Catch the words

from Shizuoka/name is "slide"

pearl sound

2011-05-30 | Weblog






その声で元気になる
その音が糧となる
その振動は再生を繰り返す原動力


君が知らないところで僕っていう人間が
元気を貰って日々を、ささやかながら生きる


葉の上にポトリと落ちて
そのうち土に落ちて吸いこまれて
緑が深くなっていくように


眠っては起きる原動力
君が知らないところで僕っていう人間が
夢の中でもその音を聴きたいと思う
起きぬけに、その存在に昇る星を見たいと思う


透き通った真珠のような
雨の夜にだって星を見る













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歩道

2011-05-26 | Weblog






田んぼに水が入って、田植えがされて、小さな苗が風に揺れて
水が入った田んぼの隣にはピンク色の蓮華が咲いて
田んぼの上には、あたたかな色した空が広がって
ありふれた風景に、時間がゆっくり流れているってこんなことかなと思ったりする。
こんな時は一瞬でも、『幸せかも』と思えたりもする。


そんな一瞬の幸せの足元に、アスファルトの歩道に花が咲いていた。
田んぼやその周りの風景に見惚れていて気が付かなかったので踏まなくて良かった。
そばにカップルが一組と、男性が一人いるからすぐには出来ないけれど
彼らが居なくなったら写真でも撮らせて貰おうかなと
怪しくも歩道でかがみこんで撮影。
一枚撮って振り向いたら、居なくなった筈のカップルが戻ってきていて恥ずかしかったけど。



一枚の写真から、ほんの一瞬の色んなことを思い出すもんなんだね。
たった今、心だけあの時にタイムスリップしているのかも。
ということは、あの日の一瞬のような幸せな長閑な風景の中に居た僕の後ろに
たった今の僕が居たのかもしれないなぁ…なんて思ったりして。


ほんの一ヶ月前も、一年前も、十年前の思い出も、思い出している風景に今の自分が居るような。
そう思うと、明日また一つ出来る思い出、明後日出来る思い出、しあさって出来る思い出
ずうっと未来に出来る思い出がどんな思い出になるか楽しみになる気がする。
やっぱり、未来ってものは、何があるか分からないから面白いんだろうな。



また明日、明後日…ずうっと未来
一瞬でも幸せ感じる思い出をこしらえていきたいと思える
アスファルトの花でした。









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monster

2011-05-23 | Weblog




浜辺に眠る、Monster


大きなものに手向かえる程、聡明でもタフでもないけど
いずれ誰かが傷付いたり途方に暮れる、そんな可能性があるのなら
しがない市井の端っこに住む一員
大きな関心寄せてしまう程、お節介になってもいいのかな



ずっと前に、友人と、浜岡原発へ行ったことがある。
動物園や遊園地は行ったことあるし、たまには違う所…と
見学出来るみたいだから行ってみる?という何とも軽いノリで行ったのだ。
説明係のお姉さんの、綺麗な色した制服のことくらいしか覚えてないけれどね。(←なんてこった)
でも、友人と楽しくすごした、そんな感情も淡く覚えてる。
母が言うには、家族で行ったこともあるそうだけれど、それは全然記憶にない。


意外に周りが緑豊かだったことも覚えている。
浜岡にはゴルフ場やホテルもあって、ちょっとしたリゾート地っぽかったな。
そうか、浜岡は、わりと良い思い出ばかりなんだなと、たった今気付いた。
きっとまた浜岡に行けば、あの思い出と会えるんだろう。



15Mの高さ作ったら安心できるんだろうか、立ってるだけの壁に
大海原が寄せてきても、全身で受けとめるだけの不器用な壁に



君の歌は僕の好きな音楽
僕の歌は

原発はいやだって、普段は使わない反骨精神
これは僕なりのね、こっそり、Rock'n Roll song


浜辺に眠る、原子力というMonsterたちへの













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looking

2011-05-19 | Weblog





一本として同じ木はないんだなぁ。
僕ら人間も、一人として同じではないんだよね。
一卵性の双子だって、顔がそっくりだって、全く何もかも同じってことないし
道端に落ちてる石ころだって、同じように観えて、同じでない。
完璧な人なんて一人もいないし、欠けているからこそ個性も生まれるのだろうな。


と思うと、
僕らの存在って、ものすごーく
貴きものなのかな。



月は満ちて欠けて満ちて…を繰り返すけど
それは光と影の影響であって、そこに月は、いつでもどんな時でも、まん丸な姿でそこに在る。
僕らは月の様なもので、雲が垂れ込めても、雲の上ではいつでも太陽は輝いている空の中で
太陽の光を受けながら
満ちたり欠けたり、光と影をそれぞれに描きながら静かに浮かんでいる。
本質や真実は丸い月のように普遍で不変である。
でも、光と影は動き流れて移り、観る目、角度、状況によって見え方はさまざまで、それこそが魅力。
欠けていたって、ダイジョウブなのだ。
(ってどこかできいたような)


窓から見上げたら、月が浮かんでいて、何となくそんなこと頭のなかにも浮かんできた。
欠けてるのも魅力、満ちているのも魅力
一人として同じ人はいないから、一日一日を、一瞬一瞬を、同じ時代の、同じ時間軸を
月や太陽のように
手を取り合って歩いて行けたら、恐れる物はないように思えたりもします。
そんな心がホッとする初夏の月です。











*被災地、東北、東日本、日本中、大事な物って何かを一番に思いながら
 一緒にがんばっていけたらいいね



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sunday

2011-05-16 | Weblog





甥っ子の元気な声が階下から聴こえて来る、日曜日の午後。
最近はカゼをひいていたということで遊びに来ていなかったから、久しぶりに会うとなると
少し気恥ずかしい気持ちになるけれど、
甥っ子はいつも変わらぬ元気爆発な態度で、お気に入りのぬいぐるみなどを見せてくる。
お気に入りすぎてなかなか洗わないものだから
白い部分がグレーになってしまっているぬいぐるみ、『頼むから洗ってね…』と
心のなかでささやかながらに願ってみる。
でも、そんなところが可愛いともいえるから、『まぁ良いか』とも思う。


甥っ子たち家族は、しばらく地元を離れていた時期があって、
その間は妙に寂しくもなって次はいつ会えるのだろう?なんて夜更けに思った時には
携帯の中で笑っている彼らの顔を眺めた日から何ヶ月も経った。
その時期を思えば、こうして週末ともなると遊びに来てくれることは
とてもありがたいし、大切なことなのだなと思う。
子供はいつの時代も、どこの家の子供も可愛いけど、自分の姉の子供なのだから
ますます可愛く思えるのかもしれない。


まだ幼い彼ら、『将来どんな大人になるのかな?』なんて思った時には
親のような気分になってしまう。(気がする)
でも、実際の親というものは、もっともっと色んなさまざまな覚悟を持って
もっともっと深く厳しく、もっともっと大きく包むような愛情で向かい合い、守っていくのだろうなぁ。
彼らが大人になるまで、社会に安心して送り出せるように。
世の中のお父さんお母さんって何か、スゴイね。


今日もまた、ただの日記になってしまった。
度々…というか、しょっちゅうこんな形になるかもしれないなと思う昨今。
三月から、言葉を書くにあたって、言葉が出てこないというか、妙にしっくりこないのです。
また書けるようになると良いけどな。


夏を感じるくらいの暑さになってきましたね。
でも、朝晩は涼しくなるようですので、カゼなど体調には気を付けて
充実してすごしてください。
また一週間がんばりましょう











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