2月1日(金)
国境の長いトンネルを抜けると、そこは青い空いっぱいの雪国であった。
やったあ!! 澄み深まった空、心が躍(おど)る。
8時半ごろに、ガーラ湯沢スキー場に到着。無料駐車場は、湯沢ICから来ると少し分かりにくい所にある。
メインの入り口前の駐車場はもう満車ということで、一段下の駐車場に誘導された。
▲ ガーラスキー場の入り口前。堂々たる建物だね。エレベーターで、2階のメインロビーへ上がる。
▲ チケット売り場のカウンター。カウンター数は、10以上ある。空港のチケット売り場みたい。
▲ ガーラ湯沢スキー場のウリは、JR上越新幹線のホームと直結していること。
駅の名はもちろん、「がーらゆざわ駅」だ。
チケット売り場の真向いの「改札口」からは、若い男女がボード板を背負って、次々と降りてくる。
▲ ロビーも天井が高く、飛行場みたいだ。
チケットを購入すると、このスキーセンターから、8人乗りのゴンドラでさらに上部の「中央エリア」へ全員移動する。
私は、さらにいつものとおりとにかく一番テッペンまで上がってしまう。
で、来たのが
▲ おう、おう、これはどこじゃ。と思うくらい素晴らしい眺めのところにきた。
高津倉山頂1181mだった。ガーラ湯沢の頂上エリアだ。
▲ 雪もいい。整地ピステンの跡も初々しい。
これを見ると、準備運動もせずに、すぐ滑り降りようとする私。
▲ 先のphotoは、湯沢から日本海側へ抜ける方角のもの。これは逆の群馬・上州側のもの。
たぶん、谷川連山とかいう山並みだろう。ゴツゴツしているねー。
何度か、このガーラゲレンデ中央エリアを滑ったあと、南エリアへ移動。
さらに、そこからゴンドラに乗って、小説「雪国」的には本命の「湯沢高原スキー場」へ移った。
***************
▲ 涙が出るほど絵画的、この山と里の風景は・・・
ゴンドラを降りて、下山ルートの「コマクサコース」を、一人下っていく途中での眺めだった。
三国街道が手前から、山合いをえんえんと、右上の日本海側へ向かって続いていく。
▲ 湯沢高原スキー場で、温泉場街道に一番近い、布場(ぬのば)エリアが見えてきた。
▲ ゲレンデ下には、食堂店が一列にマッチ箱を並べたように並んでいる。
布場エリアは、今見えるだけの、リフトも一基しかない小さいスキー場。
しかし、「雪国」では、「スキイ場」として何度か出てくる重要な由緒ある(笑)スキー場なのだ。
▲ なぜなら、この「スキイ場」のスロープの右横の高台には、川端康成が逗留した体験をベースに「雪国」を描いた「宿屋」があるからだ。
(赤丸印)
▲ その宿屋は、現在もある「高半旅館(ホテル)」。
「『東京のあわて者だわ。もう辷(すべ)ってるわ。』山麓のスキイ場を真横から南に見渡せる高みに、この部屋はあった。島村も火燵(こたつ)から振り向いてみると、スロオプは雪が斑なので、五六人の黒いスキイ服がずっと裾の方の畑の中で辷っていた。・・」
高半旅館は明日、ゆっくりみてこよう。
布場エリアは、残念ながら初級スキーヤー向き。川端康成も、書簡で「このスロオプは私でも滑れそうです」と書いている(笑)。
で、少し隣に移動して、再度上部の高原エリアに戻ろう。そのためには、このロープウェイに乗って上がるのだ。
▲ パンフには、「世界最大級166人乗りの大型ロープウェイ」で約7分と、書いてある。
内部は確かに広い。雪渓の山並みだけを見に来たおじさん達も乗っており、地下鉄の中みたいだ。
まだ宮仕え中の私は、通勤時を思い出す(笑)。
湯沢高原スキー場の頂上、大峰山1170mへ上がる。
▲ 毎度で申し訳ないが、この山並みと麓(ふもと)の湯沢町の町並みは・・・いいなあ。
八方をはじめ、スキー場のトップから白馬村などの麓が見えるところは多い。
しかし、ここほど町並みが近接して、はっきり見えるところは、私は知らない。
9時過ぎから滑り始めて、12時になった。お腹が空いてきた。
▲ 中腹にある、展望レストラン「エーデルワイス」に入る。
エーデルワイス? スイスかよう?
スキー場開設100周年を今年迎える、歴史ある湯沢なら、もう少し「和」的な名前にしてもいいような気がするけど。
▲ 広いレストランも、平日だからお客さんもほとんどいなくて、心がゆったりと満ちてくる。
で、お昼に注文したのは、
▲ 野沢菜チャーハンステーキ1300円。変わった、組み合わせなのでコレにした。
ガーリック味の牛肉ステーキと、野菜の下には、確かに野沢菜をまぶしたご飯がありましたよ。
これで、また元気が出た。
【続く】
国境の長いトンネルを抜けると、そこは青い空いっぱいの雪国であった。
やったあ!! 澄み深まった空、心が躍(おど)る。
8時半ごろに、ガーラ湯沢スキー場に到着。無料駐車場は、湯沢ICから来ると少し分かりにくい所にある。
メインの入り口前の駐車場はもう満車ということで、一段下の駐車場に誘導された。
▲ ガーラスキー場の入り口前。堂々たる建物だね。エレベーターで、2階のメインロビーへ上がる。
▲ チケット売り場のカウンター。カウンター数は、10以上ある。空港のチケット売り場みたい。
▲ ガーラ湯沢スキー場のウリは、JR上越新幹線のホームと直結していること。
駅の名はもちろん、「がーらゆざわ駅」だ。
チケット売り場の真向いの「改札口」からは、若い男女がボード板を背負って、次々と降りてくる。
▲ ロビーも天井が高く、飛行場みたいだ。
チケットを購入すると、このスキーセンターから、8人乗りのゴンドラでさらに上部の「中央エリア」へ全員移動する。
私は、さらにいつものとおりとにかく一番テッペンまで上がってしまう。
で、来たのが
▲ おう、おう、これはどこじゃ。と思うくらい素晴らしい眺めのところにきた。
高津倉山頂1181mだった。ガーラ湯沢の頂上エリアだ。
▲ 雪もいい。整地ピステンの跡も初々しい。
これを見ると、準備運動もせずに、すぐ滑り降りようとする私。
▲ 先のphotoは、湯沢から日本海側へ抜ける方角のもの。これは逆の群馬・上州側のもの。
たぶん、谷川連山とかいう山並みだろう。ゴツゴツしているねー。
何度か、このガーラゲレンデ中央エリアを滑ったあと、南エリアへ移動。
さらに、そこからゴンドラに乗って、小説「雪国」的には本命の「湯沢高原スキー場」へ移った。
***************
▲ 涙が出るほど絵画的、この山と里の風景は・・・
ゴンドラを降りて、下山ルートの「コマクサコース」を、一人下っていく途中での眺めだった。
三国街道が手前から、山合いをえんえんと、右上の日本海側へ向かって続いていく。
▲ 湯沢高原スキー場で、温泉場街道に一番近い、布場(ぬのば)エリアが見えてきた。
▲ ゲレンデ下には、食堂店が一列にマッチ箱を並べたように並んでいる。
布場エリアは、今見えるだけの、リフトも一基しかない小さいスキー場。
しかし、「雪国」では、「スキイ場」として何度か出てくる重要な由緒ある(笑)スキー場なのだ。
▲ なぜなら、この「スキイ場」のスロープの右横の高台には、川端康成が逗留した体験をベースに「雪国」を描いた「宿屋」があるからだ。
(赤丸印)
▲ その宿屋は、現在もある「高半旅館(ホテル)」。
「『東京のあわて者だわ。もう辷(すべ)ってるわ。』山麓のスキイ場を真横から南に見渡せる高みに、この部屋はあった。島村も火燵(こたつ)から振り向いてみると、スロオプは雪が斑なので、五六人の黒いスキイ服がずっと裾の方の畑の中で辷っていた。・・」
高半旅館は明日、ゆっくりみてこよう。
布場エリアは、残念ながら初級スキーヤー向き。川端康成も、書簡で「このスロオプは私でも滑れそうです」と書いている(笑)。
で、少し隣に移動して、再度上部の高原エリアに戻ろう。そのためには、このロープウェイに乗って上がるのだ。
▲ パンフには、「世界最大級166人乗りの大型ロープウェイ」で約7分と、書いてある。
内部は確かに広い。雪渓の山並みだけを見に来たおじさん達も乗っており、地下鉄の中みたいだ。
まだ宮仕え中の私は、通勤時を思い出す(笑)。
湯沢高原スキー場の頂上、大峰山1170mへ上がる。
▲ 毎度で申し訳ないが、この山並みと麓(ふもと)の湯沢町の町並みは・・・いいなあ。
八方をはじめ、スキー場のトップから白馬村などの麓が見えるところは多い。
しかし、ここほど町並みが近接して、はっきり見えるところは、私は知らない。
9時過ぎから滑り始めて、12時になった。お腹が空いてきた。
▲ 中腹にある、展望レストラン「エーデルワイス」に入る。
エーデルワイス? スイスかよう?
スキー場開設100周年を今年迎える、歴史ある湯沢なら、もう少し「和」的な名前にしてもいいような気がするけど。
▲ 広いレストランも、平日だからお客さんもほとんどいなくて、心がゆったりと満ちてくる。
で、お昼に注文したのは、
▲ 野沢菜チャーハンステーキ1300円。変わった、組み合わせなのでコレにした。
ガーリック味の牛肉ステーキと、野菜の下には、確かに野沢菜をまぶしたご飯がありましたよ。
これで、また元気が出た。
【続く】