ブログ日記 日々のうつろい 

退職後パソコンとガイドのボランティアをし、カラオケ(ポップス)やダンス等で生活を楽しむオジサンのブログ。

ダンス旅行2日目(6/30)

2014-06-30 22:17:49 | 日記

 昨日夜遅くというより朝早くまで起きていたが、やっと3時過ぎにお開きになりそのまま寝たが同室の男3人が既に寝息を立てて寝込んでいる。

 私は歯磨きをしてから寝ることにしたがその頃にはイビキも発している状態で寝られるかなと思っていたがいつしか寝たようである。

 目が覚めたら結構明るい光が窓から差し込んでいるが最後に寝た私が一番早く起きたようである。

 腕時計の針が止まった侭だったので自宅に置いて電池を換えずにいたが、たまたま少し前にテレビショッピングでシェーバーを買って、しばらくしてから送られてきていた冊子で時計を申し込んだが発送が6月30日になるということだったのでその日は旅行中と言うことで明日(7月1日)戻ってからの配達にして貰ったので腕時計なしで旅行に来たから時刻が分からない。

 やがて向かいで寝ていた80過ぎの男性が起きて自分の腕時計を見て「7時か」と言ったのを聞く。

 朝食は8時からだということでまだ1時間もあるから朝風呂に入ることにした。

 昨日の夕方頭髪は洗わずにいたので、朝洗うことにした。

 というのもホテルに置いてあるリキッドなどは余りいい香りがしないものが多いし、かといってリキッドまで持参するとデイバッグがそれでなくても一杯なので持ってこなかったのである。

 頭を洗って、脱衣所にあるドライヤーで髪のセットをして部屋に戻ってしばしテレビを見る。

 朝の時間にテレビを見ることは殆んどないが、ニュースや天気予報を中心に見るが今日も天候の方は大丈夫の様である。

 昨年までのダンス旅行では朝食後もダンスをしていたが、今年はなくて伊勢神宮の外宮と内宮に参拝すると言うことだった。

 私もここは初めて訪れるので興味があったが、外宮と内宮は隣り合ってあるのかと思ったが結構離れている。

 それにしても江戸時代に庶民が「伊勢参り」を盛んに行なった訳だがその入口におみやげ品や食べ物屋さんがずらっと並んでいて家並が江戸時代を感じさせるもので趣がある。

 とりあえず昼をと言うことで適当な店を吟味して歩いたが、あまり目立たないがいかにもそれらしい店があったので入ることにした。

 奥の方にある座敷の方へ通されたが、2つのテーブルだけ3人、4人と座り私達男組3人。は一番奥に座ってご当地のうどんを食べることにした。

 私は当地のことに付いては全く疎くどんなうどんなのか興味があった訳である。

 うどんが運ばれて来たのを見るとシンプルだがネギだけ乗っかって後はダシが注がれているといった簡単なものだけである。

 


ダンス旅行1日目(6/29)

2014-06-30 21:49:23 | 日記

 今日はいよいよダンス旅行初日である。出発は民鉄駅発9時過ぎなのでそれまでにその駅に集合することになっている。

 予め旅行の往復の切符は前もって貰っているので当日使用すれば事足りるが、やはり全員揃って特急電車に乗り込むので全員揃ったかどうかを確認しなければならないから決められた時間までには行く必要がある。

 ということで朝6時30分に起床すべく目覚ましをセットしておいて直ぐに起きだし台所に立って朝食の準備をする。

 食事が終わった後は前夜主な携帯品は準備しておいたが、洩れはないかを確認しながらデイバッグに入れていく。

 そして8時30分に地下鉄駅に向けて歩いて行ったところがホームに降り立った時点でアナウンスがあり途中の駅で点検作業をしているので電車が遅れているとのことである。

 やって来た電車内でも同様のアナウンスがあり、民鉄の特急の発車時刻に間に合うかどうか気が焦る。

 しかしやがて電車が出発したが、途中の駅で「前に電車がいるのでしばらくお待ちください」と社内アナウンスがあってスンナリとは動かないから気は焦るばかりである。

 ようやく目的の民鉄駅に中継する駅に降り立ったが、すぐにその駅から出発する特急電車の出発時刻の10分前だったが見覚えのある顔がない。

 しょうがないので改札口を入り出発ホームに降りたがそれらしき姿はないので再度改札と同じ階の改札口を入った広間の隅にあるベンチに沢山の人がいたけどそこにもいないから、そのベンチに腰かけてしばらく待つことにした。

 ところが4,5分待ってもこないのでどうせ指定席だからそこへ行けばいいやと指定席券の車両番号と席の№を確認したら3号車だったのでその号車が止まるところまで行こうとホームを歩き出した。

 そこへ近づくとなんと駅の太い柱の陰になって見えなかったがそこにメンバーが集まっていた。

 「会長を見なかった?」と聞かれたが「多くの乗降客でごった返して確認が全く出来なかった」と言うことを伝える。

 電車が入って来たので乗り込んで指定席に座ってしばらくしたら会長が戻って来て私の顔を確認した後に、ご自分の席に座った。

 シートの相席は年輩の女性で火曜日と木曜日にも来ている人だが、聞けば私と同じ今年の春から木曜日にも来るようになったということだが、その人以外にも同じ時期に木曜日に来るようになった女性は2人いる。

 彼女らの経験は私と同じ位の経験があるということだが、木曜日の場合は中級なので中々難しいと普段言っている。

 電車は特急で目指す駅までは約2時間かかるが往きの停車駅は殆んどなく現地に近づいた主な駅の3つ目か、4つ目の駅で下車することになった。

 降り立った駅から10分程あるいて船着き場に行きそこから小さな島に向った。

 その島ではイルカのショーをしていると言うことで日曜日だということもあって家族連れの人たちで結構賑わっている。

 イルカ以外にもアシカの曲芸などもあって時間をかけてゆっくりすることも出来るようだが私たちは午後から別の目的があるので、イルカのショーを見た後は一軒だけある食堂に入って昼食を摂ることにした。

 その食堂は小さな島でイルカなどのショーもしている同じ経営会社だと思われるから価格も結構高いが他所で食べることも出来ないから一番安いカレーライスにした。この島は遊覧船で各島巡りとイルカのショーなどをセットにしているので帰りは来たコースとは違うコースで初めに出発した船着き場に到着する。

 予めホテルから迎えに来る時間を調整したマイクロバスが迎えに来て待っていてくれたので乗り込みホテルへと向かう。

 ロビーに到着するとO氏夫妻が別途自家用車で来て待ってくれていた。

 この夫妻はどちらもダンスはベテランで奥さんの方が6,7歳年輩だということで想像では若い頃に、多分ダンスを通じて知り合い結婚したものと思われるが、どちらも木曜日の中心メンバーである。

 部屋割りは男女それぞれ3~5人づつの部屋に分かれて泊まることになったが、総勢で16人、うち男7人、女9人である。

 小休憩のあと着替えて早速3時からダンスが始まったが、中々しゃれたダンスホールを持ったホテルで、そこから見える海の景色が一望に見渡せるが、我々の部屋も同じ階にあって部屋全体にガラスが入って非常に景色がいい。

 早速思い思いにペアを組んでダンスが始まり、しばらくは手の空いてる者同士のペアでいくつかの種目を踊ってから次の別に人と踊って行ったが途中からはダンスパーティと同じ形式でフリーチェンジになる。

 男性陣は数が少ないのでずっと踊りっぱなしになるので適当に休憩をはさみながら続けて行った。

 5時までの2時間踊って前半を終え、6時まで入浴タイムで6時から8時までは宴会ということになって、大広間に移動する。

 本来はかなり大きな部屋なので大人数の団体さんでも受け入れ可能だが、この日は日曜日なので団体客は我々だけで広く使える。

 実は毎年一回行われるダンス旅行も5月の連休に行ったダンス旅行も土日じゃなく、日月に行なっている。

 5月のダンス旅行はプライベート的に親しい人達が他のグループの人たちも誘って行なうのに対し、今回は月・火・木曜日の同じグループのメンバーが主体で構成されている。

 広い宴会場でビールで乾杯した後、近くの人同士で会話が弾む。

 2時間見ていた宴会だが、特にカラオケがある訳じゃないから盛り上がりもなく粛々と時間が経過し持て余してきたので予定より早目にお開きにし、後半のダンスを少し早めに始めることにした。

 7時45分にダンスホールに集合と言うことで前半のときと同様に進んで行った。

 そして解散後私たちの部屋で2次会をするとかで折角布団が敷いてあったものを折りたたんで隅っこに追いやり隣の部屋からもテーブルを運んできて繋ぎ、その上におつまみを色々と並べていく。

 女性たちがめいめいに準備した発泡酒やおつまみ、焼酎などをもって集まったが我々の部屋のものは動きようがないが 女性たちはダンスの後にまた温泉に行ったとかでなかなかやって来ないので我々男性陣だけで始まった。

 そのうち女性陣も加わり、いろんな話が飛び交うが酒に強い人が残リ、それ以外の人は自分の部屋に帰って行くが、私たちには帰る部屋がないからしょうがなくお付き合いをする羽目になり最後まで付き合わされて解散したの翌30日の午前3時過ぎでやっと寝られることになったから、すぐに寝付いた。

 


資料と部屋の整理

2014-06-28 22:43:43 | 日記

 沖縄の方では梅雨から脱したというニュースが飛び込んできている反面、東日本の方では結構な雨が降ったようで、中には物凄く大粒の雹が降って雪国ならぬ雹国なんてことになり、その処理のためにブルドーザーが出動して処理する場面の動画が流れているほどである。

 幸い当地区はそんな異常な天候にはならず比較的穏やかな一日であったが、今日は特に予定はないが明日から1泊2日のダンス旅行に出かけるので今日の内に出来るだけ資料の整理をしておきたいものである。

 というのも明日から日月と自宅を留守にするわけだから高大に行く水曜日の前準備に使える日は火曜日だけと言うことになるからである。

 そのついでの少し部屋の整理でもしておこうかということになったが、そればかりに時間をかけると退屈するので時折休憩を取りながら普段は見ないテレビも休憩時に見ることになる。

 またその前にはPCのメールやカレンダーのチェックをしておいたのは言うまでもない。

 一段落したところでニュースやYouTubeも見ることになったが、最近の中国の海洋進出が強まって来ている背景に付いて経済評論家の上念司氏と対談しているものがあったので紹介したい。

中国の海洋進出と東南アジア経済

質問者:ベトナム政府は先週、南シナ海の西沙諸島付近で今月2日以降中国の船がベトナムの船に意図的な衝突や放水などを繰り返していると発表しました。

    中国とベトナムの関係、今月初めに中国側が領有権争いの続く西沙諸島の海域で石油の掘削作業、こちらを始めたと発表したことで緊迫しています。現場周辺、中国側の船が凡そ80隻停まっているとも言われています。

    一方ベトナム側の船も凡そ20隻が警戒に当たっていると見られ、双方の睨み合いが続いています。

    ベトナム外務省の関係者からはなぜ今なんだという戸惑いの声が上がっているようですし上念さんなぜ今中国がこうした行動を起こしたんでしょう。

上念:マァ今って言うか、元々こういう流れだったんです。文化大革命が終わったあと中華人民共和国は殆んど滅びる寸前まで行って  たんですね。そこで小平という人が何をしたかというと日本に土下座をして過去のことは水に流しましょうと。天皇陛下にまで言ったんですよ。言ってそれで日本の技術を入れて貰って特区を作ります。もう自由にやって下さいと。パナソニックさま~とか言って、日中友好とかやったんですね。その時にNHKの「シルクロード」というインチキ番組を作って、核兵器の実験場だった砂漠を何の防護服もなしに行かせて、よっぽどそっちの方が危ないですよ。取材班の方亡くなった方いらっしゃると聞いてますけども、日中友好ムードをさんざん煽ったんです。ところが自分たちが力を付けてきたら何をするかというと、もう日本は用済みだといって90年代から反日教育を始めて、で更にソ連が崩壊したりとか、周辺諸国、陸のパワーが弱まって来ると、今度は海洋進出に手を付け始めて、尖閣諸島の領有権を主張してきたりとか、パラセル諸島とかね、フィリピンやベトナムの領土に手を突っ込んできたりとか。海洋パトロールだと称して不法な領海侵犯を繰り返すということをやって来たんで、一連の流れの中でこういう事件が起こっている。突然あの国が、中華人民共和国という国が突然狂暴になってやってるんじゃなくて元々70年代滅びそうになったのを土下座してなんとかして貰ったんだけど虎視眈々と手の平返す瞬間を待っていたと。

質問者:あの当時はだって「井戸を掘った人、その恩義は忘れない」っていうイメージがありましたね。

上念:とっくに忘れていますね。これ韜光養晦(とうこうようかい)と言いまして力のないうちは水面下でずっと力を貯め反撃のチャンスを窺うと、そして力が出たら一気に水面上に浮上して相手を叩きのめすという韜光養晦という言葉があるんですけども、まさにその通りの戦略を今やっているということですね。

質問者:しかしこの海域石油があるとはいうものの一部ではそんなにないんじゃないかとも言われてますし、そうすると、やはり軍事的な目的が大きいのだろうかとか、様々憶測されてますが…

上念:あの国の、チャイナの地政学ですよね、基本的にはソ連と昔友好関係にありましたので割とランドパワー的な地政学なんです。ランドパワー的地政学は基本的に自給自足型経済を目指してるんですよね。そうするとあらゆるものを全部自分の領土とかを勢力圏内に置こうとするんですよ。そこに何があるかというと石油の輸入とか物凄い、海外に頼ってますよね。石炭も国内産の物なんか単価が高くて全然使いたくなくてオーストラリアとかから輸入してる。そのシーレーンというのを独自に防衛したいという風に考えているんですね。それが自らの生存権なんだということでアメリカと大国の関係として上手くやりましょうと言ったんだけどアメリカは結構グジュグジュして認めてるんだか認めてないんだか、何だか分からない。それで力ずくでやろうと思ったらふざけんなってことで周りの国が反発してアメリカも反発した国に引きずられるかのように米比安保条約復活しちゃいましたし、それから尖閣諸島は日米安保の摘要対象内ということも宣言してしまったんで、そう意味では戦略はあまりうまくいっていないということでしょうね。そうやってる間に足元経済がちょっとヤバくなってきますよね。

質問者:それで今回ということですね。

上念:そうですね。

質問者:あとはやったやらないってのが多くてですね、中国外務省の副報道局長の7日の会見でベトナムは中国企業の正常な活動を妨害すべきではない。中国の主権の侵害・国際法の厳重な違反を受け入れることが出来ないとベトナムの抗議に反論している。あとはベトナムの船に中国の船がぶつけて来たというような映像もありますね。これに関して中国外務省の高官は中国側は正常な掘削活動していたにも関わらずベトナム側は35隻の船を出し合わせて171回出てきたと…

上念:デタラメを…。すごいですね。ここまで言うとはさすがですね。ハイ日本も学んだ方がいいです。

質問者:ベトナム側は潜水士を使って障害物を設置するなどし、中国側も対応せざるを得なかった、ということなんですねー。

上念:ビデオ見ればどっちがぶつかって来たかは一目瞭然なわけです。

質問者:間違いなく中国側の船がぶつけてきている。

上念:この171回のうち一回でも撮影してないんですか。

質問者:それがおかしいですね。ベトナムのように映像を出してないですからね…

上念:だからこの辺で言ったもん勝ちになんで、取敢えずいかしてるというのが良くわかるんじゃないかと思うんですね。

質問者:南シナ海の領有権を巡って中国、フィリピンとも緊張状態にありまして6日には南沙諸島付近でフィリピン側、中国漁船をだ捕しています。これは獲っちゃいけない亀獲ったりとか、ことほど左様に中国海洋進出に圧力強めてるという形です。これ、どの様な対抗手段があるんでしょうか。

上念:これはですね、話せば長いので本書きましたんで「国土と安全は経済(カネ)で買える」という扶桑社新書から出てる本を読んでもらえば詳しく書いてあるんですが、簡単に言うと陸からの圧力が弱まるとあの国は海に出てくる、異常なんです。陸の圧力を強めるにはどうすればいいかというと私がこれから行くモンゴルとか…

質問者:今日これからモンゴルに行かれるんですね。

上念:はい、それからロシア。ロシア、今ちょっと色々問題がありますが、それからトルコ、インドそしてベトナムね、陸続きの国に経済発展していただく。経済発展するとGDPが増えて安全保障にかけられるお金も増えますよね。そういうことで陸からの圧力を強めると自然と海への圧力が減っていくという、それがこれまでの2000年間くり返してきた歴史の王道パターンというか、そういうことです。今、陸の圧力が異常に弱まっているという風に考えるのがいいんじゃないかと思うんですね。

質問者:とすると陸の圧力を強める為には1つベトナムもそうですよね。そのベトナムの経済というのはどういう状況でしょう

上念:ベトナムの経済は殆んど日本に頼っています。今援助の半分ぐらいは日本なんです。で今物凄いベトナム進出続いてますし、日本の金融機関もベトナムにも物凄いリスクを取ってるんですよね。そういう意味で言うといわゆる新興国にありがちな対外債務依存型の経済発展をしてるんですが、こういうのを支えて行かなければいけない。すると例えばアメリカの量的緩和の縮小というのが続いていますけど、利上げに転じた時、資金がある程度アメリカに戻ろうとするので、その時に黒田さんどこまで頑張れるかみたいな話になりますよ。ただあんまり外国の都合で金融政策をやっちゃいけないんですよ。あくまでも国内のデフレ対策として金融政策をやらなくちゃいけないのでそことのバランスをうまくとっていくことが大事かなって思います。

質問者:陸の圧力を強めると海への圧力が弱まると、その後の中国はどうなっていくのか。

上念:大体2000年の歴史見て貰えば分かるように内乱状態にあるか、北方民族の支配下にあるかの、いずれかなんですよね。漢民族自体の王朝というのはそんなには長く続いていなくて半分以上は外国に支配下にあったんじゃないですか。彼ら自身が文明というものに対してもう少しリスペクトをして、こう171回もぶつかって来たみたいな、こういう嘘を言っちゃいけないですよ。


何か月ぶりかのカラオケ

2014-06-27 23:25:48 | 日記

 今日は金曜日なの世いつもだったら夕方に区民センターダンス教室があるが、今日はお休みということになっているので久しぶりにUの店に行くことにした。

 ここのところしばらく雨が降ったり止んだりして空模様がはっきりしていなかったが、今日は天気予報を見る限り曇りのち晴れということだったので洗濯をすることにした。

 午前中はいつもの様にPCと向き合いながら二槽式のアナログ洗濯機なので部屋の中を行ったり来たりの同時進行である。

 メールとカレンダーのチェックはいつもと同じであるが、Uの店に行く前にI会席料理店の昼定食を食べてから行くことにした。

 昼近くになって出かける準備をしながら財布の中を覗いて手持ちのキャッシュを数えたら昼定食代とカラオケ代は賄えるが、帰りの買物の料金には心細いので銀行に寄ってお金を少し引き出すことにした。

 その足で西方面へ行くバス停に行くと2人のバス待ち客がいる。

 しばらく待ってバスに乗り西方面にあるスーパーへ買い物に行く時と同じ停留所で降りる。

 そのスーパーとI会席料理店はすぐ近くであるが、帰りにそのスーパーに寄って買物をする予定にしている。

 I会席料理店に入ると土間の3脚のテーブルには各々先客が座っていたが、真ん中のテーブルだけ高齢の女性1人で座っていたので相席させて貰ってもいいかと声をかけ「どうぞ」との声でその斜め前に座る。

 店の若女将さん(50代半ばか?)が「今日は赤魚の味噌漬けの焼き物か、鯖の煮付けか…」と言ったところで「鯖の煮付けで…」と言う。

 この店の鯖の煮付けは私が気に入ってるメニューの一つである。

 私の場合は大体煮付けを注文することが多い。

 この店には先週の土曜日に古道連協のメンバーと崖っぷち③の下見歩きが終わった時にメンバーを連れてやって来たが、その時は1人を除いて全員がカレイの煮付けにしたものである。

 時折、何らかの催しがこの近くで行われる場合には大抵この店に来るのが私のパターンになっているが、今まで650円だった昼定食も4月からは値上がりして700円になったが、何年もずっと値上げをせずにいたのだからしょうがないと言えるだろう。

 ご飯と味噌汁以外にいつも小鉢が2つ付いて来るが、その時によってその内容は色々で、今日はヒジキの煮物とお浸しである。

 食べ終えて少し西に歩いて国道に出てから北へ歩いて行き、最も近い地下鉄の駅まで向かったが7,8分で駅に到着し、2つ北の駅で下車して近くにあるUの店まで歩いて行く。

 何か月振りかで来たので何番の出入り口だったか忘れたので北側の出入り口を出て真っ直ぐ歩きかけてどうも道が違うと気付き引き返す。

 そして見覚えのある通りを曲がるとその店はあった。

 その店に近づいて行った時一人の中年の男性が出てきたが客なのか、用事で来たのか分からないが、とにかく入れ違いに入ると「ヒャー、〇〇さん!!」と、その店を任されているKさんが1オクターブ声を上げて出迎えてくれた。

 客は常連とみられる若い男性客1人だけである。

 しばらく来れなかったので「今までどうしていたの?、元気だった?」と矢継ぎ早に質問して来たのでいちいち説明することになった。

 コーヒーを飲み終えて早速カラオケと言うことにしたが、どうやら今まで若い男性は歌っていなかったようで私が2,3曲歌った後にようやく歌い出した。

 私が歌ったポップス曲を聴いてどの曲にしようかと結構決まるまでに二転三転して選曲時間がかかっていたようだが、インパクトのある曲をということなのか、今時のテンポが早くしかも、高い声を張り上げる曲なので歌うのも大変な感じだ。

 この店では歌った曲の得点を出すようにいつもセットしているが、今日12,3曲ほど歌ったが90点には届かず終いで終わったが、本当に久しぶりのカラオケである。

 若い男性と私が歌い出してしばらくして店のKさんも加わって3人で順番に歌っていくことになった。

 5時に終えて店を出た後、来た時と反対方向に戻り、予定していたスーパーで買い物をして自宅に戻り、コーヒーで一服した後、夕食の準備に入る。


西隣区小学校木曜ダンス教室6月④

2014-06-26 23:01:38 | 日記

 今日も天気の方は雲が広がってハッキリしない天候となっている。

 今日は木曜日なので何カ月ぶりかでSの店にでも出かけようかなと言う気持ちもあったが、ずっと行っていないということもあるし、天候の方もドンヨリ雲って気持ちがすっきりしていないということもあってかどうでもよくなって結局止めることにした。

 したがって夕方のダンスレッスン以外に出かける予定はないのでいつもの様にメールとカレンダーのチェックから始まり、その後もいつもと同じようにゲームを少しした後、ニュースとYouTubeをみることになった。

 ニュースを見る限りにおいて5月頃から中共政権の習近平の様子が少し変化してきたということの様である。

 というのも安倍総理の活躍もさることながら、朴槿恵韓国大統領のマネをして欧州で日本の悪口を言ったりしても全然相手にしてもらえなかったり、4月にオバマ大統領が日本を訪問した際にハッキリと尖閣列島は日米安保の範囲に入ることを謳って完全に習近平が目指した日米分断を画策したのが挫折した為であると言われている。

 それまではアメリカも中韓の間で靖国や慰安婦問題で日本に穏便に済ますようにとあたかも中韓に配慮する態度を示していたオバマは中国と上手くやって行きたいというような姿勢がありありと取って見られたものである。。

 それを習近平が見透かすようにしてオバマとは組み易しと思っていたようだが先述したよう日本訪問時の日本サイドにたった表明でハッキリと習近平の思惑が断ち切られたということで中国国内での立場も揺るぎだし、経済界からも日本と協議する懸案に応じる姿勢を示し始めたということのようである。

 ただここで日本側にも言っておきたいのが話し合うのはいいとしても今までの様に相手は海千山千で日本を利用するだけ利用して経済的に大きくなったら手の平を平気でひっくり返すくらいはどうとも思ってない国だから逆にこちらから利用するぐらいの度量を持ってもらいたいものである。

 それとゆめゆめ深入りはしないことで何かあったら、いつでも資本を引き上げるという腰を引いたものでなければならない。

 とにかく中華人民共和国という国は中国共産党の為の国であって、中国人民の為の国ではないということを認識しておかなくてはならない。

 と言うのも25年前に起きたあの忌まわしい天安門事件で人民を虐殺なんか出来る訳などない筈だ。

 中共政権さえ安泰なら人民の命なんかどうでも良いと考えるような政府は誰も望んでいないからである。

 夕方になってダンスのレッスンに出かける頃に雨が降り出した。

 非常に蒸し暑くちょっと動くだけで汗が出てくる。

 月曜日や火曜日にも同じようにバスに乗って西隣区の小学校に向かうが月曜日と火曜日は別々の小学校であるが、ダンスを教えてくれる先生は同じ人である。

 ところが木曜日の先生はその月の奇数週にだけやって来て、偶数週はメンバーだけのおさらいと言うか自習であるが、レッスンに使っている小学校は月曜日と同じ小学校の同じ部屋でレッスンしている。

 ところで今日は偶数週だから先生は来ないから我々だけの自習ということになるが、ここへ来る途中で結構雨が降っているということもあってか参加者は限られた人数で男性陣は4人、それに対して女性陣は10人で行なう。

 特に身体の姿勢に付いて先生からも言われているのでそれを意識して行なう。