角川シネマ有楽町で「ブルーノート・ストーリー」を見てきました(上映は既に終了しています)。
なんとヴィム・ベンダースがプロデュースしたブルーノートの映画、ということで、いそいそと行ってまいりました。ブルーノートを扱った映画としては「ブルーノート・レコード」が数年前に公開されましたが、「ブルーノート・ストーリー」はレーベル創設者のアルフレッド・ライオンと写真家のフランシス・ウルフの二人を主人公として、インタビューやアニメーションによって構成されています(以下、ネタバレ気味です)。
映画は二人の生い立ちから始まります。ベルリンで生まれた二人はともに音楽好きで意気投合し、親友になりました。その後、ライオンはアメリカにわたり、ブルーノートを設立。ユダヤ系のウルフはナチスの迫害を逃れ、アメリカのライオンの元へとわたりました。ウルフの両親は後に処刑されたそうです…。白人の二人がある意味、黒人至上主義ともいえるブルーノートを率いたことを不思議に感じていましたが、ユダヤ人と黒人、ともに差別される側だった人間がジャズという音楽を通じて結びついたということかもしれません。そういえば、映画の中でハービー・ハンコックが「ジャズは差別する人間への最高の復讐」と語る場面もありましたね…。
映画にはハービー・ハンコック、ウェイン・ショーター、ソニー・ロリンズ、クインシー・ジョーンズといった錚々たるミュージシャンが登場、ブルーノートへの愛を語ります。ライオンとウルフには音楽の素養はなかったようですが、音楽を聴き分ける耳は確実に持っていました。彼らは音楽的なことに口を出すことは基本的にはありませんでしたが、ライオンは唯一、「シュウィング(swing)させて」という指示は出していたのだとか。絶対音感ならぬ絶対グルーヴ感みたいなものはあったのかもしれません。黒人の魂を持って生まれてきた、と評する人もいましたね。彼らの魂はある意味ミュージシャン以上にミュージシャンだったのかも…それぐらい、音楽に人生を賭けていました。ジャズの名盤を残すことしか頭になかったため、経営は常に苦しいものでした(後に倒産もしています)。また、子どもを望んだ妻に対してブルーノートが子どものようなもの、と答えたライオンは離婚もしています(後に再婚しましたが…)。歴史に残る名盤を創るのに必要なのは才能あるミュージシャンだけではない、ということを、この二人を見ていると痛感させられます。音楽を通して強く結びついていた二人でしたが、ウルフが極端に無口だったこともあり、不思議なことにお互いのプライベートのことはほとんど知らなかったようです。先に亡くなったのはウルフでしたが、彼の葬儀ではライオンも知らなかった衝撃の事実が発覚します…。
さて、例によって、鑑賞後にはランチということで、近くの「はまの屋パーラー」に寄ってきました。おすすめのスペシャル・サンドゥイッチをいただきましたが、和風の卵焼きがサンドされていて美味しゅうございました。今度、フルーツ・サンドゥイッチも食べてみたいな…。