギー。
あるエネルギーが、違った形の、歪んだエネルギーになって僕らを脅かす存在になるなんて、子供の頃は知らなんだなぁ。


明治維新なんてついこの間のことと思える。(のは僕だけ?)
つい最近まで、僕らは、電気に頼らずに暮らしてきて、山は山のまま、河は河のまま、海は海のまま、
森林は、深々と大きな呼吸を続けてきてたね。
今までずっと太古から、僕らと共生してきたものを壊すようになったのは、いつからだったかな。
あっちが欠けて、バランスがとれなくなって、こっちが欠けて、またバランスがとれなくなって
銀河に浮かぶ青い星は、今どんなことになってしまってるんだろう?
今、失ったら、壊してしまったら、大変なものばかりを抱えているこの世界だ。
…なぁんて思うような、穏やかなようでいて沢山の事を孕んでいるその姿が
美しくも見え、秘めた力に圧倒される気もした、小さな湖の畔の小さな僕なのだった。


また、思い出日記になってしまった。
今年の春は、色んなサイドから季節を眺めている気がするなぁ。
山の中は、静かな景色で湛えられていました。


日本、東日本、東北関東、みんな、君も僕も、ホッとできる
本当の春を迎えられたら良いね。












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春日記

2011-04-18 | Weblog





桜を見に、山を目指した一年ぶりの町。
自然のままの野生の桜を見た。たわわな花をつけた枝をいっぱいに伸ばすその逞しさに
僕は羨望の眼差しを向けながら、拙い運転ではあるけど、淡く柔らかい春の山の中を走ってきた。

お気に入りの道を真っ直ぐ、ズンズン進んで行けば、そこには山があって
春の色に萌え始めた山は所々淡いピンク色で染められていた。

昨年、車をぶつけてからというもの(2回も…)、最近は車を運転することが怖くて
でも、怖いからといって運転をやめるわけにもいかないしドライブは好きだから
一年に一度の花見の小旅行を敢行した。


やっぱり。地震のことでは、遠い地のことではあるけれど、心の大事な所がかなり痛んでいたようで
自然のままの伸びやかな野生の桜等を見ていたら、
太陽の光と一緒に、その地の道端や草原や、民家の庭などに溶けてしまいそうな
空中に漂う何かになったような気がして、なんかね
『あぁ、綺麗だな…』って心底思って、僕は何に対してかは良く分からないのだけど
深く感謝の気持ちが湧いてきた。


哀しいのだけど綺麗、綺麗だけど、どっか哀しいなぁって
自然というものは大きくて、人間なんかは全然歯が立たないものなんだけど
こんなに綺麗で包み込んでくれるんだなぁ…ってね思って、自然の厳しさと無垢な容赦の無さ
そして、包むような優しさを感じながらも、でもやっぱり哀しいんだな…を繰り返して
何とも複雑な気持ちにもなったけれど
一年に一度の花見の小旅行は心に溶けて染み込んで
僕は僕の小ささを改めて感じる、そんなささやかな心の旅となった気がした。


その数日後には、久しぶりに街の中をウロウロと歩いてみたんだけど
そこは車が激しく走っている道だったので
野生の桜が咲く町と、ビルが立つ整備された街との対比は面白く、お互いの個性を
それはそれで僕には魅力的に感じたな。


詩を綴ろうと思っていたのに、書き始めてみたら、ただの長い日記になってしまった。
僕は何を綴ろうとしてるんだろう?

桜のある風景の中にも、街にも
春色の情熱があったよってことかな?



生命力をね、多分感じたんだな。野生の桜咲く田舎の道にも、街の歩道にも。
僕が見た、2つの春の日に
それぞれの色をした、とてつもなく大きな生命力を感じたんだよって、言いたいんだな。


そして、そんな力が君の中に、いつでも息づいていてくれることを
春の夜に。












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2011-04-14 | Weblog





さくらの花の花から花へ


昼下がり
桜並木

そばの家の庭では
小さな小屋の前で
小さな茶色い犬が昼寝中

『今年も、ようこそ』

毎年ここに立って
アスファルトに舞い落ちた花弁と
柔らかな日向の匂いを迎えに来る

零れる位のたわわな空と
今年の桜


みんな泣かないで
いや、でも、
好きなだけ泣いてもいい
泣くの我慢してもいい
どっちでもいい
今年も花は、優しく咲いてくれてる


僕らの涙、さくらにとまれ
桜がきっと元気をくれる

さくらの花の花から花へ







*元気をくれるもの、花でも空でも音楽でも絵でも
 それぞれの心の栄養になるもの、何でも良いから眺めていようね
 今年も、がんばろうね^^

*『ちょうちょう』の歌詞から、ちょっとだけ
 引用させていただきました








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