あお!ひー

叫べ!いななけ!そして泣け!雑多なことを書いてみる。

五百羅漢(江戸東京博物館)

2011-05-01 23:36:35 | アート系


本当だったら3/15にスタートして5/29までの予定だった五百羅漢。

ところが3/11の東日本大震災の後、しばらくは音沙汰がありませんでした。

中止とも延期ともならず、どうしたものかと思ってた4月の中旬になって延期の発表がありました。

4/29スタート。終わりが5/29のままだったら一ヶ月。それは厳しいかと思っていたら、なんと終わりも延びてくれていました。

4/29から7/3までに変更と決定していたのです。

なにしろ、この展覧会、ずいぶんと前から監修者の山下裕二先生が予告してくれていたのです。

連動するように森美術館での「医学と芸術」や他の展示でもこの五百羅漢を2幅ずつとか小出しに見せてたのです。

これはやっぱり期待しちゃいます。

さて、五百羅漢とは何ぞや。

幕末の絵師、狩野一信によって描かれた100幅に描かれた羅漢図なのです。

この100幅は増上寺にあるものの羅漢堂なる建物内ですう幅ずつ公開されていたようです。

ところが、空襲で全焼。幸いにも別の建物に移されていた五百羅漢図は無事だったものの、公開されることなく表舞台から消えてしまっていたのです。

そして、今回全100幅を同時公開となったのです。

今回の展示はちょっとこれまでの江戸東京博物館での展示とは違っています。

これらの羅漢図のすべてではないもののかなりの点数については間近に見ることが出来るのです。

それを可能にしたのは今回の展示のために製作された特別な展示ケース。

なんと、作品から20センチ程度の距離で見られるのです。

いつも美術館でガラス越しに1メートル先の絵画を見るのはしんどいしもっと近くで見たいというジレンマに陥ります。

ところがこの近さですので、じっくりと寄って肉眼でしっかりと見ることが出来るのです。

同じく、山下先生が企画されたシャッフルに至っては、等伯や応挙の作品を遮るものは何もありませんでした。
(関連記事:白金アートコンプレックス合同展覧会「シャッフル」

やはり、日本美術は生で見るに限りますね。

会場に足を踏み入れるとそこはいつもの垢抜けない(失礼!)江戸東京博物館ではありませんでした。

とにかく見た目がとてもよい造りになっていて会場が美しいのです。これには驚きました。

今回の展示はなにせ100幅。相当に時間がかかるだろうと踏んでおりました。

結構集中してみて2時間半かかりました。

ということはもう少しゆったりと見るとおそらく3時間はかかるのではないかと。

とにかく真剣に見てこちらもエネルギーが必要になるのです。こんな絵は珍しいです。

この五百羅漢図は基本、2幅で対になっているので2点が並んで展示されています。

にしてもでかい。しかも緻密に描かれてる。だから至近距離でじっくりとも見るし、2幅全体を見渡すには離れる必要もある。

ということもあってみるのに時間がかかります。

羅漢て修行を積んで神通力を使えるようになった超人なわけです。

ところが登場する羅漢たちは皆妙に人間くさいんですよね。

絵に入って行き易い感じがいいのだと思います。


☆「第9幅 浴室」

頭の周りの光輪を通して従者の腕がかみそりで羅漢のひげを剃っている。

この羅漢の面構えなんともいいですね。


☆「第17幅 剃度」

仏門に入る少年の剃髪を行っているところ。

この荘園たちの表情がそれぞれに味わいあります。

しかし、坊主のおっさんと少年だけなのになんでこんなに魅力的なんだろう。これに限ったことではないのですが。



☆「第22幅 六道 地獄」

ポスターなどでお目にかかるビジュアル。

やはり迫力がハンパないですね。



☆「第23幅 六道 地獄」

地獄の亡者を苦しめてる?最初はそうかと思っておりました。

違うのです。亡者を苦しめる氷をビームで溶かしているんどえす。

ええ、これはビームです。ちゃんと解説にビームって書いてるんですよね。


☆「第25幅 鬼趣」

餓鬼が苦しんでいるところ。食べ物を口にしようとすると寸前で火に化けてしまう。なんとも悲しい。

羅漢さんは汁も米も持ってきてるのに。

餓鬼はぐろいけどもちゃんと鑑賞に堪えうるレベルにデフォルメされている。それはやはり仏画だからなのでしょうか。



「第30幅 六道 畜生」

腹を開いて中に仏が!!

このサルたち騒いでる感じもよし。

色彩はうるさいくらいだけどむしろ執拗に目でおいかけてしまう不思議。


☆「第37幅 六道 天」

天へと旅立つ羅漢一行。

ブルーの空の上に雲と空に浮かぶ建物。

天女たちの奏でる姿も華やか。奥行きのある感じが一番生きてると思います。


40幅まで来たところで五百羅漢ではない展示に。

☆「釈迦文殊普賢四天王十大弟子図」

こちらは巨大な軸。モノトーン。成田山新勝寺のものでここ30年公開されていないのだそう。しかも寺外でも展示は今回が初。

水墨ですが、羅漢の表情はまさしく一信のもの。

しばらく見てて仕掛けに気づきました。

ここの照明だけ明るさを徐々に暗く、また明るくを繰り返してて明るさのよる見え方を比較できるのです。

ええ、以前に東博のプライスコレクションで導入された試みですね。こういういいことはどんどんやってもらいたいです。


☆「第45幅 十二頭陀 節食之分」

これは異様でした。

西洋画に影響を受けて陰影法を取り入れているものの立体的に描写される部分と以前のままの平面的な描写とが同一画面にあるという妙さ。

でも、幸か不幸かこの1幅のみなんですよね。他にもう1幅くらい見てみたかったです。
 


☆「第50幅 十二頭陀 露地常坐」

この夜の暗いトーンがいい雰囲気。

夜に色とりどりの法衣を纏い、胡坐を組む。

派手さはなくともでもやはり怪しいんですよね。



「第51幅 神通」

頭から水がぴゅー!

ところがもうすでに50幅も見てるのでこれがあまりヘンに見えないのが問題ってことで。



「第53幅 神通」

なんと首つりです。

かなり気持ちが悪い。ここだけトーンが異なります。どうやら一信は実際にこんな死体を見ただろうとの記述が解説にありました。

やはり、取り入れて試してみたかったということでしょうか。



「第54幅 神通」

これ、何か惹かれるのです。

木の中で炎に囲まれて祈る羅漢。ものすごくおかしなことになってるのに画面からにじみ出る画力が説得力につながっています。



「第55幅 神通」

顔をめくって「実はわたしは観音菩薩です」って!得意に見せちゃうあたりがこの羅漢さんたちのキャラなのでしょう。

灰下の白い象もなんとも面妖でよい。



☆「第61幅 禽獣」

一角を持つ鹿みたいな生き物の耳掻きを楽しそうに行う羅漢。ああ、やっぱり人間くさいです。

そして、空中を鹿(?)の乗って天駆ける二人の羅漢。


☆「第66幅 禽獣」

この禽獣シリーズの中でも動物の描写としてはこの幅に登場する鷹でしょう。

毛並みといい存在感のあるでーんとした感じ。半開きの目が表情をつくっています。


☆「第69幅 禽獣」

霊獣・白澤。目が三つ!それどころかお腹にも目が3つ。背中にも角が4本。

どうしたらこんな妙な生き物が登場するんでしょうね。昔はポピュラーだったのでしょうか。


☆「第73幅 龍供」

竜宮でもてなされているシーンなのだけども、竜宮の者たちの頭にはお魚や蛸。なんだか、さかなくんみたいでびっくり。


☆「第81幅 七難 震」

一信は安政2年(1855)の安政の大地震を体験している。(日記に記述アリ)

にしても、まさか東日本大震災でスタートが遅れたこの展示でこんな絵をみることになろうとは。

家が崩れ、火の手が上がる。なんとも痛ましい。


☆「第83幅 七難 風」

直線で斜めに切り込む線の集積。

被災した光景はもちろん凄まじいのだけども、この画面の構成とバランスにやられてしまう。

さらに奥には祈る女性へと差し込む観音菩薩からの光線。

この直線描写の妙につきます。


そして91幅から100幅までは海外に飛びます。インドのアショカ王の即位?ん、なんだか妙な方向へ。予感的中。

ここから解説がありえないことになってくる。

一信は大病を患い下絵を一部だけ書いて実際の製作には関わっていないようだ。

羅漢の表情や構成ももうどんどんおかしなことになってるのが分かる。

このあたりは開設を見るときちんと書かれててむしろすがすがしい。



図録は豪華な感じでしっかりとした造り。


会場で見たのと同じように2幅がページの左右に配されているので見やすいし、記憶をたどれますよね。

これは絶対に見たほうがいい展示です。

広告のビジュアルはちょっとおどろおどろしくもありますが実物はとにかく絵として魅力に満ち満ちているのです。

7/3まで。
※月曜休館。ただし、5/2と5/16は開館。つまり、明日5/2は開館しています

芸術新潮 2011年 05月号 [雑誌]
クリエーター情報なし
新潮社
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする