昨夜はそれまでの日より気温は少し低い目であったが、網戸にしてタオルケットをお腹の上に乗せて寝たが、やはり朝方は気温が下がっていたので今朝は時頃に目を覚ます。
朝方は結構強い雨が降っているが、途中で少し小降りになっても止むことはない。
起き上がって布団を押し入れにしまい込み、PCに向かって涼しいうちに出来るだけ昨日に引き続いて遺跡関係の資料をファイルして行く。
時過ぎに朝食をとり、モーニングコーヒーを飲んでしばらくNHKの朝ドラを見終わるまで休憩である。
そして、また資料のファイルを継続して行く。
一旦、時頃に休憩をとるが、また続けて、時からは参議院の委員会の中継が行なわれているのを見ていたが、菅総理は何を考えているのか知らないが、男らしくスパッと辞めろってんだ。
未練たらしくいつまでも総理大臣の椅子に座っていたら迷惑なんだよ。
最初の頃は菅降ろしに対し同情的だったが、最近は辞めろという人の割合が割になっていると言うじゃないか。
ホント未練たらしいったらありゃしない。
ところで今日も特に予定がなかったし、雨も降っているので出かける気も起きなかった。
食料は充分冷蔵庫の中に入っていて少し詰め込み過ぎたぐらいなので、当分は買いに出なくても大丈夫である。
昼からも目先を変えて別にPC誌に書かれている内容の重要な部分をメモしていく。
分からない言葉が出てきた時は「○○とは」で検索する。
こうやって少しづつでも身に付くようにしていきたいものである。
昨日も特に記述することがなかったので現在自分なりに取り組んでいることを紹介したが、今日はその基礎となってる考え方について記述したいと思う。
脳の活性化、足腰を丈夫に鍛えたりして出来るだけあらゆることに興味をもって行こうとするスタンスであることは間違いないが、その基本の考え方は社会にとっては迷惑かも知れないが、寿命を全うしてできるだけ長生きしようということに尽きる。
基本的に人間は歳ぐらいまでは生きる能力が備わっているということであるらしい。
とすると丁度歳という年齢は還暦というぐらいで人生の折り返し点にあたる。
現在では歳で定年退職ということだが、これも最近は定年そのものを伸ばして歳まで、という会社も出てきたし、中には歳までは働ける人は働けばいいということを言う人も出てきているほどである。
それはそれとして、現実には歳代で何らかの身体の不具合を訴える人が急増するのもこの年代である。
私の周りでも何らかの不調を訴えている人は結構多いものである。
特に要注意なのが高血圧や糖尿病で、脳梗塞や心筋梗塞などになりやすいからであるが、これらの薬を服用している人の割合が増えている。
中には日に種類もの薬を飲んでいる人もあるほどである。
これらの病気は食事とか、生活の仕方とかその人が今まで歩んできた生活習慣が表に現れてきていると私は考えている。
旨いものを食べ、気楽に生活し、身体も動かさずにいる人はなり易いということは十分考えられる。
一昔前の日本人の生活は現在、急激に変わって来て贅沢になりすぎていると私は思っている。
私と同じ年代の人ならよく分かると思うが、子供時代には戦争の影響が大きく左右してひもじい思いをした経験があるはずだ。
それが今はどうか、子供時代には盆か正月にしか出て来なかったご馳走を当たり前のように毎日食べている。
身体に悪いのは当たり前田のクラッカーで私から言わせれば自業自得ということになる。
日頃の食生活や生活習慣が大事なのだ。
私は殆んど魚中心、それも青魚中心の食生活である。
子供の頃はトマトも、ピーマンも嫌いだったが、もしも残すようなことがあったら、「食べなくてもいい」と言われて食事抜きにされるので、無理にでも食べた結果今のように何でもたべるようになったのである。
その時子供に譲歩していたら今のように何でも食べれるようにはなっていなかったであろう。
その頃は親を鬼と思ったが、今となっては亡き親に感謝である。
この頃そんなことをする親があるだろうか。
甘やかすことが普通だと思ってるんじゃないの、この頃の親は。
お陰で私には嫌いなものがなくなってどんなものでも食べれるようになったのである。
それとアレルギーにしたって昔の子供には殆んどなかったように思う。
今はものすごく増えている。
私には何故そんなことになってるのか信じられない。
というのもこの歳になっても特にこれという病気もないからで、健康診断をしたって骨量が少ないということだけ(これは遺伝的なものじゃないかと医者は言う)で、骨量を増やす薬は週間に回飲んでいるが、自分の行ないが悪いわけではない。
血圧、血糖、尿検査にしてもすべて良好である。
これも普段から贅沢もせず、質素な食事で、身体を動かし、頭も動かし、楽しみながら生活を送っている賜物と思っている。
今の私の目標は歳まではヨイヨイにならずシャキッとして生活できるようにすることである。
というのは、そういう超高齢になればある日スーッと誰に世話をかけるでもなく、迷惑も掛けず、眠るようにあの世に行けるんじゃないかと思うからである。
朝方は結構強い雨が降っているが、途中で少し小降りになっても止むことはない。
起き上がって布団を押し入れにしまい込み、PCに向かって涼しいうちに出来るだけ昨日に引き続いて遺跡関係の資料をファイルして行く。
時過ぎに朝食をとり、モーニングコーヒーを飲んでしばらくNHKの朝ドラを見終わるまで休憩である。
そして、また資料のファイルを継続して行く。
一旦、時頃に休憩をとるが、また続けて、時からは参議院の委員会の中継が行なわれているのを見ていたが、菅総理は何を考えているのか知らないが、男らしくスパッと辞めろってんだ。
未練たらしくいつまでも総理大臣の椅子に座っていたら迷惑なんだよ。
最初の頃は菅降ろしに対し同情的だったが、最近は辞めろという人の割合が割になっていると言うじゃないか。
ホント未練たらしいったらありゃしない。
ところで今日も特に予定がなかったし、雨も降っているので出かける気も起きなかった。
食料は充分冷蔵庫の中に入っていて少し詰め込み過ぎたぐらいなので、当分は買いに出なくても大丈夫である。
昼からも目先を変えて別にPC誌に書かれている内容の重要な部分をメモしていく。
分からない言葉が出てきた時は「○○とは」で検索する。
こうやって少しづつでも身に付くようにしていきたいものである。
昨日も特に記述することがなかったので現在自分なりに取り組んでいることを紹介したが、今日はその基礎となってる考え方について記述したいと思う。
脳の活性化、足腰を丈夫に鍛えたりして出来るだけあらゆることに興味をもって行こうとするスタンスであることは間違いないが、その基本の考え方は社会にとっては迷惑かも知れないが、寿命を全うしてできるだけ長生きしようということに尽きる。
基本的に人間は歳ぐらいまでは生きる能力が備わっているということであるらしい。
とすると丁度歳という年齢は還暦というぐらいで人生の折り返し点にあたる。
現在では歳で定年退職ということだが、これも最近は定年そのものを伸ばして歳まで、という会社も出てきたし、中には歳までは働ける人は働けばいいということを言う人も出てきているほどである。
それはそれとして、現実には歳代で何らかの身体の不具合を訴える人が急増するのもこの年代である。
私の周りでも何らかの不調を訴えている人は結構多いものである。
特に要注意なのが高血圧や糖尿病で、脳梗塞や心筋梗塞などになりやすいからであるが、これらの薬を服用している人の割合が増えている。
中には日に種類もの薬を飲んでいる人もあるほどである。
これらの病気は食事とか、生活の仕方とかその人が今まで歩んできた生活習慣が表に現れてきていると私は考えている。
旨いものを食べ、気楽に生活し、身体も動かさずにいる人はなり易いということは十分考えられる。
一昔前の日本人の生活は現在、急激に変わって来て贅沢になりすぎていると私は思っている。
私と同じ年代の人ならよく分かると思うが、子供時代には戦争の影響が大きく左右してひもじい思いをした経験があるはずだ。
それが今はどうか、子供時代には盆か正月にしか出て来なかったご馳走を当たり前のように毎日食べている。
身体に悪いのは当たり前田のクラッカーで私から言わせれば自業自得ということになる。
日頃の食生活や生活習慣が大事なのだ。
私は殆んど魚中心、それも青魚中心の食生活である。
子供の頃はトマトも、ピーマンも嫌いだったが、もしも残すようなことがあったら、「食べなくてもいい」と言われて食事抜きにされるので、無理にでも食べた結果今のように何でもたべるようになったのである。
その時子供に譲歩していたら今のように何でも食べれるようにはなっていなかったであろう。
その頃は親を鬼と思ったが、今となっては亡き親に感謝である。
この頃そんなことをする親があるだろうか。
甘やかすことが普通だと思ってるんじゃないの、この頃の親は。
お陰で私には嫌いなものがなくなってどんなものでも食べれるようになったのである。
それとアレルギーにしたって昔の子供には殆んどなかったように思う。
今はものすごく増えている。
私には何故そんなことになってるのか信じられない。
というのもこの歳になっても特にこれという病気もないからで、健康診断をしたって骨量が少ないということだけ(これは遺伝的なものじゃないかと医者は言う)で、骨量を増やす薬は週間に回飲んでいるが、自分の行ないが悪いわけではない。
血圧、血糖、尿検査にしてもすべて良好である。
これも普段から贅沢もせず、質素な食事で、身体を動かし、頭も動かし、楽しみながら生活を送っている賜物と思っている。
今の私の目標は歳まではヨイヨイにならずシャキッとして生活できるようにすることである。
というのは、そういう超高齢になればある日スーッと誰に世話をかけるでもなく、迷惑も掛けず、眠るようにあの世に行けるんじゃないかと思うからである。