Annabel's Private Cooking Classあなべるお菓子教室 ~ ” こころ豊かな暮らし ”

あなべるお菓子教室はコロナで終了となりましたが、これからも体に良い食べ物を紹介していくつもりです。どうぞご期待ください。

ダマスクローズ 69

2020年06月14日 | ダマスクローズをさがして — Ⅱ

左からアクバル王、ターンセーン、スワミ ハリダス。作者不明 (1700 AD - 1760 AD) 画

古代インドにおけるヴェーダ(バラモン教とヒンドゥー教の聖典)の究極の悟りを「梵我一如(ぼんがいちにょ)と言います。梵(ブラフマン:宇宙を支配する原理)と我(アートマン:個人を支配する原理)は同一であるの意です。すなわち個人の肉体が死を迎えても、アートマンは永遠に存続するという事です。この考えはアートマンが死後に新しい肉体を得る輪廻の根拠になっています。『六道輪廻の宿命観。因果応報、この世のカルマ(行為、業)が “因” となり、次の世で “果” を結ぶ。』がヴェーダの教えで、日本人にも共感がもてる考え方です。

16世紀にインド全域を統一したアクバル帝の宮廷に、宮廷音楽を統括する大音楽家ミヤン・ターンセーンが現れます。以後20世紀まで彼の流派が古典音楽の最高位に君臨し続けたという大音楽家です。「梵我一如」の思想は音楽だけではなく、絵画の世界でも反映されています。上の絵からはひしひしと六道輪廻の宿命観が感じられます。3人の背後にはうっそうとした森が、その上には黒々とした雲が空を覆っています。「虚」の世界に存在する3人の人間。その空間を、これまた瓢箪の中を繰り剥いて作った「虚」の世界から生み出されたシタールの音色が切々と響いています。心の中を虚にすることの大切さはいつの時代にも大切な考えだと思います。見ていて清々しく、豊かな気持ちなるいい絵です。

右端のスワミ ハリダスは、カルナティックhttps://www.youtube.com/watch?v=spRQEectgB8音楽の父であり、生徒の一人にターンセーンがいました。

3人にまつわるお話(全文)をhttps://note.com/yoshiminekondo/archives/2019/07から引用させていただきました。
『ある日、アクバル帝はターンセーンより優れた音楽家がいることを知らされました。それは森に住む聖人で、ターンセーンの先生だといいます。アクバル帝は「彼の歌をぜひ聞いてみたい。」といい出しましたが「たとえ王であっても、彼は誰かに請われて歌うことはないでしょう」とターンセーンはたしなめます。
ますますその歌を聞いてみたくなったアクバル帝は、ターンセーンに頼み込み、家来に変装して森に出かけていくことにしました。
森に近づくと聖人は瞑想を終えて、歌をうたっていました。その声は森を震わせ、アクバル帝の心を深く揺さぶりました。帰り道、アクバル帝はターンセーンにたずねます。
「お前より優れた音楽家がこの世にいるとは思っても見なかった。なぜお前はあのように歌えないのか。」するとターンセーンは答えていいました。
「アクバル帝。私は貴方のために音楽を奏でています。けれども彼は、神様のためだけにうたっているからです。」』

 

当時の西・南アジアは、オスマン帝国、サファビー朝ペルシャ、ムガル帝国の3大国が拮抗し、非常に安定していた時期で、まだ西欧人が進出する隙もありませんでした。ジャハーンギール時代には、先進国だったペルシャから多くの官僚や職人などが仕事を求めてやってきました。彼らにとって、ムガル帝国の宮廷の公用語がペルシャ語だったことも好都合でした。ジャハーンギールは、ペルシャ語: نورالدین جهانگیر‎, ラテン語:Nūr'ud-Dīn Muḥammad Jahāngīr。ヌール・ジャハーンは、ペルシャ語 نور جهان, ウルドゥー語:نور جهاں, パシュトー語:نور جہاں で表記されていることからもこの時代の時代性が窺えます。

  

ムガル帝国時代のザクロ形の香水瓶-ルビー、エメラルド作り

ナセル・アル・サバ(Nasser Al-Sabah、クウェート国の元副首相兼国防大臣)コレクションから https://www.metmuseum.org/exhibitions/listings/2001/jeweled-arts-of-mughal-india/photo-gallery  

 

 

 

  


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