いよいよ今年最後の日を迎えることになった。
良く言われるのが「1年ってあっという間」という言い方であるが、特に年配の人が良く言うのが「歳を取ったら…」である。
子供の頃は誰しも「早く学校の授業が終わらないかな」と思ったもので一日の時間が長く感じたものである。
私の年齢もいつの間にやらドンドン齢を重ねて来年誕生日を迎えると後期高齢者の仲間入りと言うことになる。
言い換えると3四半世紀を過ごしたということであと四半世紀で1世紀を迎えることと相成る訳です。
だけど今現在に至るまで自分が歳をとったという自覚は全然なく、今まで通りの元気な自分が続くと思っているから困ったものというか、そいう意識が全くなく、いつもの自分がここにいるという思いだけである。
そのように言えるのはやはり健康であるからこそであると今更ながらに思えるが、これがあちらが痛い、こちらが痛いということで病院通いをしていたら自然と自分の歳を思い知らされるということなのかも知れない。
そういう意味では特にこれと言う身体の不具合もなく過ごして来れたことに感謝である。
男一人で生活する、特に定年を迎えてから先に奥さんを亡くした場合、1,2年後に後を追うように旦那が亡くなるケースが多いということを聞く。逆に旦那が亡くなっても奥さんは長いこと生きているケースは結構ある。
この差は何だろうかと思う時、男も一人で生きていくだけの強い意志を持たないと奥さんに頼りきりだった男性に限って多い現象だということが言えるのではないだろうか。
私の場合は13年間結婚生活をした後、離婚により一人で生活をすることになった訳だが、離婚して間がない40代の頃には再婚を考えた時期もあったが、今となっては一人暮らしが定着してしまい、自分の好きなように気ままに暮らしているから、これが普通の生活になってしまったと言うことだろう。
と、こんな風に言えるのも先述したように健康そのものだから言えることである。
ただし、健康を維持するのにはそれ相応のことをしないといけないということは言うまでもない。
一人で生活をするとなれば何事も自分でキチンと管理しなければあっという間に不健康な状態に陥る可能性がある。
即ち、生活態度や姿勢そのものである。
健康状態を維持しようと思えば先ず前向きに生きる必要があるし、逆に健康じゃない状態が続けば弱気になって前向きに生きようという意欲が弱まり極端な場合は自暴自棄に陥り、この先どうなってもいいという気持ちになりかねない。
前向きに生きようとするならばどうすればいいか、自ずと答えは出てくる筈で生活そのものが楽しいと思える何かを持つことである。
それは人によってマチマチだが、仕事をすることが楽しい人は何かの仕事に就くか、世の中の為に役に立とうと思えばボランティアをするか、その違いは報酬が伴うか、否かの違いである。
私の場合は後者だが、今までの歳月を無事に過ごせて来たのも陰に陽に日本社会で生かされてきたと思えばこそ少しでも社会に還元したいという気持ちからである。
それ以外には何か楽しそうな趣味を持つことで、運動だったり、文化面であったり、これも多種多様であるが、私もボランティアだけじゃなく、運動面では社交ダンスを楽しんでいるし、カラオケにも時々行って50代からCDアルバムを聴いて覚えたポップスを専門にして歌っている。
60代以上の人達が歌うのは演歌が殆んどである中で来年後期高齢者になろうというオジイが純ポップを歌うもんだから殆んどの人がビックリポンのようだ。
それも自分で言うのもなんだが音程はしっかりしてリズムにもちゃんと乗っているからノリのいい曲なんか歌うと手拍子が出てくるからオジイの晴れ姿がそこにある訳である。
但し店によっては客の層が違って演歌ばっかしか歌わないからシラーッとするので店選びは大事である。
ということで自分に合った前向きになれるものを見付けて、出来れば夢中になれるものに取り組んで欲しいと思います。
今日の日記に移ると、昨日に続いて今朝から年末の買い出しに追われ最初は南方面のスーパーに行って正月用にお神酒ということで殆んど飲まない日本酒の500ml瓶と発泡酒、それに昨日買わなかったものを買って帰る。
午後からはやはり南方面のディスカウント店で柿の種の他にも買おうと思ったが、夕方5時前になって品切れになったので、朝と同じ南方面のスーパーへ再度行って買い洩らしたものを買って帰り、更に品物を自宅の玄関に置いたまま近くの商店街で小さい袋の丸餅とA4の紙を買って自宅に戻る。
夕食を済ませた後は煮物作りに勤しむ。そして最後に年越しソバを作って食べる。
来年もいい年であってほしいものです。