青い空とわたし

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山名伝説の残る棒ノ折山 に登る

2020年01月14日 19時07分12秒 | 同上 (山歩き)

1月13日(月)

今日は天気がいい。

じゃあ、あそこへ行ってみるか。

先日買った「山と渓谷」1月号の特集記事~100人で選ぶ名山100~ でボクのホームマウンテンが紹介されていた。

 

▲ 「山名伝説の残る人気の山 棒ノ折山」

解説が面白かった。

「鎌倉時代初期、秩父・畠山荘を治める畠山重忠は、『義経記』にも出てくるほどの美男で勇猛な武将。鎌倉に出向くとき、いつも棒ノ折山(969m)の麓の鎌倉道を通る。そんなとき、重忠を一目見ようと女性たちが集まってくる。

うっとうしく思った重忠は街道を避け、今の棒ノ折山に登った。当時は四方が手に取るように見渡せ、解放感で力が体いっぱいにみなぎってくる。思わず杖にしていた石の棒をへし折ったからスゴイ。折れた棒の片方がゴンジリ沢の小祠にまつられているという。」

 

知らなんだ。ボクのホームマウンテンにそんな伝説があるとは。山は、わが埼玉と東京都の県境にあって、埼玉は棒ノ嶺(ぼうのみね)と呼んで東京都は棒ノ折山(ぼうのおれやま)と呼ぶ山。どちらも「棒ノ」と名付けているのは同じだが、畠山重忠が杖の棒をへし折ったからか・・ 東京都の命名の方に分がありそうだな、チキショー(笑)。

じゃあいつもは埼玉側から登っているが、今日は大回りになるが東京都側から登ってみるか・・という次第で、出発。

 

▲ 青梅街道へ入って、川合から山道をどんどん登って、百軒茶屋を過ぎて奥茶屋というところへ来た。自宅から1時間ほど。予め道が細いこと駐車場が無いことが分かっていたから、愛用のキャンカーはやめて家内のHonda で今日は来た。道端に停める。

 

▲ さあ、登山口へ入ろうぜ。9時半。

父子が、立ち止まっている。

 

▲ 「台風被害により通行止 Trail closed」

「通行止めって書いてあるけど、どうしましょう?」

Ummm(ギャイーン) と思ったが、それはおくびにも出さず

「通行止めったって、日付が2019年10月で、3か月前の話。今も本当に通行止めかわからないし、行ってみてダメだったら戻ればいいですよ。それにこの黄色いロープも張ってないし」 今更引き返す訳にもいかないボクは強弁した。

 

▲ 「そ、そうですね」

1年生ぐらいの男の子を連れた、30台ぐらいのお父さんはダンジリ川の小橋を渡っていった。

ボクは父子の後を追って、先導するような格好で先をドンドン登って行った。

 

20分ほど経っただろうか、

▲ 苔むした岩とか、倒れたまま苔にまみれた樹々が出てきた。

うん、ここは風情のあるところだなあ。山道はこうでなくっちゃ。 しかし、淋しそうな道だな。

更に進む。①しかしトレイルがハッキリしない。踏み跡が無い。それに、②さっきからずっと道しるべのリボンが見当たらない・・

 

▲ して、こんなところに突き当たって。

③コンパスを見てみると、北に向かっていないとダメなのに、どうも東に向かっている!

 

▲ ダメだこりゃ!

 

道を間違えたに違いない。「棒ノ折山で高齢者遭難する!」とかの題字が頭の中で躍る。そうでなくとも、ボクのブログの表題は「Soraの初登り~失敗!」になるのかな。

どっちにしろ、戻らなくては。いつの間にか、父子はいなくなっていた。「道が荒れていたから諦めて帰ったのだろう、山は自己責任だからな。」と適当に考えていた。

百戦錬磨のSoraは、戻るにはそれほど苦労しなかった。

 

▲ ああ、この標識が怪しい。これを見誤ったのかな。

 

▲ 「棒ノ折山はこちら」

これを、ボクは「右へ行け」と理解したが、これは「左へ行け」ということだったのかな。なら、矢印←でも付けておけよ。

 

▲ 左へ行ってすぐの所に、こんな表示が地表に打ちひしがれていた。

やっぱり左で間違いない。ちゃんと貼っておけよ。

しかし、そもそも「通行止め」のトレイルを歩いているのだから、整備ができてないと責めるわけにもいかないな、と思い直す。

 

▲ ダンジリ川を渡る橋も出てきた。相変わらずリボンは無いが、間違いない、この道で。

 

▲ オオッ、出てきた。ここだな。

倒木が、トレイルをふさいでいる。

「どうしようかな、どこへ行ったらいいかな」と立ち尽くしていると、後方から口笛が「ヒューッ」

振り向くと、下のほうのワサビ畑で作業中のおっちゃんが、手ぶりで「上に上がれ」と。

「リョーカイ。ありがとっ」

 

▲ これは、崖を上に這い上って、迂回して、また下りてきて反対側から撮ったもの。

このう回路は、まったく前人未踏のようで道跡は全く無し。あの父子は来なくてよかった、(ボクでなきゃ)こんなところ通れないよ。

ダンジリ川に沿って、小さなワサビ畑が点在している。登山口で、黄色のロープが有るのに張ってなかったのは、こういうワサビ畑で働く方がいるからだ。登山者はやはり通行止めなのだろ。

 

▲ 小さい滝もあって、陽もそこそこ当たる清流だからワサビに適しているのだろうな。

この前の伊豆・天城、安曇野・大王農場を思い出していた。

 

オオッ、あった、あった、コレだな。

 

▲ 小祠が。

登山口をずっとダンジリ川に沿って北上して、少し左に逸れる道標があるところに、それはあった!!

 

▲ 恐る、恐る近づいてみる。

祠(ほこら)が傾いているじゃないか。

 

覗いてみると・・

▲ おおッ、有るじゃないか!

畠山重忠の言い伝えどおりだ。

ちょっと触らせてください。そっと手を伸ばす。

ひんやりと冷たかった・・ その次の瞬間

ビリビリーとパワーがボクの体を駆け巡った!

だといいが、チビたいだけだった。

 

 

さあ、これで半分来た。さらに登り続けよう。

 

▲ おそらく植林された杉林が、尾根伝いにずっと続く。

最後は、稜線を登り続けて

 

▲ うん、あれだ。頂上は。

東京側から初めて登った。

 

 

▲ 棒ノ嶺の頂上 12:30

この標識は埼玉側に向かって立っているので、棒ノ折山ではなくて棒ノ嶺の表示だ。

 

 

▲ 向かって左側は、あのトンガリのどちらかが秩父のシンボル武甲山で、「坂東武士の鑑」と称された畠山重忠の本拠地だ。

 

 

▲ 中央には、飯能の山並み、遠くは上州・群馬の山並みだろう。

雪は全く積もってなさそうだ。

 

▲ 頂上の様子。

殆ど埼玉側から登ってきた人たちのようだ。

そうそう、あの父子とは頂上で出会った。ボクよりずっと先に到達してたようで、愕然とした。 やはりワサビ畑のおっちゃんの指示は受けたそうだ。

 

▲ おなかが空いた。

今年も、たいして面白くもないランチだが。

 

▲ 東京側の看板地図を見る。当然、東京側を上にして描いてあるが。

赤線の奥茶屋⇒頂上が、今日のコース。

今まで何回も登ってきたコースが黄線。名栗湖から登ってくるコース。こちらの方がずっと長い。

どちらがいいか? ・・・ ウ~ン、名栗湖コースかな。こちらの方が長いが変化があるから。

30分ほど頂上にいて下山開始。13時。

▲ 奥茶屋に戻ってきた。14:30

車を停めたのは登山口から少し上がった所。更に上に上がったところには4台ほどは停められる駐車場があった。 は登山口から下がったところに。

あ、そうそう、これは大事な話。先の「山と渓谷」の解説にはもう一つ畠山重忠の逸話が書かれていた。

「別の話に、重忠は馬に乗って急いでこの山を越えたが、あまりに急いだため落馬、大事な一物をへし折ってしまったのが(棒ノ折山)由来という説もある。」

男性諸氏は気を付けたまえ。

 

 

過去記事: シーズン初めに地元の棒ノ嶺で山体力チェック! 2019.3.13

ここは