ブログ日記 日々のうつろい 

退職後パソコンとガイドのボランティアをし、カラオケ(ポップス)やダンス等で生活を楽しむオジサンのブログ。

ダンス仲間お見舞いメール

2011-07-11 19:27:58 | 日記
 今日もこの日と同様に夏ですヨという感じで太陽が照っている。

 今朝は時に目が覚めて、トイレに立ったが、その後は寝ておきたいという気持ちはあったものの身体は起きてしまっているので、涼しいうちにPCに向かっておこうと、今日も朝早くから起き出すことになった。

 今日も朝から気温がドンドン上がっていく。
 いつものように時過ぎに朝食をとってからも小休止の後、遺跡の資料をファイルしていく。

 途中、昨日の夕方身体の調子がよくないからと電話があってダンスに来ないと女の先生から聞いていた女性(昨日のブログで書いた人で、このダンスクラブの紹介をしてくれた女性)にメールを入れてみた。

 どうも仕事が忙しすぎて身体の調子が悪くなり、めまいがして戻し、仕事もキャンセルしたとかで今もまだめまいがするとのことである。

 彼女は私より2歳年上だが、歳も歳だからどうしようもないのかな、ということであったが、日の日に戻して、日の仕事もキャンセルし、日のダンスも休むことになったということである。

 医者にかかって色々検査もして貰ったようだが、肝臓がおもわしくないということで薬を飲んでおとなしくしていてお粥と梅干だけで夕方食べたとのことであった。

 彼女は年前にご主人を亡くして現在人で住んでいるから心細いのではないかと思う。
 私も人暮らしだから身体の具合が悪くなった時が番心配で心細いのは容易に想像できる。

 子供はそれぞれ所帯を持っていて離れたところに住み、一緒には住んでいないので満足に食事もとれないからおとなしく休んでいるしかないという状態のようである。

 お見舞いの言葉と元気づける言葉でしか励ますことは出来ないが、明日は我が身ということのないようにいつも健康には気を付けて毎日を元気に過ごすようにしたいものである。

 メールを終えた後は昨日のダンスのレッスンでタンゴの続きのステップを男の先生に書いて貰い、今までのファイルに次のステップを書き加えて行くことも忘れないようにしなければならない。

 青空が広がっているのでフトンも干しておく。
 時間が経つにつれ気温も上がっていくが、壁に反射した光が部屋に入って来て身体に直接当り暑く火照って来るのでブロック塀に水をかけるとともに直接反射しないように洗濯物でブロックするように配置した。

 昼食も終えて又ファイルを続け、時を過ぎた頃、そろそろ買い物にでも行こうかなと思って出かける準備をしている時にパラパラと雨が降り出した。

 慌てて干している布団を取り入れてヤレヤレと思ったら勢いのある大粒の雨が降り出した。
 夕立ちである。
 天気予報では時頃から夕方にかけてだったので虚をつかれた感じであった。
 そこそこの時間降ってくれれば涼しくなったと思うが、分の短い時間であったから却って蒸し暑くなってきた感じである。

 その直ぐそばから青空が広がりだして日が照ってきて更に暑くなって来る。
 もう雨は大丈夫だと確信していつものスーパー迄分ほど歩く。

 両手に袋をぶら下げて帰ってきたらもう汗が上着とランニングシャツに張り付いてベトベトであるからすぐさま近くの銭湯へ行き汗を流して着替える時に体重計に乗ると、今まで少し体重が増えていたが最近は糖分を控えめにしていた関係で、体重が標準に戻ってきた感じである。

 暑い時にカロリー控えめにしていたので体重が元に戻ったようである。
 自宅に戻ってしばらくゆっくりした後、スーパーで買ってきたサンマを焼いてトマトときゅうりモミをアテにして冷たい発泡酒350mlで1パイ飲んだが、これが暑いときの楽しみである。

 アルコールは強くないのでこれで十分なのである。
 夕方時過ぎにも強い雨がしばらく続くことになった。

ダンスレッスン、7月2週目

2011-07-10 22:38:22 | 日記
 昨日に続いて今日も朝からグングン暑くなってきている。
 もう夏本番と言ってもいいぐらいのものである。

 今日も朝涼しいうちに洗濯しながらPCに向かい、遺跡に関する資料を続けてファイルして行く。
 当区には市を代表する古墳を始め、遺跡など色々と話題性が数多く、またガイドポイントも多くあり、それらだけでも各誌に数多く書かれているので、整理しておくことも大事である。

 著者によっても視点が違ったり、考え方が違ったり、はたまたこちらにはこういう記述があるが、こちらには別のことが書かれているなど、著者によって観点が違うようだ。

 どちらにしても取りあえずは全部ファイルとして残し、いずれまとめて自分なりに文言を選んでガイドするときのものを完成させていきたいと思っている。

 朝涼しい内にと思っていたが、すぐに温度が上がって来るので、汗も滲んでくるが、お構いなく進めていく。
 余り根を詰めずにリラックスしながら行なうことにする。

 午後も予定が特にないので同じように進めていくが途中で飽きてくると、気分転換でゲームに一時興じることにしている。

 今日は日曜日なので夕方時からダンスのレッスンが行なわれるが、それまでに出来るだけ資料のファイルを進める。

 午後時前になったので早い目にダンスレッスン会場近くの喫茶店に行くことにして電車に乗り駅目で降りる。

 最近、ダンスのレッスンが始まる前にゆっくりしようと思って喫茶店で時間少々、新聞を読んだり、ダンスのステップの復習を書き留めたものを見ながら頭に描いてイメージトレーニングをしているのである。

 昔はと言っても年前の月からこのダンスクラブに通うようになったのだが、きっかけは年ほど前に区の公設施設でダンスの講座があって、集まって来たメンバーの中に他区ガイドの会の会員が数人いた。

 同じダンスレッスンに何で同じ他区ガイドの会のメンバーが数人もいるのか分からなかったが、誰か声かけをしたのだろうか。

 私はタマタマ当区の広報で見かけて応募しただけだが、彼らは他区の人達だから偶然にしては出来過ぎているのでびっくりしたが、最後まで残った女性にそのことを訊ねたら誰からも誘われていないということであったが、ホンマかいな。

 週間に度行われるレッスンが回シリーズだが、他区ガイドの会の殆んどのメンバーが途中から来なくなって、終わる頃には他区ガイドの会員は私ともう1人の女性会員だけになった。

 最後のレッスンの時に、この講座が終わった後、「どこかでダンスを続けるの?」と聞いた時にその女性曰く、「今ダンスクラブに年程前から通っている」とのことである。

 エーッと思ったが、レッスン料を聞けば安かったので、そこのクラブはクラブ員の募集をしていないかと聞けば「聞いておく」ということだったが、OKが出たようで後から連絡があって場所を教えて貰って行くようになった次第である。

 当時このダンスクラブは上級クラスと初級クラスのクラスあって上級は日曜日の午後時から、初級は月曜日の午後時から行なわれていた。

 その当時は中級クラスの男性がいたが昨年の夏にふいに亡くなってからというもの、男性は私人になってしまい、又、男の先生の奥さんが昨年月に亡くなってからは月まで家に籠っておられた。

 女の先生が月に入院されて上級の女性に依頼してレッスンをリードするように頼んでおられたものの、その上級の女性も旦那さんのお母さんが入院されて出て来られなくなって、男の先生に出てくるように頼んでから、やっと来て貰うようになったものである。

 一時は両方の先生もおられないし、またメンバーの数も少なくなったこともあってクラブが継続できるかどうか危ぶんだが、今は何とか維持しているという状態である。

 どちらにしても男の先生は高齢で腰も曲がり、自宅から歩いて分程だが分前に自宅を出て、途中回ほど休憩をとりながらやっと会場である会館に到着するとかで、いつまで持つか分からないが、男の先生が来れる間はここでレッスンを受けるつもりにしている。

 今でこそ男の先生はそんな状態だが、昔の先生を知ってる人はかなりモテたというぐらいでダンスもかなり上手であったそうである。
 

7月度当区ガイドの会、定例会

2011-07-09 19:06:36 | 日記
 毎月の第土曜日の午前分から分迄は当区ガイドの会の定例会が行なわれる。

 本日は昨日、梅雨明けということもあって朝から晴れ渡り、気温もぐんぐん上がっていく。
 自宅から会場となる会議室までは歩いて分程度で行けるので、自宅を時頃に出ればいいので、時頃に朝食を取った後は、しばしパソコンに向かい、遺跡関係の資料のファイルを継続して行なう。

 時前になったので出かける準備をし、会場へと向かうが途中、カンカン照りで暑いことこの上ない。
 歩いていくうちに汗もジトジトと出てくる。

 会場に着いたら結構な人が来ているが、いつも早く来る男性副会長は未だの様子である。
 時間ギリギリになってやっと現れ、すぐに会議が始まった。

 議題は色々あるがそのうち、今までギャラリーが初辰の日だけ開けて、来られたお客さんに説明していたが、会員も増えたということで今月から初辰の日以外に第と第土曜日にも開けるということになったので、それらの日に出れる担当者を決めていく。

 私は土曜日は出席できないので手を上げることが出来ない。
 第土曜日だけは出れるので定例会に来ているが、定例会が終わった後にギャラリーに詰めることはできたとしても、定例会議が分迄あり、その後、昼食をとって、定例会場から歩いて分程度かかるギャラリーに着いたころには時近くになってしまい、ギャラリーを締める時までは殆んど時間がないことになってしまう。

 従って、この日はお客さんに案内するというよりもギャラリーの中にある図書などの資料を読んだり、借りる人の便宜をはかることの方が中心になる。

 私の場合は他の土曜日に来ることは出来ないので、借りたい資料があれば第2土曜日に行くか、その月によって何曜日になるか分からないが予定のない初辰の日にしか行けないということになる。

 ただ、図書を管理する委員は月に回ギャラリーを開けることになるので、交代で誰かが詰める必要があり大変ご苦労様である。

 今日の会議では、その他の議題として、定例会の後に行なわれる勉強会に誰が講師を引き受けるか、その内容についてはすぐには決められないが、何カ月か先までは予定をある程度決めておく必要がある。

 さらには内部講師だけではなく、年何回かは外部から講師を呼ぶことも検討された結果、月と月に予定が取れたと報告された。

 秋には又当区のメインイベントが日間に亘って行なわれるのに合わせて当区ガイドの会が都合回の案内をすることに決まったということで、今後誰がどのコースを担当するかということも報告されたが、区が月の広報に載せるということなので月の定例会までに区へ構想の詳細を示す必要がある。

 月の定例会までに決められるかどうかだが、定例会で決めてる時間はないので、また一部の人間だけで決めることになるのか。

 定例会を時まで行なった後、予め本日は勉強会の替わりにお客さんから指摘を受けたことに対する反省会をするとしていたので分間の休憩の後始める。

 特に問題の焦点になったのは、時間という案内時間の中で予定通り時間通り説明を終えるように予め準備してタイムスケジュールに沿って案内するか、多少時間はオーバーしても出来るだけ色々な説明を盛り込んで行く方がいいかということが、大きくクローズアップされてきた。

 それぞれに言い分はあるが、私は不特定多数のお客さんが集まって来る「○○博」や「あそ歩」においては客によって暇な人もあるかも知れないが、案内時間が時間だったらということで例えば、午前中の案内なら、午前中に終わるのなら参加しようという予定を立ててる人も今までには何人かおられたし、予め何時から何時までと予告しているのだから出来るだけ、それに合わせて運営するのが当たり前であるという考えである。

 この問題は今日明日に結論を出せる問題ではないから、もう少し話し合う必要があるだろう。

いよいよ、夏本番に…

2011-07-08 20:50:57 | 日記
 昨日は七夕だというのに日中、雨でがっかりした子供たちも多かったんじゃないかと思うが、今日は朝から晴れて、天気予報も九州、中国、四国、近畿、東海地方が梅雨明けのようであるとの発表があった。

 近畿地方では昨年より日、例年より日も早い梅雨明けで、今までの記録では番目という早さだとのことである。

 今までの経験では月の日を過ぎてから梅雨明けになるという感覚だっただけに予想が大きく狂った感じである。

 梅雨は蒸し暑くジトジトとしてイヤだというイメージとは大きく異なり、これからは本格的に暑くなってくるぞ、ということになるが、長い夏の始まりにならなければいいがと願うばかりである。

 今週は水曜日~金曜日の今日まで特に予定はないので自宅にいたが昨日雨が日中降って洗濯も出来なかったので早速、洗濯にとりかかる。

 空は青くはれ上がって気温も段々上がって、蒸してくる感じである。
 例によって洗濯機を回しながらパソコンに向き合うが、今日はファイルの整理をしておこうと考えた。

 今までUSBを本、また本と増やしてきて今では本になってきているが、最初のうちはGのUSBだったが、その後少しづつ安くなる度に増えてきて、Gになり、Gと持つようになった。

 最近ではGやGのものも出てきてるようだが、今のところは写真とか動画までは殆んどやっていないし、また興味もそんなにないのでしばらくは余裕がある。

 従って新たに大きい容量のUSBを求める必要はないと思っている。
 資料などはUSBよりも外付けHDDにファイルしておいた方がいいと思えるようになってきた。

 ただちょっとした簡便さではUSBの方が上だが、最近のように写真や動画などで、ますます容量が拡大して、USBでは追っつかなくなるだろうから、やはり外付けHDDを使った方がいいのではと思うようになってきた。

 PCに初めて触れた頃は全く何も分からないままに講師が言うように保存したり、資料などもデスクトップやドキュメントに置いたままにしたりしている。

 少しづつPCが分かってきたこの頃だが、最近はS/WをONしてからデスクトップ画面になるまでに結構時間がかかるようになって来た。

 これから益々、重くなって来ることは間違いないと思われるし、ハード面に付いても少し勉強をしなければいけないと感じるようになってきた。

 PCのキーボードを早く打てたり、ワードなどのソフトの色んな扱いを覚えることも大事だが、PCのハード面の基本に付いても勉強しないといけないなと思うようになってきた今日この頃である。

 内蔵HDDが壊れるような時が必ずいつかはやって来ると思うので、危険の分散も考えておかないといけないし、などと考えるようにもなってきた。

 最近になって思うことはPCは未だ未だほんの少しかじっただけだなって思うようになってきたような次第である。

 そんな中で今日は今までデスクトップやドキュメントそれにUSB数個にバラバラにあるフォルダやファイルを整理して項目別にUSBを区分けして出来るだけ扱い易くしようとしたが、整理だけでも結構時間がかかる。

 別々のUSBにダブって同じファイルがあったりして、簡単には済みそうにない。
 中にはファイルの名前が違っているのに中身は同じといったものもある。

 それらを確認するために似通った名前がついている資料を見ていくことになるので時間がかかる。
 PCのことを全く何も知らない頃から、ドンドンファイルが溜まってきたらこういう結果になってしまうのである。

 私の場合は色んな講座を受けたり、自分で資料を作ってきたから、ファイルの数も多くなってしまったと思うが、整理は余りやって来なかったし、最近はメールもドンドン入るのでその処理だけでも時間がかかるようになってきた。

 軽やかに動かせるようにしておかないとニッチもサッチもいかなくなってからでは遅すぎるのでせいぜい出来るだけ早く処理をしなければならない。

 今日は金曜日なので近くのスーパーに買い物に出かけた。
 というのは金曜日だけ、タマゴ代を別にして円以上他のものを買うとタマゴ1パックが円になるので、買っておきたかったからである。

1日中雨降りの七夕の日

2011-07-07 19:02:47 | 日記
 昨夜はそれまでの日より気温は少し低い目であったが、網戸にしてタオルケットをお腹の上に乗せて寝たが、やはり朝方は気温が下がっていたので今朝は時頃に目を覚ます。

 朝方は結構強い雨が降っているが、途中で少し小降りになっても止むことはない。
 起き上がって布団を押し入れにしまい込み、PCに向かって涼しいうちに出来るだけ昨日に引き続いて遺跡関係の資料をファイルして行く。

 時過ぎに朝食をとり、モーニングコーヒーを飲んでしばらくNHKの朝ドラを見終わるまで休憩である。
 そして、また資料のファイルを継続して行く。

 一旦、時頃に休憩をとるが、また続けて、時からは参議院の委員会の中継が行なわれているのを見ていたが、菅総理は何を考えているのか知らないが、男らしくスパッと辞めろってんだ。

 未練たらしくいつまでも総理大臣の椅子に座っていたら迷惑なんだよ。
 最初の頃は菅降ろしに対し同情的だったが、最近は辞めろという人の割合が割になっていると言うじゃないか。

 ホント未練たらしいったらありゃしない。
 ところで今日も特に予定がなかったし、雨も降っているので出かける気も起きなかった。

 食料は充分冷蔵庫の中に入っていて少し詰め込み過ぎたぐらいなので、当分は買いに出なくても大丈夫である。
 昼からも目先を変えて別にPC誌に書かれている内容の重要な部分をメモしていく。

 分からない言葉が出てきた時は「○○とは」で検索する。
 こうやって少しづつでも身に付くようにしていきたいものである。

 昨日も特に記述することがなかったので現在自分なりに取り組んでいることを紹介したが、今日はその基礎となってる考え方について記述したいと思う。

 脳の活性化、足腰を丈夫に鍛えたりして出来るだけあらゆることに興味をもって行こうとするスタンスであることは間違いないが、その基本の考え方は社会にとっては迷惑かも知れないが、寿命を全うしてできるだけ長生きしようということに尽きる。

 基本的に人間は歳ぐらいまでは生きる能力が備わっているということであるらしい。
 とすると丁度歳という年齢は還暦というぐらいで人生の折り返し点にあたる。

 現在では歳で定年退職ということだが、これも最近は定年そのものを伸ばして歳まで、という会社も出てきたし、中には歳までは働ける人は働けばいいということを言う人も出てきているほどである。

 それはそれとして、現実には歳代で何らかの身体の不具合を訴える人が急増するのもこの年代である。
 私の周りでも何らかの不調を訴えている人は結構多いものである。

 特に要注意なのが高血圧や糖尿病で、脳梗塞や心筋梗塞などになりやすいからであるが、これらの薬を服用している人の割合が増えている。

 中には日に種類もの薬を飲んでいる人もあるほどである。
 これらの病気は食事とか、生活の仕方とかその人が今まで歩んできた生活習慣が表に現れてきていると私は考えている。

 旨いものを食べ、気楽に生活し、身体も動かさずにいる人はなり易いということは十分考えられる。
 一昔前の日本人の生活は現在、急激に変わって来て贅沢になりすぎていると私は思っている。

 私と同じ年代の人ならよく分かると思うが、子供時代には戦争の影響が大きく左右してひもじい思いをした経験があるはずだ。

 それが今はどうか、子供時代には盆か正月にしか出て来なかったご馳走を当たり前のように毎日食べている。
 身体に悪いのは当たり前田のクラッカーで私から言わせれば自業自得ということになる。

 日頃の食生活や生活習慣が大事なのだ。
 私は殆んど魚中心、それも青魚中心の食生活である。
 子供の頃はトマトも、ピーマンも嫌いだったが、もしも残すようなことがあったら、「食べなくてもいい」と言われて食事抜きにされるので、無理にでも食べた結果今のように何でもたべるようになったのである。

 その時子供に譲歩していたら今のように何でも食べれるようにはなっていなかったであろう。
 その頃は親を鬼と思ったが、今となっては亡き親に感謝である。

 この頃そんなことをする親があるだろうか。
 甘やかすことが普通だと思ってるんじゃないの、この頃の親は。
 お陰で私には嫌いなものがなくなってどんなものでも食べれるようになったのである。

 それとアレルギーにしたって昔の子供には殆んどなかったように思う。
 今はものすごく増えている。
 私には何故そんなことになってるのか信じられない。

 というのもこの歳になっても特にこれという病気もないからで、健康診断をしたって骨量が少ないということだけ(これは遺伝的なものじゃないかと医者は言う)で、骨量を増やす薬は週間に回飲んでいるが、自分の行ないが悪いわけではない。

 血圧、血糖、尿検査にしてもすべて良好である。
 これも普段から贅沢もせず、質素な食事で、身体を動かし、頭も動かし、楽しみながら生活を送っている賜物と思っている。

 今の私の目標は歳まではヨイヨイにならずシャキッとして生活できるようにすることである。

 というのは、そういう超高齢になればある日スーッと誰に世話をかけるでもなく、迷惑も掛けず、眠るようにあの世に行けるんじゃないかと思うからである。