Annabel's Private Cooking Classあなべるお菓子教室 ~ ” こころ豊かな暮らし ”

あなべるお菓子教室はコロナで終了となりましたが、これからも体に良い食べ物を紹介していくつもりです。どうぞご期待ください。

ダマスクローズ 43

2020年04月22日 | ダマスクローズをさがして — Ⅰ

          

                ※3 Graecula (little Greek rose)

The Floricultural Cabinet and Florist's Magazine. 絵はNatural History Museum Library, London から、本文はFloricultural Cabinet 6(66): 177-180 (Aug 1, 1838) から引用させていただきました。

 

Graeculaについては上の本に詳しく述べられています。

Floricultural Cabinet 6(66): 177-180 (Aug 1, 1838) の中にプロヴァンスローズとグラクラの記述がありました。今から約180年前ですから、最近の内容になりますが、「英国の薔薇に関する読み物」ということで、注目しました。【】内はその引用文です。

 

【庭に植えて最も自慢の薔薇、素晴らしい薔薇はプロヴァンスローズだろう。南フランスの人たちが、この土地固有のものであると主張しているのだが。一方で、最初にこの花がオランダに入ったときにオランダ人がプロヴァンスローズではなく、オランダローズと名付けるべきであったのにと、ジェラード※1 ( John Gerarde, c. 1545–1612、イギリスの植物学者) は言っています。しかしながらプリニウスの言からも明らかなように、どの二つの国もこの薔薇の原産国ではありません。彼はその薔薇をギリシャの薔薇と呼び、そのことを21巻目の4章に明記しています。『グラクラ(Graecula:little Greek rose) という薔薇は、花びらが互いに密に重なり合って、指に力を入れなければ開かないので蕾のように見えるが、花が開くとその花びらはどの薔薇よりも大きい。』とのプリニウスの説明はキャベッジローズの、花びらが何枚にも重なった性質とまさに呼応しています。このバラは、ダマスクローズと近縁であり、同族であるため、おそらくギリシャ人が、ダマスカスの近辺からこの薔薇を最初に入手したと考えられます。僅かな2つの差違は土壌と栽培によるものです。】

 

※1 ジェラード(John Gerarde)The Herball or Generall Hiftorie of Plantes.1597(本草書または植物の話、本草書または一般植物誌)を出版。この中にダマスクローズとプロヴァンスローズに関する描写がありますので、ここに引用しておきます。この時代にほんとうにダマスクローズが存在していたのか?という疑問は残りますが。それはそれとして、彼の言い分も聞いてみましょう。

『ダマスクローズの背丈は普通で、枝には棘が多い。その他はホワイトローズに似て殆どの葉は5枚、葉の主脈は対をなし、小さい葉は切れ込みが鋭くその縁は粗い。特に他の薔薇と異なる点は花の色と匂いだ。薄赤色の花びら、心地良い香りは料理にも医薬品としても優れている。オランダプロヴァンスローズは枝又は木質部の根から勢いよく棘のあるシュートを伸ばし、そこから枝をいくつも出す。花は枝の先端につき形と色はダマスクローズに似ているが、それよりも大きく数も多い。しかしダマスクローズほど甘い香りではない。その実はほかの薔薇と同様である。』

 

ジェラードは、「イングランドの床屋外科、植物学者である。」とwiki. に紹介されているように、そしてジョンという名前からも察せられるように、イングランドの下流階層の出身です。『床屋外科の傍ら趣味で庭師をし、植物学を独学で学び、家の近くに庭園をつくり、植物を集めて栽培・研究した経歴の持ち主です。新世界への航海を行ったウォルター・ローリーやフランシス・ドレーク※1と契約し、珍しい作物を集めたことでも知られています。彼の本草書の大部分はフランドルの医師・植物学者レンベルト・ドドエンスの著作『ペンプタデス』等をはじめとする他の本からの盗用であり、本草書のベースには、『薬物誌』をはじめとする古代のテキストが使われています。』となかなかの酷評です。

 

しかし、彼の植物に対する”目”はやさしく、これまでの、そしてこれから先も繰り返すキリスト教と結びつけた薬草の存在、薬草の薬効に焦点を当てる視点ではなく、植物本来の姿に眼差しを向けて描写していることに親しみと心の安らぎを覚えます。わたしの好きな植物学者の一人です。  

 

※1 サー・フランシス・ドレーク( Sir Francis Drake、ca.1543 – 1596/1/28、エリザベス朝の航海者、私掠船船長、海軍提督。)この頃の廷臣には海賊が多かったようです。次にご紹介するサー・ウォルター・ローリーも探検家、作家などと紹介されていますが、ドレーク同様海賊です。ただ、ローリーの人生はドレーク以上に波乱に満ちた、時代を背負った、時代に応えるべくして生まれた男といった風体です。

サー・ウォルター・ローリー( Sir Walter Raleigh, ca.1554 – 1618/10/29、イングランドの廷臣、軍人、探検家、作家、詩人、植民活動、私掠。)      

 

薔薇の話が少し込み入ってきたので、ここで少しプリニウスの言葉とそれを説明するいくつかの内容をまとめておこうと思います。                

 

・ ミトレスの薔薇は二重ガリカで別名プロヴァンスローズ(R. gallica officinalis)を指していました。

・ 現在プロヴァンスローズと呼ばれている薔薇は、ギリシャ人がカンパニアで栽培していた薔薇(グラクラ)で、オランダに運ばれ改良され、十六世紀以降になってあらわれたものです。 

 

 


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