1月13日(月)
今日は天気がいい。
じゃあ、あそこへ行ってみるか。
↑ 先日買った「山と渓谷」1月号の特集記事~100人で選ぶ名山100~ でボクのホームマウンテンが紹介されていた。
▲ 「山名伝説の残る人気の山 棒ノ折山」
解説が面白かった。
「鎌倉時代初期、秩父・畠山荘を治める畠山重忠は、『義経記』にも出てくるほどの美男で勇猛な武将。鎌倉に出向くとき、いつも棒ノ折山(969m)の麓の鎌倉道を通る。そんなとき、重忠を一目見ようと女性たちが集まってくる。
うっとうしく思った重忠は街道を避け、今の棒ノ折山に登った。当時は四方が手に取るように見渡せ、解放感で力が体いっぱいにみなぎってくる。思わず杖にしていた石の棒をへし折ったからスゴイ。折れた棒の片方がゴンジリ沢の小祠にまつられているという。」
知らなんだ。ボクのホームマウンテンにそんな伝説があるとは。山は、わが埼玉と東京都の県境にあって、埼玉は棒ノ嶺(ぼうのみね)と呼んで東京都は棒ノ折山(ぼうのおれやま)と呼ぶ山。どちらも「棒ノ」と名付けているのは同じだが、畠山重忠が杖の棒をへし折ったからか・・ 東京都の命名の方に分がありそうだな、チキショー(笑)。
じゃあいつもは埼玉側から登っているが、今日は大回りになるが東京都側から登ってみるか・・という次第で、出発。
▲ 青梅街道へ入って、川合から山道をどんどん登って、百軒茶屋を過ぎて奥茶屋というところへ来た。自宅から1時間ほど。予め道が細いこと駐車場が無いことが分かっていたから、愛用のキャンカーはやめて家内のHonda で今日は来た。道端に停める。
▲ さあ、登山口へ入ろうぜ。9時半。
父子が、立ち止まっている。
▲ 「台風被害により通行止 Trail closed」
「通行止めって書いてあるけど、どうしましょう?」
Ummm(ギャイーン) と思ったが、それはおくびにも出さず
「通行止めったって、日付が2019年10月で、3か月前の話。今も本当に通行止めかわからないし、行ってみてダメだったら戻ればいいですよ。それにこの黄色いロープも張ってないし」 今更引き返す訳にもいかないボクは強弁した。
▲ 「そ、そうですね」
1年生ぐらいの男の子を連れた、30台ぐらいのお父さんはダンジリ川の小橋を渡っていった。
ボクは父子の後を追って、先導するような格好で先をドンドン登って行った。
20分ほど経っただろうか、
▲ 苔むした岩とか、倒れたまま苔にまみれた樹々が出てきた。
うん、ここは風情のあるところだなあ。山道はこうでなくっちゃ。 しかし、淋しそうな道だな。
更に進む。①しかしトレイルがハッキリしない。踏み跡が無い。それに、②さっきからずっと道しるべのリボンが見当たらない・・
▲ して、こんなところに突き当たって。
③コンパスを見てみると、北に向かっていないとダメなのに、どうも東に向かっている!
▲ ダメだこりゃ!
道を間違えたに違いない。「棒ノ折山で高齢者遭難する!」とかの題字が頭の中で躍る。そうでなくとも、ボクのブログの表題は「Soraの初登り~失敗!」になるのかな。
どっちにしろ、戻らなくては。いつの間にか、父子はいなくなっていた。「道が荒れていたから諦めて帰ったのだろう、山は自己責任だからな。」と適当に考えていた。
百戦錬磨のSoraは、戻るにはそれほど苦労しなかった。
▲ ああ、この標識が怪しい。これを見誤ったのかな。
▲ 「棒ノ折山はこちら」
これを、ボクは「右へ行け」と理解したが、これは「左へ行け」ということだったのかな。なら、矢印←でも付けておけよ。
▲ 左へ行ってすぐの所に、こんな表示が地表に打ちひしがれていた。
やっぱり左で間違いない。ちゃんと貼っておけよ。
しかし、そもそも「通行止め」のトレイルを歩いているのだから、整備ができてないと責めるわけにもいかないな、と思い直す。
▲ ダンジリ川を渡る橋も出てきた。相変わらずリボンは無いが、間違いない、この道で。
▲ オオッ、出てきた。ここだな。
倒木が、トレイルをふさいでいる。
「どうしようかな、どこへ行ったらいいかな」と立ち尽くしていると、後方から口笛が「ヒューッ」
振り向くと、下のほうのワサビ畑で作業中のおっちゃんが、手ぶりで「上に上がれ」と。
「リョーカイ。ありがとっ」
▲ これは、崖を上に這い上って、迂回して、また下りてきて反対側から撮ったもの。
このう回路は、まったく前人未踏のようで道跡は全く無し。あの父子は来なくてよかった、(ボクでなきゃ)こんなところ通れないよ。
ダンジリ川に沿って、小さなワサビ畑が点在している。登山口で、黄色のロープが有るのに張ってなかったのは、こういうワサビ畑で働く方がいるからだ。登山者はやはり通行止めなのだろ。
▲ 小さい滝もあって、陽もそこそこ当たる清流だからワサビに適しているのだろうな。
この前の伊豆・天城、安曇野・大王農場を思い出していた。
オオッ、あった、あった、コレだな。
▲ 小祠が。
登山口をずっとダンジリ川に沿って北上して、少し左に逸れる道標があるところに、それはあった!!
▲ 恐る、恐る近づいてみる。
祠(ほこら)が傾いているじゃないか。
覗いてみると・・
▲ おおッ、有るじゃないか!
畠山重忠の言い伝えどおりだ。
ちょっと触らせてください。そっと手を伸ばす。
ひんやりと冷たかった・・ その次の瞬間
ビリビリーとパワーがボクの体を駆け巡った!
だといいが、チビたいだけだった。
さあ、これで半分来た。さらに登り続けよう。
▲ おそらく植林された杉林が、尾根伝いにずっと続く。
最後は、稜線を登り続けて
▲ うん、あれだ。頂上は。
東京側から初めて登った。
▲ 棒ノ嶺の頂上 12:30
この標識は埼玉側に向かって立っているので、棒ノ折山ではなくて棒ノ嶺の表示だ。
▲ 向かって左側は、あのトンガリのどちらかが秩父のシンボル武甲山で、「坂東武士の鑑」と称された畠山重忠の本拠地だ。
▲ 中央には、飯能の山並み、遠くは上州・群馬の山並みだろう。
雪は全く積もってなさそうだ。
▲ 頂上の様子。
殆ど埼玉側から登ってきた人たちのようだ。
そうそう、あの父子とは頂上で出会った。ボクよりずっと先に到達してたようで、愕然とした。 やはりワサビ畑のおっちゃんの指示は受けたそうだ。
▲ おなかが空いた。
今年も、たいして面白くもないランチだが。
▲ 東京側の看板地図を見る。当然、東京側を上にして描いてあるが。
赤線の奥茶屋⇒頂上が、今日のコース。
今まで何回も登ってきたコースが黄線。名栗湖から登ってくるコース。こちらの方がずっと長い。
どちらがいいか? ・・・ ウ~ン、名栗湖コースかな。こちらの方が長いが変化があるから。
30分ほど頂上にいて下山開始。13時。
▲ 奥茶屋に戻ってきた。14:30
車を停めたのは登山口から少し上がった所。更に上に上がったところには4台ほどは停められる駐車場があった。 は登山口から下がったところに。
あ、そうそう、これは大事な話。先の「山と渓谷」の解説にはもう一つ畠山重忠の逸話が書かれていた。
「別の話に、重忠は馬に乗って急いでこの山を越えたが、あまりに急いだため落馬、大事な一物をへし折ってしまったのが(棒ノ折山)由来という説もある。」
男性諸氏は気を付けたまえ。
過去記事: シーズン初めに地元の棒ノ嶺で山体力チェック! 2019.3.13
ここは