< 作詞作曲不詳/文部省唱歌 柴刈り縄ない草鞋をつくり 親の手を助け弟を世話し 兄弟仲よく孝行つくす 手本は二宮金次郎 骨身を惜まず仕事をはげみ 夜なべ済まして手習読書 せわしい中にも撓まず学ぶ 手本は二宮金次郎 家業大事に費をはぶき 少しの物をも粗末にせずに 遂には身を立て人をもすくう 手本は二宮金次郎。 |
その敷地内の片隅に二宮金次郎が木陰にひっそりと立っている。
ここは学校統合前には小学校だった所と思われる。
歌詞をよく味わって読んでみると、現代の世の中で失ってしまった人間としての生き方の大切な基本的なことが、歌われていると思う。
< 物産みやげ物店と皇居跡の枝垂桜> | |||||||||
<> |
|
川を渡ってずっと山に登った時もあったが、今回は川縁を見ながらの歩きにした。
川の水は澄み、夏にはこの辺りで鮎つりの人もよく見かけるところだ。
昨年までなかった土産物屋があった。
柿を原料にしたお菓子類などあり、孫は柿羊羹がいいというのでそれを求めた。
ここから賀名生まで引き返し、南朝三代の皇居跡である堀家の、枝垂桜を観に立寄った。
朝、ここを通った時よりもピンクの色が濃くなっていたが、まだ大体三分咲きくらいだった。
したがって「賀名生」という歴史に残る貴重な地名はこのよう史実の説明などに残るのみになったのは、なんとも寂しいものである。
二宮金次郎の2、3番の歌詞知りませんでした。そして、~撓まず~ ~費を~ が読めずに、先日の「なつかしい童謡・唱歌…」のHPで歌い方を知りました。おっしゃるように「現代の世の中で失ってしまった人間としての生き方の大切な基本的なことが歌われている」に同感です。
一本一本の美しさにまして、里全体を春色に蔽い尽くすこの里の春が大好きなのです。
孫は今年4月から2年生になります。
一人暮らしを慎ましくして頑張っている子なのです。
ありがとうございます。
二宮金次郎の歌、先日知人に頼まれて、村の天神さんの銅像の前に書いておきたいといわれましてプリントしたばかりでした。
お参りした人も、hiromさんと同じようなお話をされたそうです。
生き方としてやはり心したいメッセージがありますよね。
近くでは、葛城か御所の山間の学校で見たことがあります。
ぽん太さんが、撮っておられた堀家の枝垂れ、少しの違いでだいぶ開花したように見えます。
この寒さで、花は長持ちしそうですね。
下市の貝原の庄屋の枝垂れ、ご存知ですか。もしいらしたことがおありでしたら、教えてください。
現在の東京、皇居も、
いまに皇居跡になっちゃうのでしょう、
世の中動くから、
東京も桜が開花しました。
デジブックの貼り付け場所から伺いました。
らいげつの10~11日頃に吉野山に以降と思っております。
趣味人倶楽部で仲間と一緒に楽しんでいます。
光雅で検索いただいたらヒットすると思います。
お邪魔しました。
南北朝時代 日本史は詳しい勉強をしていませんので(受験勉強のみ)、よく判らないのですが、結局は 後醍醐天皇の南朝が 正当な?天皇家として 継続したんですよね。五条付近は 歴史的な遺跡が一杯のようですので、そちらの皆さんは詳しいと思いますが…
「賀名生」が 地名として残らないと言うことは、「字」としても 無くなっているんでしょうか?
でも、南北朝に時代は、日本を挙げての皇位継承の争いの続いた時代ですから、この五條も三代に渡っての天皇在住の地となったので、本当は、吉野へ行くのが、阻まれてここで過ごされたものですよね。
史実をもっと学ばねばと思っています。
この枝垂れが満開になりますと、皇居跡の藁葺き屋根とあいまって、存在感がグッと増してきます。
花の吉野へお仲間とご一緒に、お出でになるのですね。
デジブックでのアルバムを楽しみにしています。
近くですが、なかなかその頃に行けない状態ですので、PC観桜がいつものならいです。
私も、歴女には程遠い読書の範囲ですが、この地を訪れた時には、来し方のこの地を、残されたものによって、辿るようにしています。
南朝が正当として引き継がれたのですよね。
「賀名生」は町名としては残ってはいませんが、「賀名生梅林」「賀名生の梅」など、決して消えてしまうものではないと思います。