ブログ日記 日々のうつろい 

退職後パソコンとガイドのボランティアをし、カラオケ(ポップス)やダンス等で生活を楽しむオジサンのブログ。

今年最後の一日

2016-12-31 22:42:06 | 日記

 いよいよ今年最後の日を迎えることになった。

 良く言われるのが「1年ってあっという間」という言い方であるが、特に年配の人が良く言うのが「歳を取ったら…」である。

 子供の頃は誰しも「早く学校の授業が終わらないかな」と思ったもので一日の時間が長く感じたものである。

 私の年齢もいつの間にやらドンドン齢を重ねて来年誕生日を迎えると後期高齢者の仲間入りと言うことになる。

 言い換えると3四半世紀を過ごしたということであと四半世紀で1世紀を迎えることと相成る訳です。

 だけど今現在に至るまで自分が歳をとったという自覚は全然なく、今まで通りの元気な自分が続くと思っているから困ったものというか、そいう意識が全くなく、いつもの自分がここにいるという思いだけである。

 そのように言えるのはやはり健康であるからこそであると今更ながらに思えるが、これがあちらが痛い、こちらが痛いということで病院通いをしていたら自然と自分の歳を思い知らされるということなのかも知れない。

 そういう意味では特にこれと言う身体の不具合もなく過ごして来れたことに感謝である。

 男一人で生活する、特に定年を迎えてから先に奥さんを亡くした場合、1,2年後に後を追うように旦那が亡くなるケースが多いということを聞く。逆に旦那が亡くなっても奥さんは長いこと生きているケースは結構ある。

 この差は何だろうかと思う時、男も一人で生きていくだけの強い意志を持たないと奥さんに頼りきりだった男性に限って多い現象だということが言えるのではないだろうか。

 私の場合は13年間結婚生活をした後、離婚により一人で生活をすることになった訳だが、離婚して間がない40代の頃には再婚を考えた時期もあったが、今となっては一人暮らしが定着してしまい、自分の好きなように気ままに暮らしているから、これが普通の生活になってしまったと言うことだろう。

 と、こんな風に言えるのも先述したように健康そのものだから言えることである。

 ただし、健康を維持するのにはそれ相応のことをしないといけないということは言うまでもない。

 一人で生活をするとなれば何事も自分でキチンと管理しなければあっという間に不健康な状態に陥る可能性がある。

 即ち、生活態度や姿勢そのものである。

 健康状態を維持しようと思えば先ず前向きに生きる必要があるし、逆に健康じゃない状態が続けば弱気になって前向きに生きようという意欲が弱まり極端な場合は自暴自棄に陥り、この先どうなってもいいという気持ちになりかねない。

 前向きに生きようとするならばどうすればいいか、自ずと答えは出てくる筈で生活そのものが楽しいと思える何かを持つことである。

 それは人によってマチマチだが、仕事をすることが楽しい人は何かの仕事に就くか、世の中の為に役に立とうと思えばボランティアをするか、その違いは報酬が伴うか、否かの違いである。

 私の場合は後者だが、今までの歳月を無事に過ごせて来たのも陰に陽に日本社会で生かされてきたと思えばこそ少しでも社会に還元したいという気持ちからである。

 それ以外には何か楽しそうな趣味を持つことで、運動だったり、文化面であったり、これも多種多様であるが、私もボランティアだけじゃなく、運動面では社交ダンスを楽しんでいるし、カラオケにも時々行って50代からCDアルバムを聴いて覚えたポップスを専門にして歌っている。

 60代以上の人達が歌うのは演歌が殆んどである中で来年後期高齢者になろうというオジイが純ポップを歌うもんだから殆んどの人がビックリポンのようだ。

 それも自分で言うのもなんだが音程はしっかりしてリズムにもちゃんと乗っているからノリのいい曲なんか歌うと手拍子が出てくるからオジイの晴れ姿がそこにある訳である。

 但し店によっては客の層が違って演歌ばっかしか歌わないからシラーッとするので店選びは大事である。

 ということで自分に合った前向きになれるものを見付けて、出来れば夢中になれるものに取り組んで欲しいと思います。

 今日の日記に移ると、昨日に続いて今朝から年末の買い出しに追われ最初は南方面のスーパーに行って正月用にお神酒ということで殆んど飲まない日本酒の500ml瓶と発泡酒、それに昨日買わなかったものを買って帰る。

 午後からはやはり南方面のディスカウント店で柿の種の他にも買おうと思ったが、夕方5時前になって品切れになったので、朝と同じ南方面のスーパーへ再度行って買い洩らしたものを買って帰り、更に品物を自宅の玄関に置いたまま近くの商店街で小さい袋の丸餅とA4の紙を買って自宅に戻る。

 夕食を済ませた後は煮物作りに勤しむ。そして最後に年越しソバを作って食べる。

 来年もいい年であってほしいものです。


年賀状と年末買い出し②

2016-12-30 22:56:33 | 日記

 今日も昨日と同じ様な天候でカラッとした晴れではまずまずの天気である。

 今日は朝食を済ませてから年賀状作って投函しておきたいということで早速取り掛かる。

 昨日の夜に干支のフリー素材をダウンロードしておいたのでドキュメントから引き出して印刷に取り掛かる。

 いつもの年だったら表書きの住所や名前だけは最低毛筆で書くようにしていたが、今回は全く昨日になってから慌てて年賀状を買いに行ったので午前中に済ませて投函したいので年賀ハガキの表書きはインクのマジックペンで書くことにした。

 今日の午前中に出しておけば市内はモチロン近県であれば元日には配達されるだろうからである。

 これが明日31日の大晦日に投函したら市内は何とかなるかも知れないが他はまず無理であろう。

 ということでプリント出来たものから表書きを書いて行く。

 枚数も一時期のようなことはなく段々少なくして来たのだが結局出来上がったのは12時30分を少し回ったが、直ぐに郵便局の前にあるポストに投函に行く。

 そして郵便局の中に入り思わぬ人から年賀状が来るかもしれないので予備として若干の枚数を買っておくことにした。

 自宅へ戻って遅い目の昼食を作って食べた後、しばしくつろいでゲームをしたり、YouTubeなどを見ていたが、今日も買物に出かけることにしたが、その途中でこの冬休みの間に準備しておかなければならないことを箇条書きに出してみた。

 その中に高大の3学期の出席簿を作成するようにしておかなければならないということも書き出した。

 高大の正規の出席簿は用意されているが、当クラスの場合、講師は自分で班毎に点呼して出欠を確認したいということであるが、高大の出席簿はアイウエオ順の名簿になっている為、学期毎にオリジナルの班別名簿を私が作成しているので買物に出かける前に取り掛かることにした。

 結局出かける時刻までに出来上がらなかったが、一時中断して「名前を付けて保存」し、買物に出かけることにした。

 今日も北方面のスーパーへ行くことにしたが、この北コースが一番気が楽な感じがする。

 というのもこのコースは古い昔からある道で途中には公園の中や傍のくねった通りを歩くことになる。

 しかも住宅が左右に並んだ生活道路なので車もそんなに多く走らないし、一方通行だから安心できる道である。

 最も自宅から近いのは南方面のスーパーだが信号待ちが何か所かあったり、車が良く通る信号のない道路を横断しなければならないところもあるから気分的にも余り好きではない。

 店に着いて昨日ハマチや白菜、ミカンなどを買って重量の大きいものだったので肝心の発泡酒まで手が回らずであった。

 そこで今日は品切れになるのでどうしても買っておきたいということでやってきたが、今日も発泡酒の他にも安いものがあったのでこの時とばかり予備のものまで余計に買ってしまったので、昨日買いそびれたものを明日も買いに行くことになった。

 明日は大晦日なので早い目に出かけた方がいいだろう。


年末の買い出し

2016-12-29 22:54:48 | 日記

 今日は年末と言うこともあって特に予定もないので年末の買い出しに午後から出かけることにして、取り敢えずは洗濯をすることにした。

 晴間も朝方は出ていたが、時間が経つにつれて曇って来たが洗濯物も干し終えてしばらくくつろぎながらゲームやMSNニュース、それにYouTubeを見ることになる。

 自宅にいる時は三度三度食事を作ることになるが、出来るだけバランスを崩さないようにして食事を作るようにしているつもりだ。

 そうしているうちにヒョイと「そうだ年賀状を出さねば…」と気が付いて午後買い出しに出かける時に先ず郵便局に行って年賀状を購入することになった。

 その足で最初は南方面のスーパーに行こうかと思っていたが結局北方面のスーパーに行くことにしたのである。

 というのも南方面のスーパーは昨日Sの店に行った帰りに寄ったので今日はその正反対の北へ行くことにしたのである。

 というのも魚を買う時にはいつも北方面のスーパーへ行くようにしているからである。

 一応年末と正月用の食材ということなので刺身は欠かせないということもあって魚を買う時には北方面の店が早目に割引するから途中で気が変わって南の店から北の店へと変更したのである。

 20分近く歩いて北方面のスーパーに到着したが先ずは魚コーナーに行って棚を見るとお誂え向きのハマチが2本だけあったので即カゴの中行きである。

 未だ割引はしてなかったが手頃な値段だったので1本捌いてブロックにしておけば正月3が日ぐらいまでは刺身が食べられるし、アラも大根と一緒に煮ておけばそれも楽しめるというものである。

 ハマチはアジ科のサカナなので日持ちは良く色が少々黒っぽくなっても大丈夫だということを以前漁師に聞いているので一番安心して刺身で食べられる魚である。

 ハマチが手に入ったから後の食材は適当に購入することになったが、今日手に入れたい白菜もしっかり葉を巻いているので半切りだがドシッとした重量があるので一人では充分食べ出がある。

 最近は夜は冷えるので殆んど鍋なので白菜は欠かせない食材である。

 他にミカンも欲しいので買ったが白菜と言いミカン、それにハマチ1本が加わるから結構重たいので今日も両手に買物袋を提げて歩いて帰って来た。

 今日の食材は重くて購入予定のモチや牛乳等も重たいので買わず仕舞いになり、予定していたものには買い足らないので明日か、明後日ぐらいにもう1回買い出しをする必要がある。


大久しぶりにSの店に行く

2016-12-28 23:10:09 | 日記

 今日は本当の久しぶりにSの店に行ってみようということになった。

 Sの店というのは以前しばらくちょくちょく通っていた東隣区にあるカラオケ喫茶である。

 この店は東隣区にある良く知られた商店街の中にある店でたまたまその商店街に行った時に歩いていて店の表に書いてあったビラを見てその時は店に入らなかったが次のようなことが書いてあったのである。

 「毎月7の付く日に半額になるチケットを販売している」と言う内容であった。

 カラオケ1曲100円と言うのがこの地域のカラオケ喫茶の相場であるが、その当時はまだ1曲が50円になる店は余りなかったのでしばらくしてから7の付く日(7・17・27)にその店に入ってみたのである。

 店のドアを開けた瞬間凄い人の数で先ず圧倒された。14,5人が午後1時頃に入っていたのである。

 今まで色んなカラオケ喫茶に入っているが、この時間にしてこれだけの人数が入っているのは見たことがないから、一瞬入るのをためらったが折角東隣区までわざわざ来たので思い切って入った。

 ドアに近いところは両側に長いテーブルが3脚の列をなし、それが向かい合せに計6脚あり、真ん中が通路になっている。

 その奥にカウンターがあって8,9人が座れるから満席なら25人ぐらい、補助席を付けたら30人ぐらいは入る細長いウナギの寝床のような部屋である。

 カウンター席が空いているということで奥の方に入って行ったらスタイリッシュなオバちゃんがここに座ってと手で指し示す。

 その席に座ってから色々そのオバちゃんから教えて貰った情報によると曜日によってカウンターの中の女性が入れ替わるということであった。

 その日は7の付く日だったので早速チケット11枚綴り1冊500円を購入して歌うことにしたが、入った当初は2,3人歌った後すぐに曲を入れてくれるが、その後は15人程歌うので結構待ち時間が長くなる。だけど色んな曲を聴くのも勉強の内で時間を潰すのには持って来いである。

 曜日によってカウンター内の女性が入れ替わるということだったが、ローテーションは次の様である。

 すなわち月・木、火・土、水・金はそれぞれ3人が担当し、日と夜はまた別の女性が行なうということで計5人の女性が担当し、ママはそれぞれの日の任意の時間にやるということですべてその女性達に任せているが、忙しい時には手伝ったりしている。

 私は日曜日と夜は最初から除外していたので週日の担当をしている3人の女性全員に当たってみることにした。

 月・木の担当の女性は一番年輩(と言っても私より2,3歳下の様)であるが、3人の女性の中では歌が一番上手いと隣の粋なオバちゃんが教えてくれた。

 火、土の女性は気安い感じがしたが、余りタイプではない。

 水・金の女性は一番若く男性客には一番人気のようで私が歌う浜田省吾の曲が好きだと言ってくれたが、一番気に入った女性は余りズケズケしていない月・木曜担当の女性(K子さん)の木曜日に来ることにしたのである。

 それ以来ちょくちょく木曜日にその店に行くようになったが相変わらず客は多いから午後1時頃に入店して帰る時刻の5時頃までに歌う曲数は4曲、多くても5曲というところである。

 この店に行くようになってから今年で5年目ぐらいで、去年あたりから1カ月に1度ぐらいしか行かなくなったが、今年の4月に行った時、K子さん曰く「今月一杯でこの店を辞める」ということであった。

 K子さんはこの店に来る前から別の区のLというカラオケ喫茶に勤めており、その店もママとK子さんとで曜日を別々で担当していたが、たまたまSの店の女性が辞めたので来てくれないかということだった。

 月・木ならLの店とぶつからないのでSの店に来るようになったが休みが火曜日しかないので忙しいということであった。

 結局私がSの店に行くようになった2,3年前にこの店に来たと言うことであったが、今年の5月から私もSの店にはぷっつりと行くのを止めてしまっていたが、たまたま部屋の整理をしていてSの店のカラオケチケットが出て来たので勿体ないので行くことにしたが、木曜日は火・土担当のタイプではない女性が引き継いだので水・金担当の一番売れっ子のE子さん担当の日に行くことにしたのである。

 今日はE子さん担当の水曜日ということで以前、Sの店に入る前に商店街の南入口付近にある寿司店で「10カン」500円+消費税を食べるのがパターンだったが、今日も同じようにそれを踏襲する。食べ終えて商店街を北に向けた歩いて行くが年末商戦と言うこともあって大賑わいで歩くのも人をかき分けと言う感じでSの店に辿り着く。

 中に入ると既に15人ぐらいの客が入っていたが、奥のカウンターに進むとE子さん私の顔を見るなり「お久しぶりです!」と言いながら「確か〇〇さんでしたよね」と私の名前を言い当てたのである。

 5年ほど前にこの店に来て、最初はどの曜日に来ようかなと担当者を決める時にE子さんの担当日に来て、その後何かの時にもう一度来た2回ぐらいしか会ってないのに私の名前を言い当てたのにはびっくりしたものである。

 そして私の左隣の常連男性客に「シャレた曲を歌う人なの」と紹介する。

 持参したチケットを出して曲を書き込み「今のチケットとは色が違うけれど…」と差し出すと「マァ、今のチケットとは値打ちが違って高く売れるかも…」と言いながら受け取るウィットも大したものである。

 私が2回目に彼女の担当日に来て「もうひとつの土曜日」を歌ったことも覚えていて、次曲に「浜田省吾は大好きなので『悲しみは雪のように』を歌って!」と言われて歌ったので、今日はいきなり『悲しみは雪のように』をチケットに書いて出したのである。

 結局、今日も5時頃までに4曲歌って店を出たが、その店の中でママをめぐる事件(痴話ではない)が発生したが、今日は字数もかなり多いのでまた機会があれば紹介したい。

 帰り道に発泡酒などが切れているので買物をして帰ることにした。


西隣区S小学校火曜ダンス教室H28年12月④

2016-12-27 23:32:23 | 日記

 今朝は雨が降っている状態から始まった。

 朝8時に起きて布団を上げて朝食を作っている時にはもう雨が降っていた。

 そして食べ終えてしばしくつろいでいたがその後はいつもの様にメールとカレンダーをチェックしていると昨日に「弔電を入れておきました」と高大の同じクラスのCDのTさんからのメールのタイトルが目についた。

 「弔電」と言う言葉に高大関係者の誰かが亡くなったからメールをして来たのだろうかとメールを開くと当クラスを受け持っている講師の先生のお父さんが亡くなったということであった。

 先生は月曜と水曜のPCのクラスを受け持っているので月曜と水曜のCD4名の連名で弔電を打つことを私に了解を得ようとメールしたが、昨日はたまたまカラオケ喫茶の忘年会に出かけ、そのあと月曜ダンス教室に出かけたのでメールを開けないまま今日になってしまった訳だが、Tさん一存で弔電を打っておいたという内容であった。

 返信メールでいろいろと気を遣っていただいたことに感謝するメールをする。

 だけど先生のお父さんと言えば確か私と同じ歳ぐらいだった筈である。

 以前、授業を終えた後、何かの折に先生と2人でプライベートな話をする機会があって先生の年齢の話になったことがある。

 その際に私はわざと多い目の年齢を言ったのである。

 女性の年齢は良く解らないが若く見えるけど結構歳がいってるのではないかという感じがして50歳ぐらいと言ったことがある。

 年齢的に見えるのは30代後半かなと思ったけれど、そのまま言っては面白みがないと思って「30代後半かと思ったが、最近の女性は若く見えるので40歳半ばかと思ったが、案外50歳ぐらいかも」と言ったのである。

 さすがに先生も少しムッとして「38歳よ!」と本当の年齢を言ったものである。

 結局一回り歳を多く言ってしまったことになるが、例えば「30歳」と若く言ったとしたら喜んでしまってその年齢にしてしまいがちなのが女ごころで、その年齢を通すことになることだろう。

 わざと多い目の歳を言うことにより本当の歳を聞きだしたことになる。

 そんなやりとりがあったのとは別の日の会話で、先生が「高齢者の人達が高大に来てホームページを勉強しようとする姿勢に感心する」と言いさらに続けて「うちの母は結構パソコンに関心があるが、父は全然気がない」ということだった。

 そこでお父さんの年齢は私と同じぐらいだという話しになった訳である。

 すると別れた妻と暮らしている男2人の子供のうち次男が先生と同じ年齢になる筈だから先生のお父さんと私が同じ歳と言うことなら辻褄が合うと思っていた。

 今日その訃報に接して私と同じ年齢だとすればまだ若いのにと思ったが、私からTさんへの返信に私と同じ歳だったことを書いたら、「そんな若かったんですか?」と言うことだった。

 Tさんが先生に電話で確認した時に「父も歳だったから…と言うことでした」とのことだったので「私と同じ歳」というのはウソだったのか、と思ったものである。

 夕方になって火曜ダンス教室の時刻が近くなったので準備をしてバスに乗りS小学校に到着したが、今日のダンスレッスンが今年最後となる訳である。

 火曜日は入門コースだが、参加しているメンバーも段々とダンスの内容が変わって来たこともあって更に高度なダンスの内容を先生から指導を受ける様になって来た。

 つまり基本の基本であるが、この教室では現在チャチャチャとタンゴが行なわれているが、それぞれのステップの身体の姿勢や足の位置、動きなどのついて事細かな説明が入って来た。

 生涯学習でこれだけの内容を細かく話してくれる先生は先ずいないと思っているので良い先生に巡り合えたと喜んでいる。