ブログ日記 日々のうつろい 

退職後パソコンとガイドのボランティアをし、カラオケ(ポップス)やダンス等で生活を楽しむオジサンのブログ。

西隣区K小学校木曜ダンス教室H29年8月⑤

2017-08-31 22:31:00 | 日記
 昨夜は扇風機も必要ないほど気温も高くないので、いつものようにバスタオルをお腹に当てて寝ていたが明け方になって少し寒さを感じるようになったので押入れに入れてあるタオルケットを取り出して改めて寝なおすほどであった。

 どうやら秋も近づいているのが実感として感じられることになったようである。

 今日もいつもと同じようにメールとカレンダーをチェックしてしばしゲームに興じた後はMSNニュースやYouTubeを見ることになる。

 私の場合、何かしている時以外で自宅にいる時にはYouTubeなどを見ることが多いが、皆さんもそれぞれネットで色々興味のあることでネットサーフィンをしておられることと思うが、人それぞれに興味があることは違うと思うが、私の場合はやはり安全保障ということが一番気になることである。

 とにかく日本国がない世界は他の国からみても考えられないという答えが多く返ってくるようである。

 それほど日本と言う国は世界から信頼され、頼りにされている国なんだということを改めて考えて欲しいと思うのである。

 その端的な例が高速鉄道の建設をめぐる世界の動きであるが、2015年の秋にインドネシアのジャカルタと140kmほど離れた市との間に高速鉄道の建設を巡って日本が中国に完敗した訳である。

 日本が太平洋戦争の初めにハワイの真珠湾を攻撃したことは一般にも良く知られているが、案外知られていないのが、東南アジア各地に日本軍が進駐してオランダ領インドネシアをたった9日間で占領したことは余り知っている人は多くないと思う。

 インドネシアはオランダに300年間も植民地として虐げられていて、インドネシアの国民にはまともな教育は一切受けさせない愚民政策を取って知識を持たないような政策をとっていたのである。

 インドネシアの国民には白人は我々とは全然違う特別の人間であるかのように思わせてこき使っていたのである。

 インドネシアに限らず白人国家の植民地になってないのはアジアでは日本とタイだけであった。

 それ以外のアフリカ諸国や中南米、それにアジアの国々は殆んどが植民地だった訳である。

 そんな中日清戦争で勝利した後、北清事変が勃発し当時の北京に在住していた外国人を排斥する事変が起こったことは映画「北京の55日」と言う映画を見た覚えのある人はご存知だと思うが、アメリカ映画であったこともあるが、アメリカが主体で戦闘したような印象を持たれている人もあるかも知れないが実際は日本軍が主に戦ったのである。

 その際にイギリスの北京に駐在していた外交官が日本軍の規律正しく捕虜の扱いも国際規範にのっとって行なったことに感銘を受けて日英同盟の基になったと言われている。

 その後、日露戦争で旅順港にロシア艦隊がこもって日本の連合艦隊と戦闘せずバルチック艦隊が日本に廻航するまで温存する策に出たので乃木将軍率いる陸軍がムリを押して多くの犠牲を出したが、なんとか203高地を奪取してその山頂近くから旅順港にいるロシア艦隊に砲撃を加えたので、慌ててロシア軍が旅順港を出たので待ち受けていた日本の連合艦隊が一旦は取り逃がしたものの、ロシア艦隊がウラジオストックに向かったが、たまたま1隻の軍艦が遅れて船足が落ちたところに追いついて極東ロシア艦隊に勝利したという強運も味方した。

 その何か月か後にバルチック艦隊がやって来たがその際、イギリスが日本との同盟でスエズ運河を利用させなかったし、当時の最新鋭の軍艦もイギリスで建造したり、戦費を賄うためにロンドンで日本の国債の扱いも行なっていた。

 当時はイギリスとの同盟関係が良好でいい方向に動いていたわけであるが、当時はイギリスとロシアの関係はお互いに覇を競っていた最大のライバルだったのである。

 こうして世界に台頭し一等国になった日本だが当時の世界は殆んどの国が白人国家によって植民地にされている現状を打開し無ければならないという崇高な信念の基に当時の国際連盟で「人種による違いを解消して平等にする」ということを日本が発議したことに対し当時の植民地を持つ白人国家から日本を排斥する動きが台頭してきたのである。

 そんな動きの中でイギリスは最も植民地を多く抱えていたこともあり日本との同盟関係も解消されて、アメリカも石油を日本に売らなくなったりとか、最終的には日本が台頭してきたことに反日の意識を強く持っていたルーズベルト大統領が日本から手を出させるようにハルノートを突き付けた訳である。

 戦後は日本が全て悪かったかのように教育されてきた我々だが、東南アジアやインドなどでは日本のお蔭で独立することが出来たと非常に感謝されたのである。

 インドネシアでも日本が敗戦になった後、旧宗主国のオランダ軍とイギリス軍が合同で再度植民地にしようと上陸して来たが、日本軍に指導を受けていたインドネシア人が中心になって独立戦争を行ない、敗戦後インドネシアで武力解除を潔しとしない日本軍兵士1千名とも2千名とも言われるが独立軍と共に戦って数年かかって何とか独立できたのである。

 それに刺激された他の国もドンドン独立心を持って独立して行った訳である。

 そういった事実を知っているインドネシア人も少なくなったのかどうか知らないが戦後もODAで最も多くの援助を日本から受けたインドネシアであるにも拘らず現在のジョコ大統領が高速鉄道建設で中国に決めたのである。

 決めた背景には中国得意の賄賂が感じられるところである。

 中国からインドネシアの国の保証は必要なしと言ってほぼ日本に決まりかけていた注文をかっさらっておきながら今になって中国が国の補償がないと金は出せないと言ったりして今だに建設に着手出来ていないということでインドネシア国民の間では失望がひろがっているということである。

 今の中国は色々と問題を起こしているが世界も段々中国のいい加減さということが世界に知られて来つつある例のひとつである。

 色々と長々と書いて来たが、日記に戻ります。

 
 と言ってもダンスのレッスンだが、バスもいつもとちがって時刻通りにやって来てK小学校の多目的室の会場へとやって来た。

 今日は8月最後の日となるが珍しく5回木曜日があったので奇数週ということで先生もやって来た。

 このところずっと基本の基本を行なっているが、今日もスローフォックストロットとルンバの基本的な動きをみっちり教えて貰ってこの機会にしっかり覚えてやっておきたいものである。

 来週は9月の1週目なので来週も先生がやって来ることになるので又みっちり教えて貰うことになる。

買物も久し振り

2017-08-30 23:38:12 | 日記
 今日も相変わらずの暑い日が続いている。

 昨日北朝鮮が日本列島を飛び越えて北海道沖に中距離ミサイルを打ち込んだことで早速国連安保会議で非難決議が行なわれたようだが、中露も含めて安全保障会議のメンバーである常任、非常任理事国の15か国すべてが一致した決議である。

 ところでネットで見かけた内容が気になるのだが米軍の動きが北朝鮮に洩れて動きを逐一把握されているという事が懸念されているということである。

 米軍としても一番懸念していた韓国との合同演習の動きや特殊部隊の動きなど、韓国軍を完全に信頼していないという問題がある。

 戦後間もない朝鮮戦争の際に北からの攻撃に本来なら食い止めるべき韓国軍が真っ先に逃げて国連軍の主体であった米軍が危険な状態に陥ったという前科もあって米軍も韓国軍を信頼しきれてないということである。

 しかも韓国軍の上層部が腐敗しており、軍事費をネコババするものが相い次いで国民自体が軍を信頼しきってないということである。

 そんなことで軍の近代化を図るための装備費が消えて武器も信頼が持てず色んなトラブルを起こしているが、戦車にしても、イージス艦にしても、稼働率が低く、実際の任務に支障をきたしているということである。

 特に潜水艦はドイツの物を採用しているがまともに動いた試しがなくずっとドック入りと言う状態でこれも軍部の腐敗により軍事費のネコババの影響なのかネジの材質の不良によるものだとか。

 一事が万事こんな調子である。

 ところが米軍は自衛隊には完ぺきに信頼を置いていて韓国とは全くの正反対の状況だけど、実際に北朝鮮が行動を起こしたら否が応でも韓国軍が主体になってやって貰わないと困る訳である。

 自衛隊としては自国が攻撃されて初めて米国との同盟関係で米軍をサポート出来るがそうでなければ何も出来ない。

 しかも、あくまで国連軍が韓国を助けると言う形となるのであって自衛隊が韓国に上陸して闘うなんてことはあり得ない。

 すなわち国連軍と言う形でイギリスやフランスの艦船も朝鮮半島近海に来ている訳である。

 もっとも韓国も日本の自衛隊が韓国内に来て欲しくないということだから当然のことながら韓国がどうなろうと知ったことじゃないということで、あくまで米軍の艦船などに攻撃があった場合や日本が直接攻撃を受けた場合に防御するという形になる訳である。

 日記になるが、夕方近くになってからしばらく買物をしていないために冷蔵庫の食料も少なくなって来たので買い出しに出かけることにした。

 5時半近くになっても未だ日が落ちてはいないので影の合間に日差しがあるが、風があるので左程暑くは感じない。

 スーパーへの行程の中ほどまで来た時数人の人達に囲まれたバイクの老人男性が身体をサポートされているが、私が来る少し前にどうやら倒れたらしく「大丈夫、今救急車が来るからね」と言ってるところだった。

 事故の状況はどんなだったか分からないが関係のない野次馬が止まって見てもしょうがないのでそのまま通り過ぎたが、しばらく歩いて行くと遠くから近づいて来る救急車のサイレンの音が聞こえてきた。

 
北方面のスーパーに到着して先ずは鮮魚コーナーを色々見て回ったが、今日は品数も多くなくこれといったものもなかったが赤魚の味醂付を買うことにした。

 野菜はまだ残っているので鮮魚中心にしたかったがこれと言うものが余りなく加工品が中心となったが、うどんやパンなどは購入することになる。

 自宅に戻って早速夕食の準備に入った。

西隣区S小学校火曜ダンス教室H29年8月④

2017-08-29 23:32:18 | 日記
 相も変わらず暑い一日となったが、今朝一番にとんでもないニュ-スが飛び込んできた。

 北朝鮮が津軽海峡を通り抜けるような形のコースで中距離弾道と思われるミサイルを発射し北海道沖の太平洋に落下したニュースである。

 少し前にグアム島を取り囲むミサイルを発射する企画を検討しているなどというメッセージを出していたが、アメリカ軍の対応がもしグアム島に向けてミサイルを発射したら即戦争も辞さないというような声明が出されたためにグアム島に向けたらヤバイとでも思ったのか、日本だったら大丈夫だろうという目論みだったような気がするのである。

 万一自衛隊がこのミサイルを迎撃していたらどうなっていただろうかと考えるだけで戦慄の走る思いである。

 しかし北朝鮮の挑発も来るところまで来たなと言う感じで、後は小型核弾頭の核実験などドンドンと北朝鮮が技術を蓄積していくのを座して待つだけなのかどうかアメリカの出方が気になるところである。

 しかし、この問題も行きつくところまで来たと言う感じだが、どのように決着付けるか、また本当に付けられるのかと言うところであろう。

 中国も今度こそはと思っていたようだが、これで確実に中国のメンツもないから相当踏み込んだ解決策を模索しなければならないことだろう。

 そんなこんなで今までのような生ぬるいことで済ませることは出来なくなったというところだろう。

 もちろん国連安全保障会議に対して日本を始めアメリカ韓国も揃って発議することになるだろう。

 しかし北朝鮮も何をどうする積りなのか、世界に対してケンカを売ってどうなるというのか、その目的はアメリカとサシで話しをしたいということなのか、それが実現したら何を主張するのか、そんな虫のいいことが認められる筈がないだろう。

 そんなことをしたら第2第3のろくでなし国が出て来るだろうから…。

 とにかく朝一でびっくりさせて貰いました。

 今日も夕方のダンスレッスン以外には特に外出する予定もないのでいつものように自宅でおとなしくパソコンの前に座っておりましたが、今日も朝一に洗濯をすることから始まりました。

 特に記述することもないので一昨日の続きを書いて行きたいと思う。

 40歳代半ばまで忘年会などの後で何人かで連れだってスナックなどに行ったことはなかったことは前回書いたとおりである。

 で、同じ会社になった同じ町に住んでいる男性とたまたま1周年記念をしているスナックに入って楽しく過ごしたが、翌日申し訳なく感じて1人で普通の営業日だと思って入ったところがその日も一周年記念をやっていたということで連ちゃんになってしまったというオチまで付いてしまった。

 2日目は1人だけだったということもあり、他のお客も殆んどいなかったということもあってママの出身が愛媛県松山に市の道後温泉で旅館業を営んでいる一人娘だということを聴かされた。

 そこで何でこんな田舎町に来たのかは聞かなかったが多分男関係であろうことは推察できたが、年齢はそこそこといっても50歳ぐらいと思うがかなりの美人である。
  
 私とは直接関係がないので先に進めるが、そんなことがあったが、この店に入る時(つまり2回目)に偶然隣の店のドアが開いて若い店の女性が中年男性を送り出して店に戻ろうかという時に私がやって来たということでタイミング的に「いらっしゃいませ」となったが、先述の如く隣の店に昨日入って1周年記念で安く(確か飲み放題歌い放題で軽食と言うかチラシずしやちょっとしたオードブルも付いて3000円ぐらいだった)済んだので申し訳ないということで義理を感じて今日も来たので隣の店の若い女性には「申し訳ないが今日はこちらの店に来た」と言って、「また来ます」といい隣の店に入った訳である。

 「また来ます」と言ってその時は入らなかったが、1週間ほどして義理堅く隣の若い女性と出くわした店に行くことにして中に入ると先日行った店の雰囲気とは違ってカウンターがメインで黒っぽい色彩でオシャレな店である。カウンターの後ろ側に小さなテーブル席もあるが、殆んど使っていない感じである。カウンターは9人位が直線で並ぶ感じで私が入った時には奥の席が辛うじて空いていたので一番奥に座る。

 店には最初店の前で出会った若い女性(背が一番高い)、外に少し太めの同じぐらいの年齢の女性、それにその2人より少し若い感じの背の低めの女性の3人がいた。私のお通しが奥にいた60歳ぐらいの女性が持って出て来たので、この女性がママさんだろうと最初は思っていたが、後でそうではないと聞かされた。

 「何を飲みますか?」と訊かれたのでビールと答えたが、他の客は殆んどボトルキープをしている感じで固定客が多い様である。

 そこで前に出会った背の高い女性に「私を覚えてますか?」と訊いてみたが、全然覚えがないというから「1週間ほど前に店の前で客を送り出した時に出会ったでしょう」と言っても、特に印象はなかったと見えて分からないということだった。

 まあいいや、ということでビールを飲みながら他の客がカラオケを歌っているのを聴いていたが、店の女の子が若いということもあってか客層が若い人が殆んどで私のような40半ばの男が来る店ではないようだなと思いながら歌を聴いておとなしくしていた。

 店に入ったのが8時頃だったか、40,50分した頃、それまでポップスばかり聴かされていたが、私と同じ年代の男性が2人程入って来て演歌を歌っていたから若い客ばかりでもないんだということが分かってこれなら問題がないなと思い店を出る時に料金がビール2本で2000円ぐらいだったので良心的な店だということでたまに来てもいいなという気になってその日は何も歌わずである。

 と言うより、その当時はカラオケはそんなに興味があった訳ではなく普通のオジサンであった。

 今日はこの辺りまでにして続きままた特に何も記述することがない時に…。

 今日の日記に移ります。

 夕刻になり今日も火曜日のダンスレッスンがあるので自宅で準備した後、バス停へ行く。

 バスに乗って後ろの席の一番前の席でドア入口に一番近いところに座ったが今日はいつもより客が少なくどこでも座れる感じだったが、いくつかの停留所を過ぎて降りる停留所が近づいて来た頃ふと前の席を見ると、見覚えのある後頭部の髪型で多分今から行くダンスレッスンの先生のペアの相方をしているN先生だろうと思ったが、停留所に降りる時横顔になってやはりそうだったことが分かる。

 で、一緒にS小学校まで歩きながら、「いつまでも暑いですネ」などとしゃべりながら会場の部屋に入る。

 この先生の相方のN先生はいつもではなく月曜教室も含めてたまに来て女性の足を見せてくれることになるし、今日は前半のラテンダンスであるマンボの時は男足をして女性の相手をしたり、先生とペアを組んで見本のダンスを見せてくれたりする。

 このマンボは10月に他所の2つのダンス教室と合同でパーティをするが、その時のフォーメーションの出しものとなるが、最近入会した女性も数人いるし、6か月と2ヶ月目の男性が2人いるので彼等も一緒にそのパーティで踊ることになるので一生懸命に覚えて貰うことになる。

 後半は来月に入ってからの種目の予定だったそうだが、1週間早めて今日からワルツをすることになったが、最初は簡単な足の運びをクローズベーシックで行なうことになった。

 最近入った人は全く新しい種目なので覚えるのに必死である。

西隣区K小学校月曜ダンス教室H29年8月③

2017-08-28 23:20:16 | 日記
 今日もまた暑い暑い一日となりました。

 もういい加減にしてほしいと思う今日この頃ですが皆さん、体調は良好でしょうか。

 私は至って元気に過ごしておりまして、この程度のことではくたばるつもりはありません。

 以前にも記述したようにいつも自然と共に生活しておりまして、冷暖房はナチュラルでなされるが侭となっております。

 眠るまでは扇風機をONにしてタイマーを1時間ばかり掛けて眠るようにしている程度です。

 ややもすると冷たいものを飲み過ぎて胃腸をこわして仕舞いがちになりますが、寝る前にコップ一杯程度の水を飲むぐらいで、翌朝起きたら又コップ一杯程度飲むということは健康の為には是非励行したいものです。

 今日も夕方のダンスレッスン以外に外出する予定はなく買物も明日以降にすることになりますのでわたくしごとについて少し記述したいと思います。

 私の年齢は今年、後期高齢者に入ったばかりなので75歳。

 43歳で別居し、その後しばらくして正式に離婚して以来一人暮らしをずっと続けて32年と言うことになりますネ。

 その間再婚に関わる話も2,3度ありました。

 45歳の頃に勤めていた会社と数社が合併して新たな会社になり、それまでの同業ライバル会社だったところの社員の人達とも融和した頃に同じ町に住んでいる男性と親しくなり忘年会などではなく初めて個別に2人でスナックバーに行ったものである。

 その時初めて個人でそういったところに入ったという全くの世間知らずだったが、離婚して独りで気楽に生活していたので新たな世界に入ったような気分でたまに行くようになった訳である。

 ということで新たな私の生活が始まったが、話せば結構長くなるので特に記述することがない時に、追々この続きを記述して行きたいと思う。

 日記に戻るが夕方まではずっと自宅でいつもと同様にパソコンの前に座り、MSNニュースやYouTubeを見ることになる。

 夕方ダンスレッスンに行く時刻が近づいたので出かける準備をして、西方面行のバス停に行ったが、この頃になると今までのように西日が高いこともなく沈んで薄暗くなっているのでやや過ごし良くなって来ているが、昼間の太陽で温められた道路や建物の輻射熱で未だ未だ気温は高い。

 やがてやって来たバスに乗ってK小学校最寄りのバス停で降りて校門を開け、中に入ってダンスレッスンを行なう部屋に到着すると既に10名近い人が来ていた。こういった教室ではどこでも大体ご多聞に洩れず女性の方が多いのはここも同じである。

 しかしこの月曜ダンス教室では7人の男性がいるし、ラテンダンスでは男足をするベテランの女性も3人いるので10組のペアが出来る。

 現在、ラテンダンスはルンバを行なっているが、10月に3つの知り合いのダンス教室が合同でダンスパーティをすることになるので出しものであるこのルンバを月曜ダンス教室として踊ることになる。

 最近火曜ダンス教室の入門コースからこの月曜の初級コースに入ったメンバーもいるので新たなダンスメニューを覚えるのに必死であるが、私達何年か在籍しているものは以前やったことのあるメニューなので気軽に楽しんでいるが、後半のワルツは今までとちょっと違うステップも入って新鮮味を出しているところである。

 後半は

今日も暑い一日となる

2017-08-27 23:15:25 | 日記
 今日は朝からいい天気になったので先ずは洗濯から始めることになった。

 今日のような天気であれば直ぐに乾くことになるから洗濯してても値打ちがある。

 今日は特に外出の予定もないのでずっと自宅にいる形となったので特に記述する程のこともないので簡単日記となるかも。

 ところで一昨日の金曜日にSの店に行ったことを記述したが、その際カウンターの一番奥にいつも陣取ってる3人程の常連男性達がその日、結局来なかったのだが、それぞれの人に何か別の予定があってたまたま来なかったのかも知れないが、場合によっては連日の暑さにやられたのかも知れないと思ったものである。

 というのもその日私が店を出る時に「帰ります」と言って隣に座っていた別の常連さんに挨拶した時、「私も今日は身体の調子が悪いのでこの後、直ぐ帰ります」と言っていたのを思い出したのである。

 そういえば私が行った時、いつも隣に座ることが多いこの男性はその日1曲歌っただけであった。

 こんなことは先ず今までにないことだし、奥の方に座っていた常連組は必ずいたものである。

 このSの店に私が行くのは大体2週間後というサイクルになっているが、必ずと言っていいほどいつも常連組はいたし、私が行かない週もまた、この金曜担当の女性のEさんが水曜日も担当しているので1週間に2回通っているようであるが、私は水曜日は高大に行く日なので水曜日に行ったことはない。

 店は毎日正月休み以外はずっと開店しているが曜日によって担当者が違うので他の担当者の時は来ていないということであった。

 私も元々は別の担当者がやっている木曜日だけしかこのSの店に来ていなかったが、去年の5月にその担当者が辞めてしまったのである。

 昨年の5月以降はずっとSの店に行かないまま日が過ぎて去年の暮れに年の暮れの整理をしている時にこのSの店のカラオケチケットが7,8枚出て来たのでこのSの店ともお別れをするつもりでカラオケチケットが無くなればそれでこの店ともバイバイする予定であった。

 で、木曜日の担当者の後釜には火・土の担当者が引き継ぐということだったが、この担当者はもう一つだったので結局水曜と金曜を担当しているEさんの担当する水曜日だったと思うが、行った訳である。

 年末だったので高大も冬休みに入っていたから水・金どちらでも良かったのである。

 実は、私がこのSの店に行きだした5年ほど前に最初に行ったのが土曜日だったと思うが、担当者はその頃と変わらない火・土の今の担当者と同じである。

 で、その時に曜日によって担当者が変わることを聞いてそれぞれ担当者が違う別の日に出かけた結果一番歌の上手い月・木担当のKさんがいる日に行くようになったが実質は月曜日は殆んど行かず木曜日だけであった。

 その際に今の水・金担当者のEさんも当時からいたが一番この店で若い担当者ということもあって男性陣から人気があり、当時はいつも満員でしかも、酒飲みが多かったので歌は2の次と言う感じだったので私が敬遠した経緯がある。

 その時たまたま歌った曲が先週来た時にも歌った浜田省吾の「もうひとつの土曜日」で担当者のEさんも若い頃は浜田省吾の曲が好きだったと言っていたのを思い出して昨年の暮れの水曜日にそのEさんがいるのが分かっていたので出かけた訳である。

 残っていたチケットは7,8枚なので1日では消化しきれなかったが、その日店に入って行った時に5年ほど前に私が浜田省吾の歌を歌っていたことを思い出し、おまけに私の名前を言い当てたのでこのままオサラバはちょっと申し訳ないということで今も2週間おきではあるが通っているということである。

 昨年の暮れにもこのいきさつを読んだ人もあるかも知れないが初めて聞くという人もいるかもと言うことで記述したものである。

 それにしても毎日暑い日が続いているので皆さんにはこの暑さに負けず体調を整えて乗り越えて頂きたいものです。